朔望

回旋 Ⅸ

 §~聖ヨト暦332年ルカモの月緑ひとつの日~§

「時は来ました……。我がラキオス王国は、神聖サーギオス帝国に宣戦を布告します」
レスティーナの宣誓に、周囲がどっと沸く。
「あらゆる困難を乗り越えてきた私たちならば、必ず理想を実現できるでしょう。最後の戦いです」
時勢に乗った指導者というものは、時に魔力的な力を発揮する事がある。
今のレスティーナが、正にそれだった。“理想”を具体的に語っているわけではない。
しかし聴く者は、それぞれに都合の良い、何か現状を打開するすばらしいものをそこに勝手に描き出し、
言葉の意味を考えずに戦いに遵奉する。それが、真摯な心からの言葉なら尚更だ。
レスティーナとしては、その声に応えて軽く後押ししてやれば良い。
意地悪く見れば、それだけの現象。しかし、そんな事とは関係無く、レスティーナ自身が影響力を持つのは間違い無い。

そうして最後に、若き女王は締めくくった。
「皆さん、私に力を貸してください」
うおおーー! 重臣や兵士の間から、どこからともなく湧き出す歓声。
レスティーナはそれらの一つ一つに、丁寧に手を振り、応えた。

そんな様子を、悠人はやや複雑な気持ちで眺めていた。
どうしても、高台でのレムリアの笑顔が思い出される。髪を解き、悲しそうに呟いた一言も。

 ――――もっと、レムリアでいたかったな……

芝居がかった仕草に却って無理を感じ、冷めていく頭。
戦いが終われば、きっと佳織も戻ってくる。瞬とも決着が着けられる。
レスティーナによる「理想」も、実現に向けて大きな一歩を踏み出すだろう。
それでも悠人は何故か素直にこの開戦を喜ぶことが出来なかった。
そっと、振り返る。じっと俯いたまま動かないファーレーンが何かを考え込んでいるようだった。

 §~聖ヨト暦332年ルカモの月緑ふたつの日~§

エーテルジャンプにより、再びケムセラウトの地を踏んだ悠人達は、そこから続く一本の道を行軍していた。
既に左右に巨大な翼を広げるような、『法皇の壁』が迫ってきている。
途中、林の中で小拠点の帝国軍とぶつかったが、さほどの抵抗も無く撃破出来た。
悠人自身自覚が無かったのだが、『因果』と『空虚』を取り込んだ『求め』は強大な力を有し始めていた。

「パパ凄っご~い! 敵さんあっという間にやっつけちゃったよ~!」
オルファリルが、感激しながら抱きついてくる。
「とと……ん? そうか?」
「はい。とても強い力を『求め』から感じます。……ユートさま、大丈夫なのですか?」
神剣の力が強ければ強いほど、その強制は厳しいものになる。
それを言っているのだろう、エスペリアが心配そうな顔で悠人を伺う。
「ああ、何だろうな。最近は頭痛もないしバカ剣も大人しいもんだよ……ん? どうした、アセリア」
一人じーっと悠人の顔を黙ってみていたアセリアが、少し首を傾げながら、
「ん。ファーレーンが帰って来たおかげか?」
ぴきっ。たった一言で、場を凍らせていた。

あの夕立のあった次の日。何故か悠人とファーレーンの仲は、もう部隊の中で知れ渡っていた。
特に、一緒に行動している訳でもない。何かを話している訳でもなかった。
大体彼女の方が恥ずかしがって、前より深めに被った兜のせいでよく顔も見られない位。
それでも女の勘というものなのか、そういう事は、察するらしいのだ。
それが集団で発揮されれば恐ろしい尾ひれと伝達力を持つ。そんな訳で二人は既に公認の仲になってしまっていた。

たまたま側にいたネリーに訊ねてみると、
「だってバレバレだよ?」
物凄くシンプルに返されてしまった。子供といっても馬鹿には出来ない、そう実感する悠人だった。
それ以来、一ヶ月。
ファーレーンはヒエレン・シレタの調査とかで旧マロリガン領へと出かけていたが、
取り残された悠人だけは何か事あるごとにからかわれ続けていた。

「あ~、なっるほど~♪」
何が嬉しいのか、納得して飛び跳ねるオルファリル。
アセリアの言葉は説明にも何もなっていないのだが、強く否定も出来ない。
「…………」
無言のまま、やはりそうなのですか、と言わんばかりのエスペリア。
悠人は居心地の悪さを誤魔化すように、背中を向けた。
「……さ、さて、そろそろ行くか!」
「ユート、まだ後続が追いついていない。それに、陽も暮れかけてる」
「う……」
確かにこのまま『法皇の壁』に突撃しても、どうしようもない。今つれてきているのはこれで全員なのだ。
元々偵察がてら先行していたら、意外な悠人の力により敵を突破し、気づいたらこんな所まで来てしまっていた。
それに陽が暮れれば、ブラックスピリットの力が増大する。無理をする意味は全く無かった。
「ではここで、休息を兼ねて食事にしましょう。オルファ、手伝ってね」
「うん!ごっはん~ごっはん~♪」
むすっと事務的な動作で去っていくエスペリアと、お気楽そうにについていくオルファリル。
二人が行ってしまうと、アセリアと二人っきりになってしまった。悠人は試しに小声で文句を言ってみた。
「……あのな、アセリア。あまりそういう事は言わないでくれ」
「ん? 何のことだ?」
「…………はぁ」
やはりというか、そんな返事。判っててやってるのかそれとも天然なのか。悠人は頭を抱えた。
アセリアが不思議そうに首を傾げていた。

 §~聖ヨト暦332年ルカモの月緑みっつの日~§

一時ラキオスに帰ってきた悠人は、エスペリアの報告が終わるまでの間、暇つぶしに街に出てみた。
通りがかる人々が、必ず振り返る。しかしその視線には、以前のように怪訝な様子が少しも感じられない。
(前は嫌われてるって思ったものなのにな)
色々な人に話しかけられる。子供が『求め』に触りたがり、慌てて頭を下げてくる母親。
「ああ、構わないよ……ほら」
「うわー! ありがとう、勇者さまっ!」
「こら……すみません、ありがとうございます」
「いや、そんな。お礼を言われるほどのことじゃ」
照れながら、ふと気づいた。あれ程苦手だった大人達。見ず知らずの大人に、こんなに自然に接していることに。

高台に辿り着いても、まださっきの驚きが頭から離れなかった。
あんなに周りが信用できず、獣のように警戒していた筈なのに。油断が出来ず、敵のように身構えていた筈なのに。
(こうなったのも、レスティーナのお陰だろうか)
戦いを通じ、結果守ってきた街。その人々が、自分という異分子を受け入れようとしてきている。
そしてそれはきっと、自分が頑張ってきた事のささやかな結果も含まれているのだろう。
「そっか……俺、認められてるんだ……」
最初は、ただ佳織を守りたいだけだった。
それがいつの間にかスピリット達へと広がり、そうして今は、この街をも守りたいと思っている。
自分から否定しているから、相手からも否定される。相手を認めれば、自分も認められる。
そんな当たり前の発見に、今更喜びを感じる自分に思わず苦笑が漏れた。

  ――ユートくん、この街、好き?

「…………ああ!」
澄み渡る空を眺めながら、今度こそはっきりと頷くことが出来た。

 §~聖ヨト暦332年エハの月青ふたつの日~§

帝国領に進行して早10日。ようやく陥とした『法皇の壁』で、
悠人は味方の損害状況を確認しながら、ふと治療に当たる緑の少女に声をかけた。
「ニム、どうだ?」
おかっぱ頭が声に反応して振り向く。ややむすっとした調子で、
「なんだユートか……知らない、まだ帰ってこないし」
怪我の回復具合を訊いたのだが、どうやら毎日浴びせられる質問を繰り返されたと勘違いしたらしい。
悠人は苦笑して言い訳をした。
「違うよ、ファーが何か別の任務でいないのは判ってるからさ。そうじゃなくて、治療長引きそうか?」
「…………紛らわしい。大丈夫、ニムが治療してるんだから」
ぽう、と緑色のマナが傷口に吸い込まれ、軽く出血していた場所が塞がっていく。
どうやら怪我自体大したものでもない様子だった。
「へぇ……。上手くなったなぁ」
「また馬鹿にして……ニムだってこのくらい出来るんだから」
そうふくれながらも、まんざらでもないらしい。シールドハイロゥが一層輝き、忠実に主人の感情を表していた。
呼応して、治る速度が急速に上がっていく。見事に展開されるウインドウィスパ。
元々防御系だったそれを、どうやら自分なりに改良したらしい。
ハリオンを師匠にして頑張ったらしいが、中々の上達ぶりだった。
「ところで……どうしてそのハリオンが、ニムに治療を受けているんだ? 自分でやれるだろうに」
「んふふ~、これはぁ、試験なんですよぅ~。それにぃ、他の方にしてもらうと、気持ちよくてぇ~」
「…………そうか。それじゃ俺は行くから」
絶対に後半が本音だな、と思いながら、悠人はその場を後にした。

外に出て、空を見上げる。戦いに勝利しながら、どこか物足りなかった。
今ここにいて、一番話したい相手がいない。
ファーレーンがいきなりいなくなるのは今に始まったことではないが、慣れるようなものでもなかった。
情報部の仕事だと後でレスティーナが教えてくれたが、今回も本人から知らされなかったのは何気に辛い。
「……まずはリレルラエル、か」
無理矢理気を引き締めてみる。戦いは、始まったばかり。月が、優しく見守っていた。