朔望

回旋 Ⅱ

 §~聖ヨト暦331年スリハの月緑いつつの日~§

マロリガンの戦後処理を一般兵士に任せラキオスに帰還した悠人達は、市民からの大歓迎を受けた。
城下に足を踏み入れた瞬間、湧き上がる人々の歓声。中には握手を求めてくる者までいる。
「ちょ……通してくれ! 頼む、レスティーナに報告しなきゃならないんだって……うわわっ」
もみくちゃにされながら、懸命に人波を掻き分ける。
いつの間にかエスペリア達とは大きくはぐれ、たまに神剣の穂先が見え隠れする程度にまで離れてしまっていた。
「勇者様万歳っ!」
「ラキオスの救世主!」
「きゃー! 今、こっちを向いて下さったわっ!」
なんだか黄色い声も混ざってきて、余計に動揺する。
自分がしてきた事がこうして祭り上げられる事に、正直悠人は混乱しきっていた。

ぎゅっ。
「…………ん?」
「ユ、ユートさまぁ~」
「ユ、ユートぉ~」
「………………」
服の裾を引っ張られる感覚に振り向くと、情けない声を出しながら背中に沢山の足跡をつけたまま、
うるうると悠人を見上げているファーレーンとニムントール。

一瞬、帰って来たんだと実感した途端、鼻の奥がきな臭くなった。まださざめく胸を、抑えつけてじっと耐える。
やがて波は去り、静けさの中で、ただ一人つまらなそうに見守る『求め』。そうして視界を前に戻すと。
「た、助けて下さいぃ~」
「…………ぷっ」
(ファーの精神年齢って一体…………)
二人のそっくりな行動に、悠人は久し振りに笑えた気がした。

マナ暴走を防ぎ、マロリガンをその領土に加えたスピリット隊隊長である悠人は、ラキオスの英雄に祭り上げられていた。
「スピリットが認められるのは嬉しいんだけど……痛てて…………」
ようやく人ごみを抜け、王城に逃げ込んだ。あちこちに出来た擦り傷を撫ぜながら溜息を付く。
まだ外から聞こえる歓声から察するに、逃げ遅れたスピリットが居るらしい。悠人は心の中で合掌した。
「ふふ……ユート、ご苦労様でした」
「……笑い事じゃありません、レスティーナ陛下」
王座の間。
報告を続けるエスペリア(ぼろぼろ)に隠れ、そっとからかうレスティーナに、悠人はむっとした表情を作った。

つんつん。隣から、指でつつかれる。
「……ん? なんだ、ファー」
「随分と、レスティーナ女王と仲がよろしいんですね」
「え、そうか? う~んまぁ、そうなのかもな」
ぎゅっ。
軽く流すと、今度は服を掴まれた。俯いた兜のせいでよく見えないが、少し元気が無いようにも見える。
「……どうしたんだ裾なんか握って」
「…………なんでも、ないです」
「なんだよ、どうしたって……ぐふっ!」
どすん、と逆方向から、脇腹に衝撃。強制的に吐き出された呼吸が苦しい。
「ユート……ばか?」
「ニ、ニム……そこは槍で抉るところじゃ、ない……」
まるでセリアのような冷たい台詞と行動に、悠人は悶絶しながら本気でニムントールの将来を心配した。

「こほん……こ れ で 報 告 を 終 わ り ま す 」
頭に「♯」を浮かべたエスペリアの報告が、刺々しく響く。
「くすくす……エスペリア、貴女にも苦労かけますね」
もう笑いを隠していないレスティーナが、可笑しそうにそれを労っていた。
女王の和やかな雰囲気に、重臣達の間からも静かな笑い声が広がる。
「エトランジェ、それにスピリット達よ。この度は大儀でした。今はゆっくりと休んでください」
レスティーナの(あからさまに作った)凛とした声が、会見を締め切っていた。

 §~聖ヨト暦331年スリハの月黒みっつの日~§

マロリガンとの戦いが終結した数日後。

「……お姉ちゃん、ナニしてるの?」
訓練を終え、部屋に帰ってきたニムントールは余りに異様な光景に一瞬固まってしまった。
エスペリアの終了の合図もそこそこに慌てて何処かへ駆け出した我が姉。
追いかけるのも面倒臭く、どうせまたユートの所へでも行ったのだろうと高を括っていた。それが。

「ち、違うのニム!」
「…………何が?」
違うというのだろう。目の前で、被りかけたエプロンを手にしたまま硬直している姿の、どこが。
「だからこれは……きゃんっ!」
ずべたっ。
「痛った~い……」
「…………はぁ。大丈夫? お姉ちゃん」
履きかけたワンピースの裾に足を引っ掛けたファーレーンが、盛大に尻餅をついていた。

今朝のこと。
珍しく早起きした悠人は、朝の散歩と洒落こんでみた。
森をぶらぶらと歩き、大きく欠伸代わりの深呼吸をした所で見慣れた姿を見つけ、声を掛ける。
「よっ、おはようファーレーン。早いんだな」
「えっ、あっ、ユ、ユートさま?! いえ、わたしなんてまだまだで……」
どうやら朝稽古でもしていたのか、素振りを中途半端に止めた妙な格好のまま硬直する。
トンチンカンな答えとその姿に、悠人は思わず苦笑していた。
「いや剣じゃなくて、早いっていうのは俺の世界の挨拶で起きるのが早いねってことだよ」
「ああ…………ですから“オハヨウ”なのですね?」
説明する悠人にようやく構えを解いたファーレーンがおずおずと歩み寄ってくる。
「え、あれ? 俺今日本語で言ってたのか?……まいったな」
「ふふ……ヤシュウウリレシス、ソゥ、ユート」
頭をがしがし掻いている悠人にリラックスしたのか、微笑みながらファーレーンがぺこり、と丁寧なお辞儀をした。

まだ『月光』を握ったまま、覆面と兜だけを外し、隣に腰掛けるファーレーン。
汗を飛ばすようにふわさぁ、と髪を揺らす仕草に悠人は少しドキリとした。
「ユートさまこそどうしたのですか?こんなに早くに」
覗き込むように、上目遣いの瞳が朝日を浴びてきらきらと光っている。
「ん、い、いや別に。ただなんとなく目が覚めて、なんとなくここに来ただけだよ」
思わず視線を逸らしてしまう。変に緊張して声が上擦ってしまった。だからだろうか。
「と、ところでさファー、今日、暇か?」
「え?」
そんな事を、悠人は口走ってしまっていた。
「たまにはさ、ちゃんと約束してみないか?…………えっとつまり、デ、デート、とか」
勢いだけで言い終わった時には、喉がからからに渇いていた。

「はい、訓練の後でしたら手空きですので問題ないと思いますが」
「え、ホントに?」
思わぬ軽い了承に、悠人の方が面食らってしまった。思わず聞き返してしまう。
しかし当のファーレーンは小首を傾げ、釈然としない表情をしたまま、
「え、ええ。夕方からは任務もありませんし……ですがユートさま、でぇと、とは一体どんな約束でしょうか?」
「………………」
天然なのか本当に知らないのか、はたまた言葉の壁なのか。悠人は暫く頭を抱えて唸っていた。


それから数分後。
「……………………はい?」
その意味を出来る限り婉曲に伝えようとした悠人の努力がやっと実った瞬間、ファーレーンはフリーズした。
陶器のような頬が一気にかーっと赤く染まっていく。驚いた悠人は誤魔化すように早口で捲くし立てた。
「いやだから、こっちの世界じゃどうやら逢引って言うらしいんだけど」
元いた世界でも一応そう言うんだが。そんな突っ込みは取りあえず横に置いておいた。
“逢引”という言葉にファーレーンの顔が益々赤みを増してリンゴみたいになっていく。
「つまり男女が待ち合わせをして出かける事を俺の世界じゃデートっていって、それでどうかな、って……」
説明しつつなんだかだんだん深い意味が付随して来たような気がしないでもないが、もう引っ込みがつかない。
(“逢引”って改めて使うともの凄い響きだよな……)
そんな事を考えながらも、他に適当な単語が思いつかない。
そして通じたはいいが、やはりというか、文化の古そうなこっちの世界じゃ微妙に「重い」気がする。
ファーレーンが未だ固まってるのがその証拠だった。

(う~ん大体俺、よく考えてみたら女の子をデートに誘った事なんてないんだよなぁ……)
出かけるといっても、相手は大抵今日子か佳織。たまに小鳥もついてきたが、二人っきりなどという事はない。
そもそも自分から誘うもなにも、いつも今日子辺りに無理矢理誘い出されるような形だった。
どちらの場合も、相手を女の子として意識していた訳ではない。でも今は、はっきりとそれを自覚している。
(うう……それがこんなに緊張するものなんて知らなかった……)
ただでさえ初めての経験なのに、その返事を貰う前に言葉の説明から始めなければならないビハインド。
「………………」
「………………」
つくづく遠くへ来てしまったと実感する。いや、今更だが。それに、出来ればこんな形で実感したくは無かった。
などと思考が混乱し始める。緊張の中、酷くゆっくりと間延びした時間が流れた。

「…………は、い」
ややあって、ようやくこくり、とファーレーンが頷く。それは見落としそうな程小さな“返事”。
耳の先まで真っ赤に染まったファーレーンは、じっと爪先の辺りを見つめたまま蚊の鳴くような声で囁いていた。