§~聖ヨト暦332年コサトの月黒ひとつの日~§
「ホラホラホラホラホラホラホラホラッ!!!」
ガッ、ガガッ、ガガガガッ!!!
鋭い切先が、二手から伸びてくる。銀色に光る刀剣にぞっとするような冷気を孕みながら。
「…………く、速い」
アセリアは、懸命に防戦していた。長い『存在』を懸命に折り畳む。小刻みに、それでいてどれも急所。
心臓、肺、頸部、肝臓、人中、脾腹、そしてまた心臓。メダリオの攻撃は執拗かつ迅速、そして正確だった。
『流転』は決して小さくは無い。その両刀を軽々と片手で振るい、鍛え抜かれた敏捷な動きでアセリアを追い込んでいく。
「アセリアお姉ちゃんっ!」
殆ど重なるような、接近戦。巻き込みを恐れ、オルファリルは神剣魔法を放てない。
もっとも、放っても、結果は同じだった。戦い当初、微塵も動きを見せなかった筈のイグニッション。
メダリオは、それを受けも避わしもしなかった。彼を包む水のようなシールドが、じゅっと軽い音を立てただけだった。
「これでもう、大丈夫です」
「くっ……エスペリア殿、申し訳ない……」
先程まで相手をしていたウルカは攻撃し難い筈の足の腱を両方とも切断され、エスペリアの回復魔法を受けていた。
ラキオスの誇る「白い翼」と「漆黒の翼」が二人掛りでも間に合わないスピード。それがメダリオの武器だった。
巻き上がった剣尖に、疾風が二人を包む。アセリアは、旋回しながら一方的に受けていた。
かち上げられ、浮かびそうになる体躯を懸命に沈める。迂闊に力を入れればその部位に『流転』が迫った。
服の裾が切り裂かれ、剥き出された太腿に鮮血が走る。アセリアは次第に圧され、そしてマナを削られていった。
「ふぅ、中々やりますねぇ。でも、僕も負けませんよ……すぐに首を切り落としてあげます」
一度離れたメダリオが、まるで爬虫類のようにアセリアの全身を嘗め回す。その瞳には、明らかに嗜虐の色が見えた。
本気で戦っていた訳では無い。ただ、“嬲るに”相応しい相手かどうかを見極めていただけ。
元々下位神剣など彼の興味の対象外。殺すのは容易い。ただ、剣技だけは目を見張るものがある。そしてそこが重要だった。
「くっくっ……嬉しいですよ。こんな“獲物”に恵まれるなんて、幸せですねぇ」
その長い舌を蛇のようにちろちろと見せながら、メダリオは徐々にその水色のオーラを広げていった。
「エスペリア殿……もしや」
「ええ。私もそう思います……オルファ?」
「な、なぁにエスペリアお姉ちゃん」
目の前で行われる戦いを、固唾を呑んで見守っていたオルファリルが、呼びかけに首を傾げる。
ててて、と寄ってきた彼女に、エスペリアは優しく諭すようにその髪を撫でた。
「いい、オルファ。出来るだけ離れた所から…………」
ガキィィィィン…………
「…………ッ!!」
威力が増大したメダリオの『流転』が、十字に重なり、下から擦り上げるような形で『存在』を巻き込む。
弾かれた『存在』が籠手ごと手を離れ、あっ、と声を上げた瞬間、アセリアはどさっと雪原に倒れこんだ。
後を追い、馬乗りに圧し掛かったメダリオが交差させたままの『流転』をその首筋の両脇に雪中深く突き刺す。
「ふふふ……さぁ、ここまでです。どうしますか、絶体絶命ですよ」
「ぐ…………くく…………」
体重をかけられ、小柄な身体が軋む。当てられた刃が徐々に絞られ、首の皮を裂く。
アセリアはくぐもった声を上げながら、既に剣の無い右手をゆっくりと宙に伸ばした。
「ここまで来て、命乞いなどと無粋な事はしないで下さい。見たいんですよ、貴女の美しい最後が…………ん?」
ぺたぺた。
「………………何の真似です?」
「ん。やっぱりユートの方が……カッコイイ」
「……は?」
「お前……魚臭い。それに、ヌメヌメする」
「なぁっ!?」
刃の下で、アセリアはにっと不敵に笑った。結婚式の時に、ネリーに聞いたファーレーンの台詞。
それを今この場で、アセリアは呟いた。素手で、メダリオの胸をぺたぺたと触りながら実感する。
最初は、強いという意味かと思っていた。でも、この男は違う。カッコイイとは違う。
――――――ユートは強いとは違う、カッコイイ。それに……魚臭く無い。ユートの方が、いい。
ただ純粋に、強さに憧れていた。そんな自分よりも、もっと遥かな高みハイペリア。その片鱗が見えた気がして微笑んだ。
「く…………コ、コイツ、言わせておけば……」
しかし、偶然とはいえ図星を指されたメダリオは半分切れかかった衝動にその本性を現し始めた。
歪んだ口元から、知らず涎が零れ落ちる。魚。それは、彼にとっては決して耳にしてはいけない言葉。
普段理性で鎧われている彼の本性、憎しみと虐殺にのみ愉悦を覚える本能への扉の鍵だった。
「よくも……よくも…………」
震える唇から漏れる怨恨の声と共に、周囲の雪が一斉に融け始める。
かつて、これほどまでに自分を侮辱し、かつ生き延びた者は誰一人いない。
メダリオの身体がぶわっと大量の水蒸気に覆われ、『流転』の刀身が黒い光を放ち始めた。
どうやって“捕食”してやろうか、メダリオがそう理性の欠片で思った時。
「オルファ、今ですっ!」
「うん! マナよ、神剣の主として命ずる。その姿を火球に変え敵を包み込め!」
「神剣の主が命じる マナよ、癒しの力となれ アースプライヤー!」
オルファリルの『理念』が、エスペリアの『献身』が同時に力を放つ。
だがそれは、メダリオに向けてのものでは無かった。周囲の地面。メダリオを囲むように火球が飛ぶ。
力を抑えたのか、表面の雪が蒸発する事も無く水となり、地中に吸い込まれていく。
「…………何の真似ですか?」
意味不明な行動に、あっけに取られたメダリオの瞳に理性が戻る。しかしそれはすぐに自らの体調異変に阻まれた。
「く……これは」
エスペリアの神剣魔法は、付近の針葉樹達に向けて放たれたものだった。
元来、回復は自身が本来持つ自己保存能力を高めるもの。
グリーンスピリットの癒しはその力をマナにより増幅、一時的に高める物でしかない。そしてこの場合は、樹木の力を。
活性化した木々が、一斉に彼らの地中深く広げた根から物凄い勢いで水分を引き上げ始めた。
連鎖して、メダリオの周囲から水のマナが消え始める。元々が水棲動物である彼には、軽い酸欠に近いものがあった。
がっ!
「……よそ見をしていると、こうなります」
背後から襲撃したウルカが、一瞬の隙をついて『流転』を弾き、返す刀で斬りつける。
流石に動揺から立ち直ったメダリオは逆らわずバク転で避わし、更に蹴りつけてきたウルカの足を足で弾いた。
その間に『存在』を取り返したアセリアが反転して両手持ちのまま突っ込んでくる。
既にマナのある地点まで辿り着いたものの、小五月蝿い攻撃の対応に追われ、メダリオはそれを吸い取る余裕も無かった。
「…………チィッ」
一旦離れてしまい、しかも後退するタイミング。適度に空いた距離は、長い『存在』の間合い。
メダリオは“本来”の姿に戻ろうかと一瞬だけ考えたが、即座にそれを却下した。まだ、「位」の差で凌げるその程度。
一瞬油断したとはいえ、また、マナが希薄なこの世界とはいえ、馬鹿正直な一直線の攻撃を避わすのは容易い。
両腕を異様な速さで横に振るう。同時に『流転』の刀身からカマイタチのような黒いマナが群がり飛び散った。
突進してきたアセリアが軽く薙いだ瞬間、ウイングハイロゥの威力が落ちる。
更に、離れた場所でそれぞれに受けたエスペリアとオルファの剣先から魔法の波動が消えうせた。
それはメダリオが長い時の間で編み出した、彼特有の神剣魔法。この世界でも振るえる数少ないものの一つ。
あの時深のように時間を操る芸当などは出来ないが、瞬時に相手の抵抗力を無くす事位は充分に出来る。
足を蹴られ、横転していたウルカが雪塗れになりながら立ち上がり、飛び跳ねる。
アセリアとの位置取りは、メダリオを軸にして丁度中心角1/2πの扇型。
正面と右からの攻撃。思わず得た緊張感に、メダリオは少しだけ口元を上げた。
「いいねぇ……ええ、いいですよ貴女達…………」
メダリオは選択した。避わすよりも、受ける事を。それは、剣技というものに悦びを得る者の性(さが)。
戦いに嗜虐を求める筈の本能にはある意味逆らう感情に、『流転』が不満の声を漏らす。メダリオはそれすらも黙殺した。
「たぁぁぁぁぁっ!!」
「…………参るっ!」
属性を失いつつも殺到する少女と、その真逆とも言える闇のマナを感じさせる少女。
どちらも、もし万が一受けても致命傷にはならないと判断する。メダリオは『流転』を構え直した。
「さて、まずはどちらから…………っ?!」
料理して、と言いかけ、メダリオは絶句した。先程剣を無視したせいだろうかと躊躇する。
そんな事は、今まで一度も無かった。いくらこの世界が微弱なマナしか無かったといっても。
『流転』が、沈黙していた。