朔望

nocturn -B

 §~聖ヨト暦332年レユエの月緑ふたつの日~§

隣から聴こえる、穏かな寝息。じっと瞼を閉じている横顔を眺めるだけで満たされてくる気持ち。
触れる肌の温もりが、心地良かった。顔にかかった少しくせのある蒼鋼色の前髪を、そっと払ってやる。
拍子にくすぐったいのか、くぐもった吐息を漏らし、頬を胸に摺り寄せてくる。半開きの唇が何かを呟いた。
長い睫毛がぴくぴくと動く。夢でも見ているのだろうか、その仕草が妙に子供っぽくてつい苦笑してしまった。
夜の、ひんやりした風が流れ込んでいる。剥き出しの白い肩に触れてみると、少し冷えている滑らかな肌。
枕元の窓が開いている事に気づいて、起こさないよう静かに身を起こした。
「…………ん?」
ぎゅっ。しっかりと握り締められている、右手。無意識にだろうが、細い指が固く絡み付いていた。
まるでもう離れないと決めたかのように。籠められた力に、愛おしさで胸が熱くなった。

すっかり寝静まっているサーギオスの城。悠人達はエーテルジャンプの準備が整うまで、ここで待機となった。
部屋の窓からは、果ての断崖と呼ばれる世界の終わりと先日までラキオス軍を阻んでいた秩序の壁が見える。
暗く深い断崖はどこまでも黒く、夜の闇との境界を濃くぼやかし、そのまま中空へと続く。
明滅している星々が、今日は気持ち少なく見えた。明るく照らす満月のせいだろう。ふと、詩を思い出す。
既に主を失い(元々居なかったのではあるが)、亡国となったこの土地にも、月は平等に輝く。
慈愛に満ちた表情で影を紡ぐ――ファーレーンはそう言っていたが、そう考えてみると月は酷く孤高に思えた。

「ん……ルゥ……」
微かに身動ぎしたファーレーンが、目を擦りながら上体を気怠げに起こす。目を覚まさせてしまったらしい。
悠人は窓から目を逸らし振り向いた。見上げてくるロシアンブルーの瞳。その瞳の奥に、月は映し出されない。
悠人は急に切なくなり、右手を引き寄せる。突然の抱擁に、しかしファーレーンは驚かなかった。
むしろ求めるかのように、悠人の腕の中に大人しく納まる。そこが居場所、そう告げているようだった。
お互いの存在を肌を通して確かめる。鼓動が重なり、優しい旋律を奏でた。