朔望

風韻 Ⅵ

 §~聖ヨト暦332年コサトの月青みっつの日~§

佳織がこの世界を去ってから、二ヶ月が過ぎた。
その間、悠人達はサーギオス軍を吸収して巨大になったスピリット隊の編成に追われ、多忙を極めた。
ヨーティアの研究と時深の協力の下、次第に基盤を堅固にしていくレスティーナ。
ラキオスはその結束力を強化しつつ来るべき戦いに備え、一歩また一歩と前進していった。

ちなみに悠人とファーレーンは、結婚早々別居生活を余儀なくされていた。

「ニム、お姉ちゃんと一緒じゃなきゃ絶対ヤだからね」
びっと目の前に指を突きつけられ、悠人は新居について大臣様(レスティーナ&エスペリア&時深)に相談した。
もとよりファーレーンも悠人もニムントールを今更一人っきりにするつもりは無かったが、
新婚ほやほやの二人には第一詰所と第二詰所の距離はやはり色々と遠すぎる。
又、悠人の立場上、姉妹と三人、今までのような相部屋では同居が出来ない。
エスペリア曰く、
「隊長がそのようでは皆に対する示しがつきません」
かといって、どこかに広い家を探すにも収入が無い。
レスティーナ曰く、
「三人の為だけに別宅を用意するほど国の財政は豊かではないのです」
とぴしゃりと言われては悠人としても返す言葉も無かった。
何だか別の思惑もあるような気がしないでもなかったが、引き下がるしかない。
「ふふ、悠人さんだけが幸せになっちゃ、ダメなんですよ」
などと含みのある一言を時深にまで言われ、結局元のままの生活に戻った。

そんな訳でささいなごたごたもあったが、着実に行われる施政の影で、最後の戦いに向けての準備は少しづつ進む。

そしてこの日が訪れた。
「スピリット隊はトキミさまの指揮の下、ソーン・リームへと向かいます!」
エスペリアの緊張した宣言が、謁見の間に響き渡る。そこに集った全員から無言の頷きが返った。
正面に、新たな王冠と衣装に身を包んだレスティーナが立ち上がる。
その両脇を時深と悠人が固め、更にヨーティア、エスペリアと続いていた。世界を支える、最後の戦いが始まった。

この二ヶ月間の調査で、ロウエターナル達が篭っているソーン・リーム中立自治区には
今まで確認された事の無かったスピリットが多数防御を固めている事が判明した。
時深の話によると、どうやら彼女達はエターナルの力を一部とはいえ引き継いでいる、
完全に自我を失ったスピリット――エターナル・ミニオンと呼ばれているものだった。
それが旧マロリガン領ニーハスから唯一ソスラスへと辿り着ける一本道に、数多く潜伏している。
幸い今はまだそこからこちらに侵攻してくる気配はないらしい。
もし彼女らが攻めてくれば、ただでさえ少数なこちら側は一方的な蹂躙を受けてしまう。
ソスラスの更に奥、ソーン・リームの最深部、キハノレが最終的な目的地である以上、
準備が整ったのなら後はこちらから出来るだけ早く攻めるのが上策だった。
既にニーハスに設置されたエーテルジャンプ施設が稼動を始めている。

レスティーナがすっと前に出る。左手を前に上げ、戦いの宣誓を口にしようとした時だった。
「…………っ皆さん! 私と悠人さんの後ろにっ!」
突然背後を振り返り、手にした『時詠』を構える時深。緊迫した声に、別の穏かな声が被さる。
全員が一斉に王座の奥に目を凝らした。

 ――――ふふふ……いよいよですわね……

ゆらり、と空間が歪む。その高く澄んだ声は、ふいに現れた気配から放たれた。異様に充溢していくマナ。
「法皇自らのおでまし、という訳ですか」
時深が溜息交じりにそう呟いていた。

――――何も無い空間から、“彼女”は現れた。
淡く光り輝くマナの中心で、口元には薄っすらと微笑みを帯びながら。
まるで童話に登場する魔法使いのようにだぶついた白い服。袖口と胴部分の中央を真っ直ぐ貫く黒のライン。
大きめの帽子から無造作に跳ねたプラチナブロンド。後ろ髪が二房、両脇から靡いていた。
幼い大粒な瞳が冷たい金色(こんじき)の光を放っている。くすくすと、無邪気に零れる含み笑い。
中世から抜け出してきたような格好が小悪魔的(コケティッシュ)な印象を醸し出していた。

きぃぃぃぃん…………

『気をつけるのだ、契約者よ。外見に惑わされてはならぬ』
悠人の心の中を覗いた『求め』が激しく警鐘を鳴らしてくる。言われなくても、悠人の手には汗が流れていた。
先ほどから輝く、人の目にもはっきりと判るであろうオーラフォトンの束。
マナが凝縮されたそこからは、明らかに今までとは桁違いのプレッシャーが漲っていた。
そして彼女の小さな外見におおよそ不釣合いな、錫杖のようなもの。銀色に煌くそれが、“人”を否定していた。
――エターナル。時深に聞いていた圧倒的な存在が、今正に目の前に“浮かび上がっていた”。

「ふふふ……今回もやりあうことになるとは思いませんでした。……いい加減、わたくし飽きましたわ」
「因縁というものでしょうね。――――法皇、テムオリン」
油断無く睨みつけながら、時深と少女が王座の前で言葉を交わす。
旧知なのか、その会話自体は何の変哲も無いもの。ただ、お互い言葉に感情というものが全く無かった。
緊張を孕みながら、それでも周囲は誰一人としてその場を動かない。いや、動けなかった。

二人のエターナルが生み出した異様な空間。
そこは、一歩でも迂闊に足を踏み入れればたちまち消滅してしまうという錯覚を、充分本能へと叩き込む。
悠人を含め、全員が固唾を呑んでそれを見守るしかなかった。

「…………あら?」
時深と話していたエターナル――法皇テムオリンの視線が、ふいに悠人に向けられる。
「なるほど……時深さんの読みも、たまには外れますのね」
「…………っ?」
外見とは裏腹に、妖艶な笑み。悠人は『求め』を握る手に力を入れた。油断すると魅入られそうだった。
「これでは多少、趣に欠けますけど……まぁいいですわ。その瞳、気に入りましたよ坊や」
「……光栄だな。お礼に一つ忠告しておく……その変な服で、あんまり外を出歩かない方がいいと思うぞ」
精一杯の力を籠めての、最大限の皮肉。悠人の挑発に、テムオリンの眉が一瞬ぴくり、と反応する。
「…………その蛮勇に敬意を表して褒美を差し上げましょう。完全なる……そして絶対なる破壊を……」
「ぐっ! う、ぁぁ……」
突き刺さるような、それでいて何の抑揚も無い冷静な声。抜き身の刀を首筋で嬲られているような感覚。
どっと汗が噴き出す。今度こそ悠人の全身は戦慄で貫かれ、そして指一本動かせなくなった。

「……まぁいいですわ。とにかく私たちは、この世界のマナを全て『世界』に取り込む事にいたします。あしからず」
ふっと圧力が抜ける。テムオリンが時深と向かい直した途端、悠人は腰が落ちそうになった。
「そうはさせません!」
時深の凛、とした口調に、力が湧いてくる。悠人は搾り出すように叫んでいた。
「……負けるかよ!」
「うふふ……。坊やが強がって、カワイイじゃないですか。時深さん、私に譲ってくれませんか? 徹底的に……」
声に、もう一度悠人をちらっと横目で見たテムオリンは、酷く紅い舌でちろりと自らの唇を舐め、
「可愛がってあげますわ…………いやというほどに……ね」
地の底から響くような低く抑えた声で、妖艶に微笑んだ。

「それではゲームを始めましょう。私は部下を四人連れてきました」
沈黙してしまった場をよそに、テムオリンが淡々と説明を始める。
「タキオス……ここに」
しゃらん、と意外に軽い音が錫杖から響く。高く揚げたその先に、青白い光で形造られた“門”が発生した。

しゅぉぉぉぉ…………

光が再び謁見の間を包む。たった一人その眩さに囚われなかったファーレーンは、突然現れた別の気配に愕然とした。
(これは…………この、気配は…………)
かつてこの場で感じた気配。虚無が全身を包みこむ。
「テムオリンさま……。タキオス、参りました」
忘れもしない、この絶対的な“死の匂い”。タキオス、と名乗る男の声を聞いた時、ファーレーンの中で感情が弾けた。
「許、さない…………」
「……お姉ちゃん?」
姉の異常な一言に、隣で立ち尽くしていたニムントールがはっと我に返る。
恐る恐る首を傾げると、そこにはかつて無いほど怒りの表情を見せたファーレーンが『月光』にマナを迸らせていた。
「…………む?」
不審気にタキオスが振り向く。気配を正面から受け止めたファーレーンは一気に飛び出そうとして――――
「…………ぬん」
「あぅっ!」
「お姉ちゃんっ!」
“視えない”はずの視界一杯に広がる闇にその力を全て飲み込まれ、その場に崩れ落ちた。