朔望

風韻 F-2

 §~聖ヨト暦332年コサトの月黒ひとつの日~§

「このぉぉぉぉっっっ!!瞬っっっっ!!!」
目の前で消えた一つの命が、ぽっかりと緑色の道しるべをそこに残していた。
悲しみと怒りで感情を増幅させた『求め』が白銀に輝く。悠人は剣を逆手に構え、そこに突っ込んだ。
「うぉぉぉぉっっっ!!!」
「なっ!バカな……何故っ!」
絶対的な技のはず。それを破られた瞬は、意外なタイミングで飛び込んできた悠人に咄嗟に反応出来なかった。
周囲に舞う剣では間に合わない。両手で『世界』を持ち直し、迎撃の姿勢を取る。
そこに悠人が殺到してきた。『再生の間』に吹き荒れていた赤の嵐がぴたりと止まる。
「瞬ーーーっ!!」
「……悠人ぉぉっ!!!」

がぎゃぁぁぁん…………

錆びた、削るような鈍い音と火花。繰り出された『求め』が『世界』に受け止められる。
水平に構えた『世界』ごしに見える瞬の憎悪に染まった瞳には、自我が完全に戻っていた。
技を破られた驚きなのか、切り結んだ『求め』の意志に、昏い底から強引に引き上げられる瞬の意識。
入れ替わるように『世界』が、再び眠りにつき、『誓い』の波動へとすり替わっていく。

 ―――「強さを求め」て自我を保ち続けた悠人と「得る誓い」で憎しみにより神剣を捻じ伏せた瞬。
     対照的な二人の白と黒のオーラフォトンが眩しくぶつかり合い、『再生の間』を震わせる―――


ファーレーンは、その様子を呆然と眺めていた。ぺたり、と腰を下ろし、妹が消えたただ一点を凝視する。
自分の目が、信じられなかった。ぽっかりと大きく抜け落ちたような心。かたかたと震えだす身体。
ニムントールだったものが、金色の欠片を残したままこの世から消滅してしまう。そんな事実は受け入れられなかった。

「ニム……?」
虚ろな瞳で、立ち上がる。ふらふらと手を差し伸べる空間。赤く照らされる周囲に混じり、仄かに舞う金色のマナ。
「ニム……嘘、だよね…………?」
からん、と落とした『月光』にも気づかず、うわ言のように繰り返す。だが、呼びかけに答えは返ってこない。
「嘘……嘘…………」
一番恐れていた事だった。半身を失うような、気が遠くなる喪失。現実感の無さに、それでも痛みすら感じない。

りぃぃぃぃん…………

ファーレーンは、はっと顔を上げた。足元の『月光』を殆ど無意識に拾い上げる。握り手から伝わる、優しい響き。
遅れてきた波に、今更心がぶるっと震えた。さざ波はすぐに波紋となり、隅々まで感情を満たしていく。

 ≪しっかり!≫

「……しっかり、しなきゃ」
聞こえたのは『月光』の声か、それとも幻聴か。ファーレーンは溢れ出す涙を振り払うように、そっと目を閉じた。
激しくぶつかり合う、二つの頑なな気配。その先で膨れ上がる深紅の意志。そして、はっきりと感じられた。
そっと自分に寄り添う、柔らかな緑の心。ずっと自分の中に棲み、そして今は見守ってくれている癒しの精神(スピリット)。

ぽたっ、と顎の先から一筋、透明な雫が零れ落ちた。ファーレーンはぎゅっと口元を結び、そして見上げた。
「ニム……負けないから、ね」

りぃぃぃぃん…………

同調した『月光』が、ファーレーンを照らし出す。背中から羽ばたく、身長よりも大きな翼。
それはエメラルドグリーンに輝き、幾枚もの羽を舞い上がらせながら、ばさぁ、と力強く羽ばたいていた。

「…………何っ?!」
何度目かの攻防。その刹那、瞬は対峙する悠人の『求め』が微妙に変化し始めているのに気づいた。
「うぉぉぉぉっ!」
「くっ、何だっていうんだよ……悠人ぉ!」
がきぃんっ! 交差する『誓い』。その剣越しに、びりっと伝わるまるで雷のような衝撃。
そしてこの、木刀で電柱を殴りつけたような、鈍い痺れの来る手応え。先程から、徐々に『求め』の力が増大している。
「ぐ……うぁっ!」
「瞬っ!」
突き放した悠人が、再び上段に振り被る。瞬は見た。いつの間にか黄緑に輝き、紫雷を纏う『求め』を。
「あれは……碧! それに岬かっ!!」
殆ど『誓い』に意識を奪われていた時の記憶が蘇って来る。確かに自分は知っていた。『因果』と『空虚』がどうなったかを。
それなのに、と歯噛みする。『誓い』では最早『求め』に及ばなかった。だからこそ、求めたのだ。盲目に、更なる力だけを。

キィィィィン…………

「くっ、この……黙れ! 黙れよっ!!」
『誓い』の意識が頭の中で暴れる。しかし、瞬はそれを跳ね退けた。もううんざりだ、そう心の中だけで叫ぶ。
こんな馬鹿げた、力はいらない。佳織を苦しめた。呼び戻されたその記憶が、はっきりと瞬を神剣の支配から決別させていた。

きぃぃぃぃん…………

「うるさいぞ、バカ剣っっ!」
『求め』の、『誓い』への憎悪が膨らんでいく。しかし、悠人はそれを抑え込んだ。いいかげんにしろ、そう心の中で叫ぶ。
これで最後。誓約通り、『誓い』は砕いてやる。だが、いいようにこの世界を振り回し、次々に大切なものを脅かし。
こんな馬鹿げた、力はもういらない。培ってきた想い出が、はっきりと悠人を神剣の強制から永別させていた。

それでも。

「「決着だけは…………つけるっっ!!」」

悠人と瞬の叫びが不思議な程折り重なり、再生の間全体に大きく響き渡った瞬間、二本の神剣は激しく衝突した。