朔望

回旋 D

 §~聖ヨト暦332年アソクの月緑ふたつの日~§

それは、ふいにやって来た。
ユウソカを陥落させ、秩序の壁を目前にしたリーソカの街。そこで悠人は何かの気配に、がばっと飛び起きた。
窓の外を見る。暗い。夜明けまでにはまだ時間がありそうだった。

きぃぃぃぃん…………

「……ぐっ!」
激しく頭痛が突き刺さる。『求め』に言われるまでも無い。悠人は羽織を取り、窓から飛び出した。
臨時の詰所すぐ脇にまで迫る森の中を駆け抜ける。間違いない。『誓い』がすぐそこまで来ていた。


「遅かったな……もっと早く来るものと思っていたのにさ。待ちくたびれちゃったよ」
気配を隠そうともせず、瞬が呟く。その側に震えるような人影を確認した時、悠人は殆ど吼えるように叫んでいた。
「瞬!! 貴様ァァ!!」
「お……お兄ちゃ……ん……?」
驚き、大きく眼を見開いたまま瞬の側から逃げて来ようともしない佳織。その意味を考える事も無く。

がきぃぃん!!!

鈍い音と共に、蒼い火花と紅い閃光が飛び散る。お互いの意地がぶつかり合った一撃は、僅かに悠人が優っていた。
しかし気障なそぶりで肩の埃を払うかのような仕草を見せ、一度飛び退いた瞬は余裕の表情で呟く。
「ふん……その程度か」
そしてすっと差し出した『誓い』が佳織の方を向き、その剣先から流れた赤いオーラが佳織の首を拘束する。
「あぐっ……ぅ、ぅぅ…………」
絞り出すような悲鳴が耳に届いた時、悠人の頭で最後のリミッターが外れた。

「やめさせたきゃ、本気をだせよ。僕を殺すために全力で来るんだ! そうすれば……」
最早、瞬が何を言っているのか判らなかった。獣の様な原始的な本能だけが体中を支配する。
「お前が僕を殺せば佳織は助かる。僕がお前を殺しても佳織は助かる」
――――五月蝿い。悠人の小さな呟きに、『求め』は迅速に反応した。青白い刀身がより一層輝く。
「ほら、どっちにしろ佳織は助かるし、どっちにしろ決着は着くんだ。一番良い方法がこれなんだよッ!」
「ぉ……お、兄ちゃ……ん……くぁ……」
陶酔しきっている瞬の隣で佳織が膝をついた。まだだ、もう少し。臨界は、すぐそこだった。
「大切な佳織をこんな目に合わせたお前を……僕は殺す!」
瞬の瞳が紅く染まる。その眼光を跳ね返した瞬間、体中の筋肉が弾けたような気がした。

「死ねぇぇぇぇぇ!! 死ねっ! 死ねよ、お前っ! 佳織の前で惨めったらしく死んでしまえぇぇっっ!!」
「死ぬのはお前だ……うぉぉぉぉぉっ!!」
渦を巻く思念がそのまま『求め』と『誓い』に集中する。動き出したのは僅かに悠人が先だった。
オーラの竜巻を飲み込んで一回り大きくなった『求め』が瞬の頭上に振り下ろされる。
青白く燃え上がるように繰り出されたフレンジーは、寸分違わず瞬の頭を叩き潰そうと正に“殺到”した。
「…………ちぃっ!」
踏み込みが浅かったと判断した瞬が危険を感じ、瞬間オースを防御に切り替える。
あっという間に編みこまれ、所々蛇の舌のような動きを見せる奇妙な紅いシールドが『求め』を迎え撃った。

ガゴッッ!!

鈍い音が森中に響き渡る。一枚の壁を挟んで、『求め』と『誓い』の波動が一層強烈に盛り上がった。
「ぐぉぉぉぉっ!!」
「あぁぁあぁぁぁっ!!」

――――ざしゅぅぅぅ…………

「くっ……!」
悠人の、『求め』の怒りが瞬と『誓い』の執念を僅かに上回っていた。
『求め』がシールドを打ち破り、瞬の肩を掠める。苦痛に顔を歪め、よろめく瞬。
「塵となって、消えろぉぉぉぉッ!!」
悠人の止めの一撃が、叫びと共に振り下ろされる。決着は、そこで着く筈だった。

「なっ…………」
「良かった……佳織も僕も死んじゃいけない……二人とも助かるには、この方法が一番だった」
「瞬……お前は……っ!!」
刃先は、瞬に届いてはいなかった。到達する直前、悠人は全力でそれを止めていた。
そう、“盾代わりに瞬の前に引き出された、佳織”の眼前、僅か数センチのところで。
「う、く…………」
握る手が、ぶるぶると震える。比喩ではなく、悲鳴を上げる筋肉。血管が破れ、所々血を噴き出している両腕。
無理矢理に止めた『求め』が異常に重たい。欲求に逆らったせいか、耳鳴りのような頭痛がひっきりなしに頭に響いた。
目の前の佳織と一瞬目が合う。その怯えたような震えを感じた時、既に冷静さを取り戻した瞬が振りかぶり――
「やっぱり僕は正しかったぁぁぁっっ!!!」

 ――――ザシュッ

叫びながら突き出した『誓い』は、悠人の脇腹深くにざっくりと沈み込んでいった。

どくん。
深く沈んだ意識の奥で、何かが聴こえる。引き摺り込まれる海の底。
息苦しさに思わず伸ばした腕の先に白い姿が浮かび上がった。小さな背中がゆっくりと振り向く。
「お兄ちゃん……」
「佳織……佳織っ!!」
酷く悲しそうな表情。縋りつく目つきが、ふいに突き放すような仕草に変わる。歪んだ口元から言葉が漏れる。
『……佳織はちゃんと気づいてるじゃないか。お前が、恐ろしい殺戮者だって事にさ』
「なに…………違う!! 聞いてくれ佳織、俺は殺す気なんか……」
『へぇ……よく言う。私利私欲のためにスピリットを殺し回ってる奴が。所詮お前も偽善者なんだよ』
『あのレスティーナとかいう女王気取りのバカ女と同じだ。大義名分を掲げて、その影では何をしている?』
「俺はっ!!!」

がばっ。
「ユ、ユートさま?!……気が付かれましたか?良かった…………」
「ファー、レーン……夢……?」
見慣れた天井が、目にぼんやりと映っていた。

 §~聖ヨト暦332年アソクの月緑みっつの日~§

「気が付きましたか? ユート」
「あ……レム……痛っっ!」
「駄目です、まだ動かれてはっ」
「ファー、それにレ、スティーナ……俺、一体……」
悠人はまだはっきりしない頭を抑えながら、周囲を見た。机に置かれた、エスペリアが飾ってくれている花。
白いカーテンの掛かった窓枠。淡く輝く灯火。心配そうに覗き込んでいる二人。そして……見慣れた天井。見慣れた自室。
「ラキオス……なのか?」
呟きに、並んでじっとこちらを見ていた二人が目配せし、そして同時に頷いていた。
「ファーレーンが見つけて、エーテルジャンプでここまで運んだのです。よくお礼を言っておくように」
多少のからかいを含めてか、悪戯っぽく命令口調で睨みつけるレスティーナ。
そのわざとらしい態度に、ファーレーンの方が兜の奥で赤くなって縮こまってしまっていた。
「そ、そんなわたしは別に……その……」
「ふふ、いいではないですかファーレーン。こういう時にびっとしないと殿方はつけ上がりますよ」
「いや、そんな事はないから。……ありがとう。また助けられたな、ファーには。いつも助けられてばっかりだ」
「え、え……あの、その…………ウルゥ…………」
俯き小さく呟いたまま動かなくなってしまったファーレーンに、悠人とレスティーナは顔を合わせ、少しだけ笑った。

暫くしてファーレーンに看病を命じ、所用があるとレスティーナは出て行った。
落ち着かなさ気に、それでも頷いたファーレーンと二人きりになったとたん悠人は難しい顔をして黙り込んでしまう。
「そうだ……俺、あの森で瞬と……」
思い出すように、じっと手を睨む。ようやく思い出してきた感情を押し殺したような声に、ファーレーンは眉を顰めた。
「ユートさま……感情に押し流されては、ただ力を欲するのと何も変わりがありません」
「ファー……判ってる、判ってるけど……」
そっと手が重ねられる。どこかひんやりと冷たいファーレーンの小さな手が、今は心地良かった。
「大切なのは力を得ることではなくて、守る為の力……そうですよね?」
「……ああ、そうだな。少し眠って頭を冷やすよ。それでいいだろ、ファー……」
ファーレーンがこっくりと頷くのを確認するや否や、悠人の重い瞼は閉じた。泥のような眠りだった。

 §~聖ヨト暦332年レユエの月赤よっつの日~§

悠人の傷が癒える頃には、既に月が変わっていた。
その間にリーソカを出発したラキオス軍は、何故か撤退を始めた敵を追い散らしながら秩序の壁を突破する。
報告を聞きながら居ても立ってもいられずに立ち上がろうとした悠人を、その度にファーレーンが抑えた。
いくらエトランジェとは言っても、グリーンスピリットが戦いの合間を縫って治癒するだけでは回復も遅い。
「今行っても、ユートさまは何のお役にも立てません……もう少しの辛抱です」
珍しく頑固にぴしゃりと跳ね付けるファーレーンに、悠人はしぶしぶと従うしかなかった。


そうして約二週間後。
悠人は付きっ切りで看病をしていたファーレーンと共にリーソカへとエーテルジャンプで跳んでいた。
迎えに来たエスペリアにその後の報告を受ける。ラキオス軍は既にサーギオス首都を包囲していた。
「そうか、なら急がないとな」
「はい、ユートさま。…………ファーレーン、大丈夫なのですか?」
「? 俺なら大丈夫だって。な、ファー」
「え、ええ。……エスペリアありがとうございます、もう心配は要りませんよ」
「それならいいのですけど……」
にっこりと微笑むファーレーンとは対照的に、まだ困った様に口元に手を当てて考え始めるエスペリア。
二人の間に流れる雰囲気が微妙に気まずくなった。悠人は首を傾げながら、
「さ、行こう。みんなが待ってるんだろ?」
「……判りました。でも、無茶はなさらないで下さい」
不安そうなエスペリアの背中を押すように、歩き始めていた。

 ―――――――――

歩き始めた悠人の後ろで、エスペリアがファーレーンに囁きかける。
「わたくしは、人の身でスピリットに近づけた人を知っています……」
「……はい」
「ファーレーン、貴女は……必ず守りなさい。どうかわたくしの様にはならないように」
「エスペリア……ありがとう」