いつか、二人の孤独を重ねて

おねえちゃんも、そしてみんなもみてました

悶絶する悠人の姿に、悪魔的な愉悦を浮かべてハ○ク・ホーガンのポーズを決める光陰。
やがて光陰が立ち去った後、改めてベッドにもぐったが精神的ダメージは計り知れなかった。
そしてスウスウと無防備に寝息をたてるシアーの方を向く事はとても出来ず、背中を向けて眠った。
…心で血の涙を流して泣きながら、二組の両親と佳織やシアーに懺悔しまくりつつ。

それから、本当に色々なことが悠人とシアーという「ふたり」にあった。

ふと気づくと、シアーを目で追ってしまっていたこと。
ふと気づくと、シアーが控えめだけれどじっと自分を見ていることに気づいて真っ赤になったり。
第二詰め所での食事の時、シアーと隣同士か向かい合わせになるのを期待する自分がいたり。
第二詰め所での食事の時、ネリーと並んだシアーが笑顔で自分のそばの空席へ手招きしてたり。
訓練の時、シアーを指導する時につい熱が少しこもりすぎて泣かせてしまいネリーに怒られたり。
訓練の時、組み手で懸命に神剣を打ち込むシアーに見惚れたスキを突かれて一本取られたり。
街へ出かけた時、ネリー他年少組と楽しそうに笑いながらヨフアルをほおばる姿が嬉しかったり。
街へ出かけた時、ネリー他年少組の中にいるシアーに夕焼けの丘の上から手を振られたり。
光陰にそそのかされて、夢にまで見たシアーとのデートが出来た時とても幸せだったり。
光陰にそそのかされて、シアーとデートした後で光陰の命じる数々の雑用を喜んでこなしたり。
出陣する前、シアーのそばにいたいのを必死でこらえて作戦にもっとも適した布陣を提案したり。
出陣する前、シアーと互いに無言ですれ違った時に背後から感じる彼女の視線に耐えたり。

いつも、自分の心にだけ聞こえてくるシアーの「孤独」が鳴らす風鈴のような音色が痛かった。

寝る前に、悠人は自室の窓を開けて星空を眺める癖がついた。
あの夜のように、シアーが飛び込んでくる事を期待しているわけではない。
いつの日も星空を眺めながら、唇にそうっと指先をあてる。
シアーの唇の感触は、小さかったけれども優しい柔らかさが確かにあった。
シアーの感触を覚えていることに、罪悪感を覚える。
シアーの無垢な瞳と、ネリーらと一緒にいる時の笑顔を思い浮かべる。
シアーの面影を、心に焼き付けてしまっていることに罪悪感を覚える。
シアーの声と、軽やかに駆け抜けていく様子を思い出す。
シアーの姿に、鼓動が胸を打つ事実に罪悪感を覚える。

悠人は、かつて元の世界にいた時のことを思い出す。
いつからか、テレビで必ずといっていい程に流される無惨なニュース。
いつも、子供が暴力に晒されている。
どこかで、子供が理不尽に踏みにじられている。
佳織が、そんな目にあわなければいいと毎日ひたすらに心の中で祈っていた。

今、シアーをテレビで見た事件のように自分が壊してしまうんじゃないかと怯えてしまう。
「求め」が度々マナを要求してくる時の強制力を考えると、抗える確証を持てなかった。

どうして、今までのように接することが出来なくなってしまったんだろう。
せめて、佳織に対するのと同じか近い感情にとどめることが出来ないんだろうか。

ある時、悠人は抑えきれない気持ちを何とかするためにシアーを呼び出してこう伝えた。
「なぁ、シアー。
 これから、ネリーと一緒にでもいいから…。
 俺を…俺を、お兄ちゃん…と呼んでくれない…か…?」
無理やり自分の中でシアーを「妹」に置いて、佳織に対するのと同じ気持ちにすりかえよう。
「好意」ですら無い「ウソの好き」を言い続ける事で「本当の好き」を隠して塗りつぶそう。

「いや」

即答だった。
その時に初めて聞いた、シアーのはっきりとした悠人に対しての拒否の声。
「シアーは、シアーなの…。ユート様の、シアーでいたいの…。
 カオリ様とか誰かのかわりなんて、シアーは絶対にいや…」
シアーは、怒っていた。
涙をあふれさせて鼻をすすらせながら、シアーは怒っていた。
初めて見る、シアーの怒りに悠人はそれまでで一番のショックを受けた。
ショックを受けたと同時に、まだ子供の怒り方でしか怒れないシアーの姿に自分を責めた。
その時、ちょうど二人から離れた木陰からそっとネリーが現れた。
ネリーは悠人に対して怒りをみなぎらせて、言い放った。
「ユート様ッ!
 ネリーや、みんなと一緒にいるシアーに一番微笑んでくれたのは誰だったの?
 いつも、シアーがひとりぼっちじゃない事を一番喜んでくれたのは誰だったの?
 はじめて、シアーがネリー以外の人とふたりきりだった時にそばにいたのは誰だったの?
 戦いの時、遠く離れててもシアーが神剣を握る手に心で手をそえてたのは誰だったの?」
…効いた。それまでにどの戦いで受けたどんな攻撃よりも、ネリーの言葉は悠人に効いた。

シアーから逃げようとした身勝手を打ちのめされ、悠人はその場に力なく両膝をつく。
子供二人の前で醜態を晒す悠人に、ネリーはなおも怒りを浴びせる。
「シアーには…みんなと、ネリーというお姉ちゃんと…。
 そしてシアーのユート様がいれば、それだけで孤独じゃないの。
 だけどユート様に逃げられたりなんかしたら、今度こそ本当に孤独になるのッ!」
シアーは顔を両手で覆って泣き続けながら、嗚咽をもらしながらうつむいていた。
細くて小さな両手で顔を覆っても、あふれてくる涙が地面に大きな染みを作る。
悠人は、顔をあげることが出来なかった。目に入るのは、地面に増えるシアーの涙の染みだけ。
「は、はは…そう、だよな…。
 俺、年の差あるからってシアーから逃げようとしたよな…身勝手だよな…はは、は…」
くらくらする頭を右手でおさえながら、悠人は乾いた笑い混じりにそんな事しか吐けない。
「違う」
しかし、ネリーはそれさえも否定する。

「ユート様が逃げようとしたのは、シアーに見たシアーの孤独。
 そして何よりも、そのシアーの孤独に重ねて見てたユート様自身の孤独」

ネリーという本物のお姉ちゃんに、自分の演じようとした偽物のお兄ちゃんを砕かれて。
ネリーに手をひかれて、泣きながら去っていくシアーの足音が遠ざかるのだけが聞こえて。
夜になって、迎えに来た光陰が優しく肩をゆするまで悠人はその場に突っ伏していた。
光陰に肩を抱えられて帰ってきたその夜は、窓を開ける気になれなくてすぐに眠った。

その日以来、日常でシアーもネリーも見かける事はなくなった。
作戦会議での部隊編成表には名前があるので、いなくなったわけではないとはわかった。
けれど、行軍している時も戦場でも二人の姿は全く見ることができなかった。
チーム分けでも、二人のどちらかとましてや二人一緒と組むこともなかった。
部隊編成の決定は主にエスペリアとセリアに光陰だった。
悠人は、必要な時には提案したがネリーとシアーに関しては一言も何も決して言わなかった。
不思議と、戦闘に関する事は全く問題なく極めて普段どおりに出来ていた。

それでもふと気がつくと、シアーの姿を目で探してしまっている自分が腹立たしかった。

実際には数日しかたっていないのだが、悠人はあれから何年もたったように感じていた。
第二詰め所には全く近寄らなくなったが、誰もが今までどおりに普通に接してくれた。
光陰も今日子もエスペリアもスピリット隊の誰も、変わらずいつもそこにいた。

それなのに、悠人はひどい孤独を感じるようになっていた。

そんな、空気は暖かいのに自分ひとりだけひどく寒い日々が続いたある日の事。
ひとまず前線へラキオス正規軍を派遣、スピリット隊は全員それぞれの詰め所に帰還した。
夕食を終え、悠人は自室で窓も扉も完全に閉め切ってベッドにもぐり眠ったふりをしていた。
ここ最近は誰も来なくなっていたのに、ひさしぶりにノックの音が聞こえてきた。
恐る恐る扉を開けると、そこにいたのはエスペリアとセリアと光陰と今日子とイオだった。

悠人の部屋を、沈黙が支配していた。
エスペリアとイオは部屋の椅子に、光陰と今日子は悠人を挟んでベッドに座っていた。
セリアは悠人の部屋の隣の部屋から椅子を借りて持ってきて、それに座っていた。
全員の視線は、悠人に集中しているが誰も何も言わないままでいた。
悠人自身も、何故このメンツがここにいるのかと聞く気にもなれないままでいた。
「ユート様、今のご気分はいかがですか?」
不意に、エスペリアがその時初めてそんなふうに会話を切り出してきたので悠人はたじろぐ。
「どうって…そうか、そうだよな…うん、惨めで最低な気分さ」
今までスピリット隊の隊長としての職務に追われていて、気づくゆとりも無かった悠人。
「光陰が絶対に喋るはずは無いし。そっか、俺自身の様子でバレてたのか…」
ため息交じりに力無く皮肉っぽい笑みしか出来ない悠人の肩をあくまで優しく軽く叩く光陰。
「なぁ、悠人…それについてなんだがな…かなり、俺からも言いにくい事なんだが…」
本当に言いにくそうで、珍しく申し訳なく視線を下に落とす光陰に悠人は本心から悔やむ。
 -俺は、こんな気のいい親友に…こんな顔をさせてしまってるんだな。
そう思いながら、ふと今日子の方を向くと今日子も同じように辛そうに視線を落としていた。
 -今日子にまで…エスペリアやセリアは、シアーを傷つけた俺が憎いんだろうな…
少しずつ、顔と視線を上げてエスペリアとセリアの顔をそうっと見る。
エスペリアは一見して普段の優しい微笑みだが、確実に何か思っている時の仕草だ。
セリアは全くいつもと変わらない厳しい表情ゆえ、何を思っているか読み取れない。
イオは、やはり何か思う事があるという表情で悠人の様子をじっと見ている。
 -イオは…そういえば、俺の提案で重点的にシアーの訓練を担当してもらってたっけか。
「ユート様、私からもユート様に確認しておきたい事があります」
セリアが、ぎしりと椅子からユートの方へ身を乗り出して話しかけてきた。
悠人は、これまでに至る経緯を洗いざらい白状する覚悟でセリアに真っ直ぐ向き直る。

そう…今度こそ間違いなく、本当の意味で隊長失格を言い渡されるだろうとしても。

「ユート様、シアーとキスをした時の事をちゃんとシアーに口止めさせたんですか?」
そのセリアの台詞に、悠人は石化しつつ脳みそを頭蓋骨の中で回転させながら気づく。

 -してない。
 -全くしてないというか、シアーに口止めさせるというのを考えたことすら皆無。
 -いやむしろセリアに言われてはじめて、口止めという概念が俺の脳内に誕生した。

ハリガネ頭の先から足のつま先まで油汗を満杯の風呂からあふれる湯のごとく流しながら。
キング・オブ・ヘタレこと、時のラキオスの勇者たる高嶺悠人はゴクリと唾を飲み込んだ。

「んギャハハハハハハハハハッ!馬鹿よ馬鹿だわ、本物の馬鹿がここにいるわよッ!!」

腹を左手で押さえ、悠人を右手で指差しながら泣いて大爆笑しつつ床を転がる今日子。
悠人のこれまでの人生でも最大級の軽蔑の表情と眼差しで、海より深いため息のセリア。
テーブルに思い切り突っ伏して、かつてない凄まじい胃痛と頭痛に耐えるエスペリア。
悠人に対し、目に涙を滲ませながら哀れみと諦めに満ちた顔で首を横に振るイオ。
「ゲラゲラゲラゲラゲラ…電撃ハリセンで突っ込む気さえ起こらないわよ、ゲラゲラ…」
ドンドンと床を叩きながら大爆笑し続ける今日子と、そのまま動かぬ女性陣。
光陰はというと、本物のお釈迦様のような表情で悠人の頭を優しく撫でてくれていた。
「今回の作戦で出陣する直前、な。行軍の途中でハリオンに聞かれたんだよな。
 お前とシアーちゃんて、何処まで関係が進んでるですかってさ。」
本当に心苦しげに説明してくれる光陰だけが、今の悠人が信じられる真の友。
「もちろん、俺は誰にもお前ら二人の事を言った事なかったからそりゃあ驚いてな。
 行軍の最中を走り回って、今日子も含めてスピリット隊全員に聞いてまわったのな。
 急いで、考えうる全ての最善を尽くして対処したが…もう後の祭りだったんだ」
そこまで言って、光陰は男泣きに泣きながら目の前の哀れな親友を力強く抱きしめる。
悠人はただ、光陰を確かな友情と信頼と感謝と謝罪を込めて抱きしめ返すしかなかった。