§~聖ヨト暦332年コサトの月黒ひとつの日~§
頬に当る冷たい雪の感覚に、セリアは目を覚ました。
顔を上げ、ぼんやりと周囲を見渡す。仲間が、所々で倒れていた。
どうやら同じように気絶しているだけのようだ。ほっとして目を凝らすと、広い雪原の遠くに建物が見えた。
あれは、確か……そこまで考えて、はっ、と立ち上がる。全身が重い。マナが、希薄だった。
「くっ……ソーン・リーム遺跡……あそこに『再生』が――――」
――――正解。よく眠れたかい?
「なっ……ぐっ!」
突然背後から聞こえる声。慌てて『熱病』を構え、振り向こうとした。途端、痺れる手先。
「慌てるんじゃないよ。折角起きるのを待ってたっていうのにさ」
「こ、の…………」
「いいねぇ、その敵意丸出しの表情、可愛い顔が台無しだよ」
ぺろっと舌なめずりをする背の高い“女”を、セリアは気丈に睨みつけた。どこかはすっぱな口調。意味不明な目隠し。
状況から、どう見ても彼女はエターナル。その圧倒的な力の差は黙っていてもひしひしと伝わる。
「そうこなくっちゃ。やっぱり気絶している相手を殺してもつまらないからさ」
禍々しい波動のようなものが全身を貫く。萎縮していく身体。絶対に敵わないと自分で決めてしまいそうな絶望感。
忍び寄るのは死の気配の筈。なのに、どうしてもその質問が先に口をついて出た。セリアは正直、呆れていた。
「……………………寒く、ないの?」
皮の様な胸当てはまだいいとしても、殆ど隠せていない、ぴったりとしたショートパンツ。
あろうことか、その前のファスナーがぎりぎりまで開かれている。趣味の悪い毛皮のようなものを羽織ってはいるが、
それも大きく前が開かれたままで、防寒具として役に立っているとはとても思えない。
長いだぶついたニーソックスに辛うじて太腿だけは覆われてはいたが、それ以前に羞恥心というものは無いのだろうか?
「あん? おかしな事聞くねぇ。これから殺されるにしちゃ、随分余裕じゃないか」
「………………そうね」
おかげさまでね、とセリアは心の中で呟いた。
「う、ううん……」
「ここは……あ、あれ?」
「ふぇ? 冷た~!」
仲間達が、次々と起き上がってくる。ヒミカ、ハリオン、ナナルゥ、ネリー、シアー、ヘリオン。
どうやら、第二詰所のメンバーはファーレーンとニムントールを除き、全員揃っているようだった。
「……敵、捕捉」
それぞれが、はっと気を取り直して其々の神剣を構える。見渡して、“女”はくくっと喉の奥を鳴らした。
「ようやく全員起きたようだね。一応自己紹介しておくよ。アタシはミトセマール。永遠神剣第三位――――」
先程『熱病』を絡め取った鞭のようなものがびゅん、とうねる。しなやかなそれがやにわに「獲物」を放り投げた。
「――――『不浄』の使い手だ」
「…………何の真似よ」
ざくっと目の前に刺さった『熱病』を慎重に手に取りながら、セリアは訝しんで訊ねた。
「さっきも言っただろう、無抵抗なヤツを殺したって面白く無いんだよ。人の話はちゃんと聞きな」
「呆れるわね…………絶対に後悔するわよ」
見逃されたという屈辱。そしてそれ以前に、「この女に」ナメられたという事実が妙に反骨精神を煽る。
対峙しながら、セリアは無言でヒミカと目配せを交わした。同様に、残りのメンバーが同時に頷く。
じりじりとミトセマールを中心に、狭まっていく包囲陣。しかし彼女はむしろそれを喜んでいるようだった。
「ふん、虫けらが偉そうに。ま、その方がこっちも楽しめるけどさ。……他に何か、聞きたい事はあるかい?」
「…………無いけど、一つだけ。この寒いのに、風邪引くわよ オ バ サ ン」
「っ! 余計なお世話っっ!!!」
瞬間、ぱっと散開して踊りかかるラキオス隊。同時にミトセマールのオーラが膨れ上がる。
迸る膨大なマナは、驚いた事に慈愛と大地を司るグリーンスピリットのものに非常に似ていた。
ばきばきっと雪原が割れる。その中から飛び出た無数の「根」が、意志を持っているようにしなやかに踊る。
予想外の方向からの攻撃に、踏み込もうとしたネリーとシアーが足をとられて倒れこんだ。
「わ、わわわっ!」
「いやぁぁん!!」
周囲のマナがどんどん希薄になっていく。セリアは、直感した。女が、マナを「吸い取って」いる。
癒しの神剣魔法とは、全く真逆の方向。命のエーテルが逆流している感覚。
「アタシは元々お前達の言う植物。命のマナが大好物なのさっっ!!!」
叫びと共に、ネリーとシアーに絡まった触手が、ずぶずぶとそれぞれの肢に食い込んだ。
「え、な、何……ふあぁぁぁっ!!」
「ち、力が……抜けるぅ…………」
「ネリー! シアー!!」
がくん、と一度顎を仰け反らせた二人の背中から失われるウイングハイロゥ。『静寂』と『孤独』から光が消える。
「…………シッ!」
鍵状に駆け抜け、迫ったヒミカが『赤光』を振り抜く。同時にヘリオンがネリーとシアーを助けようとした。
しかしそのどちらにも、ミトセマールはつまらなそうに反応した。
「てりゃぁぁぁっ!!」
「ほら、もういらないよ」
「…………あうっ!」
ぶん、と無造作に振り投げられたネリーとシアーがヘリオンにぶつかる。
完全に力の抜けた二人が遠心力を伴っては、小柄なヘリオンに受け止めきれる訳が無い。
避わす訳にもいかず、ヘリオンはそのまま一緒に吹き飛ばされかけた。
「風よ~、守りの力となれ~」
どすっ。
「きゅぅぅぅ」
「あらぁ?」
心持ち急いでいるようなハリオンが張ったシールドが、何とか三人を受け止めていた。
一方殺到したヒミカはミトセマールの手元から伸びた黒い鞭に、あやうく「なます」に刻まれそうになっていた。
「はははっ! どうしたどうした、逃げてるだけかい?」
「くっ……はうっ!」
交えるたびに枝分かれしてくる異様な鞭の多面的な攻撃に、遂に受けきれず、皮膚が裂ける。
「下がって、ヒミカっ!!」
「!」
セリアは飛び込み、『熱病』を振りかぶりながら叫んだ。
背中で感じるレッドスピリット特有の熱射。ヒミカが一度牽制し、そして力いっぱい後方へと跳ねる。
同時にセリアもそのままウイングハイロゥを羽ばたかせ、上空へと飛び上がった。
「…………なんだい?」
「…………まとめて、消し飛ばします」
自分から退く二人に、ミトセマールが訝しげに動きを止める。そこにナナルゥ最大の神剣魔法が炸裂した。
掲げた『消沈』から開放された赤いマナが、凝縮されて一度ふっと消えうせる。
時間を措かず、直上から殺到する雷。雷鳴が雪煙を巻き上げ、たちまちミトセマールの姿を水蒸気で包みこむ。
ずぅぅぅぅぅん…………
それは炎を伴っているにも関わらず、燃え上がりもせず垂直な錐となってミトセマールを認識し、貫いた。
拡散していく熱量がびりびりと肌を焦がす。キャンセル出来ないスピリットなら、存在ごと消し飛ぶ威力。だが。
「…………ぐぅっ!」
「ナナルゥ?!」
くぐもった悲鳴を上げたのは、ナナルゥの方だった。振り返ったセリアの視線の先で、腹部を貫かれて呻いている。
「……………………なんだい、今のは。くすぐったいじゃないか」
びゅん、とたった今ナナルゥに突き刺さった鞭を引き抜きながら、ミトセマールがぽんぽんと埃を払う仕草で呟いた。
殆ど絶命寸前までマナを吸い取られたネリーとシアーは動けない。
大怪我を負い倒れているナナルゥと、懸命に回復魔法をかけているハリオンも暫くは動けない。
ヘリオンは吹き飛ばされた時の衝撃で、未だ目を回したまま。
あっという間に二人になってしまった戦力。――――しかしセリアは未だ冷静を保っていた。
「……なんだ、もうお終いかい? こっちはまだ準備運動も済んでないんだ」
言葉通り、ミトセマールを包む緑色のオーラがどんどん分厚く眩く輝いていく。
この荒れ果てた地でどこからそんな大量のマナを、そこまで考えて、ふとセリアは彼女の足元を見た。
ずずず、と聞こえる異音。地面に潜り込む触手。そうか、なら、とヒミカに振り向く。
ヒミカも気づいたのか、頷き、詠唱を始めた。細身の『赤光』その先端がぽぅ、と赤く染まっていく。
「マナよ、力となれ 敵の元へ進み……」
「ようやく覚悟を決めたのかい……健気だねぇ、まだ尻(ケツ)の青い小娘のくせにさぁ」
余裕を持っているのか、ミトセマールは動かない。ヒミカは詠唱の完了と共に、剣を“地面”に突き立てた。
「叩き潰せっ!インシネレート!!!」
「…………何?!」
ばぅっと瞬間的に盛り上がる地面。セリアが飛び出すと同時に、ミトセマールの顔が歪む。
「ちっ! やってくれたね……この代償は高くつくよ!!」
地中に張った「根」にはシールドが無い。むき出しのまま無防備で焼かれた触手に、ミトセマールは舌打ちをした。
一か八かの賭けだった。
「もらったわっ!!」
「これで…………決まれ!」
ウイングハイロゥを羽ばたかせ、最大速度でセリアが迫る。ルージュに輝く『熱病』にちりちりと雪の結晶を撒き散らしつつ。
地中にインシネレートを放ったヒミカが、そのままだっと走り寄る。未だ余韻の残る『赤光』が周囲の雪を蒸発させながら。
「目には目を……って言葉を知ってるかい?」
しかし、ミトセマールにはまだ充分な余裕があった。「養分」が無くても、神剣の「位」の差は隔絶している。
それよりも、小癪な真似をされたのが気に入らなかった。焼かれた「枝」の先でちりちりと焦げ付く痛み。
掠り傷のようなそれがプライドの一部を無粋な爪で引っかいてくる。覆面に隠された瞳に深緑の炎が宿った。
「もう手加減してあげなぁい……ボロ雑巾のようになるがいいさ。楽しみだねぇ、ゾクゾクするよッッ!!!」
そうしてこの世界で持てる全てのマナを一気に凝縮し、『不浄』へと注ぎ込み、
この生意気な小娘二人を永遠に塵以下の分子にまでずだずだに分解して吸い取ってやろうと思った時。
「……ナァッ?!!!」
突然、彼女を包む緑のオーラが影も形も無く、一切が消え失せた。