朔望

風韻 Ⅸ

 §~聖ヨト暦332年コサトの月赤みっつの日~§

「だ、か、ら! あれはニムであって、ニムじゃないのっ!」
「いやそんな事言われても…………なぁ?」
「ええ、ニムったら絶対にユートさまを離そうとしないんだもの」
周辺のエターナルミニオンの撃退をどうやら終えた悠人達は、ようやくソスラスへと辿り着いた。
「へへ~、ネリーも見ちゃったもんねぇ~」
「ニムって意外と甘えんぼさんなんだぁ~」
「うう、不覚……ネリーやオルファにまで見られるなんて……」
「シ、シアーも見たよぅ~」
「偶然ですね。私も見ました」
「まぁ、たまたまあそこに集合しただけだけどね。中々可愛かったわよ、ニム」
「みんないつまでこの話を引っ張るのよ……ま、いい見世物だったとは思うけど」
「……セリア、何故顔赤い?」
一人の死者も出さずに済んだのは、奇跡と言ってもいい。傷を負っていないものは誰一人居なかった。
「わ、わたしも感動しましたっ! 普段冷血なニムさんがあんなに素直に――」
「……なんか言った? ヘリオン」
「はわっ! な、何でもないですぅ!…………うう~、わたしの方が年上なのに…………」
「まぁまぁそれよりぃ、流石はグリーンスピリットですぅ~。見事に皆さんを癒して下さいました~」
「む、それは目の保養という意味でしょうか、ハリオン殿」
「ウルカ……微妙に違うと思うぞ」
時深の指示の的確さ。そしてそのエターナルとしての力が無ければとてもここまでは来れなかっただろう。
「悠人さんも悠人さんです。そのまま抱き上げた時のファーレーンの複雑な表情に気づきましたか?」
「あ、ああ。謝るのもなんだけど……あの時はごめんな、ファー」
「い、いえそんな、わたしこそ取り乱しちゃって……ごめんなさい」
「…………なんかムカつく。大体ユートが悪いのよ、お姉ちゃんとおんなじ匂いがするんだもん」
「なっ! い、いきなり何を言うの、ニムっ」
「? お姉ちゃん、何赤くなってるの? ニム、何か変なこと言った?」
それでも、ラキオス軍に悲壮な雰囲気は微塵も感じられなかった。
「全く、皆少しは緊張感というものを…………はぁ~~」
一人、溜息をつくエスペリアを除いては。

 §~聖ヨト暦332年コサトの月黒ひとつの日~§

ソーンリームの山並みに囲まれた篭の中のような台地。丁度底の部分を塞ぐ門のような形でキハノレはあった。
頭上には、常に分厚い雲。どっしりと重いそれが、先程から悠人達の行く手を阻むように激しい雪を降らせている。
寒冷地特有の鋭い、枝むき出しの樹木が撓るように風に嬲られ、そして軋んだ悲鳴のような哀しい音色を響かせる。
灰色と、白と。その無彩色が織り成す厳然たる拒絶の光景。異様に圧縮されたマナの、爆発寸前の膨張。
どんな人間でも、気づくだろう。ここは、死の世界。遥か理想のハイペリアでは無く、バルガーロアへの入り口だった。
全てを否定し、意志も存在も飲み込み。そうして生まれ出ようとしている虚無に、悠人達は息を飲んだ。

「ここが『再生』の眠る場所。そしてテムオリン達が、全てを終わらせようとしている場所です」
聳え立つ古臭い城門のような街の入り口。無言で見上げた悠人の隣に時深が立ち、そっと呟く。
「悠人さん、覚悟はいいですか。ここは……エターナルの領域。本来、誰もその存在すら許されない場所」
「……ああ。ここで、ケリを着けなきゃならないんだ。“俺達の世界の運命”を自分自身に取り戻す為に」
吹雪の中、悠人は手も翳さずに後ろを振り返った。皆、同様に力強く頷く。悪い筈の視界にちゃんと見える仲間の顔。
瞳に宿る決意に後押しされるように、悠人は『求め』を天に突き上げた。
「だから……俺達は負けない。絶対に、みんなで生きて帰る。その為の……戦いだからっ!!」


 ――――愚かしい。聞いていて、こちらが恥ずかしくなってきてしまいますわ

「!!!」
どこからか、響き渡る声。どこか含みのある嘲るような口調に、一同に緊張が走る。

 ――――みんなで、などと下らない。全ては、在るべき場所へと還るもの……それを教えて差し上げましょう

突然、周囲が蒼い光に包まれていく。一歩前に出た時深が天を仰ぐように睨みつけた。
「テムオリン! 一体何をっ!」
「これは……エーテルジャンプ! みんな、一つに固まれ! 出来るだけ早くっ」
悠人は足元から突き上げるように舞う粒子に浮き上がるような感覚を感じながら、必死に振り返った。
しかし既に個々を抑えつけるような蒼い柱がそれぞれにシールドを張っているのか、声も微妙にしか聞こえない。
「ユ…………御……で…………」
一番近くに居たエスペリアの姿が、ふっと消え去る。それを合図に、次々と何処かへ転送される仲間達。

 ――――ふふふ……心配はいりません。折角ここまで足を運ばれたのですもの、案内して差し上げるだけです

「悠人さん、気をつけて! 遺跡の中は……」
「時深!……くそう、おい、テムオリン! そうやって笑っているのも今のうちだ! 俺が必ず叩き潰してやる!」

 ――――……相変わらず面白い坊やですこと。いいでしょう、わたくしが直接可愛がってあげますわ……存分に、ね

周囲が殆ど見えなくなっていく。悠人は、ファーレーンとニムントールの居た場所辺りを最後に振り返った。
二人とも、もう柱の影に隠れて見えない。それでも悠人は叫んでいた。
「ファー、約束だからなっ! 生きて、それから…………」
ふっ。突如暗転する周りの景色。物凄い力でどこかへ運ばれるのを感じながら、悠人は言葉を思い出していた。

『だから……きっと、大丈夫』

周囲が蒼く輝き出す寸前、ファーレーンは偶然ニムントールの手をそっと握っていた。
勘、とでもいうのだろうか、それが幸いし、二人は同じ空間へと飛ばされていた。

「お姉ちゃん、ここ……ひっ!」
「ええ。ソーンリーム遺跡の内部ですね。わたし達は強制的に招待――――」
それ自体がほの蒼く輝く遺跡の壁。あえて言えばエーテル変換施設に近いそのデザイン。
ただし床は所々抜け落ち、天井は無く。それなのに無限に広がるような幻想的な光景は、とてもこの世界とは思えない。
まるで異世界にでも来てしまったような状況で、ファーレーンは冷静だった。いや、冷静にならざるを得なかった。

「……来たか。待ち侘びたぞ」
絶対的なプレッシャー。撒き散らかされた「無」の匂い。全てを還す、漆黒の闇。鳥肌が立つような、死の気配。
ニムントールは動けない。それも当然。初めて見た者なら、誰でも身を竦めるだろう。その不可避な殺意に。
「改めて名乗っておこう。俺はタキオス。永遠神剣第三位、『無我』の使い手だ」
「タキオス……わたしはファーレーン。『月光』のファーレーン。貴方を倒しに来ました」
「む……どうやらまだ“目覚めて”はいないようだが……よかろう、前にも言ったが……お前の全てを見せてみろ」
意味不明の言葉と共に、ゆっくりと背中の『無我』に手をかける。
瞬間、ぶわっとその周りを包む黒いマナ。それだけでびりびりと槍のような緊張感がファーレーンの肌に突き刺さる。

「もう、何故とは問いません。貴方だけは……許せない」
意識だけで紡ぎ出された暴風に晒されながら、ファーレーンも『月光』をゆっくりと抜き放った。
薄く輝き始める刀身。兜越しに、彼女の“視界”が明るく広がっていった。

同時刻。エスペリアは、雪原に立っている自分に気がついた。
「ここは……あれは、門。わたくし達は一体…………」
先程と同じ門が目の前にある。ただ、風景に違和感を感じた。吹雪が全く熄んでいる。
少し離れた所に、アセリアとウルカ、そしてオルファリルも立っていた。皆不思議そうに周囲を見回している。
「エスペリア殿。どうやら我々は、門の内側に」
「……ええ。そのようですね。みんな、大丈夫ですか?」
「オルファ、平気だよ!」
「…………ん」
ぴょこん、と手を上げるオルファリル。相変わらず小さく頷くだけのアセリアに、エスペリアはほっと胸を撫で下ろした。

 ――――そうですか。それは良かったですねぇ

「!!!」
突然、何も無い空間から聞こえてくる声。それは、いつの間にかそこにいた。
一見、何の変哲も無い、ただの青年。しかし、ぴったりと肌に張り付いた黒尽くめの異装。あらぬ方向を向いている横顔。
青黒い前髪から死んだ魚のように濁った瞳が覗く。むき出しの両腕にぶら下げた中肉の剣(つるぎ)。
「エ、エターナル……」
震える唇から声が漏れる。エスペリアは、確信した。状況的にでも、悲鳴のような『献身』の警告によってでもなく。
今目の前に居る青年が、間違い無く「エターナル」なのだと。はっきりと、「本能」がそう告げていた。

「あの女王のようにあっさり死んでもつまらないし。ほら、『流転』がこんなに騒いでいる」
「…………?」
「だから……嬉しいですよ。つまらない作戦だったけど、どうやら僕も少しは楽しめるようですね」
うっとりと視線を漂わせ、どちらかといえば無邪気な口調で話す青年に、エスペリアは眉を顰めた。
隣を見ると、『冥加』を構えたウルカも不審そうに窺っている。アセリアもオルファリルも同様だった。
視線にようやく気づいた、といった感じで青年がゆっくりとこちらに振り向く。
瞬間、ぞっと全身を舐め回すような感覚に、エスペリアは戦慄を覚えた。ゆらり、と青年が動く。
「そうだ、自己紹介をしましょうか。僕は永遠神剣第三位、『流転』のメダリオ……もっとも名乗っても意味など――」
ぶわっ、と青年――メダリオの周囲の雪が圧力に潰され、舞いあがる。あっという間に昏く翳る景色。
「――――ないのですけどね、これから死んでいく貴女達にとっては。……さあ、せいぜい美しい悲鳴を聞かせて下さい」
「! アセリア、ウルカ、オルファ! 気をつけてっ!」
シールドハイロゥを全力で展開しながら、搾り出すように叫ぶ。エスペリアは、懸命に自分を奮い立たせていた。