朔望

風韻 Ⅷ

 §~聖ヨト暦332年コサトの月青よっつの日~§

『時詠』の共振を受けた『求め』が、警鐘を鳴らす。言われなくてもニムントールの危険は悠人も感じていた。
「うるさいなバカ剣! 判ってる、判ってるけど……くっ」
視線の先、進路を塞ぐように立ち塞がるエターナルミニオン。悠人は歯噛みして彼女達を睨みつけていた。


「はぁっ……はぁっ……」
その頃ニムントールは、一体のエターナルミニオンによって、氷壁の一角へと追い詰められていた。
「くっ……このぉ……」
強がってみるが、既に体力が限界に近い。
展開したシールドハイロゥは度重なる衝撃にがたがたに崩れ、『曙光』を持つ手はぶるぶると震えていた。
ブルースピリットの容姿をしている敵の双眸。
無機質な、爬虫類のような眼光が全身を捕らえ、雪を踏みしめつつゆっくりと近づいてくる。
後退しようとして、どん、と背中に氷の壁が当った。冷たいはずの感触が、痺れて痛みを伴ってしまう。
「全く……しつっこいわね……」
ぎらり、と敵の神剣が黒く輝く。先程から見飽きた黒のウイングハイロゥ。
敵は執拗に追いかけてきた。たった一人で、たった一人を。
それは集団戦闘で常にディフェンスを担当していたニムントールのリズムを完全に崩していた。
グリーンスピリットとしての防御力の高さゆえか、まだ致命傷は受けてはいない。
しかし傷口から漏れていくマナは、どんどん戦闘力自体を奪っていく。
何度も回復魔法を掛けてはいるのだが、マナが希薄な土地のせいか、さっぱり効き目が無かった。

――――ひゅん!

「……つっ!」
ざくん、と敵の斬撃が太腿を切り裂く。また、見えなかった。あまりに速い敵の動き。
シールドハイロゥが意味を成さなくなっている。反射的に避けたが、片足に感覚が無くなった。
バランスを崩して雪の中へと倒れこむ。ばふっと片手をついて四つんばいになったニムントールを一瞥した敵が――
「ククククク…………」
初めて表情らしい表情を浮かべた。口元に、嗜虐的な笑みを浮かべて。

目の前のレッドスピリットをようやく倒したファーレーンは肩で息をしながら周囲の気配を探った。
「はぁはぁ……ニム?」
『曙光』の気配が遠い。さっきまですぐそこに居たのに何故そんな所に。思うなり、ウイングハイロゥを羽ばたかせた。
妹のすぐそばに、一個の大きな気配が感じられる。敵。ファーレーンは枝を跳ね上げながら森の中を滑空した。
「ニム……今行くからっ!」


爆発的な力の気配が周りの景色をぐにゃりと歪ませる。頬に感じる、異様な熱気。石のようにぶつかってくるマナ。
ニムントールは悟った。敵が止めを刺しに来る、と。力を振り絞り、よろよろと立ち上がる。
「こんな所で……負けないんだからっ!」
ありったけの力を振り絞り、『曙光』にマナを送る。弱っていた緑色の発光が少しだけ強まった。

りぃぃぃぃん…………

「…………え?」
耳鳴りのような、共振。『曙光』から発せられたものではない。
気を取られ、つい『曙光』を見てしまったのが命取りだった。
「しま……っ!」
一瞬にして殺到した敵の細身の剣が繰り出してきた、突き。かろうじて受けた『曙光』が大きく弾かれる。
「あぅっ!」
両手をかち上げられて尻餅をつきかけた所に、水平に流れてきた敵の神剣が深々と空いた脇腹を抉っていった。
「が、はぁっ!」
ぱぁっと舞い散る赤い霧。空気中に離散するそれが自分の血なのだと、仰向けに倒れながらニムントールは悟っていた。

「う、うう……」
大の字になったニムントールを、エターナルミニオンの冷たい瞳が見下ろしている。
まだ意識はあるものの、すでに時間の問題だった。どくどくと流れる鮮血がみるみる周囲の雪を赤く染めていく。
ざっ、と耳元で聞こえる足元。敵が迫っている。反射的に、ぴくりと指が動いた。無意識に探る『曙光』。
しかし弾かれた半身は、どこにも無かった。だんだんと混濁してくる意識。
「ちく、しょう…………」
『…………ニムっ!!』
「…………え?」
幻聴かと、思った。呼びかけに、遠く答える声。首に力を入れて顔を上げる。敵が別の方角を向いていた。

 ――――がぎぃぃぃん……

瞬間。弾かれた剣の甲高い音がニムントールの意識を引き上げる。ふわり、と目に飛び込んでくる白い翼。
「お姉ちゃっ……かはっ!」
舞いあがった雪の煙幕の向こう。離れた所で敵と鍔をぶつけ合うファーレーンの後姿があった。

『月光』に籠めた力を爆発させる。視界に広がる白の閃光。弾け飛ぶマナの光芒。迫る漆黒の眸。
ファーレーンの心に共鳴した『月光』の力がエターナルミニオンの力を凌駕する。
「よくもニムを……許しません!」
「…………クッ!」
対する敵が、初めて苦悶の表情を見せる。敗北の予感ではない。剣を通して流れ込んでくる感情が不快だった。
押し合いながら、ふいに足を蹴り上げる。雪が舞い、鋭い爪先がファーレーンを襲う。
しかしファーレーンは計算済みだった。その瞬間を狙って更に『月光』に力を籠める。
バランスを崩し、敵は倒れる筈だった。ぐっと雪原を踏みしめ、身体を捩ろうとして――――
「しまっ…………」
がくん、と横に流れる軸足。雪が、ファーレーンの踏ん張りを滑らせ、足を取って体勢を崩した。
咄嗟に自分から倒れこもうとした所に、空中に浮かんだエターナル・ミニオンの爪先が翻ってくる。

 ――――ばきんっ!

辛うじて受けた『月光』が宙に舞った。

丸腰になったファーレーンに少女の神剣が襲い掛かる。振りかぶったそれを籠手で受け流そうとしたファーレーンは
「あぅっ!!」
そのまま身体ごと吹き飛ばされ、大木を圧し折ってずるずると沈み込んだ。止めを刺そうと敵が更に襲い掛かる。

 ――――それは偶然だったのか、それとも何らかの意志が働いたのか。

空中をくるくると回転しつつ『月光』が突き刺さったのは、正にニムントールの眼前。
死の刹那に生じた勝機を、ニムントールは逃がさなかった。無我夢中で『月光』を掴み、残りのマナを全て注ぎ込む。
余力を掻き集めて握り締めた柄が手に伝う血で滑らないように、
「…………はぁっ!!!」
ニムントールは、渾身の力を籠めて姉の神剣を投擲した。

一瞬の、隙。

どすっ!

「…………グッ…………アアアアアアアッッ!!」
初めて刀身に緑の光を帯び、うなりを上げて槍の様に飛来した『月光』が、
振り返ったエターナルミニオンのシールドを破り、腹部に深々と突き刺さる。
同時に少女の体を貫いた『月光』が秘められたマナを爆発させ、鍔に引っかかった彼女ごと更に吹き飛び、
そのまま辺りに林立する氷壁の一つを刺し貫いてようやく止まった。
「ぐ、はっ!」
びしゃっと白い壁一面に、花のような血模様が放射状に広がる。
その中心で、墓標ごと縫い付けられた標本が出来上がっていた。

「ウ゛…………ア…………」
叩きつけられた勢いで全身の骨を粉々に砕かれたエターナルミニオンは、
くぐもった呻き声を上げながらくの字に折り曲がった体を見下ろす。
糸の切れた操り人形のようにだらりと下げた四肢には、最早力が入らない。
鍔まで潜り込んだ『月光』を驚愕の表情で見つめながら、何かを呟こうとして、そしてそのまま少女は絶命した。

「おい、しっかりしろっ! ニム、ニムっ!」
…………うるさいわね。なによ、今更来て。眠いんだから、放っといてよ。後、ニムって言うな

「待ってろ、今……マナよ、オーラへと姿を変えよ、我らに宿り……」
…………ん? なんだかあったかい。ん~気持ちいい~

「……よし、これでなんとか……そっちは大丈夫か?」
「は、はい。もう平気です」
…………お姉ちゃん? そっか、お姉ちゃん……へへ……あったかいなぁ……

「うわっなんだ急に……お、おいニム」
「すみません、この娘ったら! ちょっとニム、離れなさいっ!」
パッションによる応急処置を終えた悠人は、突然しがみつかれて狼狽の声をあげた。
丸まったまま膝の上に収まったニムントールは自分の居場所を見つけた猫のように全身を押し付けてくる。
くにゃっと力を抜いたまま予想外の温かさ。雪にまみれたさらさらの髪から漂ってくる日向のような匂い。
後ろで何故だか動揺しまくったファーレーンがわたわたと涙目で訴えている。

ぱちくり。
「ん……あれ?」
騒がしさに目を覚ましたニムントールは、一瞬自分の状況が判らなかった。
まだぼんやりとした目に、針金みたいな髪が飛び込んでくる。鼻をくすぐる森の匂い。
「お、起きたか。早速で悪いんだけど、その、少し離れてくれないか?」
「ん~…………ユートぉ?」
「そうだ、悠人だ。ファーじゃないぞ。ファーならそこでイジケてる」
「わ、わたしイジけてなんかいませんっ!」
「そっか……ユートなんだ……」

ぱふっ。
「お、おいだから……」
「ううん……まだ寒い……から……ここで温ったまる……」
呟き、目を閉じるニムントール。頬を摺り寄せ、甘えるような仕草に悠人は戸惑った。