朔望

回旋 E

 §~聖ヨト暦332年レユエの月緑ふたつの日~§

『全軍、行動を開始せよ!』
レスティーナの鋭い一言と共に、ラキオススピリット隊は一斉に城へと雪崩れ込んだ。
基本的に三人一組になり、それぞれの進攻ルートを突き進む。
城の内部の情報は、ウルカが教えてくれていたものとほぼ変わらなかった。
そこから敵の迎撃位置を割り出したのはエスペリアである。ラキオス軍はそれらを次々と押さえていった。

悠人達主力は、真っ直ぐに瞬達のいる皇帝の間へと突き進んでいった。エスペリアが訊ねる。
「ユートさま、『誓い』はどこに……?」
「…………こっちだ! 行くぞっ!」
気配を探るまでも無い。即座に答えられる。
接近するほどに高まる瞬と『誓い』の気配。悠人はその憎しみの感情を敏感に感じる事が出来た。

やがて辿り着いた巨大な扉の前。悠人は一度振り向いた。
エスペリアにアセリア、オルファリル。今まで主力で戦ってきた仲間達が一斉に頷く。
頷き返して悠人は『求め』を高く振りかざした。
「タァァァァァァァァッ!!」
一閃。扉はあっけなく粉砕された。


「あーあ……また僕たちの邪魔をしにきたのか。せっかく、佳織の為に止めを刺さないでおいてあげたのに」
赤い絨毯と古い西洋風の建造物。そしてせせら笑う瞬の声が、悠人達を迎えていた。

「だめっ! お兄ちゃん……来ちゃだめぇっ!!」
「! 佳織ぃっ!!」

きぃぃぃぃん…………

瞬の隣で怯えるような視線を向ける佳織の姿を確認したとたん、悠人の目の前は真っ赤に染まった。
やり場の無い怒りと憎しみが心の奥底から噴出する。『求め』が溢れんばかりの光を放出していた。

「お兄ちゃんっ! だめだよっ、はやく逃げてっ!!」
「……大丈夫だ、佳織。俺は前の俺とは違う……それに、今は仲間もいる」
頭痛をやり過ごし、心を必死で引き戻す。呼吸を整え、悠人は『求め』を握り直して佳織に微笑みかけた。
それを黙って聞いていた瞬がふん、と鼻で笑う。
「ふふ……弱い奴ほど群れたがる。弱いから仲間なんてものを頼らなきゃいけないんだ」
「そうさ……俺は弱いから仲間を頼る」
「…………なに?」
あっさりと認める悠人に、瞬の口元から笑みが消えた。不審気に睨みつける。悠人は構わず続けた。
「もう……俺一人で背負おうなんて、そんな思い上がりはやめたんだ」
向こうの世界でただがむしゃらに一人で背負おうとした自分を悠人は思い出していた。
自らの限界も見極められずに無理をし、それが却って佳織の負担になっていたと、今なら判る。
この世界に来て学んだ事。得たものは、そんな気負いなど失って余りある物だった。

「自分一人でなんでもやろうなんていうのは、ただ周りの人間を信用してないだけだ……お前みたいにな」
そう、以前の自分のように。だけど、今は違う。思い浮かぶ、ロシアンブルーの後ろ姿。
龍の言葉。ダーツィ王の台詞。高台で蹲って泣いていた少女。死んでいった光陰や今日子から託された約束。
そして今も、見守ってくれている仲間達。悠人は一度深呼吸をして、改めて瞬の視線を受け止めた。
「俺はお前と同じようにはならない。俺は仲間と共に……仲間の力を借りてこの無意味な戦いを終わらせる」

「……もういい。さっさと死んでくれ!」
悠人の何か吹っ切れたような落ち着いた口調に、瞬は呆れるように溜息をつき、それから激昂した。
軽々と抜き放った『誓い』を片手で構え、腰を低く落とす。赤い魔法陣が周囲に浮かび上がった。
「くっ……バカ剣!」
オーラフォトンを撒き散らす瞬に対して悠人も『求め』の力を解放した。青白い剣先を持ち上げる。
広がりだす二つの魔法陣。ぶつかり合った接点が赤と白の火花を激しく散らした。

「決着をつけてやる……悠人ォッ!!」
先に動いたのは、瞬だった。先日の戦いで不覚にも防御に走った、その記憶が右腕を突き動かす。
オース。『誓い』最大の技。刀身にありったけの憎しみや怒り、全ての怨念をぶつける。
剣に力を吸い取られるような、そんな脱力感の中でただ一つ、佳織への純粋な想いだけを残して。
「死ねぇぇぇぇっ!!!」
真っ赤に染まった『誓い』が地面に異様な波動をもたらしながら、水平に振り切られる。放出される深紅の波動。
瞬は勝利を確信した。この技が、破られるはずがない。長い前髪の向こうに、消し飛ぶ悠人の姿が映る筈だった。

がっ、ぎぃぃぃん!!
「……なっ!」
鈍い衝撃が手首に伝わる。瞬は驚愕した。悠人はあっけなく『誓い』を受け止めきっていた。
微かに黄緑色が混じる刀身が返される。その剣先から細かい紫雷が走っていた。
「クッ!」
一瞬。襲い掛かる『求め』から、瞬は身を捩って避わした。
それでも触れていない肩口が、じゅっと焦げた臭いを放つ。明らかに『求め』の力は『誓い』を上回っていた。
「なるほど……そういえば、『因果』と『空虚』を喰ったんだっけな……」
一度間合いを離れ、瞬は顔を歪めて肩を抑えた。屈辱が口から零れた。

瞬の呟きに構わず、悠人は『求め』を構えたまま訊き返した。
「次で、決着をつける……だがその前に、ひとつだけお前に聞くことがある」
先程からの疑問。この場にいない、サーギオス皇帝。それがどこにいるのかが知りたかった。
その人間がいる限り、またこの無益な戦いが繰り返されるだろう。それだけは阻止しなければならなかった。
「サーギオスの皇帝はどこだ?お前が力を貸していた奴は、ここにはいないのか?」
悠人のその一言を聞いて、瞬が突然笑い出す。
「あははははっ! 皇帝だって?……そんなものは始めからいない。存在すらしていないんだよ!!」
「…………!?」
「この帝国を動かしていたのは、この『誓い』だ! みんな勝手に思い込んで動かされていたのさ!」

「存在、しない国……?」
「そうさ。どうせ最期だから教えてやろう。この大地は、もうずっと前からこの『誓い』が動かしてたんだよ!」
信じられない事を、瞬は喋り出した。いや、少なくとも悠人には信じられなかった。
これだけの大国が、実は存在していなかった。そんな事を、まともに信じられる訳がなかった。
「それに誰も気づかなかったんだ。本当に馬鹿な人間どもだよ……でも僕は優しいから、それを責めはしない」

しかし瞬は、何かに取り憑かれたような視線を漂わせながら話し続ける。
「馬鹿には馬鹿なりの生き方がある……神剣に屈するような意志の弱い馬鹿なりの、ね」
「……くっ」
思い出される今日子の姿。馬鹿にされたような気がして、悠人は一瞬頭に血が昇った。歯軋りをして懸命に耐える。

キィィィィン…………

「馬鹿は剣に踊らされていればいい。僕のように優れた者だけが自分で歴史を動かせるんだっ!!」
「……っ瞬! お前は自分が剣に支配されている事が判らないのか!?」
一瞬、高らかに叫ぶ瞳が赤く染まったような気がして悠人は叫んだ。
その声に自分を取り戻したかのように瞬の口調が落ち着きを取り戻す。
「フッ……違うね。だからお前は馬鹿なんだ。僕だからこそ、この『誓い』に選ばれたんだよ。
 僕は剣に支配されてるんじゃない。剣を利用して世界を正しい方向に修正しているだけさ!!」

悠人は口を挟みかけて、そしてやめた。
「決着をつけてやる、佳織が見ている前でね……貴様と『求め』の断末魔を、『誓い』が欲しているんだ」
その考えこそが、神剣の望むもの。それを言っても、伝わらないだろう。今の瞬には。

「お前を倒し、佳織も……この世界も守ってみせる!」
(そのついででいいなら『誓い』を打ち砕いてやる。だから力を貸してくれ……バカ剣!!)
悠人の叫びのどこに反応したのか。『求め』から、底の見えない力が湧きあがる。
足元に広がる魔法陣が熱を帯びて高く舞い上がり、悠人を包んだ。

「マナよオーラへと変われ、聖なる衣となりて我らを包め……」
知らない言葉が口をついて出る。詠唱が白銀のオーラフォトンを呼び込んでいた。
「……ホーリーッッ!!!」
ぶぉん、と空間が歪む。一回り自分が大きくなったような錯覚。勢いに任せて飛び出した。

「うぉぉぉぉっっ!!」
「なんっ……だと……!?」
眼前で圧倒的な力を発揮し始めた『求め』に、咄嗟に瞬の脳裏に佳織を盾にするという手段が思い浮かぶ。
しかし瞬は唇を噛み千切り、その考えを否定した。それだけは、とギリギリの所で留まる。そしてそれが油断になった。
渦巻くオーラフォトンの束。眩く光り輝くそれは、光の粒子を撒き散らしながら収束し、瞬に殺到した。
咄嗟に展開したオースによる有機の盾が、槍のように捻じ込まれて脆いガラスのように打ち破られる。
弾ける赤いオーラフォトンの中。『求め』の一撃は、ざっくりと瞬の腹部を大きく切り裂いていた。
「が、ああぁぁあああっっ!!」
「つぁぁぁッッ!!」
一瞬静止した『求め』が空中で一度翻り、再び瞬へと襲い掛かる。

ざしゅうぅぅぅっ!!!

よろけながらも翳した『誓い』の横をすり抜けて、『求め』は瞬の身体に吸い込まれていった。

きぃぃぃぃん…………

「はぁっ、はぁ……」
一気に力を解放したせいか、急に身体が重くなる。頭の中を駆け巡る『求め』の歓喜。
悠人は頭を一度大きく振り、そして肩膝をつきながら瞬を見上げた。
「……やったか!?」
ぐらつき、肩と腹部から血を噴き出している瞬。もがくように突き出した手が空を彷徨っていた。
「そん、な……馬鹿な……っ……僕が、負けるわけ……」
ぐはっと吐き出した血が細かい霧のように、金色に変わる。どう見ても致命傷だった。