朔望

回旋 F

 §~聖ヨト暦332年レユエの月緑ふたつの日~§

瞬はもう風前の灯となった体を引き摺るように、立ち竦む佳織の方へと目を向けた。
「そうだ……僕は、負けるわけにはいかないんだ……佳織を、佳織を守るために……がっ」
膝に手をつきながら立ち上がる悠人と崩れ落ちる瞬の視線がすれ違う。
悠人はその瞬間、ぞっとするような瞬の目を見た。赤く染まる、濁った目には、まだ。
「僕……は……正し、い……んだぁっ!」
「なっ……?!!」
がっ、と両手を突き、うつ伏せのまま動かない瞬。その背中から、蛇のように赤い蒸気が立ち昇る。
「そうだろう、『誓い』……なぁっ!殺せよ、『求め』がいるんだ……!」
地面を掻き毟る両手が異様に膨れ上がり、搾り出すように吐き捨てた言葉。
「僕から何を持っていったって構わない……『誓い』よ、アイツをすぐに殺セェェェェッッ!!!」

キィィィィン…………

『誓い』から閃光のような赤いオーラフォトンが迸る。
そして呼応するかのように、瞬から舞い上がっていた金色のマナがぴたり、と止まった。

消え、『求め』へと吸い込まれていく筈の力。それがいきなり膨れ上がり、瞬へと収束していく。
「一体何が……くっ!」
きぃぃぃぃん…………
『求め』が激しい警鐘を鳴らす。同時に舞い上がった竜巻が、瞬の身体を包んだ。
周囲を巻き込みながら、嵐のように暴れまくるマナの嵐に吹き飛ばされそうになるのを懸命に堪える。
『様子がおかしいぞ……契約者よ!砕けっ……『誓い』を砕くのだっ!』
初めて動揺を見せる『求め』の口調。言われなくても悠人にも危険な兆候は感じられた。
それでも近づけない。鉄のような空気の壁が瞬の周りを取り巻いていた。
両手で顔を庇いながら目を凝らす。その眼前で、ふいに風が熄んだ。恐る恐る顔を上げる。

「な……しゅ、瞬、か……?」
「フフフ……あはははははははっっ!!!」
悠人は、自分の目を疑った。

槍のように空中に浮かぶ、禍々しい赤黒い翼。左腕を肘まで隠す、爬虫類の鱗を連想させる籠手。
それは右腕の肩にも“生えていた”。握り締める神剣は『誓い』の形状を止めていない。
部屋に充満していたマナが黒い奔流となって一点に流れ込んでいた――――瞬“だった”モノに。

「これほどの歪みを抱えていたか! ククク……まさに逸材であったのだな!!!」
“瞬”は、壊れたように笑っていた。その双眸に深紅の光を湛えて。

「フフフ……ハァッハハハハハハハハッッッ!!!」
周囲のマナが次々と吸収されていく。増大していく力。“瞬”は狂ったように笑い続けている。
悠人は、動けなかった。もはや神剣に完全に飲み込まれた瞬からは、『求め』を越える力を感じる。
自然に奥歯ががくがくと鳴り出す。全身から汗が噴き出し、鳥肌が殺気をまともに受けて痛み出す。
今いけば、確実に殺される。それは沈黙している『求め』の気配からも間違いなかった。
「…………お兄ちゃん」
「佳織……」
「……お兄ちゃん、あのね……わたし嬉しいよ。こうやってまた逢えたんだもん」
いつの間にか後ろに来ていた佳織が、羽織の裾をぎゅっと握ってくる。
震える指から伝わる不安を、この絶望的な状況から救ってやりたかった。
「だから、最期までこうさせて……覚悟は、もう出来たから」
「佳織! そんな事をいうんじゃない! 最後まで生きる事を諦めるな! 諦めは覚悟なんかじゃない!」
だからこそ、思い出す。どんな時でも、奮い立たせてくれたあの時の言葉を。

 ―――――なら、大丈夫。

「そんなの俺は認めない!……俺たちは帰るんだ。ずっと一緒に暮らすんだろ?」
「お兄、ちゃん……?」
「諦めるんじゃない、諦めたらそこで終わるんだよ! 俺はそんなの嫌だッ!!」

『そうです……永遠神剣の力を……『門』を開いて…………』
「……なに?」
自分に言い聞かせるように叫んだ言葉。それに答えるかのように、どこかで声が聞こえた。

『……汝への『門』を開こうとしている者がいる』
全ての感覚を『求め』へと集中し、僅かな力も見逃さずに刀身へと注ぎ込む。
懸命の作業を行っている最中に、唐突に『求め』が話しかけてきた。脂汗をかきながら悠人は答える。

「門だって? 何だそれ、誰がそんなことを?!」
集中が乱れる。びりびりと伝わってくる瞬の殺気に、悠人は焦っていた。
『我と汝がこの世界に来てから、ずっと監視していた者だ』
「誰だよそれ! 初耳だぞ、そんな事!」
『聞かれたことはない』
「あのな!」
思わず突っ込む。その瞬間、頭の中にもう一つの声が飛び込んできた。
『悠人さん、『門』を開いて下さい! 時間がありません!』
「門? どうやればいいんだ!」
甲高い声に、聞き覚えがあった。記憶を探りながら叫ぶ。
一体『門』というのがなんなのかは判らない。しかし何故か問い返していた。
どうしてかは判らないが、この状況で藁にも縋るような思いが声の主との会話を続けさせていた。

『力を集中して、茅の輪をイメージして下さい』
言葉と共に送られてくるイメージ。見覚えのある、神社の風景。悠人ははっと顔を上げた。この声。これは……
「俺のするべきこと……すべての永遠神剣の破壊と吸収……」
剣と同化した瞬の腕がゆっくりと上がる。もう時間がない。悠人は目を閉じ、咄嗟に言われた輪を思い浮かべた。
「…………っ!!!」
想像の中に、何かが駆け込んで来る。輪の中に浮かび上がる人影。それがだんだん大きくなって。
「…………時深?!」
「悠人さんっ!」
そして次の瞬間、かつて神社で出会った少女がファンタズマゴリアへと飛び出して来ていた。


『求め』との問答の末、突然現れた少女に悠人は戸惑いを通り越して唖然としていた。
「えっ? えっ? 時深さん……なんですか?」
佳織が目を白黒させている。無理もなかった。当の悠人でさえ、開いた口が塞がらない。

「話は後です! 私の後ろに」
倉橋時深。元いた世界で、少しだけ知り合った少女。神社であった時そのままの巫女服のまま。
突然出現した彼女はこのファンタズマゴリアに降り立ち、悠人の眼前で瞬と対峙していた。
「愚かな……剣に心を完全に奪われるとは……神剣との融合など、精神が脆弱な証」
時深は、右手に小刀、左手には扇を持っている。
あの時は気づかなかったが、『求め』から伝わるこの気配は間違いなく永遠神剣のものだった。

「貴様もエターナルか! ちょうどいい……この『世界』の力を試させてもらおう」
「仮初めの貴方と一緒にしないで下さい。力に溺れる者など、私の敵ではありません」
「クク……その言葉、真実かどうか試してやろう。……だが、その前に虫共を殺さなくては……な!」
理解出来ない単語が次々と飛び出す会話を打ち切るように、急に瞬が悠人達の方を向く。
「消滅しろォ!」
「っ!!」
ぶん、と無造作に放ったそれは、完全な不意打ちとなって悠人達を襲う。悠人は佳織を咄嗟に庇った。
禍々しいオーラを凝縮したような黒い球体が膨れながら迫る。シールドがガラスのように粉砕された。
「悠人さん!!」
時深の叫びと同時に、巨大なオーラフォトンの球体は悠人達を巻き込んで城の一部を吹き飛ばしていた。

ごうん、という重い響き。悠人は一瞬浮き上がった体に、恐る恐る目を開いた。
「……大丈夫ですか? ユートさま、カオリさま」
「ファーレーン!」
「ファーレーンさん!」
二人の声は見事に被さった。

ふわり、とファーレーンが地面に降り立つ。支えられるように悠人達も足を下ろした。
振り向くと、皆上手く避わしたのか、全員揃っている。
「けほけほ……いったい、なんなのよ」
シールドハイロゥを展開したニムントールが不機嫌そうに呟いていた。

部屋の中央では、瞬と時深が未だ睨み合っている。一瞬こちらをちらっと見た時深がほっと溜息をついていた。
一方の瞬は軽く舌打ちをしながら苛立たしげに剣を振り下ろしている。
「あの時の妖精か……ふん、小賢しいマネを」
「行きますよ!『世界』っ!」
「……フン」
叫ぶと同時に、時深の周りに巨大な白銀のオーラフォトンが発生する。それはエトランジェ特有のもの。
光陰も今日子も使っていた。しかしその規模が悠人の知っているものとは桁違いだった。頭の中が色々な情報で混乱する。
(『世界』? エターナルって何だ? あの力は……)
そしてつまらなそうに呟いた瞬が展開する黒いオーラフォトン。それもエトランジェの遥か上を行っていた。
圧倒的な力がぶつかり合う。悠人にとっては状況が全く掴めないまま、時深と瞬の、人智を超越した戦いが始まった。

白と黒の巨大なオーラフォトンが激しくぶつかり、火花を散らす。
悠人には、それだけしか視えなかった。時折霞の様に見え隠れする二人が辛うじて目に飛び込んでくるだけだった。


「……まだ、やりますか」
気づいた時には、一度離れた二人が再び睨み合っていた。
「ふん、まあ良かろう。この場は退く。この身体も、未だ目覚めきってはいないようだ」
時深の静かな問いかけに、ようやく剣を下ろす瞬。その視線がふいにこちらに向いた。
しかしその赤い瞳は悠人の方を見てはいない。『世界』と同化した瞬にとって最早悠人は相手ではなかった。
「妖精、二度までも我の邪魔をした報い……いずれ受けてもらうぞ」
ばさぁっ! 漆黒の巨大な翼を翻した瞬の周囲に突風が吹き荒れる。
そうして瞬は飛び去っていった。

胸に手を当て、ふぅ、と小さく息をついている時深に悠人は呼びかけた。
「時深……どうして時深が?」
「話は後です、ユートさん。取りあえずここを出ましょう」
瞬が飛び去った後に出来た大穴を見上げながら、時深が促す。見ると、確かにいつ崩れてきてもおかしくなかった。
「ああ、でも、ちゃんと後で話してもらうからな」
「ええ、それはもう。私もユートさんに訊きたい事が沢山ありますから」
時深は言ってにっこりと笑った。