§~聖ヨト暦332年レユエの月黒みっつの日~§
妹達にさんざんからかわれ、悠人とファーレーンはほうほうの体で詰所を逃げ出した。
なんとなく手を繋いだままリクディウスの森へと入り、『陽溜まりの樹』の根元にまで辿り着く。
駆けて来て乱れた呼吸を暫く落ち着け合った。当然、手はしっかりと繋いだままで。
「ふう~……全く、あいつら……」
「はぁはぁ……ふふ……でも、楽しかった」
樹の幹に手を当て、額の汗を拭おうとする悠人。ぽたぽたと数滴が地面に黒い染みを作る。
「しかしファー、ニムには本当に弱いんだな。まさかタンスに隠されてるとは思わなかったぞ」
「隠れてた訳じゃないんですけど……あの、でもわたし、昔からニムにはどうしても敵わないんです……ふふ……」
同じように樹の幹にもたれ、胸を手で抑えていたファーレーンがふいに空を見上げた。
「ねぇ、ユートさま。月……出て、いますか?」
「え……あ、ああ。今日は良く晴れてるからな。少し欠けてるけど……ファー?」
「ユートさま……ありがとう、ございます……」
「ファー…………」
ファーレーンは、泣いていた。空を見上げたまま、何も映していない瞳に月の光が反射する。
風に流れたロシアンブルーの髪が運んで来る、煌くような森の匂い。悠人はその清冽な姿に一瞬息を飲んだ。
「なぁ、ファー。その……ウイングハイロゥ開いて見せてくれない、か?」
「え……? は、はい」
突然の申し出にやや戸惑いながら、精神を集中させるファーレーン。その背中から、鮮やかな羽が現れる。
ふわさぁ、と眩しく羽ばたくハイロゥに、悠人はやっぱり、と思った。身長をゆうに越える、凛とした白い翼。
初めて見た時、この翼に魅かれた。月に映し出される影と光。その幻想的な美しさに女神――戦乙女を連想したのだ。
そっと触ってみる。淡く光を放つ幾枚もの白羽が奇跡的に織り合い、思いがけない温かみを生み出していた。
「綺麗だ……」
「…………はい?」
漏らした一言に、一瞬何のことか判らないまま首を傾げていたファーレーンの顔が、みるみる赤くなっていく。
「あ、あのあの、わたし……そんな……」
両手で顔を覆い、俯いてしまう。連動するように、ぱたぱたと気ぜわしく羽ばたくウイングハイロゥ。
そんな子供っぽい仕草に、悠人は苦笑した。
そうしてもう一度、やっぱり、と思う。時折見せる、そんな無防備な素直さ。そんな彼女に惹かれたのだ、と。
「順番が逆になっちゃったけど……ファーレーン。俺と、結婚して下さい。家族に……なろう?」
「あ…………」
驚き、勢い良く顔を上げた円らな瞳にみるみる大粒の涙が溜まっていく。
やがて精一杯作り出そうとした笑顔をくしゃっと崩したまま、ファーレーンは
「は、い…………」
感極まったような嗚咽と共に、そっと悠人の胸に顔を埋めた。両手できゅっとシャツを握り締める。
『家族』。スピリットとして生まれた彼女にとって、そんな信じられない幸せと、決してはぐれないように。