朔望

回旋 C

 §~聖ヨト暦332年チーニの月青いつつの日~§

気づけば、ここに来ていた。楽しい想い出が沢山詰まっている、数少ない場所。
素直に、ただ“レムリア”として居られた場所。今は人気も無い冷たい石造りの床にそっと腰を下ろす。
淡く月明かりで照らされたベンチは寒々としていて、とても座る気がしなかった。
膝を引き寄せ、顔を埋める。冷え切った体は、それでも少しも温まらなかった。

「やっぱり、ここだったんだな」
来てくれると思っていた。そんな予感がしていた。
『運命』なんかじゃなくて。『偶然』でもなくて。
会いたかったから。こんな時には来てくれるんじゃないかなと思っていたから。
「あ……ユート、くん…………」
でも、顔を上げられなかった。
辛くて。逃げ出して。でも甘えた何かを期待して。そんな自分が情けなくて。悔しくて。
そうして――――泣いている自分を見られたくなくて。
「レスティ……いやレムリア、帰ろう。みんな待ってる」
「…………やだ」
レスティーナ、と呼びかけたユートくんに、意地になって。

「みんな死んでいっちゃうの……そんなの、もう見たくないのに…………
 でも……悲しくても、辛くても、私は平然としているの!
  ……涙が出ないの! 泣きたいのに…………全然、涙が出ないの!」
膝を抱えたまま、抑え切れないまま吐き出していた。全てをぶつけていた。
ごめんね、そんな言葉を飲み込んで。甘えて、それでも拒絶するような声色しか出せずに。
「…………ダメなの……レスティーナは、泣けないの。
 だから私はレムリアとして泣くの……そうしないと、悲しさも解らないから……」
そうしていつの間にか、自分に言い聞かせるようになってしまった口調。
ふいに黙って聞いてくれているユートくんが、本当にそこにいるのかどうか、不安になった。

「ユートくん……もう私……ダメだよ。このまま続けることなんて、出来ない……そんなに強くないんだよ。私って」
とめどなく溢れる自嘲。そんな私に、たった一言だけの声がかかる。
「ごめん」
ぴくっ、と肩が震えた。どうして? 何故ユートくんが謝るの?
「気がついてやれなくて、ごめん…………自分を責めないでくれよ。レムリアが悪いわけじゃないんだ」
もう一度、すまなそうな声。私は思わず顔を上げていた。

頭の中は、もうぐちゃぐちゃだった。
混乱した感情が渦を巻いたように様々な色を帯びて制御も出来ずに、
「私の命令で、スピリットたちがみんな死んでいっちゃうんだよ……?」
「次の命令では、ユートくんだって死んじゃうかも知れないんだよ……?」
「自分が悪くないなんて……そんなの、思えないよ!」
「ユートくんのことだって、ずっと騙してた……」
秘めておこうと思っていた、そんな気持ち。そんなものまで、口にしていた。

「一緒に居たかった!私が、私だって判れば、みんな白い目で見るに決まってる!
 女王の私は人殺しなんだもん……だから……ユートくんにも嫌われちゃう……それが……嫌だったの」
「レムリア……」
反乱に巻き込まれた人達。首謀者に処刑を言い渡した自分。
「父様のこと……憎んでた。それに、母様のことも」
自分に刺され、微笑みながら目を閉じた父。父に殺されたも同然の、姉のようだったアズマリア。
「カオリちゃんにヒドイことをして……ユートくんにもヒドイことをさせた」
剣を握る事を強制させられたユートくん。それをさせた、自分。
「エスペリアやアセリアだって、私にとっては大切な友達のはずなのに……」
戦いに死んでいく、スピリット達。共存を謳いながら、自分だけは安全な場所にいる。
「そんな友達を使って殺し合いさせて……それなのに偉そうにして、座ったままで笑ってた」
 
 ――――わたしは貴女を信じます。

ファーレーンはそんな自分の何を信じたというのだろう。こうして、抜け駆けみたいに甘えている私の何を。
「…………最低だよ」
押し潰されそうな心が、悲鳴を上げていた。

困ったような顔をしているユートくんが、
「そんなことない……レムリアと俺たちは仲間だ! 一緒に戦っているじゃないか!」
そう言ってくれても、信じられなかった。
「ううん……私って嘘がうまいから。ユートくん騙されちゃったんだよ」
俯き、呟く。そんな捻くれた言葉しか出てこなかった。
だけど、ユートくんはそれでもまだ私を励ましてくれた。

「レムリア……この街、嫌いか?」

いつかここで探るように訊いてみた懐かしい問いかけを、逆に返して。

「え……?」
再び、顔を上げる。月明かりが、ユートくんの優しい瞳に映し出されていた。
「俺は、好きだ。守りたい、本当にそう思ってる。だから、レムリアに命令されているなんて思わないよ」
許されようとしている。今ユートくんは、私を許してくれようとしている。
「ここで逃げても、戦いは無くならないよ。レムリアもそれが判ってるから、今まで戦ってきたんだろ?」
そんなの、ダメなのに。罪は、償わないといけないのに。
「どっちだっていいよ、レムリアでもレスティーナでも。騙されちまったんだからな。だから―――」
こうして逃げてしまった私が、与えられるものではないのに――――

「――――だから、騙され続けてやる。少なくとも俺は、そんなレムリアを信じてるから、さ」
「……っユートくんっっ!!」
耐え切れなかった。そんな優しい言葉をかけられて、耐えられる訳がなかった。
気づいた時には、思いっきりその胸に飛び込んでいた。

「好き……大好き…………」
初めて顔を埋めた、男の人の胸。驚いたのか、ユートくんの鼓動がとくとくと早く伝わってくる。
心地良い響きに安心した途端、口から思わず零れていた。絶対に、言ってはいけない一言が。

『わたしは貴女を信じます』
一瞬、はっと身が強張る。ファーレーンの顔が思い浮かんだ。
彼女がユートくんをどう“想って”いるのかはとっくに気づいていた。だからこそ、距離を置いていたのに。でも。
(ごめん、ファーレーン。今だけ、今だけだから……)
頭の中で、懸命に謝った。それでも、私も好きだから。気持ちだけは、伝えたいから。
しがみついた指が、ぎゅっと強くユートくんの服の裾を握る。指がこれまでにないほど震えていた。
肩に優しく触れる、ユートくんの手。私は目を閉じ、そっと顎を上げ――――

「そうか、良かった。なら大丈夫だよ。大好きな街を守るため、それでいいじゃないか」
「…………はい?」
「俺なんかも、いつも悩みっぱなしだよ。だけど、みんながいるから戦える、もちろん、レムリアも」
「………………」
「もっとも俺の悩みなんかレムリアの苦労に比べれば……っておい? なに笑ってるんだ?」
「ぷっ……くっ……な、なんでもない……」
豪快な、勘違い。さっきまでの緊張は一体どこへ行ってしまったのだろう。普通怒る場面だよね、これって。
……でも、呆れる前に噴き出してしまった時点で私の負けだ。底抜けに前向きな、そんな彼が好き“だった”のだから。
こんな勇気の貰い方は、きっともうないだろう。吹き抜けた風は、ものの見事に想いを吹っ切らせてくれていた。
「おっかしいなぁ。俺なんか笑える事言ってたっけ……」
「……ユートくんっ!」
ちゅっ。
「……へ?」
だから、頬に少しだけ。少しだけの感謝と、親愛を籠めて。
「な、なななななっ……レムリア!?」
「ありがと! 私、頑張ってみるよ。だからもう……レムリアじゃなくて、レスティーナだよっ!」
「お、おい……」
くるりと背を向けて、笑い涙を隠す。そっと手を当てた唇が、まだ熱かった。
もう、迷う事はない。こんなにも自分を認めてくれている人が、一緒に守ってくれると言ってくれたのだから。