革新の一歩

第一章 決意と萌芽Ⅳ

 訓練の後、俺はみんなの部屋を謝罪して回った。
 反応は十人十色だったが、結局の所は思いが通じたのかみんな許してくれたみたいだ。
 そして俺は今、セリアの部屋のドアを叩こうとしている。
 早速彼女に相談したい事があったのだ。
 コンコン
 俺は意を決してドアをノックする。
 ずいぶん無機質で乾いた音がした気がした。

「さて、明後日に迫ったバーンライトとの決戦についての作戦会議を始めよう。エスペリア、説明を頼む」
 悠人は決戦に備えての作戦会議を開催いていた。
 本来は出発前に各部隊へ作戦のみを通達するだけでいい。
 だが、隊長らしさのアピールとして場を設けるようにと「彼女」に入れ知恵された結果だった。
「はい。情報によりますと、敵勢力は再編成を終え首都を中心に展開、主力はこちらに動きがなければサモドア山道を通り、ラセリオに総力戦を仕掛けてくる模様です。
一方、守備部隊の兵員は僅かですが、おそらく精鋭をあてているものと予測されます。
開戦直後から見れば大きく数を減じていますが、数字上では依然として敵側が優勢です。…以上が敵軍の現状です」
「うん、説明ありがとうエスペリア。そこで俺たちの作戦はこうだ」
 悠人は満足そうに頷いて列席しているみんなをひとりひとり見た。
「まず、部隊を二つに分け、ラセリオとリモドアにそれぞれ配置する」
「待ってください」
 挙手してヒミカが立ち上がった。
「数で劣る以上、こちらは一丸となって敵にぶつかるべきだと思うのですが…」
 もっともな意見だ。
「確かに普通ならそうだ。でもそれじゃ侵攻に時間がかかる。消耗戦になったら不利だ…まあ、最後まで聞いてくれ」
 なだめてヒミカを座らせると、悠人は先を続ける。
「ラセリオ側の部隊は南下して敵主力と交戦。だけど、無理に先に進む必要はない。逆に少しずつ後退してラセリオで敵主力を食い止める。
こっちが守る側になれば数の不利もある程度抑えられる。そうやって敵の主力を引きつけておいて――」
 場の雰囲気が変わった。みんなこの作戦の全貌が見えてきたようだ。

「そこで、リモドア側の部隊がサモドアに攻め込むんだね、パパ!」
 すかさずオルファリルが立ちあがって口を挟んだ。
「こら、オルファ!ユート様のお話の邪魔をしてはいけません」
「いや、いいんだエスペリア。その通りだ、偉いぞオルファ」
 嗜めるエスペリアを制す形で悠人はオルファリルに助け舟を出す。
「えっへへ~、パパに誉められた~」
「いーないーな、オルファばっかりずるい~」
「ずるい~」
 喜ぶオルファリルにネリーとシアーがユニゾンで不満を漏らす。俄かに場が騒ぎ出した。
「みんな静まりなさい!…ユート様、話を続けて下さい」
 パンパンと手を叩きながらヒミカが場を収めた。こういう時の彼女の仕切り屋気質は助かる。
「ああ、ヒミカありがとう。それじゃ続けるぞ……つまり今回は陽動と電撃戦の二重仕立てだ。ラセリオ側の部隊、陽動側は派手に暴れて敵をおびき寄せてもらう。
リモドア側の部隊はサモドアより敵が離れた頃合を見計らって進撃開始。速やかに守備部隊を倒し首都を制圧する…以上だ。質問はあるか?」
 す、と上げられた手。
「ひとつ質問が。編成は決まっているのですか?」
 セリアだった。
「ああ、もう決めてある。編成は――」
 悠人は彼女を見つめながら心の中で礼を言った。

「ん、敵の気配…」
「え?どこ、アセリアお姉ちゃん」
「まだだ、もう少し待たないと敵の主力がとって返して来るかもしれない」
 飛び出そうとする二人を悠人は引き留めた。
「そうね、あともう少しかしら?」
 リモドア南部の林に潜み、静かに期を待つのは悠人、アセリア、オルファリル、セリアの四人。
 こっちの部隊に求められるのはパワーとそして何よりスピード。
 神剣魔法を無効化できるアセリアとセリアは必須、そして(神剣の)力が一番の俺、サポートにオルファ。
 これ以上はスムーズに動けなくなるし、向こうの戦力を取るわけにもいかない。
 考えられる最もベターな選択だった。
 他のみんなは今ごろ山の向こうでラセリオに後退を始めている頃だろう。
「もう少しだ…もう少し」
 待っているのは辛い。本当に向こうは上手くいっているのか?守備部隊が予想を越えて強かったら?
 そんな事を、とりとめもなく考えてしまう。
 彼女に作戦と編成の相談に行ったとき――実は既にエスペリアと一緒に考えておいたものの確認だったのだが。

「作戦自体に問題は感じられません。しかし、リモドア側のメンバーにエスペリアのかわりにユート様を入れましょう」
「…いいのか?敵の守りは堅いんだから回復のできるエスペリアは必要だと思うんだが…」
「だからです。いくら守りが堅かろうと回復など悠長にしている時間はありません。一気に押し切らなければ私たちの負けです。
それならばユート様の方が適任でしょう。そして、ラセリオ側の守りを厚くできます」
「そうなると…」
「そうです。作戦の全ては私たちにかかっています」

 プレッシャーが重く圧し掛かる。
(担う者の重圧、ってやつかな?)
 悠人は緊張に強張る身体を少しでもほぐそうとするが上手くいかない。本当は今すぐにでも飛び出していきたいが…
(まだだ…もう少し…落ち着け……落ち着け……)
 はやる気持ちを強引に抑えつける。
 が、悠人の努力は無駄に終わった。
「敵が、見えた。……行く!」
 ザッ!
 アセリアがハイロゥを展開して飛び出した。それに続いてオルファリルが追いすがる。
「オルファも行くねっ!アセリアお姉ちゃん、負けないよ~」
 自分に気を取られていた悠人は出遅れた。
「くッ!しょうがないわね。ユート様、早く!」
「ああ、すまない。…待つんだ、アセリア!オルファ!」
 残された悠人とセリアも駆け出した。
 必死に追いかけるが、先を行く二人の姿はみるみる遠ざかっていく。
 悠人の胸中が不安に満ちる。
(放っておけない)
 彼女たちは――いや、アセリアは危うい。
 死を恐れず、剣を恐れず、敵に向かっていく。
(エスペリアが言ってたな。アセリアは剣の声に純粋過ぎるって)
 戦って戦って戦い続けて、そして死ぬ。それがスピリットとして、正しくあるべき姿……とも。

 ――認めない。

 並んで走るセリアを見る。彼女も神妙な表情をしていた。
(セリアも心配なんだよな、アセリアの事が)
 だったら、違いなんてない。
(生きているんだ、俺たちは。…全く、同じに!)
 地を蹴る足に力がこもった。

 バーンライト王国、首都サモドアにそびえ立つ王城はヨーロッパにあるような石造りの城だ。
 そこに続く城下の石畳を悠人とセリアは駆けて行く。
 二人はアセリアとオルファリルを見失ってしまったが、行く先はわかっていた。
 最初に補足した敵を一撃で屠ったアセリアは、敵の神剣の気配を辿っていった。
 つまりは王城に向っていったのである。
 どうやら作戦は成功したみたいだ。守備に残っているスピリットは僅か。
 それすらも殆どが先行している二人に倒されているようで、ここまで来るのに二人で五人と相手にしていなかった。
(これならいけるか?)
 安心はできなかった。先行する二人は多くの敵と戦っているはず。
(誰も死なせやしない)
 そう、仲間の誰を死なせてしまっても悠人にとっては敗北だ。
「…ん?」
 悠人とセリアの走る通りの先。そこは交差点になっており、左側から出てきた影がふたつ。色は青と赤。
 同じくらいの大きさの影…
(アセリアとオルファじゃないな…ってことは)
 悠人は走りながら「求め」を構えた。
「敵だ!セリアは赤のほうを頼む…行くぞ!」
 向こうもこちらに気がついたようだ。
 青はハイロゥを羽ばたかせ一直線に突っ込んでくる。赤はその場に留まって神剣魔法の詠唱を始めた。
「マナよ、炎のつぶてとなれ。雨の如く――」
「うおぉぉぉぉぉ!」
 展開されるオーラフォトン。青白く輝く障壁は青い妖精の攻撃を受け止める。
 悠人は驚愕に目を見開く青い妖精を一刀で切り捨てた。
「マナよ、我に従え。氷となりて、力を無にせしめよ。…アイスバニッシャー!」
 セリアの神剣魔法が完成し、赤い妖精のそれを霧散させた。
 彼女はそのまま敵に肉薄する。接近戦になればセリアが断然有利。
(よし、セリアのほうも大丈夫だな)
 悠人が胸を撫で下ろした瞬間――

 ひゅん!
 横合いから突き出されてきた槍をとっさにかわす。
「やれると思ったんだけどな…流石はエトランジェ、って事かな?」
 いつの間にそこにいたのか。
 槍を引き戻した緑の妖精に悠人は見覚えがあった。
「…お前は!」
 間違いない。ラセリオ最初の防衛戦で逃がしたスピリットだった。
「そう、あの時は話も出来なかったね。まあ、戦場だからそんな事は当たり前なんだけど」
 小柄な身体。少しつり目気味の目、長く伸ばした髪は後ろで一本の三つ編みにされている。
 軽い口調とあいまって、彼女は奔放な猫のような雰囲気を持っていた。
「ユート様、ここは私が…」
 先程の赤い妖精を屠ってきたセリアが進み出る。
「いや、ここは俺に任せてくれ。セリアはアセリアを頼む」
 が、悠人はそれを制してセリアのさらに前へ。
「せっかく再会した事だし、名乗っておくね。ボクはエルピーサ、「暁明」のエルピーサ。キミは?」
「…悠人。高嶺悠人だ…エトランジェ、「求め」のユート」
「ユート?…変わった名前だね。でも、どうでもいっか。どの道そう長い付き合いにはなりそうにないし」
 すっ…と「暁明」を振りかぶる。
 悠人に浮かぶ表情は苦い。
「もう少しで、戦いは終わる。俺たちの勝ちだ」
「でも、まだ終わってないよ。…なら」
「どうしても、戦うのか?」
「もちろん。それがボクたちスピリットの存在意義だもの」
 違う、それだけじゃない。
 ――殺したくない。
 今やってるのは命のやりとり、殺し合い。そんな事はわかってる。
 だが、本当にどうしようもないのか?戦うしかないのだろうか?
「そんな事ないだろ?何か他にあるはずだ…きっと」
「だったら……今すぐそれを証明してみせてよっ!」

 エルピーサはたんっ、と地を蹴りひと跳びで悠人に接近する。
 勢いに乗った穂先は真上から悠人の頭部を断ち割らんと迫るが、悠人は「求め」を跳ね上げて「暁明」を受け止めた。
「ユート様!」
「いいから、行け!俺は大丈夫だ」
 悠人はエルピーサに視線を向けたまま、セリアに怒鳴った。
 そこに――
「はぁぁぁぁぁっ!」
「危ないっ!」
 突然の乱入者。
 敵の黒い妖精が膠着状態の悠人に仕掛けて来た一撃を、セリアは間一髪で割って入った。
 戦場において最速を誇る黒い妖精の一撃に割って入るなど、無茶をする。
 セリアは内心肝を冷やしながら、敵の太刀を弾き押し返した。抵抗はなく太刀は引かれ、敵は後方に跳躍する。
 黒スピリットは体勢を整えると納刀し構えをとった。
「簡単に行かせては、くれないみたいね」
 セリアは不敵に微笑むと「熱病」を握る手に力を込めた。

「いくよっ!」
 エルピーサの踏み込みは、青スピリットと比較しても何ら遜色無い速さだった。
 「暁明」は一般的な槍状神剣より少し長いクロススピア状の永遠神剣。それから繰り出される二段突き。
 恐るべき正確さと速度を持つそれはオーラフォトンの障壁を一撃目で穿ち、ニ撃目で突き抜けてきた。
 迫り来る穂先を「求め」で叩き落す。障壁が無ければ確実に急所を貫かれていただろう。
「うおおぉぉぉっ!」
 悠人は「求め」を翻して反撃に転じようとするが、空振り。彼女は既に悠人の間合いから脱していた。
 彼女は「暁明」のリーチを活かして絶対に深く踏み込んでこない。加えてあの俊敏さ、こっちが剣を振る頃には彼女は離脱済み。
 緑スピリットの一撃離脱戦法。彼女の「暁明」と俊敏さがそれを可能にしていた。
「ふっふーん。ボクって結構速く動けるでしょ~」
 エルピーサは構えを解いて得意げに胸をそらした。
「ああ、こりゃ参った。かわされたとかって事はあったが、とどかないってのは初めてだ」
 だが付け入る隙が無いわけではない。事実悠人は、あの特訓の時にはセリアの動きを捉えられるまでにはなっていたのだ。
 問題はあの二段突き。あれをどうにかしない事には迂闊に踏み込めない。
(せめてタイミングを狂わせられればいいんだけどな)
 後ろに下がるか、前に飛び込むか。
(今は余計な事は考えるな。目の前の事に集中するんだ)
 悠人の戦闘思考に入るノイズ。それは他ならぬ彼自身の葛藤。
 一度は見逃し、僅かでも言葉を交わした相手を自分はこの手にかけるのか。
「さあ、もう一回!」
 横道に逸れた悠人の思考はエルピーサの声で現実へと引き戻される。
 構えたエルピーサが再び接近。対する悠人はバックステップで距離をあけようとした。
(やるしかないか?)
「甘いよっ!」
 距離は瞬時に清算される。「暁明」の間合いまであと少し。
(…かかった!)
 バックステップはフェイント。思い切り飛び込んで、懐にもぐりこめれば槍は振るえない。
 とにかく無力化できれば戦わなくて済むはず。
 とっさの思い付きだったが成功――

 びゅん!
「なにっ!」
 来たのは突きではなく切り払い。見ると柄の端を持ってさらにリーチを稼いでいた。しかし、速度は突きに劣る。防御は間に合う。
「っく!」
 「求め」で受け止めた手が僅かにしびれた。構わず反撃。
 しかしその一撃は、シールドハイロゥに受け流された。
 そしてまたも開いた両者の距離。
「さ、そろそろ決めようよ」
 エルピーサの顔から表情が消えた。神剣に収束するマナが緑の魔法陣を空間に描く。
「マナよ、深緑の風となりて我を守れ」
 紡がれる言葉。
 もはや避けられない。彼女を倒す事でしか終わらない。
(やるしかない)
 湧きあがるオーラフォトン。
「マナよ、オーラへと姿を変えよ。我らに宿り遠きを見通す目となれ!」
「ウインドウィスパー!」
「コンセントレーション!」
 精霊光を纏う緑風と、静沈の青たる集中のオーラがそれぞれを包む。
「いくぞっ!」
「たあぁぁぁっ!」
 交錯するふたつの影。先に仕掛けたのはエルピーサ。雷光の如き二段突きが悠人に襲いかかる。
 しかし悠人は障壁を展開せず、不可避と思われた穂先をかいくぐってエルピーサに肉薄する。
 時をも止まって見える集中力。「求め」のコンセントレーションはその効果を確かに発揮していた。
 悠人は「求め」を振りかぶる。妨げるものは何もない。悠人は迷いを断ち切るかのように、振りきった。
 必殺の一撃がエルピーサを捕らえた瞬間。彼女と目が合った。
 彼女は、微笑んでいるようにも泣いているようにも見える表情をしていた。

 金色の霧が晴れて、残っているのは俯いた悠人とセリアだけ。
 セリアは敵の黒スピリットを倒した後、ずっと二人の動向を見ていた。本来なら先に進むべきなのは解っていたが、どうしても目が離せなかった。
 彼は迷っていた。殺す事、殺される事に。
 彼は苛まれていた。自己の死への恐怖、他者の死への罪悪、後悔に。
 全く、甘い。戦場ではごくありふれる死に彼の精神はいちいち揺れる。
 ――しかし
 それだけでは、ない。甘いだけではないと彼女は思った。
 彼は殺したくないと言っていた。それはたぶん私たちにも殺して欲しくないという事。
 だからあの時も私を止めたのだろう。
 優しいのだ、彼は。出会い、倒した者ひとりひとりに心を揺らして懊悩するほどに。
 だが、一方で危惧を感じる。
 たとえ、どれほど強大な力を持っていたとしても彼はこの先やっていけるのだろうか、と。
 セリアは悠人を見つめた。
 セリアの視線に悠人は気付きはしない。彼は今、その懊悩の中に身を沈めていたから。
「ちくしょう…」
 なんでなんだ。
 俺たちのやっているのは殺し合い。
 解っていたはずだった。
 それでも、零れ落ちていくものに悠人の心は涙する。
 しかし、頬を濡らすわけにはいかない。
 守りたいものがあるから、諦めなければならないものがある。
 選ぶも、選ばざるも、この道を進む事でしか望む場所へと辿りつけないのだ。余地など元から無かった。
 いくら心が悲鳴を上げても、罪悪に身を焦がしても。
(そうだ、俺はみんなに死んで欲しくない)
 だったら、進もう。
(俺は、佳織やみんなを守りたい…そのためなら)
 幾百の敵を倒して、幾千の血を流しても。
(そのためなら、何だってしてやる)
 俯いた顔を上げた悠人の目には、確かな決意の灯が揺らめいていた。
「行こう、セリア。アセリアとオルファが心配だ」
 迷わない。
 悠人は駆け出す。
 ――戦いは、まだ終わっていないから。

 不思議な人だった。
 敵なのにボクを助けてくれた人。
 戦うためだけの存在のボクに「戦わないでくれ」って言った人。
 戦う事以外にも何かあるってその人は言った。
 今までそんな事を言った人間なんていなかった。
 今までそんな事考えもしなかった。
 でも、ボクには戦う事しかなかったから、最後まで戦い抜いた。
 その事は後悔していない。
 でも、もしあの人と一緒にいられたら。
 ボクにも見つけられたのかな?

 戦う事以外の、「何か」が……