朔望

回旋 Ⅰ

 §~聖ヨト暦331年スリハの月緑ふたつの日~§

上空を紫雲が渦巻き、その中心からひっきりなしに巨大な雷が轟く。
マロリガン全土から集中したマナが、びりびりと空気を震わす。
「みんな! 急ぐぞっ!」
各地を制圧し、合流した仲間達が一斉に頷くのを確認し、悠人は駆け出した。マナ暴走は、もう目前だった。

街は既に人一人いない。この状況で、逃げない者がいる筈もなかった。
悠人達は無人の街をただひたすらに駆け抜けた。

飛び込んだエーテル変換施設。そこは既に、息苦しいほどのマナに覆われていた。
不気味な静寂が辺りを満たしている。重厚な空気を掻き分け、悠人達は真っ直ぐに中心部へと向かった。
「ここは……何だ?」
やがて辿り着いた先の部屋。そこはこの世界に来て今まで見た中でも最も不可思議な、そして異様な光景だった。
「ラキオスやイースペリアの奴とは、全然違う……」
石造りなのは変わらない。ただ、その一つ一つに刻み込まれた文様。
アーチ形に削り取られた入り口が、ぼんやりと淡い光を放っている。
室内の筈なのに、どこか建物自体が別の空間に浮いているような感覚。壁全体が胃壁のようにうねって見える。
気のせいなのだろうが、まるで部屋全体がマナを吸い込んで膨れ上がっていくような錯覚を覚えた。
動揺しているのは同じなのか、皆困惑の表情を浮かべながら周囲を見渡している。
「何かの……遺跡、のようですね……」
側でそっと壁に触れたファーレーンが、呟いた。

巨大なマナ結晶が青白く輝く部屋。その中で、一本の剣を手に佇むクェドギンがいた。
「来たか、エトランジェ……ふっ、どうやら俺はとことん運命には嫌われているらしい」
「どうして……こんなバカな事をするっ!」
真っ先にその姿を見つけた悠人は叫んでいた。会戦前、すれ違った廊下で垣間見せた知性。
敵ではあったが、明らかに破滅に向かう道などを軽々と選ぶような男には到底思えなかった。

詰め寄る悠人に、クェドギンがやや疲れた笑いを浮かべる。
「バカなこと、か。そうだな、そう見えるかもしれん。だが……」
そうして、持った神剣を片手で翻す。それが合図なのか、周囲のマナが一斉にクェドギンへと集まっていった。
「俺の意志は、俺だけのものだ。これだけは誰にも譲れん……この『禍根』、止められるものなら……」
「クェドギン! 何を?!」
輝く神剣。青白い光がクェドギンの全身を包み、やがてその姿が見えなくなる。
「…………止めて、みせろ……エト、ランジェ」
「うお……っ!!」
かっ、と一際眩しい閃光。同時に吹き抜ける疾風。思わず庇った『求め』からゆっくりと顔を上げるとそこには。
「なっ……クェドギン、か……?」
一体の白い妖精が、無言で剣を握り締めていた。

キィィィィン…………

マナ結晶に突き刺さる巨大な神剣が更に大きく輝き、絡んだ鎖が軋んだ金属音を響かせる。
呼応したホワイトスピリットから巻き上がるマナの嵐。
薙がれた『禍根』が導くそれが、一瞬で悠人達に向け放たれた。

「みんな、散開してっ!」
エスペリアの一言に、仲間達が同時に駆け出す。
しかし広範囲に及ぶ白い渦は、ほぼ全方向へと巻き散らかされて彼女達を次々と吹き飛ばしていった。
「くそっ! なんて力だ!」
咄嗟にレジストを張って耐えたものの、振り返れば殆どの仲間が倒れている。
エスペリアとハリオン、ニムントールがシールドハイロゥを展開して、それぞれ懸命に堪えていた。
そしてもう一人、暴風の中、何故か通る声。瞬間、嵐が熄む。
「ユートさま、わたしが仕掛けます。その隙にっ!」
「ファーっ?!……よしっ!」
すぐ隣にいたお陰で初撃から守られたファーレーンが、敵の動きが止まった隙を逃さず跳ねるように飛び出す。
同時に霧散したレジストに、よろけながらも悠人もまた駆け出していた。

一旦跳ね上がり、天井を足場にしてウイングハイロゥを閉じ、上空から鋭角的に襲撃するファーレーン。
反応して物憂げに見上げてくる昏い瞳。予想以上に速い動きにホワイトスピリットの動きが一瞬止まる。

「はっ!!」
空中で膝を畳み、槍のように『月光』を構え、滑空の速度を上げ。
急速に迫るホワイトスピリットの『禍根』を僅かに持ち上げる気配を確認し、瞬間ウイングハイロゥを開く。
制動による間合いの変化に、ホワイトスピリットが微かに動揺の気配を見せた。

「はぁぁぁぁっ!!」
そこに、下から悠人が殺到した。『求め』の刀身が黄緑に光り、紫色の雷を帯びている。
『因果』と『空虚』の力を吸収した『求め』は、尋常ではないマナを一斉に開放していた。

「…………!」
ホワイトスピリット――クェドギンは、選択を迫られた。
上空のファーレーンを迎撃する為に剣先を上に向けるか、シールドを展開して悠人を弾き返すか。
しかし当然、その何れもどちらかを防げはしない。しかし、もう一つの選択肢を選ぶ気などは更々無かった。

――――後退。それはにとって、思い浮かんだ事自体が意外なほど有り得ない“運命の強制”だった。

「…………イ、オ」
刹那、ふいに浮かぶ一枚の色褪せた光景。
自分の居場所、愛する人。知らなければそれで守れた存在。穏かで、ゆるやかに流れた遠い日々。
「ヨーティア……すまないが、後を託すぞ。お前は怒るだろうがな……」

そうして彼は選んだ。自分の意志で自分の運命を定める道を。
『禍根』の狂おしい悲鳴を心の中に抑えつける。クェドギンは、一瞬だけ口元に勝利の笑みを浮かべた。

ざしゅぅぅっ。
すっと降ろした『禍根』ごとホワイトスピリットは真っ二つになり、無言でマナの霧に還っていった。

複雑な表情で、悠人は淡く消えていくクェドギンを見送った。
理由は判らない。ただ、最後に微笑んだのはホワイトスピリットではないような気がした。
砕けた『禍根』が結晶体に吸い込まれていく。その意志は、一体何を果たしたのだろうか。
幾ら考えても、悠人には答えが出なかった。ただ虚しく、残された哀しい響きを感じ取っただけだった。

「……エスペリア、解除を頼めるか?」
「は、はい! すぐに!」

あっけない戦いの終わりに呆然とするエスペリアに装置を任せ、『求め』をすっと降ろす。
ふと見つめている視線に気づき、悠人はそちらに顔を向けた。
「……ファー。俺、“約束”を守れたのかな……」
「…………はいっ!」
はっきりと頷くファーレーンの笑顔は、泣き出しそうにくしゃくしゃになっていた。

「……お姉ちゃん、なんで泣いてるの?」
「な、なんでもないの……なんでも……ふぇぇぇん、ニムぅ~」
「わっ、な、何、何?!…………ちょっとユート、なんかした?」
堪えきれず、ニムントールにしがみつくファーレーン。
わたわたと両手を振りながら、ジト目で睨みつけてくるニムントールに悠人は軽く手を上げて答えていた。