いつか、二人の孤独を重ねて

りんごあめ、ちょっぴりあまくて…すっぱくて

 -あのね…いつだって、みてたよ?
大好きなあのひとの背中に、心の中で小さな声でつぶやく。

食事を終えて、部屋に戻って窓を半分だけ開けてみる。
のぞきこんでみて、見えた夜空から少しだけ冷たい風が星と一緒にそよいでくるよう。
後ろでは、ネリーが風呂の準備をしている。
横目でその様子をちらりと見たあと、また窓の向こうに視線を戻す。
今日は、あの赤い星がここからだとまだ見えない。
そういえば、時々一瞬だけ赤い星のそばに小さな青い星が見える気がするけれど。
気のせいか何かなのだろうか、それともかなり見えにくい星なんだろうか。
 -赤い星がユート様で、小さな青い星がシアーで…。
ふと、なんとなくそう思ったら無性に悲しくなってきた。
 -生まれてからの事を…なんにも、おぼえていないのはどうしてなのかな。
気がついたら、いつの間にか施設へと連れて来られて来ていて。
その前からわかるのは、ずっとネリーと手を繋いでてずっと一緒だったという事だけ。
ぼんやりと、ラキオスに送られるまでのあの日々の事が思い出されてくる。

にんげんに…えいえんしんけんを持って、にんげんのためにたたかえと教えられてきた。

人間に…永遠神剣を持って戦えば楽しいとか気持ちいいぞとか教えられてきた。
ふと、壁にかけてある「孤独」を見て思う。
神剣の、「孤独」の声を聞いて…それに従って身体を動かすこと。
くんれんし、だとか偉そうに威張る人間の命令通りに…けんじゅつを覚えていくこと。
出来なかったら、意味は理解できないけど悪口だとわかる言葉を浴びせられた。
出来たら褒めてくれたしご褒美にお菓子をもらえたけど、なんにも嬉しくなかった。
嬉しくなさそうにしてたら、怒鳴りだしたので嬉しそうにして見せるようにしたけれど。
どっちにしても、人間が自分たちを見る目は冷たくて気持ち悪くて怖かった。

でもそのうち、人間が自分たちを怖がってるのを隠してるんだとなんとなく気づいたけど。
気づいたけど、そんな事を言ったらネリーが酷い目にあう予感がして…だからやめた。

人間なんて、嫌いだった。

何もしてないのに勝手に威張って言う事聞かせて、勝手に嫌な目で見下してきて。
そのくせに、こちらに対する目の奥や仕草の裏と声の調子に勝手な怯えがあって。

 -何もしてないのに勝手に怯えないで…何もしてないのに勝手に悪口を言わないで…!

好きになれる理由なんて、何処にも何もなかった。
 -ネリーは、どうだったんだろう。
もらったお菓子をわけあったり、なんでもない話で盛り上がったりはしたけれど。
ネリーは、いつも笑ってくれた。傷だらけでも悲しそうでも必ず自分に笑ってくれた。
私も、そんなネリーに何とか笑顔を返そうとしたけれど…どうしても無理やりだった。
そんな自分を抱きしめてくれるネリーの温もりだけが、信じられるたった一つだった。
自分も、出来るだけ一生懸命に抱きしめ返してみるけれど。
ネリーには、自分が抱きしめてもかえって冷たいだろうなとしか思えなくて申し訳なくて。
「ねえ、シアー。こうしてネリーといる時だけは泣いてもいいんだよ?」
どうして、いきなりそんな事を言い出したのかわからなくて。
「ネリー、いつだってシアーの事見てるからわかるんだよ?
 ネリーはシアーのお姉ちゃんだから…シアーがシアーの中にためこんでるのわかるよ?
 気持ちが辛かったりとか、そういうのは…ちゃんと涙にして出さないとダメだよ?」
わからなくて戸惑っているしか出来ない自分を、お姉ちゃんは強く抱きしめてくれて。
施設に来てからいつの間にか…痛くても苦しくても出なくなってた涙が、あふれてた。

「よかった、シアーの涙は枯れてないっ!シアーの心は枯れてないっ!!」

嬉しそうにそう言いながらまた抱きしめてくれるネリーを抱きしめながら。
こういう時の涙って、こんなに熱いんだと生まれて初めて知った。

見ている限り、ネリーもシアー自身と同じようにされているように感じていた。
自分は人間が嫌いだけれど…こんなに優しいネリーは、一体どう思ってるんだろうか。
何度か、聞いてみようと思って呼びかけたりするけど何故か躊躇われて聞けなかった。
人間というものをどう思うか、という事に関してはどっちからも決して口にしなかった。
そんなある日、訓練をはじめる少し前に訓練士に聞いてみてしまった。
漠然だけれど確かに疑問に思ってた事だったけれど、今更それほど興味もなかったのに。
ただ、どうしてか…ぽろりとこぼれてしまった。違う、こぼしてしまった。

「どうして、戦うの?…そんなに戦うの好きなら、どうして人間たちでやらないの?」

目の前の訓練士は、あんぐりと口を開けて目を白黒させていたけれど。
やがてすぐに、顔を怒りに歪めながら侮蔑の眼差しを向けてきた。
そして浴びせられる、罵声と…ただ自分たちがスピリットだからという理不尽な答え。
 -そっか…人間も、人間が怖いんだ。だから、こうしてスピリットにやらせるんだ。
その時の自分の感情が、すごく急にどんどん冷えていったのを今でも覚えてる。
 -ネリーやシアーたち以外のスピリットも、何処の人間もこんなふうにしてるんだ。
けれども、その冷えていった感情が…自分の顔というか目に出ていたみたいだった。
「今日の訓練は…メニュー変更だ」
あまりにも暗い声が、あまりにも明瞭に訓練場に響いたのが…あまりにも気持ち悪かった。
用意をして待機だと言われて、それからしばらくして。
訓練士が、仰々しい鎧甲冑と盾と戦槌で完全武装してきたのが何だか可笑しかった。
自分は防具どころか戦闘服も神剣もなく、ただ裸足の下着姿で棒切れを持たされただけ。

「お前たちスピリットは、人間のために人間を守って戦って人間のために死ぬんだ。
 だから…人間の力を思い知らせてやる。この私が、人間の怖さを教えてやる」

そう言ったかと思うと、でたらめに叫んで襲い掛かってくる人間を…ただ、見ていた。

何もしないのも余計に怒りを誘うだろうから、形だけ上にかざした棒切れが砕ける。
棒切れを砕いた勢いのままで、戦槌が肩に打ち込まれる。
感じたのは、肩で自分の骨が折れた感覚と戦槌の冷たい重さ。
 -痛いけど、何も感じないなあ…痛いけど、めんどうくさいなぁ…。
「汚らわしいスピリットごときがっ!いつも…いつもいつもいつもいつもっ!」
その衝撃で、訓練場の床に尻餅をついた格好に倒れた。
 -人間って、こういうふうにするのが楽しいんだ。
形だけ、痛そうにして見せて…防御も何もしないで打ちのめされるままにされていた。
「私はっ…私はなあっ…由緒正しい騎士の血筋なんだっ!」
打たれる。
叫び声をあげるのも、おっくうだった。痛みを感じるのさえも、おっくうだった。
「貴族なんだぞっ!人間の中でも高貴な、貴族様なんだぞっ!それも長男だぞっ!」
打たれる。
そうっと、気づかれないようにこっそり横目で見た人間の顔は醜かった。
「その私に、父上は勉強だなどと言ってっ!下賎なスピリットの訓練士なんぞにっ!」
打たれる。
ただ感じていたのは、痛いのに痛むのさえめんどうくさいのが自分で不思議だった事だけ。
「こんな辺境の施設に私を追いやった父上や兄弟どもこそが、無能なのだっ!」
 -わめかないでよ、唾がかかって汚いんだってば…。
打たれる。
「それなのに、それなのにっ!どいつもこいつも私を無能呼ばわりしおってっ!」
 -まだ終わらないのかなぁ、いつまで続けるのかなぁ。
打たれる。
「それに加えて、お前だ!いちいちいつも、私をそんな目で見よって…!」
 -なんだか、頭がぼうっとしてきたけど…眠いのとは違うなあ。
「はあはあ、はあっ…思い知ったかスピリットめ…これが人間の、私の力だっ!」
より勢いよく振り下ろされる戦槌を見つめながら、脳裏にネリーの笑顔がよぎる。

 -ネリー、ごめんね…シアーはもういくね…さよなら…。
ゆっくり、目をつぶって待っていたけれどいつまでも戦槌の衝撃は来ない。
「シアー、大丈夫!?ねえ、しっかりしてシアーっ!」
決して今この場に来るはずのない、聞きなれた声に驚いて目を開けると。
「ひどいよ、こんなの…ひどすぎるよ…あんまりだよぅ!
 でも、でも…もう大丈夫だから。ネリーが来たから…シアーを守るから…!」
別の場所で他の訓練士のもとで訓練していたはずのネリーが、自分を抱きしめてた。
 -泣いてるの、ネリー?
自分の身体に落ちるネリーの涙は、傷にしみるけれど暖かくて…ただ、嬉しかった。
ふと思い出して、さっきまで自分を打ちのめしていた訓練士の姿を探してみる。
訓練士は、訓練場の隅っこで鎧の重量で起き上がれない身体をおこそうともがいていた。
「ネリー、どうしてここに?…何を、したの?」
まさか…と悪い予感が止まらないのを隠し切れないままで、ネリーに問うと。
「何って…訓練してたら、突然胸騒ぎがして…静寂が鳴り出して止まらなくて…。
 それで、シアーの事を思い出して訓練バックれて全速力でシアーのところに来たら…。
 シアーが、あんな事されてたから!アイツを体当たりでブッとばして助けたんだよっ!」
全身から血の気がひいていくのがわかる感触を、その時に生まれてはじめて知った。
床に乾いた金属音が不規則に響くのに気がついて、その方向を見やると。
あの訓練士が、鎧を自分の身体からはぎ捨てながら凄まじい形相でこちらへ向かっていた。
さっきまで自分を打っていた戦槌で、今度はネリーを狙ってるんだとはっきりわかった。
「貴様ら…私は人間で騎士の血筋で貴族で長男でエリートなんだぞ…それを…。
 貴様も、貴様も…私を無能呼ばわりするのかあっ!」
ネリーは、訓練士を睨みつけたままで黙って動かないでいる。
 -いけない…いけないっ!
戦槌が、ネリーに振り下ろされる瞬間に自分の身体をひっくり返す。
「シ、シアーっ!?ダメだよ、離してっ!離して、シアーっ!」
訓練場の壁にかけられた「孤独」に心の中で呼びかけて、全力でネリーを押さえつける。
さっきまでの訓練でマナを消費しきっているネリーは、必死でもがくも動けない。

ネリーをかばう自分の背中に、戦槌が先ほどにもまして激しく打ち込まれる。
口の中に、いつもの訓練で慣れきった血の味が広がってゆく。
真下のネリーの服に、自分の口からもれる血がぽたぽたと落ちていくつもの染みを作る。
「やめて、やめてよっ!シアー、骨がボキボキ折れてくのがわからないのっ!?」
横目にネリーの「静寂」が青く輝くのが見えて、「孤独」に更に強く呼びかける。
背中に何度も何度も打ち込まれる衝撃に意識が遠くなるのを必死でおさえて。

とにかく、ネリーを…人間から守ることだけを考える。

そのうち、背中への衝撃もネリーの叫び声と泣き顔も何だか遠くに感じられてきて…。
目をさましたら、訓練場じゃなくていつもの自分の部屋だった。
全てがわからなくて瞬きしているうちに、全身包帯姿でベッドに寝てる事に気づいた。
「シアー、気がついた…?もう、本当に大丈夫だからね?」
ネリーが、ひどく心配そうに自分の顔をのぞきこんでるのにも気づいて。
「シアー、死にかけてたんだよ?もう少し遅かったら本当に危なかったんだから」
手が、ぎゅっと握られるのを感じる。
 -この手があったかいのって…そっか…ネリー、ずっと握っててくれたんだ…。
「ネリーの担当の訓練士が、他の訓練士や兵士を連れて駆け込んでくるまで…。
 アイツ、シアーにひどい事し続けてた。わけわからない事わめいて、笑いながら」
ぽつり、と説明をはじめるネリーの言葉で初めて現在の状況に対する疑問がわく。
「他の訓練士と兵士たちが、アイツを取り押さえて…シアーを手当てして部屋に運んで。
 緊急事態のために待機していたグリーンスピリットが魔法を使い果たして。
 それでやっと、シアーは助かったんだよ…」
自分の顔に、ネリーの涙が落ちるのを感じる。
「それから…さっき、聞いたんだけど。
 アイツは、もう二度と来ないってさ。今さっき、どっかへ連れられてった。
 なんでも、軍事裁判ってのにかけられて処罰されるんだって…」
そこまで話して、ネリーはやっと少しだけ笑ってくれた。

それから、傷が完全に癒えた頃にラキオススピリット隊への正式な配属が決まった。

そこまで思い出して、ふっと目を閉じる。
夜風が、切り揃えた髪を流してゆく。夜風が、頬を優しく撫でてゆく。

 -人間なのに、あの人だけは違った。

おとぎばなしでしか聞いたことのない伝説のエトランジェは、自分の嫌いな人間だった。
確かに人間だったのに、自分が知ってる人間たちと雰囲気が全然違った。
珍しい動物を見てる気持ちでネリーの背後に隠れて見てた自分に、微笑んで手を振った。
その時の目が、今まで見てきたどの人間たちの目とも違った。

 -人間なのに…どうしてあんなに、優しい目で見てくれるんだろう。

初めて戦争に行った時、初めてスピリットを殺した時。
怖かった。
目の前で、自分たちスピリットの手によって同じスピリットが殺されて。
口から血を吐いて傷口から血をたくさん流して、もがき苦しんでマナの霧と散っていった。
初めて見たその光景が、とても怖かった。

次は自分なんだ、自分もこうなるんだと思った。

身体が寒くて震えて、怖さで冷たい涙が止まらなくてガタガタと歯が鳴って。
それまでの自分自身の緊張も周りの声も、何もかも混乱してわからなくなって。
ただ、何かすがるものが欲しくて目の前にあった足に必死にしがみついた。
そしたら、ふわりと頭を撫でてくれた。優しく髪を撫でてくれた。
その手のあったかさに震えも涙も止まって、ゆっくり気持ちも落ち着いてきて。
はじめてふれた、あの人の優しさは…誠実な温もりだった。
あの後も、あの人の温もりはずっと自分を守ってくれた。
理不尽な要求も酷い事も、何も求めてこないでくれた。
ただ、誠実な温もりだった。

そこで、やっとそれまでの色々な事を思い出すのをやめて。
 -もうネリーも、ほっといて一人で風呂に行っちゃったよね…。
自分も風呂の準備をしようと思って、窓を閉めて部屋の内側へ向き直ると。
寝巻きに着替えて風呂の準備をすませたネリーが、ベッドに腰掛けて。

「ん、気持ち落ち着いた?…風呂、いけそう?」

いつものポニーテールを解いて、いつものように微笑んで…ずっと待っていてくれた。
「ほら、シアーのぶんも風呂の準備をやってあるよ?
 シアーは、あとはそこのお星様模様のパジャマに着替えるだけでだいじょーぶっ」
優しすぎる。
「…何を思い出してたのかくらいネリーにもわかるから、さ…」
自分くらいしか滅多に見れないストレートヘアーでの、その笑顔があまりにも優しすぎる。

この姉こそ、優しすぎるあまりに…いつか、心を枯らしてしまわないんだろうか。

「ネリーがユート様を怒って以来、シアーとユート様は一緒に沈みっぱなしだよね」
寝巻きに着替えてネリーから、下着やバスタオルなど入浴セットを受け取る。
「ユート様ってば、時々キョロキョロするだけで全然シアーを捕まえられないなんて…。
 この前の事といい、ラブが足りないとネリーは思う。くーるなオンナのネリー的にっ」
おおげさに肩をすくめて、そんな事を言ってくるネリーに苦笑を返して。
 -というか、ユート様が寂しそうだから出てこようとすると引き止めてたじゃない…。
「ラブとかネリーがくーるなオンナかどうかはともかく、ユート様は誠実で優しいよ?」
わざと、さりげに酷い事を言ってみながら部屋の戸を開けて廊下に出る。
「シアーはさ、普段の行動を見てると時々読めない事があるよね。
 まったく本物の天然なのか、ちゃっかり策士なのか紙一重だよ…たまに」
こちらをギロリとジト目で見ながらネリーも廊下に出て、足で蹴って戸を閉める。

「こらっネリー!足で戸を蹴って閉めるなんて、行儀が悪いでしょうッ!」
その途端に鋭い怒鳴り声が廊下に響いて、ネリーが身体をびくうっと跳ねさせる。
油汗をだらだら流しながら引きつり笑いを浮かべるネリーと共に声の主へ振り向くと。
ネリーと同じくポニーテールを解いて風呂の準備万端のセリアがネリーを睨んでいた。
「あ、あはははははは…。セリアも…こ、これからお風呂?」
何とか、これから聞かされるだろう小言を回避しようと震える声で努力を試みるネリー。
「そのつもりだったんだけど…今ちょうど、お客様が見えてね。
 シアー、ユート様があなたに会いに来てるんだけれど…どうするの?」
 
 -えっ…ユート様が会いに来てくれた?
 -確かにゆうべ寝る前に、「逃げる背中を追いかけさせろ作戦」終了だとか言われたけど…。
 -今日はもう、会ってくれないんだと思ってたのに?

「へ?…今日は朝からシアーに引っ張られて第一詰め所に何度か行ったけどいなかったのに」
一緒に驚いてるネリーが言う通り、もう自分から謝ろうと思って朝から何度も会いに行った。
ネリーやニムにセリアとキョウコ様は、絶対に男から謝らせるべきだと主張していたけれど。
「とりあえず、客間へお通ししてあるけれど…もう夜遅いし風呂に入りにいくとこ…っ!?」

セリアの台詞が終わる前に、セリアの横をすり抜けてユート様のところへ走る。

後ろから、セリアの怒鳴り声が聞こえてきたけれど今だけは無視して走る。
息を切らして、客間に飛び込むと果たしてユート様がそこにいた。
何かが詰まった買い物袋を抱えて、会いたかったその人はそこに立って待っていてくれて。
「シアー…ごめんな、こんな夜分に会いに来てしまって、さ。
 あと、朝から何度も第一詰め所の方に俺を訪ねてきてくれたんだって?
 エスペリアから聞いた。…本当に、ごめん…ごめんな、シアー…」

もう、その人がそこにいてくれるだけで何もかもどうでも良かった。
ほんの数日でかなりためこんでいた感情が、一気に溢れてくるのを止められなかった。
止めたくもなかったし、止める理由もなかった。

「ユート、様…会いたかった。シアー、ずっと会いたかった…!」

抱えていたバスタオルや下着などを床に放り投げて、シアーは悠人の胸に飛び込む。
両手を大好きな人の背中にまわして抱きしめると、悠人はそっと両手で肩を抱く。
「シアー、あの時は最低な事を言ってしまって本当にごめん…。
 ただ…シアーを傷つけたくなかったんだ。俺がシアーを傷つけるのが怖かったんだ。
 それなのに、かえって傷つけてしまって…もう二度と、あんな事は言わない」
その言葉に顔をあげると、辛そうな表情でじっと真っ直ぐ見つめてくる悠人の顔。

「…もう、いいの。シアーは、もういいの。
 ただ、ユート様が…ユート様が優しい目で真っ直ぐ見てくれるのがいつも嬉しかったの。
 けど…けど、あの時に思わず泣いたのは…もう見てくれないんだと思ったの」

シアーは、首を強く横に振ってから悠人を真っ直ぐ見つめ返しながら気持ちを吐き出す。
悠人の脳裏に、あの時にネリーが言った…ユート様のシアーという言葉がよぎる。
「ああ…本当に、本当にごめんな…!」
片手でぎゅっと強く抱きしめて、もう片手で髪を撫でる。
しばらく、ずっとそのままでいて。
やがて悠人とシアーのどちらからともなく、ゆっくりと身体を離して。

「今日いなかったのは、さ。俺のいた世界のお菓子を作るために街を走り回ってたんだ。
 …ほら、イオからお菓子くれて謝るなら許してあげると言ってたと言われたもんだからさ」

 -確かにイオ様とユート様の話をしてた時に、少し機嫌が悪かったからそう言ったけど。 
 -うう、ちょっと…しまったかも?…いや、これはやっぱり…しまったよね…。

「だって、ユート様ったらシアーの事ぜんっぜん捕まえてくれないんだもん…」
なんだか凄く恥ずかしくなって、真っ赤な顔でプイとそっぽを向いてむくれてしまう。

「ごめんごめん…ほら、リンゴ飴。
 材料集めるのと他の皆のぶんも作るのに手間取ってさ。
 もう夜遅いから今は食べないと思うけど…あとで皆でわけてくれよ」

そう言いながら、買い物袋から甘い香りと一緒に取り出した「リンゴアメ」は。
まるで、宝石みたいにきらりと少しだけ輝いていて。
「宝石の中に…果物が入ってるう…。きれいな、お菓子だね…」
そっと、悠人の手から生まれてはじめて見るそれを受け取って。
かりっと、薄く包んでいる飴ごと果物をかじる。
「なんだか、甘くて酸っぱくて…不思議な味だね。…うん、シアーはこれ好き…」
にっこりと、心からの笑顔を大好きな人に向ける。
「そっか…手作りだから不安だったけど、喜んでもらえてよかった」
シアーは片手にリンゴアメを持ったままで、悠人をぎゅっと抱きしめる。
悠人も、それに応えてシアーの髪を優しく撫でる。

ふたり、お互いに甘くて酸っぱい気持ちを胸に感じながら。