朔望

nocturn Ⅸ

 §~聖ヨト暦332年チーニの月青みっつの日~§

湿った、重い空気が重ねた歴史となって肩に圧し掛かってくる。
冷たい空間に時折響く、雫が滴り落ちる音。断続的に石床を弾く水滴。
崩れかけた壁にそっと手を触れれば、ひんやりと硬い感触が返ってくる。
ミライド遺跡。そこはダスカトロン大砂漠の中央にひっそりと残された、廃墟のオアシスだった。
どれだけ歩いたのか。灯りも無く、複雑な迷路のような狭い通路を手探りで進む。
そうして距離感も掴めないまま辿り着いたその先に、求める者はいた。

「ほう……ここが判ったのか。クォーフォデにでも聞いたか」
殷々と落ち着いた声が遺跡に響き渡る。調子に、突然の来訪者に動揺する気配など微塵も無かった。
「…………お久し振りです、『剣聖』ミュラー・セフィス様」
「ふん、ここに来れたという事は、シーオスはラキオスの版図に還ったか。……いよいよだな」
「いよいよ?」
「それで? ただ再会を喜ぶ為にここまで“辿り着けた”訳では無かろう?」
「…………っ!」
思わず息を飲む。全てを見透かされたような感覚。答える声に震えが走る。
「ラ、ラキオスの使者として参りました。……お願い致します、是非わたし達の訓練士として……」
「断る。そんな通り一遍の誘いに興味は無い。もう一度問うぞ。“お前は”何をしに来たのだ?」
ごくり、と喉が鳴る。予想もしなかった問いかけ。それは暗に、“あの時”の返事を促していた。
「…………信じる為に。自分の心を信じられるだけの強さを、信じる為の教えを請いに来ました」

「………………」
重苦しい沈黙。何かを測るような、鋭い視線が全身に突き刺さる。呼吸も忘れ、ただ晒される時間。
やがてゆっくりと融かされていく氷のような空気が、ふいに軽くなった。
「…………ふっ、いいだろう。まだ寝惚け眼(まなこ)のお前をはっきり目覚めさせるのも面白い」
「?……あっ、それでは……!」
「ああ、何れにせよ龍の蓋が活きている間には片をつけなければならないからな」
「……?」
「行くぞ、もう恐らく時間は僅かしか残されてはいまい……もっとも時間など、お前次第ではあるがな」
「は、はいっ!」
言葉の端々を気にしている暇は無い。颯爽と立ち上がる気配に従い、歩き出す。無明の闇を照らす太陽の元へと。