朔望

風韻 Ⅰ

 §~聖ヨト暦332年レユエの月緑いつつの日~§

レスティーナの戦争終結宣言から遅れて3日後。サーギオスとの戦いを終えた悠人達はラキオスへと帰還した。
国民は皆一様に永きに渡った戦乱の終止符が打たれたと喜びに湧いている。街はお祭り騒ぎが続いていた。
しかし肝心の事実――瞬が何か異様な変貌を遂げ、飛び去ったという事――はまだ伏せられている。
すでに大陸が統一されているこの状況で、瞬一人が残った処でどれだけの脅威なのかがまだ未知数だった。
終戦のどたばた(主に旧サーギオス領の占領・保護等の兵士達への引継ぎ)に忙殺されて先送りになっていたが、
今日こそは時深に話を聞こうと悠人は王宮の廊下を歩いていた。

時深は帰着早々レスティーナに拝謁し、賓師の待遇を受けている。事実上瞬を退けられたのは彼女の力だ。
近所の神木神社で出会った、どこか不思議な印象を受けた巫女の少女。介抱された時に見た、銀色の剣。
記憶がはっきりしてくるにつれ、あれは永遠神剣だったのだと今なら判る。
すると彼女もまたこの世界に呼び込まれた、所謂エトランジェなのか。しかし瞬と交わしていたあの会話。
何度か出てきた聞いた事のない単語。――――エターナル。あれは一体何を指しているのだろう。
英語なら…… eternal。必死に記憶の底から引き出す受験単語。確か、永遠とか、そんな意味だったような。
どこかへと去って行ってしまった瞬と彼女の戦いを思い出す。記憶を残像だけが駆け抜けていた。
それでいて、その桁違いの破壊力だけは鮮明に憶えている。どれも一撃が致命傷になってしまうような攻撃。
『求め』を得、スピリットですら敵わない力を持ってしてもその戦いに介入する事が出来なかった。
隔絶された“差”などという物では無い。対峙すれば次に待っているのは絶対の死。本能が怯えていた。

(その時深でさえ……瞬は互角以上に渡り合っていた。一体瞬に何が起こったんだ?)
あの、腕が一体化したような禍々しい形状の赤い剣。『誓い』は戦いの最中に瞬を「飲み込んだ」。
そして膨れ上がった神剣の意志。それはもう『誓い』の時とは「位」そのものまで違うプレッシャーを感じた。
あれは『誓い』では無いのだろうか。だとして、『求め』でその剣に対抗出来るのだろうか。
どちらにせよ今の瞬を放っておいていいわけが無い。悠人は一度唾を飲み込み、そして時深の部屋の扉を叩いた。

「悠人さんですね……どうぞ」
まるで来るのが判っていたかのような、時深の声。悠人は一瞬違和感を感じたが、そのまま部屋に入った。
相変わらず巫女服姿の時深が迎える。神社で会った時そのままの穏かな表情。軽くベッドに腰掛けていた。
「あ、あのさ……時深」
「秋月瞬は神剣の意志に同化しました。悠人さんが最後に見た秋月瞬……あれは永遠神剣第二位、『世界』の姿」
「な……」
「今の悠人さん……第四位『求め』では、対抗すら出来ません。それほど二本の間には隔絶された力の差が有ります」
まるでこれから訊ねようとした事を既に承知しているような物言い。悠人は座りかけた椅子から腰を浮かせていた。
「ふふ……座って下さい悠人さん。今お茶を入れますね。話は長くなりますから……」
ふいに表情を緩め、少し朱の混じった大きな瞳で覗き込みながら静かに立ち上がる。
悠人はまるで催眠術にでもかけられているかのように、大人しく椅子に腰を下ろした。
背中を向け、お茶の準備を始める時深。何をするでもなくその背中を見ている程に、違和感が強くなる。
こぽこぽとカップにお茶が注がれる音だけが辺りに響く。悠人は徐々にその重苦しい沈黙に耐え切れなくなった。
「なぁ、時深って一体……」
「エターナル、でしょう? そうですね、何からお話しましょうか……」
そしてまた、質問を先回りで答えられてしまう。悠人はどうしていいか判らなくなり、とりあえず黙って頷いてみた。
するとやはり、見えてもいない筈の時深が小さくくすっと笑うのが白い巫女服の背中越しに聞こえた。

時深の話を黙って聞いていた悠人は、途中で何度も手にしたカップを取り落としそうになった。
それは、もう想像の範疇というものを軽く超えた“真実”だった。現実に遭遇していなければ笑い飛ばしていた所だ。

エターナル――――それは永遠神剣第三位以上の持ち主が持つ称号だった。
歳も取らず、成長もせず。eternal。先程思い浮かんだ英単語の意味は、あながち的外れでもない。
広域存在とも呼ばれる彼ら(彼女ら)は、もう気が遠くなるほど昔から二つに分かれて戦い続けていた。
それも、この世界だけではなく、全世界、全時空の中で。あらゆる世界が彼らの戦場だった。
争点は、たった一つ。細かく分かれた神剣を一つに纏めるか、それぞれの意志従ってそれを阻止するか。
前者がロウ、後者がカオスというらしい。彼らは決して“表”には出てこない。常に歴史全体を操作する。
それでいてカオスにはその存在を歴史本来には影響させない、そんな不文律まであるというのだ。
そしてロウは、ここファンタズマゴリアを一つの戦場に選んだ。いや、この世界の神剣も、というべきか。
以前、エスペリアに聞いたことのある伝説の四人の王子。彼らの争いも、エターナルの仕組んだものだった。
それどころかファンタズマゴリアに人類が発祥する前からその準備は行われてたという。
「じゃあ、スピリットという種族も元々は……」
「ええ。神剣を効率良く回収する為に彼らが造り出した、道具に過ぎません」
「そんな……」
エターナルの時間の尺度というものは生身の人間には到底計り知れない物らしい。実際、想像もつかなかった。
目の前の時深が、もう何百年もの間、そうして戦って来た一人なのだと、目の前で説明されてもなお。

――――そして今回は、自分達が選ばれたという訳だ。このファンタズマゴリアでの、ロウの最後の仕上げとして。
ソーンリーム台地。聖地と呼ばれるそこには、この世界で最高位の剣『再生』が眠っている。
ファンタズマゴリアに存在する神剣のうち、『求め』、『空虚』、『因果』、そして『誓い』。
高位の四本を『再生』に回収し、その力でこの世界のマナを一気に纏め上げ、滅ぼす。それが彼らのシナリオだった。
時深やカオス陣営も色々と妨害してきたが、この世界の戦いでは最初から後手後手を踏んでいたらしい。
一つは、龍の存在だった。カオス陣営が創り出した門番が、他の世界からの侵入を有る程度阻害していたらしい。
ロウ側が仕掛けなければ防御出来ない、そんな人手が足りないが故の防犯思想が裏目に出た。
時の流れからすればホンの些細な出遅れらしいが、そんなものは実際この世界に生きているものには関係が無い。

「予定では、悠人さんの『求め』が『誓い』に吸収されなければ防げる“目覚め”でした」
「つまり俺が負けた場合って事か……でも実際、瞬は『世界』に飲まれちまったんだろ?」
「はい。彼の歪みは相当気に入られたようです。『誓い』の中で休眠状態だった『世界』が目覚めてしまった」
「そして取り込まれた瞬ごとエターナルになったって訳か……」
「いえ、まだエターナルには成りきれていません。それでも今は私の“視た”未来の中で、最も最悪な状況です」
「最悪って……それほど相手が強いってことだよな?」
「もう、防ぎようがありません。彼らは『再生』の暴走を既に始めようとしています。終末のマナ暴走を」
「何か……何かないのか? 放っとけばこの世界が無くなっちまうんだろ?」
「落ち着いてください、悠人さん。手段は……無い事もありません」
そこで一度、ふう、と小さく溜息をついた時深は、じっと悠人を見つめた。その瞳に迷いが走る。
「…………悠人さん、どんな事をしても守りたいものはありますか?」
「――――え?」
それは、以前ファーレーンから受け取った問いかけと全く同じものだった。

「あるけど……いや、あるよ。それも沢山。でもそれが……」
「それでは言います。悠人さん、エターナルになるつもりはありませんか?」
「…………は?」
間抜けな声が漏れる。汗の滲む両手。悠人は咄嗟に返事が出来なかった。理解が追いつかない。
「俺が……エターナル、に?」
「悠人さんにはそれだけのポテンシャルがあります。そうすれば守る事が出来るかもしれません。沢山のものを」
「いや、ちょっと待ってくれ! さっきの時深の話だと、エターナルってのは……」
「……はい。今までの、人としての歴史全てが無かった事になります。具体的にいうと関わった人全てに――」

 ―――――忘れられます

ぎしっと座っていた椅子が、鈍く響く。悠人はいつの間にか立ち上がっていた。
部屋に、重苦しい沈黙が流れる。間延びされた時間が二人の間に深く横たわっていた。
仄かに輝く灯りの炎が波のように揺らめく。窓明かりにゆるやかに伸びている、二本の影。

どれ位そのままで居ただろう。ゆっくりと、時深が口を開いた。
「ごめんなさい。悠人さんが苦しむのが判っていて、こんな選択しか用意出来なかったこと。でも」
「――――いや、ならない」
「…………え?」
何度も、“視た”未来。そのいずれに於いても悠人が選んだ答えはイエスだった。
それを先読みした時深が謝ろうとした時。しかし、悠人の答えはその時深が、予想もしない一言だった。
「ごめん、時深。でも、自分が犠牲になって守りたい“人”を守る、俺はもうそんな考えは止めたんだ」
「………………」
「ずっと、一緒にいる。そう、約束したんだ。俺は、“俺にしか”守れない人を守りたい。だから」
「………………プッ」
「もっと他に何か出来ることを探すよ…………って時深?」
「ふっ……ふふふふっ! あはっ、あはははははっ!」
「え、え? 俺なんか可笑しな事言ったか?……なぁ、時深、時深って!」

時深は、可笑しかった。悠人が拒絶した事が。だから『最悪な状況』と言ったのに。戦いにも――自分の恋にも。
言えなくて、それでも“予想外”が可笑しくて。目尻に溜まった涙を払いもせずに時深は笑い続けた。