朔望

風韻 F-1

 §~聖ヨト暦332年コサトの月黒ひとつの日~§

先程の攻撃をもう一度くらえばひとたまりも無い。避わそうとして、悠人ははっと後ろを振り返った。
今の衝撃からまだ立ち直っていないファーレーンとニムントールが蹲っている。
このままでは、後ろの2人が危ない。悠人は咄嗟にその場でもう一度レジストを展開しようとした。
しかしその一瞬の躊躇いが瞬に第二撃の発動を許してしまう。いずれにせよ間に合わない、高速の詠唱。
「遅いぞぉぉっ!悠人ぉぉぉっっ!!!」
名前を呼ばれる違和感が一瞬頭を掠めるが、今はそれどころではない。二人を庇うように前に立つ。
赤黒いその牙は、先程同様紙のようにあっけなくそのオーラフォトンを突き破った。そして今度はそれが細く分裂する。
「く、ぐぁぁぁっ!」
体中を切り裂く槍を、悠人は必死にシールドだけで防いだ。だが、それも時間の問題だった。
「ユートさまっ!!」
「ユートっ!!」
後ろから、悲鳴が聞こえる。しかし悠人には振り向く余裕も無かった。無限かと思われる程、降り注ぐ魔槍。
「だ、大丈夫……だっ!」
まともに返事も出来ず、歯を食いしばる。反撃が出来ない以上、絶望的でも今は耐えるしかなかった。


今にも吹き飛ばされそうな悠人の背中を見て、ファーレーンは冷静に決心した。
この敵は、強い。負けるつもりはもちろん無かったが、それでも近づけない現状では切り崩せもしない。
問題は、タイムラグ。どうして一度、攻撃が已んだのか。限界点が、そこに見えてくる。或いは、と仮定する。
膨大なマナの出力に、一時的な容量が足りていないのではないか。瞬という、人間としての器の中では。
高位神剣を振るう、そんな事がこのマナの希薄な世界ではそう容易い訳が無い。タキオスがそれを示していた。
自分のようなスピリットでも、この無尽蔵にマナの満ちた空間で、『月光』を振るえる機会があるのなら。

――――それは、今しかない。敵の攻撃が収まる前。マナを補給する為に、ただのスピリットでも脅威になりうる瞬間。

そうして決断する。それは“人”として、最大の能力。スピリットという種族が今まで出来なかった自己判断。
ファーレーンは、自らの運命を自分で決める意志を、すでに持っていた。目の前の、大きな背中によって。

三人は無理でも、二人なら戦える可能性が生じる。そんな単純な差し引き。
恐らくもう一撃は誰にも耐え切れない。動くならこれが最後のチャンスだった。
「ニム……ゴメンね」
「?……お姉ちゃん、何を……あっ!」
まだ上手く体を動かせないニムントールを、悠人の方へと押しやる。そしてなけなしのマナを背中に集中させた。
悠人のシールドの外に飛び出し、『世界』の注意を少しでも逸らす。それがファーレーンの思いついた“賭け”だった。
それによって、たとえ自らが消滅しても。それがスピリットの、ひいては世界の未来に繋がるのなら。
…………決して死に急ぐのではなく。望んだ未来の葉を開く一粒の萌芽になれるのなら。
ファーレーンはタイミングを計り、最後にニムントールの様子を窺った。緑柚色の瞳と目が合う。


「お姉ちゃん……後はよろしくっ!」
不自然な程に明るい声が、ファーレーンの足をぎくり、と止めた。

「な……!」
叫ぶ暇も無かった。『曙光』のシールドハイロゥで緑色に輝いたニムントールが、悠人の前に飛び出していた。
それはまるで、ファーレーンの考えをトレースしたような動き。ニムントールは明らかに姉の思考を読んでいた。
読んでいて、それでいて自分に置き換える。素直な感情が余りにも単純に、少女の行動を決断させていた。
「ニムっ!お前何をっ!」
突然目の前に立った小柄な少女。綺麗に刈り揃えられた緑の髪が散り散りに舞うのを悠人は見た。

 …………ドドドドドッ!

「ユート……お姉ちゃんを泣かしたら……しょうち……しない、から…………」
あっという間に『曙光』がシールドごと崩れ去る。残されたニムントールの体から無数の黒い槍が伸びていた。

「ニムぅっっ!!!」
ファーレーンの叫びが、吹き荒れる嵐に掻き消される。それでも闇の濁流に飲み込まれる瞬間ニムントールはにっこりと頷き、

 ――――大好き

いままでで最高の笑顔を見せながら、あっさりとその存在を失った。それはあっけない、本当にあっけない最後だった。