朔望

風韻 Ⅶ-1

 §~聖ヨト暦332年コサトの月青みっつの日~§

ニムントールが慌てて身体を庇うようにファーレーンの肩を掴む。
「つまらん。……が、良い“目”をしている。ふむ、あの時の妖精か……真の力を見せてみろ」
「どうかしましたか、タキオス?」
「…………いえ、なんでもありませぬ。…………ほう、また時深か。よく会うな」
タキオスは既に、ファーレーンの方を向いてはいなかった。何事も無かったかのように、時深に話しかけている。
――――あの時と同じ。何をした訳でも無い相手に手も足も出ず、力を奪われた。
「許せない……許せないのに…………」
ファーレーンは自分の無力さに、口惜しげに唇を噛んだ。

突然倒れたファーレーンに声を掛ける事も出来ず、悠人は正面の光景に目を奪われていた。
「不浄のミトセマール。水月の双剣メダリオ。業火のントゥシトラ」
相変わらず禍々しい気配を撒き散らしながら、淡々とした口調で続けるテムオリン。
そしてその背後に立つ、巨大な男。全身を筋肉で鎧われた褐色の肉体を、毛皮のような上着一枚で覆っている。
彫りの深い顔立ちに、太い眉。その奥で光る鋭い眸芒は肉食獣が獲物を狙う時の正にそれだった。
手にする、黒光りする巨大な鋼。男の身長すら凌駕する神剣が、無骨な男の性格を物語っていた。

「そして、統べし聖剣シュンと私がお相手致しましょう」
ごくり、と悠人の喉が唾を飲み込む。“瞬”。その一言に、どくん、と心臓が跳ね上がった。
サーギオスでの最後の姿が目に浮かぶ。それでも身体が、金縛りになったように動かない。焦燥だけが頭に渦巻く。
これが、エターナル。そしてこんな相手が後四人……いや、瞬はまだ不完全という時深の言葉を信じれば、後三人。
それでも三人。目の前が一瞬昏くなる。じわじわと広がっていく、絶望感。

きぃぃぃぃん…………

「ほぅ…………」
「あら……?」
興味を示したらしいタキオスが声を漏らす。テムオリンも意外そうな顔で悠人の方を凝視した。
『契約者よ、囚われるな。心を強く持て』
突然輝き出す手の中の『求め』。今まで協力的とは決して言えなかったそれだけが、この状況で依然冷静を保っていた。
「……さんきゅな、バカ剣」
伝わってくる、つまらなそうな気配。悠人は苦笑する余裕さえ窺いながら、敵を睨みつけた。
恐怖は無い、とは言えない。しかし不思議な連帯感が、悠人を包んでいた。

「時間ですわね…………それでは、ご機嫌よう」
気を取り直したテムオリンが静かに囁く。翻した錫杖の先に、三度(みたび)“門”が開いた。
優雅に挨拶をしながら消えていくテムオリン。同様に消え往くタキオスの眸が一度ちらっとファーレーンの方を向いた。
「…………お前と剣を交えることを楽しみにしている」

しゅぉぉぉぉ…………

二人のエターナルの姿が消え去った後も暫くの間、謁見の間には静寂が流れていた。誰も口を利けなかった。

ブンッ……ブンッ!
その夜。悠人は一人森の中で、『求め』で素振りを繰り返していた。
明日はいよいよニーハスなのだが、気が昂ぶって眠れそうにも無い。がむしゃらに剣を振りたい気分だった。
『……あまり無理をするな。何事も、一朝一夕では為らぬ』
「…………珍しいな、お前が俺の心配をするなんて。さっきといい、どういった心境の変化なんだ?」
強制し、他の神剣を砕く為に散々血を要求していた『求め』。それが、明らかにロウエターナルに敵意を向けていた。
持ち主の意志などお構い無しだった辺り、むしろ向こう側に与してもおかしくない、と悠人は不思議だった。
そんな疑問を読み取ったのだろう、『求め』が呟く。
『……我の望みはただ、『誓い』を砕く事。その為の障害は取り除くべきだ』
「なるほどな…………っと!」
ビュンッ! 台詞の途中で腕を振り下ろす。『求め』は不機嫌そうに黙り込んだ。
急に腕が重くなり、バランスを崩してよろける。悠人は息を荒げながら、一度休憩を取る事にした。
『契約者よ。我を信じよ…………仲間を信じよ』
「……今日はどうしたんだ? 気持ち悪いぞ、お前からそんな言葉を聞くなんて、な」
『……ふん、単なる気まぐれに過ぎん。どうやら契約者を選び損ねたらしい』
「よく言うぜ……。でもまぁ、言いたい事は判ってる。一人で戦うつもりなんて、最初から無い」
『ならば、自分一人で背負うな。それを悲しく思う者とている筈だぞ。それこそが汝の“求め”だったのだろう?』
「…………心を読むな、バカ剣」
『………………つくづく面白い奴だ』
悠人は、憮然としたまま草叢に腰を下ろした。ひんやりした感覚が頭を冷静に澄まさせてくれる。

がさっ。背中に、草を踏む微かな音。
「…………そうだな」
悠人はゆっくりと振り向いた。そこに、不安そうな顔をしたファーレーンが立っていると確信して。

「よ。ファーも眠れなかったのか?」
「はい……ユートさまも、ですよね」
腰に、『月光』が無い。寝巻き姿のファーレーンは、明らかに何かの気配を感じ取って駆けつけたのだろう。
何の根拠も無いのに悠人はそう思った。また、優しい嘘。悠人は立ち上がり、ファーレーンの手を取ってやった。
「あ、ありがとうございます」
二人は黙ってそのまま草の上に座り、自然に身を寄せ合った。
悠人はぼんやりと空を見上げる。糸のように細い月が水平線上に浮かんでいた。

 §~聖ヨト暦332年コサトの月青よっつの日~§

旧マロリガン領ニーハスを、元首都とは逆の北から抜けた方向に伸びる、一本の細い道。
雪に埋もれかけたそれが、中立自治区に指定されていたソーン・リーム台地の入り口だった。
寒々と急に下がった気温が、ここが別種切り離された土地だと実感させる。
鋭い、棘のような葉が生い茂っている木々に、気温の低さを窺える細かいパウダー状の雪が積もっている。
ファンタズマゴリアで唯一雪の残るこの台地は、生える樹木さえ他の地とは違う種類のものだった。
口元から漏れる息が白いもやとなり、消えていく。ぎゅっ、ぎゅっ、と何かを捻じ切るような音を立てる足元。
元々普段からこの世界でも神聖視され、宗教的な意味合いの強い為、訪れる人々の数も極端に少ない。
彼らが使う道が、ちゃんと整備されている筈も無かった。両側から木が押し寄せてくるような錯覚すら覚える。
誰もが初めて見る雪に最初こそ物珍しさを感じて高揚していたが、すぐにそんな余裕は無くなった。

――――ガッ! ガガガッッッ!!!

剣同士が削りあう嫌な音が、あちらこちらで響き渡る。その度に震える大地。弾けるマナ。
舞いあがった雪煙がたちまち互いの姿を眩ます。日中でありながら、薄暗い戦場。
急勾配の雪山の斜面。悠人達はそこで分散し、敵の反撃を受け止めていた。

「くっ! こ……のぉ!!」
「セリア、落ち着いてっ! 深追いは禁物よ!」
「わかってる、わっ! でもこうも戦術を無視されたら……きゃぁっ!!」
「セリアっ! この……どきなさいっ! ハリオン! ナナルゥ! セリアの支援をっ!」
「あぅ、さっきからぁ、やってるんですけどぉ~」
「……不可能です。敵の動きが予測できません」
「…………くっ!」
「やらせませんっ!!」
間一髪、飛び込んできた時深の一撃に、ずだずだに引き裂かれて消滅していく敵の少女。
戦場は、終始そんな予断を許さない状況が続いた。

――――エターナルミニオン。
かつて『カオスエターナル』達が世界を守るガーディアン(守護者)として自らの遺伝子の一部を残した生命。
しかしこの世界に侵入を果たした『ロウエターナル』は、彼らを逆に利用する事を考えた。
始まりのスピリット――リュトリアムを連れ去り、そのコピーをエターナルミニオンとして蘇らせたのだ。
ただし神剣と完全に同化している為意志は無く、もちろん集団で役割を決めたり剣術を使いこなす事も無かった。
しかしそれでもエターナルの劣化コピーとはいえその潜在能力はエトランジェに匹敵する。
戦術も何も無くただ乱雑に剣を振り、強力な神剣魔法を放ってくる彼女達を相手に、
最初は時深の指示により組織的に対抗していたラキオス軍は、それでも次第に分散を余儀なくされていた。

「大丈夫ですか、セリアさん」
「はぁはぁ……え、ええ。助かりました」
倒れこんだセリアに手を貸しながら、時深は『時詠』に力を籠めて周囲を見渡した。

残っている敵は、そんなには多くない。しかし、やはりスピリットには、彼女達の相手はきつ過ぎる。
しかも何故かエターナルミニオンは悠人や時深では無く主にスピリット――特に幼い者に集中して攻撃を仕掛けていた。
恐らくは法皇の支配によるものでしょうけど、と唇を噛む。昔からそうだった。卑怯とか、そんなレベルでは語れない。
「トキミさま……?」
黙り込んでしまった時深に、セリアが眉を顰める。
「…………っ!!」
その時、時深は感じた。かなり離れた場所、一人はぐれた味方が、敵に追い詰められている気配を。
「一番近いのは……悠人さんっ! すぐに西に向かってくださいっ!!」

きん!

『時詠』が共振し、鋭い音を短く放った。