朔望

風韻 E

 §~聖ヨト暦332年コサトの月黒ひとつの日~§

「…………ユートさま?!」
テムオリンが消えた後も呆然と『求め』を眺め続けていた悠人は、より開かれた遺跡の奥から呼ばれて振り返った。
ファーレーンがニムントールの肩を庇いつつ、こちらに歩いてくる。兜はつけていなかった。
「ファー……勝ったんだな」
よろける足取りや気絶しているらしいニムントールの様子から、戦ったのはすぐに判る。
悠人はすぐにレジストを唱えた。『求め』が即座にそれに応じる。側に来た二人の傷が塞がっていった。
しかし、展開されたオーラは相変わらず青白いまま。う~ん、とニムントールが目を覚ましたのを確認しつつ悠人は呟いた。
「…………夢、だったのか……いや…………」
「ありがとうございます……ユートさま?」
ファーレーンは難しい顔をしている悠人にすぐに気がつき、上目遣いで覗き込んだ。心配そうにそっと頬に触れる。
視線を合わせた悠人の顔が、少しづつ驚きに変わっていった。一度彼女の持つ『月光』を確かめ、そして再び顔を覗く。
『月光』は、沈黙している。それなのに、ロシアンブルーの瞳に映る自分の顔。それは、つまり――――

「へへん、驚いたユート? お姉ちゃん、治ったんだから」
目を擦っていたニムントールが悠人の疑問に先回りして応える。
悠人は何故か威張るように胸を逸らせる緑の少女を、ファーレーンごときつく抱き締めた。
「ユ、ユートさま?」
「ユユユユート?!」
「………………」
戸惑ったような声が二つ同時に聞こえる。それでも悠人は無言で二人を抱き締め続けた。胸が詰まって何も言えなかった。

「他の皆は……って判るわけ、ないか」
手元の『求め』に精神を集中させて気配を探っていた悠人は、諦めたように溜息をついた。
隣を歩いているファーレーンとニムントールに話しかける。
この遺跡(?) らしきものの中には、自分達以外に神剣の気配が無い。唯一つ、味方では無い一本を除いては。
「ええ、ですがここに来る途中、キハノレの周囲から大きな光が四つ同時に消えました。恐らく……」
「外か。気づかなかったな……え、よっつって……エターナルなのか?」
たった今まで戦っていた悠人にはそこまで気を配る余裕は無かった。しかし冷静に考えてみると、確かに色々とおかしい。

そもそもエトランジェである自分がエターナルに勝ったという事。時深の話だけではなく、実際に戦った筈なのに実感が無い。
それに、そう思えば変に気だるい身体。何が足りないという訳でもないのに足取りが重い。いつもの歩幅で歩けない。
激戦の疲れなのか、呼吸をするのにも妙に息苦しさを感じてしまう。『再生』のプレッシャーなのだろうか。
そうして、ファーレーンの発言。大きな光、というのがもし本当にエターナルだとしたら、仲間が倒したのか。
願っている訳では無いが、どう考えてみてもスピリットがエターナルに勝てるとは思えない。更に、四つとは――――
「……待てよ。テムオリンが言っていたよな。ロウエターナルって、この世界に五人じゃなかったか?」
ぴたり、と足が止まる。テムオリンは自分が倒した。ファー達がタキオスを倒している。
向かう先、『再生』と思われる気配の側には忘れもしない殺意。瞬がまだ完全に飲み込まれてなければ、残りは、三人。

ばんっ!

「~~~~~」
「また何か考えてるでしょ。そういうの、ユートには似合わないからやめた方がいいよ」
立ち止まり、考え込みそうになった悠人の背中に強烈な平手打ちが響く。悠人は息がつまり、思わず屈み込んだ。

「ちょ、ちょっとニム!」
「けほ、けほ……あのなぁ」
心持ち涙目になりながら見上げてみると、何故かふんぞり返っているニムントールと慌てて嗜めるファーレーンの姿。
「ダメだよお姉ちゃん。ユートは放っとくと勝手に落ち込んじゃうんだから。ニム、知ってるもの」
「なな、なんでニムがそんな事知ってるんですか!」
「もぅ、そんな事どうでもいいでしょお姉ちゃん。それよりツマなんだから、ちゃんとオットノシリヲタタイテあげないと」
「え、え……何? ニム、それなに?」
説得しようとしたファーレーンの方がすぐにおろおろと防御に回る。調子に乗ってハイペリア語を連発するニムントール。
あっという間に立場が逆転していた。どっちが姉だか判らない。悠人は急に気が楽になって、ぷっと軽く噴き出した。
「ニムそれ、意味判って言ってるのか? ファーも落ち着け。後、それ以上聞いちゃ駄目だ、色々と」
「ですが……もうニムったら、最近全然わたしのいう事聞いてくれないんですから……」
悠人を尻目に言い争う二人に思わず突っ込みを入れながら、頭が真っ白になっていくのを感じる。
ふんっ、と鼻息の荒いニムントールと首を傾げて困っているファーレーンを見ていると、不思議に心が落ち着いてきた。
「どうでもいいでしょそんな事。ほらユート、着いたよ」
「どうでもいいってニム、そんな言い方……あ」
「…………ああ。今はまず、『再生』を止めなくちゃ、な」
「あ……ユ、ユート?」
悠人はぽん、とニムントールの髪に手を乗せた。そのままくしゃっと軽く撫でる。感謝のつもりだった。
さらさらの髪が指の間を通る。何だか珍しく大人しく、じっとされるがままになっているニムントールに微笑む。
ちらっとファーレーンの方を見ると、ロシアンブルーの瞳が細く優しい眼差しで微笑み返していた。
三人で、きっと帰る。そして、叶える。こんな幸せな時間を、みんなで手に入れる為に。
「ユートさま……行きましょう」
静かに告げるファーレーンに、ぐっと力強く頷き返した。

いつの間にか辿り着いた、巨大な扉。蒼い結晶体のようなものが、内から噴き出す猛烈なマナによって赤紫に照らされている。
その中から、今にも弾け飛び散りそうな『再生』と、じっと佇む『世界』の禍々しい気配。
仲間の事も気掛かりだし、先程の疑問も残る。だけど今は、先に進もう。悠人はそう決心をし、重い扉に手をかけた。

真っ赤に噴き上がる濃密なマナの溶鉱炉。その中心に、聳え立つように浮いている一本の巨大な塔。
形状だけはオルファリルの両刀型に似ているが、その大きさといいびりびりと伝わってくる力といい、とても比較にはならない。
黒く浮かび上がる影に内在された意志の塊のようなものが深い臙脂色に混ざり合った複雑な指向性を持ち、
それはとっくに善悪などといった人間的な感性を超越し、萌芽する寸前の植物を連想させて悠人達を精神的に圧倒した。
ビッグ・バン。そんな単語が頭をよぎる。消滅と誕生。避ける事は叶わない、あらゆる物に常に繰り返されてきたサイクル。
「……『再生』、か」
呟いてみる。本来、生み出される瞬間に使われる名詞。しかし紛れも無く、それは沈黙の後に囁かれる言葉だった。
「凄い……」
隣でニムントールが呟く。語彙が足りないのでそんな表現になる。拡大し、曖昧になっていく解釈。一言で済むものではない。
伝わらなかったイメージは、各々の心に反射する。狭い範疇での思考など、何の役にもたたない。

剣は、上下方向に垂直に浮いている。下方に向いた直方体のような剣先から、迸っている一本の光。
表面に何かの文様が刻まれているブロック体が光を中心に放射状に浮き、多数が集まって地面を形成していた。
隙間から覗き見えるその下は無限に続くかと思われるようにどこまでも深く、部屋には壁と呼ばれる横方向の仕切りも無い。
遺跡の中の筈なのに、どこまでも広がる空間。その非現実めいた中心で、光が収束している一点。
周辺の赤を透明に照らし、ワインレッドの輝きに満ちたマナが溢れる『はじまりの場所』に、――――いた。


「決着をつけようぜ、瞬」
もう、怒りは無かった。交わすべき言葉も無い。悠人は『求め』をゆっくりと構えた。異形と成り果てた瞬を見据えて。

「…………人間が、ここまで辿り着くか」
宙に、守るように取り囲む六本の槍のような翼。赤黒く光る、爬虫類の鱗を思わせる右肩、左腕。
太く血管が浮いている手、足先から生えた赤い爪。長い前髪がかかる双眸は限りなく赫く、貼り付いたように動かない表情。
人の形を保ってはいるものの、それはもう人ではなかった。抑揚も無い声が低く響く。
「我と戦うためか……それともこの男との因縁のためか……まぁ、それもどうでも良いことだ」
「…………」
サーギオスで感じた殺意は感じられない。質の悪い新興宗教に洗脳されたような陶然とした呟き。
悠人はどうしても、目の前の強敵に憎しみを感じる事が出来なかった。瞬に、哀れみしか持てなかった。
「……ファンタズマゴリアを、滅ぼさせはしない」
だから、それだけを告げた。瞬ではなく、それを飲み込みつつある『世界』に向けて。

「ならば、力で挑んでくるのだな。『再生』が完全に暴走するまで、まだ暫くはあるぞ」
見ようによっては美しい臙脂の刀身に、殊更銀色に輝く刃。瞬が軽々と右手を振り被る。
地面から浮かび上がり、高速で回転し始める赤い魔法陣。悠人は咄嗟に『求め』へと力を籠めた。
この間合いでは、瞬に届かない。後ろにいるファーレーンとニムントールに向かって叫ぶ。
「気をつけろ……来るぞっ!!」
オーラフォトンを展開し、高速で周囲のマナを再構成する。悠人には、何が来るのかは判らなかった。
選択したのはレジスト。汎用性で防ぐつもりだった。途端、瞬の周りに見えない圧力のようなものが発生し、
「……オーラの爆発をその身に喰らえ!」
背後で、ひっと息を飲む気配。二人も何か詠唱をしていたようだが間に合わなかった。
やはり、と舌打ちする。『誓い』の時もそうだったが、瞬の詠唱は速い。そしてそれは必ず攻撃に向けられていた。

「オーラフォトン・ブレイク!!」
背中に背負う程深く肩に乗せた『世界』の先で、縦に展開された魔法陣が弾けた。同時に足元で、何かが膨れ上がる気配。
「なっ…………これは!」
悠人は目を疑った。『求め』の、白銀のオーラが消滅し、そこに赤く円形の文様が渦巻いている。
それは、先程まで瞬の周囲を取り囲んでいたもの。瞬のオーラが一瞬にして自分達との間合いを0にしていた。

「ユートさま、飛んで下さいっ!」
「…………ファー!」
声に、咄嗟に屈み、膝に力を籠めた。一気に伸ばし、右へと飛ぶ。ファーレーンも、ウイングハイロゥを広げ
ニムントールを抱えたまま飛び跳ねた。偶然なのか、同じ方向へと移動する。同時に足元が、紫色に“爆発”した。

「うぉっ!」
悠人は叫び、『求め』を薙いだ。迫り来る鉄塊のような脅威。それは的確にこちらへとベクトルを向けている。
「バカ剣! 耐えろよっ!!!」
レジストは消されたが、このままでは防御も出来ない。力任せに振るった先に、重く鈍い衝撃。
何も見えない空間に、ばちぃっと金属同士とは思えない異様な剣戟が響き渡った。
受けた身体ごと圧し潰されそうな感覚に、腕が悲鳴を上げる。悠人は歯を食いしばり、着地した地面を踏みしめた。
「風よ、守りの力となれ……ウインドウイスパ!!」
ようやくニムントールの詠唱が完了する。広がる緑色の盾により、僅かながらに弱まるオーラフォトンブレイク。
「いきますっ!!」
そこへファーレーンが飛び込んでくる。ウイングハイロゥを極大まで煌かせ、四肢を小さく折り畳み。
「……月輪の太刀っ!!!」
繰り出された『月光』が、主の意志を忠実に受けて弾ける寸前のオーラフォトンを斬り付ける。
同時に悠人は押し出すように『求め』を突き出した。そうして後一歩という所で。

ズゥンッ!
「うわぁぁぁっ!」
「きゃあああっ!」
「んぁうっ!」
臨界に達したマナが、崩壊を繰り返す。その余剰エネルギーは、至近距離にいた悠人達を簡単に吹き飛ばした。
もうもうと遺跡の欠片を舞い上げ、血煙の様な色に染まった空間に向け、瞬の無機質な声が囁く。
「……弱すぎる…………死ね」
悠人はよろよろと立ち上がりながら、『求め』越しにその声をはっきりと聞いた。