朔望

風韻 Ⅲ

 §~聖ヨト暦332年レユエの月黒いつつの日~§

「それでは、エトランジェ……タカミネユートとファーレーン・ブラックスピリットの結婚式を執り行います!!」
レスティーナの高らかな宣言に、わっと周囲がどよめいた。

佳織がファンタズマゴリアから帰ってしまう日が、ホーコの月青よっつの日に決まった。
つまりその日が悠人にとっても佳織にとっても、「家族」との最後の別れとなる。
慌しい日程となったが、ヨーティア曰くこの日が最も『門』の同調が安定するのだという。
それに伴い、悠人とファーレーンの婚礼の日取りも決まった。段取りは佳織が率先して進めた。
「ニムちゃんと相談したんだけど、向こうの様式でいいって。結婚式なんて見た事無いからって」
部屋でそう話されても馬鹿みたいに頷くしか無い。てきぱきと準備をする佳織の背中を見ながら、
(こういう時、佳織って本当に楽しそうだよなぁ……)
などと他人事のようにそんなどうでもいい事を思い浮かべる他にしょうがなかった。
何故か本人達を置き去りにするという法則がここでも生きているらしく、
悠人もファーレーンもやや呆然とその様子をただ見守り、知らない間に流されるようにこの日を迎えていた。

いつの間にか用意された着慣れないスーツと格闘し、いつの間にかアセリアが作ったという指輪を与えられ。
いつの間にかちょっと御洒落をしたネリーに腕を引かれて式場の謁見の間にまで連れて行かれる。
普段見た事のないネリーの髪を束ねた大きな黄緑のリボンを見つめながら、悠人はつらつらと考えていた。
(レスティーナも、暇じゃないだろうに……なにもこんな大げさな所を選ばなくても)
話を聞いた女王陛下は、祝福しつつこの結婚式を国のイベントとして大々的に宣伝してしまっていた。
エトランジェとはいえ、「人」とスピリットの婚姻。歴史上かつてない状況を、政治的にも活用したのだ。
ようやく理解を得られつつあるとはいえ、まだ平等とはいえない「人」とスピリット。
以前から根強い“妖精趣味”という悪癖のイメージが残っているせいか、その辺にはまだ除き難い壁がある。
「ユートとファーレーンの誓いが、この世界の新たな架け橋となってくれるのです」
真面目な顔でそんな事を言われても、口元に笑みを浮かべられたままでは全然説得力が無い。
どこかで面白がっているのは明白だった。もしかしたら多少の“やっかみ”も入っているのかもしれない。
どちらにせよ公の場、それも王と騎士、といった立場での“国政会議”でそう言われては断る訳にはいかなかった。
重臣達が半ば憐憫の視線を送ってきていたのを覚えている。いずれも元情報部の面々。
彼らの表情が、妖精趣味といった蔑みではなく、純粋に玩具にされた悠人への同情と判るだけに哀しかった。
話を漏らした佳織に文句を言ってみたが、
「え~、だってやっぱりこういうのは、大勢でお祝いする方がいい事なんだよ。賑やかな方が楽しいし」
と一顧もされずに断言された。こういうの、というのは具体的にどういう事なのかは遂に聞けなかった。

「ほらユートさま、何か言ってあげなよ~!」
肘で軽く小突かれて、はっと顔を上げる。気づくと既に謁見の間の前にまで来ていた。
左に開けた廊下。庭から差し込んだ夕日が右手にある木製の巨大な扉をオレンジ色に染め上げている。
そこから今日の日の為に準備された赤い絨毯が左右に伸び、廊下の反対側に立つ二人の影を映していた。
「あ…………」
同じようにシアーに手を取られている人影。夕日に反射したその姿を見た悠人は、そのまま硬直した。
きめ細かい純白のドレスが朱に輝き、ふんだんに飾られた銀の装飾がきらきらと煌く。
中世の貴族を思わせるゆったりとしたスカート。そこからきゅっと締まった腰の部分に施されている網目状の黒い模様。
大きく開いた胸元に光る、エメラルドグリーンの宝石。銀の刺繍が龍の紋章を形作り、胸の辺りを包んでいた。

しかしそれら全てよりも、おずおずと顔を上げたファーレーンに悠人は見とれた。
薄いベールの向こうで、はにかむように見上げてくる瞳。軽く染めた頬が夕日に眩しい。
そよそよと流れる風にたなびくロシアンブルーの髪の色が胸元の宝石とよく似合っていた。
「も~! ほらぁ、ユートさまったらぁ」
「あ、ああ…………ファー、綺麗だ…………」
「え~、そんな事しかいえないのぉ~?!」
期待していたらしいネリーががっくりと肩を落とす。
不満そうに頬っぺたを膨らまされても、ただそれだけしか言えない。一方のファーレーンも、
「あ、ありがとうございます……あの、ユートさまも……格好良い、です…………」
そういって、真っ赤になったまま俯くだけだった。
ネリーとシアーはそんな二人の様子を見、そして互いの顔を見合わせ、くすっと小さく噴き出していた。

「それでは、新郎新婦の入場です……」
おごそかな進行役のヒミカの台詞と共に、皆の注目が一斉に扉に集中する。ゆっくりと開かれる扉。
おお~と殷々とした溜息が謁見の間に響き渡る。悠人は予想外の人の数に一瞬腰が引けた。
(なっ……なんだコレ!?)
思わず叫びそうになった口を懸命に閉ざす。部屋は、まるでキリスト教の教会みたいに改築されていた。
まず部屋の中央には真っ赤な絨毯が引かれ、それが最奥にまで続いている。
通路の両側には黒い長椅子がびっしりと並べられ、振り向いている人、人、人で埋め尽くされていた。
窓が無かったはずの部屋には幾つかの窓がくりぬかれ、はめ込まれたステンドグラスは妙な原色を組み合わせ。
正面の壁に飾られたイエス・キリストのようなものは良く見ると水晶を貫いた一本の巨大な剣の油絵だった。
銀の鎖が絡まっている所を見ると、エーテル変換施設がモチーフなのかもしれない。かなり凝った出来だった。
指輪といい、アセリアが絡んでいるのは間違いない。悠人はようやく夢から醒めたように意識がはっきりしてきた。
(…………みんな、仕事しろよ)
ここは本当に戦いを目前にした国の王室なのだろうか、などと呆れていると、奥の祭壇?から声が響く。
「な~にやってるんだいユート、早く来な!」
長い白衣に身を包み、どうやら聖書のつもりらしい科学書を片手にヨーティアがくい、と眼鏡を上げ、
ゴーン、ゴーン……と世界の終わりのような鐘の音がどこからか響き出す。悠人は眩暈を感じた。

「はぁ、まあいいか……さ、ファー」
一体どれくらいの手間をこの短期間にかけたんだと呆れながらも悠人はファーレーンに腕を差し出した。
なんだかんだ言っても、みんなの好意は嬉しい。恥ずかしげに腕を絡めてくる花嫁。
にこっと微笑み返してくる表情を確認し、悠人は歩き出した。ぱちぱちと、つつまし気な拍手に送られて。

通り過ぎる二人の両脇で、戦友達が笑顔を送ってくる。全員が拳を握り、親指を立てて冷やかしていた。
時深やレスティーナの姿も見えた。相変わらずの時深の巫女服姿に、場的にいいのだろうかと苦笑する。
そして佳織、隣にニムントール。いつもは素直じゃないニムントールも、この時ばかりは瞳をきらきらとさせ、
眩しそうに姉の晴れ姿を見送っている。ファーレーンがちら、と妹のいる辺りに顔を向け、そっと微笑んだ。

やがて二人は、王座の正面に立った。周囲よりやや高めに設置された祭壇から、ヨーティアが降りてくる。
目の前に立った神父(?)は一度ちらっと悠人を見て意味不明のウインクをしたあと、
「あ~ややこしい事は苦手でね、手早くいくよ。新郎ユート、汝は妻ファーレーンを永遠に愛すると誓うか?」
などといきなりぞんざいになった。しかしその方が“らしいな”と思い、悠人は笑いを堪える。
肩の力が急に抜け、すらすらと出てくる想いに気持ちが高まってきた。憎まれ口がついて出る。
「ああ、誓う。だけどヨーティアじゃ不安だからな、俺は俺に誓うよ」
そう元気に言い放つと、悠人はやにわにファーレーンの肩を抱いた。そして戸惑う花嫁にそのまま唇を押し付ける。
「ユ、ユートさま? ん……んん…………わ、わたしも誓い……ル、ルゥ…………」
何かを言おうと離れる口を追いかける。と、すぐにファーレーンの身体からすとん、と力が抜けた。
そっと悠人の背中に腕を回し、遠慮気味に首に絡み付いていく。おお~という溜息と、きゃぁという悲鳴が沸きあがった。
「こらユート、段取りが……まぁいいか」
ヨーティアが呆れて首をぽりぽりと掻いている。構わず、そっと離れた悠人はファーレーンの手を取った。
「愛してる、ファーレーン。絶対に……離さない」
そして先程渡された指輪を滑らすように左手の薬指に通す。
その意味を前もって知らされていたのか、ファーレーンは素直に応じた。
やがて嵌められた銀色に輝くそれをいとおしそうに右手で包み込みながら、
「わたしも誓います……ずっとユートさま……ユートの側に居ると。ナイハムート、セィン、ヨテト……ソゥ、ユート」
見上げた顔を逸らさずにはっきりとそう告げる。同時にわっ、と歓声が二人を包み込んだ。