紅蓮の剣

 ──門が開く前日、佳織は、悠人の背中を押してくれた。
 それでもう、悠人は決めた。皆が自分を忘れることへの覚悟もした。
 辛くないわけがない。だがそれでも悠人は皆を護りたかった。例え皆の笑う場所に自分がいなくても。
 別れは辛い。
 だが、その痛みよりも大切なものを護りに行く。
 
 そして、門の開く当日早朝。悠人は早朝の城下町を歩いていた。
 目的があってのことではない。ただ行く前に、もう一度この町を眺めておきたいと思った。──と、
「おう、珍しいな悠人。朝に弱いお前が」
「お前は相変わらず早いな。散歩か?」
 ああ、と光陰が頷く。修行中の身だからな嘘つけ生臭坊主んだとぉ、と他愛もない会話を交わしながら歩く。
 足は自然と高台へと向いていた。ここからは、目覚め始めた町の風景が見える。
 人々の生きる意欲が漲り、それが明日も在ると信じている場所。
「いい町だな、ここは」
 光陰の呟きに、ああ、と悠人も答えた。かつて嫌い、けれど自分達が護ってきた場所。
「──俺達な、こっちの世界に残ることにするわ」
 世間話でもするかのように光陰が切り出した。そうか、と悠人は頷く。
 予想はしていた。光陰も今日子も、長く戦いの中に身を置いてきた。
 その中で見てきたこの世界を、このままにはしておけないのだろう。──自分と同じく。
「何だそっけない。もう少し驚いてくれてもいいんじゃないか?」
「馬鹿言え。長い付き合いだからそれくら分かってるさ。……だから。光陰も分かってるんだろ?」
 悠人の問いに、光陰は、ああ、と答えた。同じだから、分かっている。
「エターナルになるんだな」
 悠人は沈黙で答えた。やっぱりなぁ、と光陰が空を仰ぐ。

「……結局、俺はお前に勝ち逃げされるのか」
 光陰が、ふとそんなことを口にした。勝ち逃げ?と悠人は問い返す。
「今日子な、お前に惚れてたんだよ」
 へ、と思わず間抜けな声を上げた。気付いてなかったかこの馬鹿は、と光陰が苦笑した。
 言われてみれば、と思うことはある。マロリガンとの戦いを終えた時のあれも──
 今日子がああすることを望んだのが、光陰ではなく自分だったことの理由を考えるのは、自惚れだろうか。
「まぁ、ともかくな。今日子はお前が好きだったんだよ。で、俺は今日子が好きだった。
 前に言ったろ、白黒つけなきゃならんことがある、って」
 ああ、と悠人は思い出す。マロリガンで、エーテル変換施設の暴走を二人で止めた時のことだ。
「つまりそういうこと。いつか、自力で今日子を俺に振り向かせるつもりだったんだが、な。
 お前一人、遠いところに行っちまう。今日子がお前に抱いてた気持ちも持って行っちまうんだ」
 光陰は遠くを見る眼で言う。すまん、と悠人が言うと、何で謝る、と苦笑された。
「どうしようもないことだからな。……ま、お前の分まで今日子は護らせてもらうことにするさ。
 それはそうとして、お前のほうこそ、本当にそれでいいのか?」
 一転、真剣な色を瞳に宿して光陰が問う。
「いいのかって……何がだ?」
「佳織ちゃんとは色々ケリつけたみたいだけどさ。昨日の夜見かけた時、吹っ切れた顔してたからな、あの子。
 だからそっちはいいとして、だ。ヒミカはどうするつもりだ? お前、あの子のこと好きなんだろ?」
 ドクン、と心臓が高鳴った。それを気取られないようにしつつ、何でそう思う、と問い返す。
「分かるさ。伊達に恋する男やってないからな。……いやまぁ、皆気付いてると思うがよ。
 特にお前ら二人の戦う姿は、まるで一人で戦ってるみたいに息ぴったりだ。見てて恥ずかしいぐらいに」

 そうなのか、と悠人は答えた。確かに自分とヒミカは、強い信頼関係で結ばれている。
 しかし好きかと問われれば、
「……好き、なのかなぁ。俺は。どう思う?」
「いや何で俺に聞く」
 エヒグゥが耳で空を飛ぶのでも見たかのような凄い顔をされた。
「いやほら、向こうじゃ佳織との生活で一杯一杯だったし、こっち来てからも戦ってばかりだったからな。
 恋愛とかする暇なかったから、誰かを好きとか愛するとか、そういうのは、こう、……良く分からない。
 だから、俺がヒミカを好きかどうかも分からないんだ」
「この馬鹿朴念仁」
 ぺしん、と平手で額を叩かれた。悠人の抗議より先に光陰は言った。
「言ったろ。お前らな、傍から見てると完璧に出来上がっちゃってるんだよ、既に。
 難しく考える必要なんてないだろ。これが『そうだ』、って思ったら、それが『そう』なんだよだ」
「そんなものなのか?」
 余りにも投げ遣りな光陰の言葉に、悠人は困惑する。それでいいのだろうか。
「そんなもんさ。俺が今日子を好きだって感情も、それがどういうものかは言葉では言えない。
 頭で考えても分からないものだしなぁ、そういうのは。だから、あー、そうだな」
 光陰が腕を組んで難しい顔をする。彼の言う、『言葉に出来ないもの』を言葉にしようと考えているのだろう。
「そう、何となくでいい。それが愛だと思い込めて、その上でそれをなくしたくない感情だと思えるなら──
 きっと、それが好きってことだと思う」
 光陰はそう言って空を見る。
 朝の青空。だが光陰の眼には、多分、今日子が映っている。

「そんなものなのかな……」
 悠人は自問する。ヒミカへのこの感情の名は何と言う。そしてその感情は喪いたくないものか否か。
 名前はまだ分からない。ただヒミカのことは、確かに大切だった。
 そしてその想いは、真実、喪いたくなどない。
 ならこれが誰かを好きになるということなのか。──さぁ、どうなのだろう。
「ま、そう思い悩むもんでもないさ」
 黙りこくってしまった悠人の肩を、ぽんぽんと光陰が叩いた。
「けど、ちゃんとけじめだけはつけとけよ。うやむやのうちに別れたんじゃ、それこそ意味がない」
「それは、分かってるさ」
 そう、分かっている。
 どうしたって、別れの時が来ることに変わりはないのだから。
 
 早朝、ヒミカは訓練所にいた。足元には木で出来た何かが転がっている。
 元は人の上半身を象った木偶だったそれは、既に原形を留めていない木の塊に成り果てている。
 ヒミカの手には〈赤光〉ではなく、中ほどで折れた模擬戦用の木剣があった。
 ……壊してしまったが、怒られるだろうか。
 汗の浮いた額を拭いながら、ヒミカはそんなことを思った。
「────ヒミカ」
 その背に、聞き慣れた声が届いた。

「ナナルゥ。何か用?」
 振り返ると、髪の長いレッドスピリットが立っていた。
 呼んでおきながらナナルゥは無言だった。ヒミカは首を傾げ、自分の足元に転がっているこれのことだろうか、と思った。
「ちょっと力入れ過ぎちゃったわ。まだまだね、私も」
 苦笑して見せるが、それでもナナルゥは反応を示さない。
 元々感情を表に出すことがない少女だから、これくらいはいつものことと言えるだろう。
「それで、何の用? 呼んだだけなら、私もう戻るわよ」
 壊れた木偶をとりあえず脇のほうにどけるため持ち上げながら、ヒミカは言う。
 後で捨てに行かなくては。そんなことを考えるヒミカの耳朶を、ナナルゥの声が震わせる
「──良いのですか」
 ぴたりと。短い言葉は針のように、ヒミカの歩みを縫い止める。
「……何が?」
 淡々とした声でヒミカは木偶を訓練所の脇へと放り投げた。放物線を描き、ぐしゃりと落下する。
「ユート様のことです。ヒミカはあのままで良いのですか」
 それ以上に淡々とナナルゥは言う。それはいつものナナルゥと同じ調子で、けれど微妙に違う。
「だから何が。具体的に言わないと分からない」
「では言いますが。ユート様とこのまま別れてヒミカは平気なのか、ということです。
 私はあなたのユート様に対する想いを理解しているつもりです。それを告げないまま見送るのですか?」
「随分饒舌ね」
 気付かぬうちに皮肉げな笑みを浮かべて、ヒミカは言っていた。

「饒舌ついでに言わせて貰うなら。正直、今のヒミカとユート様は見ていて不安です。
 おそらく私だけではなく、皆も心配しています。あなたのユート様に対する想いは、多分皆知っている。
 どうかすれば、今のあなた達は、かつての戦場での在り方より危なっかしい」
 やはり淡々と告げられるナナルゥの声が、だからこそヒミカの心を抉る。
 敢えて意識せずにいたことが、仲間の口から言葉となって自分を責める。ぐぅ、と胃が重くなる思いがした。
「──かもしれないわ。でも例え私が想いを伝えたとしても、そんなのユート様の重荷になるだけでしょう?
 ユート様は自ら望んで力を手にしようとしている。それを、私が邪魔することなんてできない」
「それは戦士としての言葉でしょう。では『あなた』は? ヒミカ自身は、それでいいのですか?」
 ヒミカは何か言おうとして──結局口を噤んだ。良くはない、と戦士ではない自分は言っている。
 それは事実上の敗北宣言だ。
 ヒミカはナナルゥへの、否、自分への言い訳も持ち合わせていないということなのだから。
 ナナルゥは尚も言葉を重ねる。
「このまま忘れて良いのですか。大切だと思う人のことを、全て。
 忘却してしまえば、痛みはないでしょう。それすらも忘れてしまうから」
「その通りよ。どうせ忘れてしまうんだもの。何を言ったって、意味が──」
「どうせ忘れてしまうから何も言わないのではなく、忘れてしまう前に、告げようとは思わないのですか」
「………………」
 どちらにせよ意味がないのなら──それを無に貶める前に、全て吐き出してみろ、と。
 ナナルゥは、そう言っているのだ。
 ──それでも。

「ユート様を縛るような真似は、やっぱりしたくない」
 それは紛れもなく本当の気持ちだった。自分は、彼の決意を踏み躙ることなどしたくはない。
「……それが、──それも、本当の気持ちですか」
「ええ。離れたくない。でもそれは私の我儘だから。そんなもので、ユート様の決意を穢せない。
 だから何も言わないの。私は戦士のままで、彼を送り出す」
 それが決意。その言葉で、ヒミカは自分というかたちを決める。
 言うべきことを全て告げ、ナナルゥの側を通り過ぎる。
 その背に。
「ですがユート様は、一体どちらのあなたを求めているのでしょうね」
 ヒミカの動きが、止まる。無音が訪れ、数秒を挟んでヒミカが息を吐いた。
「変わったわね、ナナルゥ」
「皆、変わりました。ユート様がいたから」
 そうね、と短く答え、ヒミカは訓練所を後にした。
 
 第一詰所、第二詰所のメンバー全員で、佳織との最後の食事が行われた。
 誰もが別れを惜しんだ。オルファとネリー、シアーは佳織と一緒に大泣きしていた。ヘリオンも一緒に泣いた。
 セリアやナナルゥはいつもと変わらぬ表情で。ハリオンも優しい笑顔のまま佳織を送り出す。
 ファーレーンの後ろに隠れていたニムントールは、姉に背中を押され、赤い顔のまま佳織と握手をして別れとした。
 最後に、佳織はヒミカに向き直った。
「ヒミカさん、お兄ちゃんのこと、よろしくお願いしますね」
 寂しげな笑顔と共に言われたその言葉に、ヒミカは強く頷いて見せた。
 例え護るべき時に、最早自分が彼のことを覚えていないと分かっていても。

 ……夜の帳が降りた。
 佳織を送り出して、数時間後。ヒミカは悠人の部屋の前にいた。
 時深が指定した時間まであと二時間。ヒミカは何となく、悠人がここで時を待っていると分かっていた。
 ドアの前に立ち、一度息を吸う。自分のやるべきことを確認する。
 ──別れを告げる。
 ヒミカは、そう決めていた。
 彼を引き止めることはしない。戦士としての自分で、悠人を送り出す。
 無論、本当はついて行きたかった。自分も共にエターナルになり、共に戦うのが、ヒミカが真に望む道だ。
 そしてそれは許されぬ道でもある。ヒミカ・レッドスピリットは、エターナルにはなれないのだから。
 理由は二つ。一つ目は単に、自分の持てる永遠神剣の空きがないということだ。
 時深が言うには、カオスエターナルの保管する永遠神剣は、既に持てる者が決まっているのだという。
 席が埋まった状態で座れる訳もない。
 二つ目の理由は──ヒミカ自身の力が足りていないということ。
 アセリアやエスペリアなら兎も角、ヒミカの力では届かない、と時深に言われた。
 ヒミカは、アセリア達より弱い。またレッドスピリットなのに、神剣魔法もあまり得意ではない。
 そんな自分がこれまで戦ってこれたのは、力差を埋める戦闘経験と、命を顧みない戦いのスタイル故だ。
 共に戦う仲間が、護りたい仲間が自分の後ろにいたからだ。
 単騎で戦えるほど強くはない。それこそ、命を賭けでもしない限りは。
 ……ヒミカには、悠人と肩を並べるだけの資格がなかった。
 だからせめて、ヒミカはきちんと悠人を送り出そうと決めたのだ。彼が未練なく、旅立てるように。
 ──それでも半ば自覚している。そう改めて決意しなければならないくらい、自分の想いは強すぎるのだと。
 息を吐いた。ちゃんと別れる。頭の中でそう繰り返し、ヒミカはドアをノックした。

「ユート様、よろしいでしょうか」
 いいよ、と答える声。失礼しますと控えめに声をかけて、ヒミカは部屋に足を踏み入れる。
 部屋の明かりはつけていない。光源は窓から差し込む月光だけだ。
「隣、よろしいですか?」
「ああ、構わない」
 ベッドに座る悠人の横に、ヒミカは腰を下ろした。
 ……暫し、沈黙があった。窓の外から、夜風が優しく木々の間をすり抜ける音しか聞こえない。
「行かれるのですね」
 言葉に、悠人はああ、とそれだけ答えた。
「行ってくる。皆を──ヒミカを、護りたいから」
 決然と悠人は告げた。──そう決めたのだ。
 その決意の強さをヒミカは知っている。己の半身である佳織と別れてさえ貫こうとしている決意。
 だから、それを阻害することは許されない。
 悠人の決めた道をただの我儘で邪魔することなど、彼の剣として生きる自分は許可しない。そう決めてここに来た。
 ──それでも、この胸を灼く想いは本物なのだ。
 滑稽だとも思う。戦士であるべく生きてきた自分が、今はただの少女と変わらない。
 それを悪いとは思わないけれど、今自分の心を苦しめているのは、その女としての恋慕だ。
 辛い。心が痛い。別れたくない。ずっと一緒にいたい。
 彼が自分の中から消えてしまう恐怖を知って、ようやく気付いた──気付けた、想い。
 自分は、ただこの人を支えたかったのではない。
 ただ、そう、本当に、自分は。
 
 ……この人を、心の底から愛している。

「──、本当に、」
 きゅ、と膝の上で拳を握り固め、肩を縮こまらせる。そうでもしないと、何もかもを吐き出してしまいそうで。
「本当に、行ってしまわれるのですね」
 心の奥底の、燻る炎のような気持ち全てを押さえつけて、ヒミカは言葉を搾り出した。
 口を閉ざそうとして、身体が震える。駄目だ。それ以上喋っちゃいけない。それは彼を困らせるだけだ。
 忘れるな。自分は別れの挨拶をしに来たのだ。心配をかけぬよう、戦士として毅然とした態度で送り出そうと。
 この想いを。『ヒミカ』という、身勝手な自分自身を押し殺してしまおうと、あれほど強く決めた──のに。
「──私を置いて、行ってしまうのですね」
 口にしてはいけないことだった、のに。
 音として外に出た想いは、再び自分の中で反芻され、心を強く揺り動かす。
『ですがユート様は、一体どちらのあなたを求めているのでしょうね』
 ナナルゥの言葉が、朝からずっと耳の奥で残響している。
 そんなの、駄目だ。(行かないで)
 ユート様を困らせるだけだ。(行かないで下さい)
 彼の選んだ道を穢してはならない。(私を置いていかないで下さい)
 笑顔で見送ると、ちゃんと決めて来たはずだ。(私を、)
 なのに、(私を、)
(私を、選んで欲しいのに……!)
 どうしてどうして。この胸の内の火は消えてくれないのか。
 心臓が痛い。嗚咽となって零れ落ちそうな想いを七度、殺した。それでも尚荒れ狂う感情が、自分を内側から灼いていく。
 見苦しい。この少年がどう答えるかなど、一緒に戦ってきた自分に分からないはずがないのに。
 なのに──彼が自分と一緒にいることを選んでくれるだなんて、まだそんな叶わぬ願いを抱き続けている。

「……それでもだ、ヒミカ」
 悠人の声が優しく耳朶を叩いた。びくっと、怯えるように心臓が跳ね上がった。
 次に来る言葉を予感し、ヒミカの視界は水を落とされた水彩画のように滲んでいく。
「それでも俺は行くよ。ヒミカに忘れられても、俺はヒミカを護りたい」
 
 ────────ああ、
 本当。本当に。そう彼は言うと、ちゃんと分かっていたはずなのに……!
 
「ッ!?」
 悠人の驚く顔が視界一杯に広がり、直後、世界が九〇度回転した。
「────私はッ!」
 悠人の身体を押し倒し、その腹の上に馬乗りになり、ヒミカは叫んだ。
「私は忘れたくなんかないんです……!!」
 理性の堰が切れる。一度流れ始めた感情は濁流のように、留まることを知らない。
 我儘な想いが彼を戸惑わせるだけだと理解していても。
「ユート様、私は離れたくない。ずっと、ずっとずっとずっとずぅッとあなたと一緒にいたい!
 共に在りたいんです。これまでのようにこれからも、共に戦いたいのに──!」
 服の襟を掴んで彼を引き起こしながら、情愛と、哀切と、苛立ちと、憎悪すら込めてヒミカは叫ぶ。
「あなたは、一人で遠くへ行ってしまおうとしている……!」
 顔を俯かせる。瞼を強く閉じて、自分の全てを叫び続ける。
「ユート様を止めることなど、私にはできません。あなたはこの世界を救おうとしているのだから。
 そのために、ユート様が自ら決めたことを、私の我儘で止めることなどできない! でも──」
 でも、でも──と。くるくる、くるくる、何度も戦士と女が入れ替わる。

「『私』は、離れたくないんです……!」
 ぽたりぽたりと、悠人の顔に暖かい雫が落ちる。──それは初めて見る、ヒミカの涙だ。
 自分を押し倒している少女は、いつも見る戦士としての少女ではなく──ただ、普通の女の子に見えた。
 ヒミカが激しく頭を左右に振る。泣き喚く子供と同じ、恥も外聞もない仕草。
 けれどそうであるが故に、彼女のその涙は、その言葉は。何よりも真っ直ぐで、強かった。
 ヒミカの手から力が抜ける。悠人の身体がベッドに受け止められ、胸の上に蹲るヒミカの額が落ちた。
「ユート様、私は、私は……わたしは!」
 口にするべきではないと、どこか冷静な自分が見ているのをヒミカは感じた。
 想いは力だ。同時に鎖でもある。今、自分が発している言葉は全て、少年を拘束する縛鎖でしかない。
 それでも──伝えずには、いられない心。
 
「私は、あなたを愛しているんです……!!」
 
 戦士であると誓ったはずだった。皆を護る剣であると誓ったはずだった。
 なのに、この少年が現れてから、それらは全て過去になった。
 皆を護る剣は少年のための剣となり、今の自分は戦士ではなく一人の少女に過ぎない。
 今は、ただ、この人が愛しくて愛しくて──だから、やがて来る別れが、無尽の刃となって心を切り刻む。
 ……愛してしまったのだ。
 最早堪えることも偽ることも出来ない気持ちを、胸に抱いている。
 喪いたくない、と。例え世界が滅んでも、この想いを忘れたくないと。
 ──心の底から、そう思う。
「ユート様……! 大好きです、ユートさまぁ…………!!」

 胸の中で嗚咽を上げる少女は、触れれば折れる花のようにか弱く見えた。
 愛していると告げて、ヒミカは火が付いたように泣きじゃくり続ける。
 初めて見る顔。初めて聴く声。鉄火の戦場に立つ妖精の、ただの少女としての──涙。
 嗚咽に震えるその身体を、悠人は。
「……俺は、」
 きゅ、とヒミカを優しく抱き締めた。──温かい。
 雨の中でも感じたその熱を、悠人は二度と離したくないと思った。
 忘れられたくない。それを、願わなかったはずがない。
 自分だってそうなのだ。自分だって本当はずっと一緒にいたい。ずっとこうしていたい。
 ずっと ここに いたい。
 それは自ら捨てた願いだ。その代償に力を求めた。少女を護り、少女のいるこの世界を護るための。
 別れたくないという想いが本物なら、そう力を欲していることも真実。
 それを今更、嘘になんてできない。
 護ると誓った自分を、護る力を求めた自分を、なかったことになんてできないから。
 そこまで強く思うほどに──この胸に抱いた温もりもまた、強かった。
 悠人は腕に力を込めた。ただ強く、ヒミカの身体を抱き締めた。
 ……理解ではなく、感じていた。今なら言える。確証はないけれど、間違いではない想い。
『そう、何となくでいい。それが愛だと思い込めて、その上でそれをなくしたくない感情だと思えるなら──』
 ──ああ、そうだとも。
 少女が自分を愛してると言ったように。
 自分もこの少女を愛していると言える。

「俺も……ヒミカが好きだよ」
 口にすればするだけ、身を引き裂く細い銀の糸。
 それを悠人もヒミカも分かっていて、それでも言の葉にして伝えたい想い。
 畜生、と悠人は呟いた。
「大好きだよ、俺も。離したくなんかない、別れたくなんかないんだ!」
 ──私を、放さないでください。
 不意に、雨の森で聞いた彼女の言葉が蘇る。
 ああ、放したくなんかない。
 放したくなんか────なかった。
「ユートさま、ユート、さ……!」
 嗚咽を一層募らせ、ヒミカは悠人の胸に縋りつくように、泣いた。
「ぅ、ぁ、あぁぁぁっ……! ぁ、ァ────────!」
 子供のように。
 
 ……しばらくして嗚咽は止まった。ヒミカは悠人に身を預けたまま、その心音を聞く。
 力強い音は生きていることの証明だ。自分はこれを護り、そして、護られてきた。
 そのことをたまらなく嬉しく思う。
 けど、その嬉しいという気持ちも、やがては消えてしまうものだから。
 ──だから。
「ユート様、私を抱いてくれませんか」

 ヒミカは顔を上げる。ヒミカ?と悠人は驚愕と困惑がないまぜになった顔をした。
「思い出の代わりに傷を下さい。私の心と身体に、深く」
 答えを待たず、ヒミカは唇を悠人のそれに押し当てた。
 戦場に身を置いてきた二人のそれは、どちらも水分が足りていない。
 それでも悠人には、硬い自分のそれと違い、ヒミカの唇をひどく柔らかく感じられた。
 味がないはずなのに甘いその触れ合いは、しかし短い。
 本当にそれは触れ合うだけの口付けだった。数秒、ヒミカの唇は離れ、ひどく熱い吐息だけが悠人の頬をすり抜ける。
 ヒミカが身を起こす。身体にかかっていたヒミカの重みが消え、悠人も半身を起こした。
「……私では、嫌ですか?」
 正座し居住まいを正したヒミカが、少し不安げな表情でそう訊いてきた。悠人は慌てて答える。
「いや、そんなことはないぞ! その……俺だって、嬉しいし」
 答えると、ヒミカは頬を染めて顔を俯かせてしまった。
 その仕草に、急激にヒミカの身体を意識してしまった。
 細い首、小さな肩、折れそうな腰、スカートとオーバーニーの間から覗く太腿。
 華奢なくせに強い弾性を持っていそうな身体のライン。──ヒミカの少女としての部分を、意識してしまう。
 身体の奥が熱くなるのを悠人は自覚した。
 一度意識してしまえば後は簡単。加熱されていく脳髄からは理性が蒸発し、後には獣欲しか残らない。
 でも、と悠人は必死に理性を掻き集めて、思考を落ち着かせる。
 ……ヒミカが何故、そう言ってきたかは分かる。自分達には、あまりにも時間がなかった。
 今、通い合わせた想いは、二人には遅すぎたのだ。
 恋人らしいことを何一つ出来ない短い時間の中で、せめて、この想いの証明を求める。

 けれど、別れるから抱く、ということを、違う、と悠人は思った。
「最後に、私の我儘を聞いてください。私を強く抱いてください。
 世界が私の記憶を消そうとしても、消せないくらい強い温もりを下さい」
 沈黙してしまった悠人に、懇願するようにヒミカは言う。
 この世界から悠人がいなくなっても、それでも尚残る何かが欲しいと。
 ……そんなもの残りはしないだろう。世界の修正から逃れる術はない。
 ヒミカにだって分かっている。それでも──いや、だからこそ、求めるのだ。今この時だけでも。
 残るものは何もない。それを理解した上でヒミカは悠人に抱かれることを望んだ。
 ヒミカが求める。悠人も求める。そこに、最早言葉はいらないはずだった。
 けれど──悠人には、ちゃんと言っておきたいことがあった。
「分かった、俺はヒミカを抱く。けどな、一つだけ言っとくぞ」
 はい、とヒミカが背筋を伸ばして続きを待つ。その瞳を見つめ返して、悠人は真っ直ぐに答えた。
「俺はヒミカと別れるから、最後だからって、ヒミカを抱くんじゃない。
 俺はヒミカが大好きだから、ヒミカを抱く。──それだけは、分かっていてくれ」
 悠人の言葉に、ヒミカは柔らかに微笑って答えた。
「──はい。私もそのほうがいいです」
 会話はそれで終わり。
 悠人は、ヒミカに覆い被さるように押し倒した。
 あ、という声。自分の下に組み敷かれたヒミカの肢体は、ひどく小さく見えた。

 ヒミカは微笑んでいるが、悠人から見ても分かるほど、手も首筋も緊張で固まっていた。
 それは悠人自身も同じことだ。固い唾を飲み込んで、ヒミカへと顔を近づけていく。
 ヒミカが瞼を閉じ、悠人がしやすいよう、僅かに顎を持ち上げた。
 悠人も眼を閉じる。視界は闇。けれど強く焼き付いた残像が、ヒミカの唇の場所を教えてくれる。
 ──唇が、触れ合う。
 二度目の触れ合いは、最初のものとは全く違う。
 唾液で湿り瑞々しさを取り戻したヒミカの唇は、荒れた悠人の唇を優しく受け止めた。
 その感触だけで心拍数が跳ね上がる。悠人はヒミカの唇を、啄むように味わっていく。
「は、ん……」
 悠人が僅かに頭の角度を変える。僅かに隙間が開いて、ヒミカが息を継いだ。
 鼻で呼吸する、ということすら忘れている。意識は全て相手の唇へと。
 もう一度角度を変えて、悠人はヒミカの唇に舌を捻じ込んだ。ん、とヒミカが肩を震わせる。
 エナメル質の硬い感触を舌先に感じる。そこから顎ごと少し上に向け、歯と歯茎の段差を這うように舌を左右に動かした。
 粘りを帯びた水の音と、漏れる息、服の擦れ合う音だけが、暗い部屋の中に聞こえていた。
 受け入れるようにヒミカの歯が小さく開く。すかさず、悠人はその中に舌を差し込んだ。
「んっ……!」
 逃げるようにヒミカの首が反る。だが悠人はそれを許さず、追い縋るように唇を求めた。
 背中と頭の後ろに手を差し込み、ヒミカの身体を持ち上げるように抱き締めた。
 同じようにヒミカも悠人の背中に手を回し、腕に力を込める。

 より強く、二人の身体が密着する。唇は溶け合うように重なり合い、唾液の泡が頬を伝って落ちていく。
 差し込んだ舌が濡れた肉に触れる。可愛らしく震えているそれもまた、悠人を求めてたどたどしく動き出す。
「ん、ふ、ぅん……ッ!」
 絡め取る。ちゅる、という音が頭蓋骨を通して聞こえた。
 唾液塗れの舌はそれ自体が別の生き物のようにお互いを求め合う。
 ずるりと喉の奥まで突っ込むように押し込んでいく。苦しそうな息が漏れるが離してやらない。
 神経が、熱い。
 舌から伝わる熱は火のようで、それは肌を焼いて下腹部へ収束していく。
 キスをしているだけなのに、ヒミカに感じる肉欲もヒミカに触れている嬉しさも全て熱へと変わっていく。
 我慢できない。唇の触れ合いだけでは物足りない。
 舌を引き抜いた。名残惜しそうに唾液が糸を引き、ヒミカは熱に浮かされたようにとろんとした瞳を向けてくる。
 荒い息遣いだけが聞こえる。
 力なく横たわるヒミカの服を脱がしていく。手袋状の手甲を外し、服に手をかけた。
 スピリットの服は腹の辺りまでジッパーがあって、下に脱がすように出来ている。
 ジッパーを下ろし、服を引く悠人の動きに応じるように、ヒミカが腰を浮かす。
 ……それは戦士を少女に戻す行為だ。ヒミカ自身を、優しく暴いていく。
 するりと爪先を抜けた服を、悠人は無造作に投げ捨てた。
 ヒミカの胸はサラシに覆われている。解く時間も惜しい。悠人はテーブルの上にあった果物ナイフを手に取る。
 ナイフの刃を上に向けて胸の間に差し込み、一息にサラシを縦に引き裂く。
 ぱらりとサラシが左右に割れ、ヒミカの白磁の肌が露になる。
 反射的に胸を隠そうとしたヒミカの腕を、悠人はそれより早く押さえつけた。

「…………ッ!」
 両腕の自由を奪われたヒミカが、抗議するように身をよじらせる。それを無視して、悠人はヒミカの身体を見た。
 窓に区切られた月明かりが差し込む中、ヒミカの肢体は白く細く、そして引き締まっていた。
 形の良い、さらしにきつく締め付けられていた胸は、悠人の手に少し余るくらいだろうか。
 触れれば震えそうなそれがどうしようもなく扇情的で、悠人はじっとりと自分の手に汗が浮くのを感じていた。
「……あまり見ないでください。私には、女の魅力がありませんから」
 ヒミカは顔を背け、羞恥と自嘲を綯い交ぜにした声音で言った。
 確かに押さえ付けた腕の感触は硬く、女性らしい柔らかさの代わりに筋肉の弾性があった。
 服の上からでは折れそうに見えた腰は、余分な脂肪を削ぎ、肉体を鍛えたがための細さ。
 触れれば折れる花の茎ではなく、打ち鍛えられた鉄の剣の力強さを持つ肢体。
 ヒミカの言う通り、女性らしさの薄い身体を──しかし、悠人は愛しいと思う。
 この身体で、ヒミカは仲間を護ってきた。自分を護ってくれると言った。
 そしてまた自分も護ったのだ。傷一つない白い肌を見て思う。
 マナで構成されるスピリットに、長く残る傷など出来にくいが、それでも思った。ちゃんと護ってこれたんだな、と。
 組み敷いていた手を離す。ヒミカはもう隠そうとはしなかった。
 右手で優しくヒミカの頬を撫でる。指先を髪に埋めると、自分と同じ、硬い髪質が皮膚を撫でた。
 潤んだ瞳のヒミカにまた口付ける。唇を離さないまま、胸に右手を這わせた。
 薄く汗ばんだ柔らかな肌に指が吸い付く。力を入れれば、逃げるように指が沈んでいった。
 手の平に伝わるやけに早い拍動は、そのまま悠人の身体に浸透して熱を上げていく。
 唇を重ねたままのヒミカが、肌を這い回る無骨な手に喉を反らせた。
 その反応と感触を愉しみながら、人差し指と親指でその頂点をつまんでみた。

「ひっ……!」
 こねるように指先で弄ると、それだけでヒミカの全身が丘に打ち上げられた魚のようにびくんと強く跳ねた。
「ヒミカ?」
 過剰な反応に悠人は唇を放し、名を呼んだ。
 ヒミカの手は、ベッドのシーツを血管が浮き出るほど固く握り締めていた。息は荒く、せわしなく胸が上下している。
「ご、ごめん。痛かったか?」
 焦る悠人に、いえ、とヒミカは答え息をついた。
「人に触られるのは初めてなものですから……自分で触ったことも、あんまりないのですけれど。
 それに──なんだか、身体が敏感になってる、みたいで」
 恥じるようにヒミカは顔を背けた。髪に紛れて見えた耳は茹で上がったみたいに真っ赤だ。
「その……ヒミカさ、自分でしたこととかもなかったりする……?」
 控えめな悠人の問いに、ヒミカは自分の肩を抱き、はい、と頷いた。
「ユート様を好きになる前は、そういうことには興味もなかったし、余計なものだと思っていましたから。
 あったのは知識だけです。だから──ユート様が、何もかも初めてです」
 はじめてです、と言ったヒミカの顔は仔犬のようで……何と言うか、卑怯だった。
 自分が唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。当たり前のことを今意識する。
 研ぎ澄まされた、一片の曇りもない、透き通ったガラスのような身体に──これから自分が爪を立てる。
 その事実はひどい罪悪のように思えて、けれどこの上なく甘美な誘い。
「……俺、ヒミカを抱くからな」
 逸りそうな本能を抑えて、自分への言い訳のように言い、悠人はもう一度ヒミカに覆い被さった。

「ん……」
 舌先でじゃれあいながら、悠人は包み込むように胸を愛撫する。
 小刻みに痙攣する肌。ヒミカは元々敏感なたちなのかもしれない。それとも緊張のせいだろうか。
 刺激過ぎないよう優しく触れていく。控えめな丘の上の右手を、下へ。
 上下する肋骨の本数を数え、脇腹を撫でながら腰へと至る。
 悠人の手が向かう場所を察して、ヒミカの身体がまた硬くなる。だが抵抗はない。
 硬い太腿を撫でながら、手を内側へ、ヒミカの不浄へと滑らせていく。
 反射的にヒミカの両脚が閉じようとする。離れようとした唇を逃がさず押し付け呼吸の権利すら奪った。
 人差し指を、穢れを知らない少女の秘所へと滑り込ませていく。布越しに触れる柔らかさは、僅かに湿っていた。
「っん、ヒミカ、もう感じてる?」
 唇を離し、囁くように言う。ヒミカは顔を背けた。赤い頬に唇を落とし、谷をなぞるように指を動かす。
 白い喉が、くん、と仰け反った。頑なだった脚から力が抜けたのをいいことに、上から下までつぅ、と指を滑らせた。
「っ、……!」
 ヒミカの手はシーツを握っている。ひっ、ひっ、とすすり泣くような吐息を耳で感じながら、悠人は指を往復させる。
 指先に感じる水分が多くなる。ヒミカのそこはひどく熱かった。
 一旦手を離し、悠人は上半身の服を脱いだ。内部からの熱による、額に浮いた汗が頬を流れた。
 ヒミカは胸を上下させながら、自分の上の悠人の身体を見た。
 逞しい身体は、ここに来たばかりの頃の、頼りない少年のものとは違う。
「脱がすよ」
 下着に手をかけながら、悠人が言う。ヒミカは胸の上で手を重ね、こくりと頷いた。

 するりと下にずり下ろしていく。離れる時、布と身体の間に糸を引いていたのが夜目にも分かった。
 触れると、つぷ、と柔らかい肉に指が沈んで、包み込まれる。
「くっ、ン……うぅう……!」
 柔肉の中で指を上下に往復させる。ストロークに応じて、押し殺そうとして殺せていない呻きが漏れた。
「だめ、ゆー、駄目です。こんな、こん、ぁっ……! あたまが、ヘン、に……!」
 ヒミカは歯を食いしばって、自分の中に芽生えた覚えのない感覚に耐えた。
「しらない……! こんなのしらないです、じぶっ、自分が、いなくなり、そうで……!」
 身体の成熟とは裏腹に、ヒミカの性感は幼かった。悠人の一挙一動に、慣れない身体は過剰に反応した。
 水音は多い。零れ落ちた液体がシーツを汚していく。
 無意識の内に、ヒミカは自ら腰を悠人の指に押し付けるように動かしていた。
 ヒミカは満足に息を吸い込むこともできないのか、喘息のように激しく、短い呼吸を繰り返している。
 激しく頭を左右に振り、唇の端から飲み込みきれなかった唾液が零れていく。限界が近いのは悠人にも分かった。
 悠人は愛撫する手を一瞬止め、一気に上へと擦り上げ──露になった肉芽を弾いた。
「ひッ────ぃぃぅぁああぁあああ……ッ!」
 悠人の指から見えない糸でも伸びていたかのように、ヒミカの腰が持ち上がって震えた。
 全身を限界まで反らし、足を突っ張らせ、びくんびくんと全身が跳ね続けた。
 
 ……しばらく痙攣を続けていた肢体は、自らの体液で染みだらけになったシーツに沈み込んだ。
 それでも完全に収まったわけではなく、浅い呼吸に合わせて思い出したように身体が震える。

「あの、ヒミカ。大丈夫か?」
 やりすぎた、と内心冷や汗をかきつつ悠人が声をかけると、茫とした瞳をヒミカは向けた。
 ヒミカは一度深く呼吸し、そして改めて、言葉を発するための息を吸う。
「……はい、大丈夫です」
 言って、ヒミカは身を起こし、手をついてそのまま猫のように悠人の懐に潜り込んだ。
「うわっ、ちょっ、ヒミカッ」
 慌てる悠人を無視して、ヒミカは手間取りながらも悠人のズボンのベルトを外した。
「今度は私の番です。男の方も……ここを触ると、気持ちいいんですよね?
 その、知識としてしか知りませんから、問題があったら言ってください」
 今の状況が大問題な気がする。
 悠人が一時停止している間に、ヒミカはベルトを外してしまった。
「ん……もう膨らんでますね。凄く、硬い」
 下着の上からでも形が分かるくらいいきり立っているそれを、ヒミカは手の平で撫でた。
 優しい感触に、びくりと悠人の肩が跳ねる。ユート様?とヒミカが顔を上げる。
「あの、痛かったですか?」
「あ、いや、違う違う、逆だよ。その……気持ち良かった」
 なら良かった、とヒミカが安堵する。そして、失礼します、と言って、悠人の下着をずらした。
 拘束から解放されたそれが、ヒミカの目前で飛び出した。ヒミカは、きゃ、とらしくない悲鳴を上げる。
 数秒間、ヒミカはソレを見つめていたが、やがておどおどと差し出した手でそれに触れた。

(うぁっ……)
 柔らかな皮膚が擦れ、刺すような快感が背骨に突き刺さる。ヒミカが一度大きく唾を飲み込み、
「舐めるん、ですよね……」
 呟くなり、唾液に濡れた舌を這わせた。
「うわちょっとヒミカ待っ……!」
 そこから先は言葉にならない。ヒミカの舌の生暖かさが悠人のペニスを包み込んだ。
「んっ……んちゅ……ぅん、っぷぅ」
 ぎこちなく、だが情熱的に、硬くそそり立つ悠人のそれを舌全体で舐り上げていく。
 根元から余すところなく、几帳面とも言えるほどに、絡みつくように。
「ちょ、ヒミカ、ちょっとタンマ……ッ!」
 そのまま為すがままにされそうだった悠人が、堪らずヒミカを制止した。
「んぷっ……、ユート様、どこか至らぬところでもありましたか……?」
 手は放さないまま、不安げにヒミカが見上げてくる。
「いや、そんなことはないんだけど、ヒミカからそういうことしてくるとは思わなかったから」
「私だって、ユート様に悦んで欲しいです。さっきは私ばかりが気持ち良くなってしまいましたから。
 でも、何分不慣れですから。何処が気持ちいいか教えてください。言われた通りにしますから」
 その言葉と、飼い犬のように平伏したヒミカの姿に、ぞくりと悠人は背中を震わせた。
 鎌首をもたげた支配欲を抑えつけつつ、それでも悠人は自らの欲求に素直に行動した。
「ああ、じゃあ……舌先で、裏の筋みたいになってるところを舐め上げて」
「はい……」

 肘を付き、両手で保持しつつ、伸ばした舌先でつぅ──となぞり上げる。
「ッ……そう、次は、その傘みたいになってるところを……」
 ふぁい、と鼻にかかった声で答え、ヒミカは舌を雁首に巻きつけるように辿っていく。
 たどたどしいけれど懸命な舌遣いに、そして何よりヒミカがそれをしているという事実にまた昂ぶっていく。
「く、ぅ。そうそう……上手だよ」
「ふン──」
 ちゅるん、と舌を強く押し付けて、ヒミカが嬉しそうに目を細める。
 後ろに突き出した尻が揺れて、何となく、悠人は犬が尻尾を振るのを思い出した。
 ふと悪戯心が沸いて──悠人はそちらに手を伸ばした。
「んひゃ! ゆ、ユート様、何を……!」
 いきなり臀部に触れられてヒミカが抗議の声を上げる。いいから、と悠人は続きを促した。
「んゥ……ちゅ、ンン、ふ──ぅん。んんんっ……」
 さわさわと撫でられ続ける自分の尻を気にしつつも、ヒミカは舌を休めない。
「口に含んで……先端を、舌の先で弄ってみて」
 悠人の求めに答え、一度大きく息を溜めてからヒミカは唇で亀頭を包んだ。
 舌を細く窄め、その先端で鈴口を穿るように細かく動かした。
「ぅ、あ、ちょっとそれ、気持ち良すぎ……!」
 悠人はヒミカの頭を押さえながら、背中を丸める。それを見たヒミカは、仕返しとばかりに鈴口を弄り回した。
(あ、やば)
 ぞくぞくと、背筋を抑え切れない射精感が駆け上がる。
「ヒミカ、出る……ッ!」

「んんッ!」
 びゅくびゅくと白濁を吐き出しながら、ヒミカの口腔でペニスが跳ね回る。
 暴れる肉が上顎を打つ感触にそれを吐き出しそうになるのを、ヒミカは堪えた。
 溢れた分が口の端から零れ、シーツに落ちた。。
 動きが大人しくなったところでヒミカは唇を離し、顎を上向きにして喉を鳴らす。
「ン、ぐ──……ユートさまの、ヘンな味……」
 どこか恍惚とした表情で言い、顎を垂れた白濁を指で掬って舐めた。
 そしてああ、とぼんやりと視線を落とし、引かれるように上半身を倒していく。
 シーツに落ち、染みになりかけている精液に、犬のように、丁寧に丹念に舌を這わせ舐め取っていく。
 射精後の一時的な脱力からか、ヒミカの痴態からか、悠人はくらりと眩暈を覚えた。
 いや──前者では少なくともない。股間のそれはまだ足りないというように、全く萎えていなかった。
 大きく唾を飲み込み、悠人は静かに動く。ヒミカは執拗にシーツを舐め続けている。
 動きを悟られぬようにしながらヒミカの背後に回り込み──細い腰を両手で掴んだ。
 びくり、とヒミカの背中が震える。
 ヒミカのそこは、充分悠人を受け入れる準備ができていた。
 しかし触れる手の平からは怯えが小さな震えとなって伝わってくる。
 罪悪感が鎌首をもたげた。誰も踏みしめていない雪原のような少女の肌を、自分が穢していいのか、と。
「……大丈夫ですから」
 ヒミカが言う。俯いた顔は見えず、ただ耳だけが熟れた林檎のように赤い。
 それで吹っ切れた。悠人は小さく頷き、自分のそれをヒミカにあてがった。

「ん、っくぅ……!」
 全身で押し進むようにヒミカの中に入っていく。まだ入り口だけだというのに、とろけるような甘い熱が伝わってくる。
 さっき一度出していなかったら、とっくに果てていた。悠人は下腹部に力を込めつつ、更に進もうとする。
「んっ、ぁ……! まだ、入ってないん、ですか?」
 苦しそうにヒミカが喘ぐ。まだやっと亀頭が入ったばかりだ。
「ごめんヒミカ、もうちょっと我慢して……!」
 ぐ、と腰が沈み込む。先端に硬い抵抗感があり、そしてすぐにそれは弾けた。
「あっ、ぎ…………!」
 破瓜の痛みがヒミカを襲う。シーツを引き裂かんばかりに立てられた爪に、悠人は思わず動きを止めた。
「あの、本当に大丈夫か? 痛いなら──」
 言いかけて、言葉を止める。赤い髪の間からヒミカの眼がこちらを見ていた。
 口はシーツを強く噛み締めていた。痛みからか涙を浮かべた瞳は、しかし拒絶ではなく、懇願。
 悠人は何も言わず、根元まで一気に腰を沈めた。
「──んぉぉぉぉッ!!」
 堪え切れず、ヒミカが獣じみた叫びを上げた。唾液が口の端から溢れ、落ちていく。
 一度激しく跳ね上がった身体が、脱力するようにシーツに伏した。
「ぅ……ぉ……」
 ひくひくと痙攣しながら、ヒミカが浅い呼吸を繰り返す。だらしなく開いた口から息と一緒に唾液が零れていく。
 その呼吸に合わせて肉襞が動き、悠人のものを擦り上げる。
(や、ば)
 先程の舌の比ではない、融かすように包み込む狭い柔肉。
 さっき一度出してなかったらすぐに終わってたな、と思いながら、悠人はヒミカの腰を掴み直した。

「ヒミカ、動くぞ」
 言ってみたが返事はない。断りは入れたよな、と自己完結して奥まで入れていた腰を引いた。
 正直、ヒミカのことを気にしている余裕がなかった。
「ひっ、ぃ」
 意識は虚ろでも感覚はあるのか、動きに合わせてヒミカの身体が震える。
「……………………ヒミカー?」
 今度は茫としたままの瞳を向けてきた。入れた時の痛みで意識が混濁しているのだろうか。
(その割には──)
 抵抗感はない。今も、ヒミカの襞は奥へ奥へと引き込むように、悠人の先端を掴んで放さない。
 その様子に、悠人は少し悪戯心がわいた。抜く寸前まで腰を引き、
 ──ぱちゅんっ。
「んはぁぅ!」
 音を立てて打ち付けられた腰に、ヒミカが明らかな嬌声を上げた。
「あ、ぅ、あれ? ゆーと様?」
 ようやくちゃんと意識を取り戻したのか、ヒミカが困惑した様子で悠人を見上げてきた。
「おはよう、ヒミカ」
「あ、おは、おはようございま」ぱちゅんっ。「ふぅあっ!」
 またヒミカの身体が跳ねる。
「っは、ヒミカも気持ちいいんだ……」
 長いストロークで腰を前後させながら、意地悪く悠人が言った。
「や、そんなこっ、ないです……!」
 否定するヒミカとは裏腹に、繋ぎ目からは破瓜の血の色を薄れさせるくらいに愛液が滴り落ちていた。

「ひ、ぁ、ぁぅ、──んぁ」
 自然、腰の動きが早くなっていく。ヒミカの荒い息遣いだけが悠人の耳に届いた。
「は、っぅ、ゆぅ、ユート、さまっ、ぁ──」
 名前を呼ぶ声。気付けば、ヒミカの腰も悠人の動きに合わせて揺れ始めている。
「…………!」
 その、彼女からも求めてくれるということが、心臓が破裂しそうなくらい嬉しかった。
「ヒミ、カッ……!」
 悠人はペニスを引き抜き、ヒミカを抱え上げて横に転がした。
 仰向けになった身体に覆い被さる。何が起こったか理解していないヒミカを無視して、挿入した。
 か細い鳴き声を上げてヒミカの身体が弓なりに仰け反った。
 悠人は脚を持ち上げて、腰を前後させる。がくがくとヒミカの身体が揺れ、結合部から垂れた液体が下腹部を流れ落ちる。
「ゃ、あ……! 見ないで、くだ、さ……!」
 ヒミカは顔を隠すように両腕を持ち上げた。奥から漏れる息を出すまいと歯を食い縛りながら。
 だが悠人はそれを無理矢理引き剥がす。
 腕の下には──汗と涙と唾液でくしゃくしゃになった、情けない顔。
 それを、この上なくいとおしく思う。
 覆い被さって餓えた獣のように、ヒミカの唇を激しく貪る。
 瞼は決して閉じない。視線によるヒミカの訴えを無視し、至近距離で彼女の体温を感じ続けた。
 腰を動かすたびに汗に濡れた身体が擦れ合う。スライドする身体の感触は推進剤にしかなりえない。
 やがて、ヒミカが眼を閉じた。唇に感じた僅かな抵抗感は、拒絶ではなく、内に引き込むものとして。
 悠人の背中を、ヒミカの細い腕が這う。
 いいようのない愛しさが心臓を締め付け、
 ──それが喪われることを思い出して、血を吐く痛みに貫かれる。

「ヒミカ」
 消えてしまわぬように名前を呼んだ。強く叫ぶのではなく、返ってくる音が欲しかった。
 唇を離し、顎をヒミカの肩に乗せるようにしながら、強くヒミカを抱き締めた。
 やがてくる別れの前に、この体温を細胞の一つ一つにまで行き渡らせたくて。
 それをヒミカも感じたのか、悠人の背中に爪を立ててまで肌と肌を密着させる。
 間に何も挟まず、いっそ一緒に溶けてしまえばいいと望むように。
「ユート、さま。わたしは、」
 搾り出すように。
「わたしは、ここにいます」
 その言葉が、何より嬉しくて、何より寂しかった。
 だが、それでも感謝を。巡り合えて、共に戦って、こうして僅かな時間でも一緒にいられることに。
「っはぁ、ヒミッ、カ。ヒミカッ、ぁ……!」
 限界が近い。今にも好き勝手暴発しそうな股間を捻じ伏せて、もう一度、言った。
「好きだッ、ヒミカぁ……!」
 きゅぅ、とヒミカの膣が内側に向かって絞るように収斂していく。
「は、いぃ──す、き。わたしも、っぉ、だいすき、ぃぃ……!」
 ヒミカの脚が悠人の腰に纏わりつき、もっと深くもっと奥へとねだる。
「おくッ……! 一番、奥、で……!」
 求めに応えて、ごり、と骨盤を削るように一際強く突き入れ──脳裏で白く弾ける色を見た。
 びくびくと絶え間なく放出され続ける白濁が、ヒミカの最奥に注ぎ込まれる。
 長い射精を終えて、二人は脱力して重なり合い。
 そして、これで終わりなのだと知った。

 ──暗い森の中、ヒミカは言う。
「あの雨の中、あなたを抱き締めた時、私はナナルゥとハリオンに謝りました」
 二人は宵闇の中を並んで歩く。ヒミカはまだ痛みがあるのか、足取りがぎこちない。
 それを気遣って悠人は歩みを遅くしていた。──それも或いは、未練なのかもしれないけれど。
「謝ったって、何でだ?」
「あなたを護るためなら、私はあの子達を見捨てるだろうから」
「……そっか。でもそんなことにはならないよ」
「え?」
 顔を上げると、頼もしげな笑みを浮かべた悠人の顔。
「俺とヒミカで皆を護るんだからな」
「────はい」
 そうだ。
 彼は護る為に此処を去る。私は護る為に此処に残る。
 今ここで道を分かとうと、やがて再び同じ場所に立ち、同じ理由で剣を取る。
 ならば同じように、共に戦う時が来るだろう。仲間を護る為に。
 ……その時には、また彼の剣になろう。
 別れは辛い。
 だが、その痛みよりも大切なものを護りに行く。
 ──唐突に木々が少なくなり、視界が開けた。
 静かな空間のその真ん中に、時深が立っていた。

「本当にいいんですね?」
 ああ、と頷く。時深も頷きを返し、そしてヒミカに視線をずらした。
「ヒミカさん。あなたは、エターナルにはなれませんよ?」
「分かっています。ここには、見送りに来ただけですから」
「……いいんですか?」
 厳しい顔で時深は問う。
 見送りだけでいいのか、という意味ではない。
 悠人がエターナルになることを止めないのか、という問いでも無論ない。
 見送りに来てしまっていいのか、と。別れをより辛くしてしまっていいのかという問いだ。
 ヒミカはその意を汲み取った上で、強く、はいと答えた。
「──、そうですか」
 時深はそれだけ答え、後は何も言わなかった。
「悠人さん、もうすぐ門が開きます。こちらへ」
 時深は淡々と告げる。それは二人の別れを慮って、敢えてそうしているのか。
 悠人が一歩足を踏み出し、ヒミカは動かない。いつも並んで戦場を駆け抜けてきた二人は、ここで道を違える。
「それじゃあヒミカ、行ってくるよ」
 振り返って殊更明るく言う悠人に、はい、と答えてヒミカは笑った。
「それでは、また。お待ちしております、ユート様」
 送り出す声は凛々しく。この上なく、それはヒミカという戦士の声だった。
 ……『また』は、ヒミカにはないのだ。
 それでもヒミカは、別離ではなく再会の約束を以て、戦士としての自分で悠人を送り出す。

「ああ、またな、ヒミカ」
 悠人は軽く握った拳を突き出した。ヒミカもそれに応え、拳を上げる。
 コツンと軽く打ち合わせて、それで終わり。
 ……門が開く。
 大気が悠人のほうへ吸い込まれるように流れ、夜闇を照らす青白い光が灯る。
 光が、吹き抜ける風のようにヒミカの頬を撫でていき──
 それが納まった後には、ただ元の夜があるばかりで。
 ぶつけ合った拳に残る小さな痺れを余韻として、高嶺悠人という人間はこの世界から消えた。
 胸に残るのは僅かな悔いと痛みだけだ。それもやがては消えるだろう。
 時間によって癒えるのではなく、忘れたということすら忘れてしまう想いとして。
 悠人が消えてしまっても、ヒミカはまだ彼のことを覚えていた。
 いっそ今すぐにでも消えてくれれば良かったのに、と思う。いつ消えるともしれない想いを抱え続けていくよりは。
 踵を返す。もうここには何もない。誰もいない。帰って寝て、明日からはまた訓練をしよう。
 恐らくは、今までよりも強い力と意志を携え帰ってくる彼に置いて行かれないように。
 森の中を歩く。一歩ごとに下腹部に鈍い痛みと震えが走る。
 その痛みも、実らぬ子種も、やがて最初から存在しないように消えてしまう。
 エターナルになるとはそういうこと。世界にいた痕跡そのものが全て『なかったこと』にされる。
 傷すら、残すこともできずに。

 そんなのは嫌だ、と思う。
 忘れない。忘れない。忘れない。忘れない。
 私は絶対忘れない。皆が彼を忘れても、世界が彼を忘れても、私が彼を忘れても。
 彼の剣として、彼の傍で戦うことを。
 思い出を喪い傷も消え、世界の摂理というどうしようもない壁がそこにあっても。
 
 ──地獄に堕ちても、忘れない。
 
 一度だけ、ヒミカは振り返った。
 闇の中には何もない。自分を呼ぶあの声も、特徴的な髪型をした人影も。
 彼の姿を幻視することすら、ついぞ出来なかった。
 視線を戻す。歩み始める。
 その歩みの中で、彼女は一つのことを決めた。
 彼が帰ってきたら、ちゃんと、おかえりなさいと言おう──
 二つの誓いを胸に彼女は歩いていく。それを止めることはない。
 ヒミカは戦士としての自分を保ち、やがて見知らぬ誰かとなって出会う悠人を出迎える。
 足跡に涙の一かけらたりとも落とすことはなく、ヒミカは第二詰所へと帰っていった。
 
 夜空には金の月。
 雲一つなく、地上を明るく照らす。旅人が道を迷いなく進めるように。