朔望

回旋 Ⅳ

 §~聖ヨト暦331年スリハの月黒みっつの日~§

「あ、あの、ユート……さま?」
「……………………」
上目遣いでもじもじと居心地が悪そうに囁くファーレーン。
一方悠人はその衝撃的な光景に、暫く言葉を失っていた。

黒地のワンピースに白いエプロン。肩口とスカート部がふっくらと膨らみ、エプロンはフリルで飾られている。
胸の膨らみと身体のラインを殊更強調するようなデザインの上部と、中世ヨーロッパ風に大きく開いたスカート。
首を傾げる度にエプロンの影でふわりふわりと揺れて、上から見たらきっと花が咲くように見えるに違いない。
胸元には銀の装飾品と思われるラキオスの紋章がネックレスとしてワンポイントを飾っており、
それがおずおずとした態度と相まって、より彼女の奥ゆかしいイメージを強調する。
付属品である白いぎざぎざの髪飾りが、ロシアンブルーの髪によく似合っていた。
まるで童話や御伽噺から飛び出てきたような。そんな形容がぴったり来るような姿に思わず見とれ、呆然とした。

(…………っていうか、メイド服? オルファやエスペリアやウルカ以外、見た事ないけど……)
これはこれで。というか、むしろ新鮮だし、嬉しいのだが。
「えっと…………どうしたんだ? ファー」
兜や覆面の先入観もあって、そういう面でストイックなイメージがあった彼女の、思わぬ気飾りよう。
驚きが大きすぎたせいか、視線を釘付けにされながらも悠人はそんな間抜けな、そしてある意味妥当な疑問を呟いていた。

「え、ええ?……あの、変、でしょうか……?」
予想外な悠人の無反応ぶりに、今度はファーレーンが慌て出す。
「そ、そうですよね。わたしったら浮かれちゃって、ついこんな……」
そして勝手に断定し、しゅんと項垂れてしまう。
スカートの裾をぎゅっと握ったまま、段々と低くなっていく語尾。最後は小さく
「……ごめんなさい」
と謝罪までしてそのまま立ち去ろうとする。悠人は慌てて呼び止めた。
「え、あ、ち、違う、違うって!えっと……」
しかし未だ衝撃から立ち直っていない為か、咄嗟に上手い言葉が出てこない。
そうこうしている間にも、今にもファーレーンは逃げ出しそうである。悠人はがしがしとヤケクソ気味に髪を掻き、
「……ああっ、もうっ! だから……っ!!」
「え……ふ、ふぇっ?! あの、ユ、ユートさま……?」
強引にファーレーンの手を取ると、そのまま歩き始めた。
「あ、あの……えっと…………」
「…………ごめん、見とれてた。その、上手く言えないけど……」
「…………え?」
手を引っ張りつつどんどん歩いていく悠人の背中。ややどもった口調。
しかしその一言に信じられない、といった感じでファーレーンが顔を上げる。
「…………本当、ですか?」
「ああ、えっとだから……その、か、可愛い、と思った」
背中を向けている悠人の襟首は真っ赤になっていた。慌てて歩調を合わせながらそれに気づいたファーレーンは再び俯き、
「……ウルゥ」
そう小さく呟いていた。

街往く人々が通りすがりに必ず振り返る。
最初はエトランジェとスピリットの組み合わせがまだ物珍しいのかと思った。
一目で神剣と判る巨大な刀を持った悠人を見れば、誰だってそれがエトランジェだとすぐに判るからだ。
しかし暫くして、それらの視線が微妙に自分の後ろに向けられている事に気付いた。
ずっと後ろから、俯いたまま付いて来るファーレーンに彼らは注目しているのだ。
(へぇ…………)
しかもその視線は、どちらかといえば好奇や軽蔑のそれではない。むしろ温かい、見守るような笑顔で。
(変わってきているんだな)
悠人は、レスティーナの施策が少しずつとはいえ浸透してきているのが嬉しかった。
以前はスピリットといえば畏怖か侮蔑の対象だったのに。それが、ここまで来たのだ。
(まあ、まだラキオスだけなんだろうけどな……)
これから徐々に広がればいい。いきなりは無理なんだろうけど、これから少しずつ。
そう考えて改めて周囲を意識してみれば、むしろ羨望というか、特に男性陣の視線が熱いというか――――
「…………ん?」
「え、ど、どうかしましたか、ユートさま」
「……いや、なんでもない」
「あ、ちょ、ちょっと待って下さい……」
後ろで戸惑ったような、ファーレーンのか細い声。かまわず悠人は歩調を少し速める。
気づいてしまった。通り過ぎる男達の視線が、皆ファーレーンに注がれている事を。
ファーレーンと自分を見比べ、そして敵意に満ちた目で自分を睨みつけてくるのを。
それがなんだか得意で、そして不愉快だった。この姿のファーレーンを、他の男に見せたくなかった。
(…………俺ってこんなに独占欲強かったのか)
自分の意外な面を再認識し、悠人は苦笑いを浮かべながら目的地へと急いだ。

「さ、到着だ」
街の外れの高台。悠人は「とっておきの場所」にファーレーンを案内していた。
見慣れた街並み。リクディウスの森の木々。その向こうに広がるヴァーデド湖。湖面をきらきらと反射する波。
透き通るような空に白く浮かぶ雲が、その形を変えながら柔らかく流れていく。
そしてその全てを染め抜いている、夕日の赤。森の匂いをここまで運んでくれる爽やかな風。

「うわぁ……」
感嘆の声を上げ、ファーレーンはそっと目を閉じた。柔らかい風が、髪の間を優しく流れていく。
「……いい風、ですね…………」
柵を握る手に力を込め、ファーレーンはいつまでも、飽きる事なくその音に聞き入っていた。


予想以上の反応に悠人は内心照れながら、鼻の頭をぽりぽりと掻いた。
以前、レムリアに教えられた「とっておきの場所」。
女の子を連れてくる場所として、単にここしか思い浮かばなかっただけなのだが。
(良かった、気に入って貰えたみたいだ…………あ、あれ?)
ふと、左手を見る。そこでようやく気づいた。森からずっと繋ぎっぱなしだったのを。
動揺し、慌てて指の力を緩めて離れようとする。しかし。
「え……?」
無意識なのか、ぎゅっ、とファーレーンが力強く握り返してくる。まるで考えを見透かしているように。
「……ん」
一瞬躊躇して、そっと握り返した。夕日に染まる少女の横顔を見続けながら。

「ユートさま……」
暫くして、ファーレーンはぽつり、と呟いた。
「わたし……初めてです。こんな風にこの世界を感じた事、ありませんでした」
そうしてゆっくりと、視線を街並みに向ける。
「世界ってこんなに、優しいものなんですね……知らなかった……」
胸に手を当て、目を閉じ。何かを想うように息を潜め、そして決心するように。
「…………今なら、レスティーナさまの見てきたものが判る様な気がするんです……だから……」
「……え? レスティーナ?」
急にレスティーナの名前が出て、悠人は慌てた。しかし構わずにファーレーンは続ける。

「わたしが求めること…………今は純粋に、そう、有りたい」

「っ! ファー、それって……」
「はい、守り龍様が仰っていた事です……自らを信じろ、と」
「…………そうか、あそこにいたのか…………」
「……ええ、全てお話します……ユートさま」
俯き、地面を見つめるように再び開いたファーレーンの瞳には、しかしより強い意志が秘められていた。
そう、あの日マロリガンで見せた時と同じ、募らせた想いの丈を垣間見せる光で。