──────まぶしい。閉じきっているはずの瞼の隙間から、光が入ってくる。
ここは一体どこなのだろう。この空気、すごく懐かしいような気がする。
少しごつごつしたベッドに、薄い布団をかけて寝転がってる自分がいる。
この匂い、覚えがある。・・・これは、野菜スープの匂い。大好物の、あの料理の匂い。
「(また・・・私のために作ってくれたんですね・・・お姉ちゃん・・・)」
眠い。恐ろしく眠い。でも、起きないと、うるさくなる。
あれをやられた後は、耳がキンキンになって、しばらく何も聞こえなくなる。そんなのいやだ。
「う・・・ん、う~ん」
無理矢理、瞼をこじ開け、上半身を起こす。それと同時に、『お姉ちゃん』が部屋に入ってきた。
「あら?せっかく久しぶりにこれをやろうと思ってましたのに・・・もう起きてたんですね、ヘリオン」
金属製のバケツとおたまを手に、残念そうにくすくすと笑う『お姉ちゃん』。
「もう・・・やめてくださいよぅ・・・。それ、すごくうるさいんですから」
「ここに来たばっかりのころ、相当なねぼすけでしたからね~。こうでもしないと、起きなかったんですよ?
さ、ヘリオン。朝食が出来上がっていますよ?早く顔と手を洗って、食堂に来てくださいね~」
「はぁ~い。ふぁ~ぁ~・・・」
そう言って、『お姉ちゃん』は部屋を出て行く。
寝ぼけ眼の瞼をごしごしとこすり、ベッドから立ち上がる。
枕元にある二つの髪留めを忘れないように、しっかりとその小さな手に握って、ヘリオンは洗面所に向かった。
ばしゃばしゃ・・・・・・きんきんに冷えた地下水で顔を洗う。
今は夏とはいえ、冷たい水を顔にかけては、さすがに寒くなってしまう。
ヘリオンはすぐにタオルで顔を拭くと、部屋から持ってきた髪留めで、髪型をツインテールに纏める。
くるり、と踵を返すと、小走りでようやく大人の歩く早さになるその小さな体を、食堂へと運んだ。
食堂に着くと、『お姉ちゃん』がいつものように、温かい笑顔で迎えてくれる。
・・・いつもと違うのは、食卓の一角に、緑色の髪の、自分より幾つか年上であろう女の子がいること。
「あの・・・お姉ちゃん、この人は・・・誰ですか?」
ドオォォン・・・
ヘリオンがそう言った瞬間、周囲が、食堂が、『お姉ちゃん』の顔が、轟音とともに、ブラックアウトした───。
「お、お姉ちゃん!!?」
果てしない暗闇が晴れ、見慣れた景色がその目に飛び込んでくる。
・・・気がつくと、ラキオススピリット隊の第二詰所、自分の部屋。汗だくで、上半身を起こしている自分がいた。
「ヘリオン・・・気がついた?」
その言葉に反応して横を見ると、赤毛の女性が心配そうな面持ちで自分に話しかけていた。
「あ・・・ヒミカ、さん?」
「・・・もう5日も眠っていたのよ?ヘリオン、体の調子はどう?」
そう言われて、ヘリオンは体のあちこちを動かしてみる。
手も、足も、五体がちゃんと満足に動く。汗をかいていること以外、なんら問題はなかった。
「大丈夫、みたいです」
「そう・・・よかった」
よっぽど心配だったのか、ヒミカの表情が柔らかくなる。・・・だが、ヘリオンは、あることを知りたかった。
「あの・・・ヒミカさん。ちょっと、聞きたいことがあるんですけど・・・」
「!・・・何?」
その一瞬、ヒミカの顔が強張る。
何か聞かれるとまずいことでもあるのかと思ったが、ヘリオンは気にせず言葉を続けた。
「あの、戦いはどうなったんですか?帝国は、帝国との戦争はどうなったんですか?」
「あ、ああ・・・そのこと?・・・戦争だったら、私たちの勝利で終わったわ。帝国との戦争は、ね・・・」
なんだか意味深なヒミカの言葉に、ヘリオンは突っ込みを入れる。
「・・・まだ、敵がいるんですか?」
「う、ううん?そうじゃないの。平和を守るのも戦いだから・・・ね?」
「そ、そうでしたか・・・とにかく、戦争は終わって、世界は平和になったんですね!?」
「そういうこと。・・・ま、さっきのはレスティーナ女王陛下の受け売りだけどね」
それを聞いて安心するが、それとともにもう一つの不安がヘリオンの頭をよぎる。
「あ、それから・・・ユート様は、カオリ様はどうなったんですか?ちゃんと、生きてますか?」
「ええ、ユート様もカオリ様も生きてるわ。ユート様は・・・ヘリオンと同じく、5日前から寝込んでるけどね」
「そ、そうですか!じゃ、じゃあ・・・お見舞いに行っていいですか?」
「ヘリオンが大丈夫ならいいわよ。・・・是非ともいってきた方がいいわね」
「じゃあ、行ってきます!」
ヘリオンはベッドから出ると、【失望】を持って悠人の元へ向かうべく、部屋を飛び出していった。
「・・・ヘリオン。やっぱり、忘れちゃってるのね・・・」
ヘリオンのいなくなった部屋の中で、ヒミカは一言、そう呟く。
悠人はともかく、どうしてヘリオンまでそうしなくてはならないのか、ヒミカはひたすら思い悩むのだった。
──────暇だ。とにかく、暇だ。
訓練も戦争も無い日、ふと気がつくと、ベッドで寝転がっている自分がいる。
こういう日によく遊ぼう、遊ぼうって駄々をこねてくるオルファやネリーたちも、今日は大人しい。
「(でも、俺が極限まで暇なのを見計らってくる奴がいるんだよな・・・)」
その人はおそらく今日も来るであろう。
今日はなんだろう。買い物に付き合ってほしいとか、お茶会とか、一緒にお菓子を食べたりとか・・・
なんだかんだいって、その人には振り回されっぱなしだが、不思議と、嫌気は差さない。寧ろ楽しい。
いつもその人の隣にいる女の子も楽しそうだし。つられてこっちも楽しくなることだってある。
こつこつ。
廊下を歩く二人の足音。やがてそれは、悠人の部屋の前で止まる。
「(・・・ほらきた)」
がちゃり、とドアの開く音がする。
黒髪のツインテールの少女とともに現れた、緑色の髪の女性は・・・・・・
映像<ビジョン>は、そこで途切れた─────
──────ぼやける視界。窓から差し込む日の光に、眩しくて思わず目を瞑ってしまう。
ようやく目のピントが合ってきたかと思うと、そこにあったのは、見慣れた天井。
すぐにわかった。ここは第一詰所の自分の部屋だってこと。
意識がはっきりとしてくるとともに、無意識のうちに上半身を起こす。
それに伴ってなのか、横から声が聞こえてくる。
「お兄ちゃん!」
それは、聞きなれた声。ずっと、取り戻したいって思ってた声。・・・たった一人の、義妹の声。
「か・・・お、り?」
「よかった・・・ずっと眠ったままで、もう起きないかと思っちゃった」
佳織は笑顔で、冗談めかしてそう言う。
いつもの調子なら、『勝手に殺すな』とか突っ込みを入れそうなものだが、そんな気にはなれなかった。
「俺は・・・どうしてここにいるんだ?戦争は・・・瞬は、どうなったんだ?」
何がどうなったのかわからない。サーギオス城の王座の間に飛び込んでからの記憶が曖昧だ。
「・・・お兄ちゃん、戦争は終わったんだよ?秋月先輩も、お兄ちゃんが倒したんだよ?・・・忘れたの?」
忘れたもなにも、思い出せない。・・・どっちかというと、もともと記憶に無い、という方がしっくりくる。
その終戦を告げる記憶とともに、なにか大事なことを忘れているような気もする。
「そのあと・・・俺はどうなったんだ?」
「え?・・・ああ、そのあと、お兄ちゃんたち、急に倒れちゃって・・・碧先輩が運んでくれたんだよ?」
「・・・たち?」
「あ、あ、あああ、あの、へ、ヘリオンさんも一緒に倒れちゃったの。びっくりしちゃったんだから」
まるでなにかを誤魔化すかのように、事を説明する佳織。
「そうか・・・大丈夫なのか?・・・ヘリオン、よく気絶するからなあ」
「命に別状はないって。今第二詰所で寝てるんじゃないかな」
「それならよかった」
・・・何か引っかかった。でも、その正体がつかめない。考えようとすると、頭にもやがかかってしまう。
佳織のぎこちなさも妙に気になる。
だが、まだ本調子ではなく、だるさの残る脳みそでは、気にも留めないこととして置いてしまうのだった。
こんこん。
部屋のドアが、やや遠慮がちに軽く叩かれる。
「あ、お兄ちゃん、誰か来たみたい。ちょっと出てくるね」
佳織はぱたぱたと音を立てながらドアに近づき、ドアノブをひねる。
「あ!ヘリオンさん・・・」
「カオリ様、おはようございますっ!ユート様の様子を見に来たんですけど・・・」
そう言って、ヘリオンはドアの陰からそのツインテールの髪型をちらちらと覗かせる。
「え、あ、お、お兄ちゃん?お兄ちゃんなら・・・」
「・・・俺なら起きてるよ。遠慮せずに入って来いよ、ヘリオン」
「そ、そうですか!で、では・・・お言葉に甘えて~・・・」
様子を見に来たと言っているのに、入るのを躊躇っているとはこれ如何に。
悠人の許可が出るなり、おずおずと、いつものぎこちなさを出しながら悠人の元へと寄ってきた。
「あ、あの~・・・ユート様、大丈夫ですか?」
本気で心配そうなヘリオンの言葉。・・・なんだか前にも同じ事を聞かれた気がする。
だが、悠人は別のところが気になっていた。
「俺は大丈夫。って言っても、さっき起きたばっかりだけどな。・・・それより、ヘリオンこそ大丈夫か?」
「え?私もさっき起きたばっかりですけど・・・ぜ、全然大丈夫ですよ?」
やはり、ヘリオンは肝心なことに気がついていないようだった。
それだけ悠人のことを心配して、目覚めるなりすっとんできたんだろうが・・・
「ヘリオン・・・寝起きだな?しかも、起きたらすぐこっちに来たろ」
「え、ええ!?な、なんでわかったんですか!?」
「だって、なぁ。佳織」
「う、うん・・・ヘリオンさん、色々と乱れてるんだもん。誰でもわかっちゃうよ?」
「・・・へ?」
悠人と佳織に言われてやっと気がつくヘリオン。
いつもの髪型のまま5日間も寝かされていたせいか、寝癖で乱れに乱れきった髪。
息をするとき苦しくないようになのか、開かれた胸元、汗だくだっただろうことがわかる、てかった顔。
さらに、服のあちこちにシワがくっきりとついている。・・・どっからどう見ても、寝起きだった。
「・・・!!!」
あろうことに、悠人に醜態を見られて一気に赤面するヘリオン。
「あ、あのさ・・・ヘリオン・・・」
「あ、あう、あの、その・・・し、ししっ、失礼しましたぁ~~っ!!」
ヘリオンはそう言いながら、脱兎のごとく部屋からすっ飛んでいった。
なんだか、初めて悠人の部屋を訪れたときのような、あのときのことを思い出させる出来事になったのだった。
「相変わらず速い・・・でもま、元気そうで安心したよ」
「そ、そうだね、お兄ちゃん・・・」
「さて、腹も減ったし、俺も起きようかな・・・うぐっ!」
「お、お兄ちゃん!大丈夫!?」
悠人はベッドから出ようとするが、体を動かそうとすると、強烈な痛みに襲われた。
「あ、あたたた・・・こりゃ、しばらく出られそうに無いな・・・」
「じゃあ、私が食事を持ってきてあげるね」
「うう・・・すまない、佳織」
どういうわけか、体中が痛い。
悠人は、平和と佳織を取り戻した代わりに、しばらくの間病人生活を強いられるのだった・・・
「えっと、あれと、これと・・・ああ、あとそれも・・・」
ここは第二詰所の台所。
必死で記憶の中のレシピを思い出しながら、材料を籠の中に放り込んでいく。
そうこうしているうちに、お茶でも入れようと台所にやってきたヒミカと目が合ってしまった。
「ちょっと、ヘリオン!なにやってるの?」
「あ、ヒミカさん!・・・なにって、見ての通り、お料理しに行くんですよ?」
料理をしに行く。
ヘリオンは、材料を籠に詰め込んでいるだけでなく、準備万端に作業着に着替え、キャップもしっかり被っている。
どこからどう見ても料理をする格好だった。
「でも・・・今日はヘリオンの当番じゃないでしょ?」
「あ、ちがうんです!あの、ユート様が動けないって言うので・・・その、私が料理を作ってあげたらって、思いまして」
確かに、悠人は体中が痛むからって、ずっとベッドに入っているという情報はあった。
そんな悠人に、ヘリオンが自分の料理を食べさせて、元気付けたいというのだ。
ヒミカはその微笑ましさに、思わず笑みを浮かべてしまう。
「ぷっ、ふふ、それならいいわ。ユート様も喜ぶでしょうし、がんばってきなさい」
「は、はい!じゃ、じゃあ・・・行ってきますっ!」
そう言うと、ヘリオンは材料の入った籠を持って、笑顔でばたばたと駆けていき、第二詰所を後にするのだった。
ヒミカは、その平和に染まりきったヘリオンの背中を、哀しそうな目で見ていることしかできなかった・・・
────── ヘリオンは第一詰所の玄関まで来ると、その扉を開けようとドアノブに手をかけようとする・・・が、
がちゃ。と、ドアノブが独りでに回る。
「へ?」
反応したときには、すでに遅かった───。
どんっ。
「うきゃあぁっ!!」
玄関の扉が開き、あっけにとられていたヘリオンを直撃する。
その勢いに押され、ヘリオンはしりもちをついてしまい、籠の中の材料はばらばらと落ちてしまった。
「! ヘリオン、大丈夫ですか?」
「いたたた~・・・あ、レスティーナ様・・・」
扉を開けたのはレスティーナだった。
ヘリオンは額をさすってふるふるしながら、目の前の人たちを見る。
よく見ると、その後ろにはヨーティアと、もう一人、どこかで見たような人が立っていた。
ヘリオンは体を起こし、その、茶髪のロングヘアーの、赤い鉢巻が印象的な女性に駆け寄る。
「あ、あの・・・」
「なんでしょうか?」
「・・・どこかで、会ったことありませんか?」
どこかで見たことがある。でも、それがいつ、どこなのかが浮かんでこなかった。
その女性は、くすくすと笑いながら答えを返してくる。
「いいえ、あなたと会うのは初めてですよ?」
・・・そう、会ったことは無いはずだった。少なくとも、記憶の中では。
「ヘリオン、せっかくですので、紹介しておきますね。この方は、トキミ殿です。」
「トキミ・・・さん?あ、あの、始めまして・・・ですよね?私、ヘリオンです!」
「はい。始めまして、ヘリオン。私は時深。本名を倉橋時深と言います。よろしく」
時深と名乗るその女性は、優雅な身のこなしで軽く会釈をしてきた。ヘリオンもそれに習い、挨拶をする。
「そ、それで・・・どうしてレスティーナ様がここに・・・?」
「ユートに、重大な話があったのです。色々とあったので、ヨーティア殿とトキミ殿にも同行してもらいました」
「じゅ、重大な話・・・?」
ヘリオンがそう言った瞬間、レスティーナの顔が少し暗くなった・・・気がした。
そんなレスティーナをフォローするかのように、時深は言う。
「レスティーナ女王、悠人さんはどうせ皆に知らせるのですから、今言っても同じだと思いますよ?」
「そうですね・・・ユートはもうすぐ、カオリと一緒に元の世界に帰るのです」
「え・・・?ゆ、ユート様、帰っちゃうんですか!?そんな・・・」
せっかく戦争が終わって、世界が平和になって、悠人はずっとここにいてくれると思っていたのに。
しかも、あの世界に帰るとなっては、自分みたいなスピリットはマナが薄すぎて一緒には行けない。
行ったとしても、長くは持たない。実際に行ったことがあるからこそ、身をもって知っていた。
悠人が帰る。それは、永久の別れを意味している。・・・そんなの、嫌だった。
「・・・ま、そういうことだ。何かしておきたいことがあるなら、今のうちにやっとけってこった」
さっきまで何も言ってこなかったヨーティアが後ろから話しかけてくる。
いつの間にやら、ぶつかった時に散らばった食材を集めていてくれたらしい。
「ほら、あのボンクラになんか作ってやるんだろ?がんばんな~」
「はうぅっ!ど、どうしてそれを~!」
ヨーティアはにやにやしながら、食材の入った籠をヘリオンに手渡し、肩をぽんぽんと叩く。
小さな眼鏡越しに何もかもを見抜いているその眼光。さすがは賢者様、侮り難し。
「では、私たちはこれで。ヘリオン、がんばってください」
「悠人さんは、意外と嗜好が激しいですから、食材の選考は慎重にしたほうがいいですよ?」
その微笑ましさに、レスティーナと時深もまた微妙な笑みを浮かべる。
・・・だが、その笑顔とは裏腹に、そそくさと、その場から逃げるような早足で三人は去っていった。
「・・・・・・ユート様が・・・帰っちゃうなんて・・・」
ぽつんと、その場に取り残されたヘリオンは、悠人との別れの宣告に、ショックを隠せないでいた。
もしかしたら、今自分が作ろうとしている料理も、最後になってしまうかもしれない。
そう考えると、絶対に失敗するわけにはいかなかった。余計に気合が入る。
「・・・ユート様、ごめんなさい。私・・・」
それとともに、ある決心が、ヘリオンの中で形作られていた─────。
──────その後、第一詰所の台所を借りることができ、調理を始めるヘリオン。
この台所は第一詰所の主とも言える、エスペリアにとっては王座のようなものだという。
そのせいか、エスペリアは借し渋っていたが、アセリアとオルファが一緒に頼んでくれたのが幸いだった。
・・・・・・その代わりに、第一詰所の全員分の昼食を賄う羽目になったのは予定外だったが。
「最後にこれを入れて、まぜまぜ・・・あとは煮込むだけですっ♪」
ヘリオンは火加減を弱火になるように調整した後、残りのメニュー、サラダとパンを食卓に並べる。
台所でじっとすわって待っていると、そこに客がやってきた。
「お、いい匂いがするなぁ」
「そうね~、すごくおいしそう♪」
「あ、キョウコ様に、コウイン様!」
匂いに釣られてなのか、エスペリアに言われて様子を見に来たのか。
今日子と光陰が、興味津々な顔で、台所に顔を覗かせる。
「いやぁ~、その格好もかわいいね、ヘリオンちゃん」
光陰の場合、どっちかというとメイド服(?)に身を包んだヘリオンに目が行っている。
鼻の下がぎんぎんに伸びていることが、ヘリオンにも手に取るようにわかった。
「このバカ・・・そんなんだからクォーリンに愛想尽かれんのよ」
その後ろで、今日子はぼそっと文句を言う。
悠人も悠人だが、コイツもコイツ。鈍感さは神懸りだと、今日子は芯から思っていた。
「・・・で、ヘリオン。何作ってるの?」
「お、教えませんよ!お昼までのお楽しみです!」
「おい、どうやらスープみたいだぜ。どれ、ちょっと味見を・・・」
いつの間にか、光陰が鍋に近づき、味見をしようとしていた。
「あ、だ、だめえええぇぇ~~っ!!」
どごっ。
ヘリオンの渾身の正拳突きが光陰の脇腹に撃ち込まれる。
「ぐ、ああ・・・な、なにすんの、ヘリオンちゃん・・・」
「光陰!あったりまえじゃないの!この世界を超越した大馬鹿!鈍感にも程があるわよ!」
「な、なぜだ・・・俺は何も悪いことは・・・ぐふっ」
「したわよ。恋する乙女は強いって事ね。ヘリオン、お邪魔したわね~」
今日子はそう(日本語で)言うと、苦しそうに脇腹を押さえて悶える光陰をずるずると引きずって台所を後にした。
あの二人は一体何をしに来たのか。ヘリオンがそれをわかることは無かった・・・
「あ、もういいころですね!」
十分に煮込まれた鍋の中身。ヘリオンはそれを持って、食卓へと運ぶのだった────。
──────料理のセッティングを終わったころに、第一詰所のメンバーたちが入ってくる。
「わぁ、おいしそ~!」
「うん、すごいな。私も、負けてられない・・・」
第一詰所の料理当番予備軍、アセリアとオルファはそろって感嘆の声を上げる。
「少し、野菜が多めですね。もう少し肉などを入れたほうが・・・」
「ですが、ユート殿のような病人にはうってつけの食事でしょう」
対して、エスペリアとウルカは、やや評価じみた感想を述べる。
だが、そのほかには、今日子、光陰、佳織しかおらず、肝心の悠人の姿がなかった。
「あ、あれ・・・?ゆ、ユート様は?」
「ヘリオンさん、忘れたの?お兄ちゃん、ベッドから出られないんだよ?」
「あ・・・あああぁぁ~~っ!!」
そうだった。
そもそも、ベッドから動けない悠人のために料理を作っていたのだ。
だから、ここで作っても、持って行かなくては意味がないのではないか。
「ヘリオン、持っていってあげなさいよ。そのほうが、悠も喜ぶと思うわよ?」
「そ、そうですよね!じゃ、じゃあ、さっそく・・・」
ヘリオンはそう言って、一人分の料理を盛り付け、お盆の上に載せる。
「では、みなさんは、ここでおいしく食べてくださいね♪そ、それじゃあぁ~・・・」
たったったったった・・・
今なおベッドの中でお腹を空かせている悠人のために、悠人の部屋へと向かうのだった。
「くっ・・・悠人、なんてうらやましい・・・」
「・・・うらやましい?なんでだ?コウインも、病気になりたいか?」
「そうじゃない・・・そうじゃないんだ。ベッドで動けない、自分で食べられないから、いいこともあるんだ。
女の子が口元に運んでくれるおいしい手料理・・・男のロマンの一つじゃないかぁ~・・・」
「へぇ~・・・そう。じゃあ光陰には、私が引導を渡してあげようかな~?」
目をきらきらと潤ませる光陰に、笑顔の今日子の拳がぽきぽきと鳴る。
「い、いえいえ!滅相もありません!ですから、さっきのはなかったことに・・・」
「ま、私もそういうのは憧れちゃうかな。許してあげよう!」
「あはは・・・お兄ちゃん、得したよね」
そんな今日子が光陰に同意する光景を、佳織は物珍しそうな目で眺めていた。
かつて、悠人が、風邪を引いた幼いころの自分にそういうことをしてくれたのを、思い出しながら。
「さ、せっかく作ってくれたのですから、冷めないうちに頂きましょう」
エスペリアがそう促すと、各々はテーブルについていく。
パンに、サラダに・・・おそらくメインであろうスープのような、大きな鍋に入った食べ物。
ヘリオンの料理を食べたことがないからか、やや警戒気味の面々だったが・・・
「・・・おいしい」
先制して食べ始めたアセリアのその一言で、食卓の空気は一気にやわらかくなるのだった・・・
「・・・昼飯、まだかな?」
悠人は、ベッドの中でそう呟いていた。
オルファが言うには、今日の昼飯はヘリオンが作ってくれているらしいが・・・
なんだろう。掴み所のない不安のようなものが、悠人の頭の中を駆け巡っていた。
こんこん。
そんなことを考えているうちに、やや遠慮がちに部屋のドアがたたかれる。
「ゆ、ユート様っ!お食事をお持ちしましたっ!」
・・・どうやら、出来上がったらしい。
「ああ、入ってくれ」
「で、では・・・失礼しますっ!」
がちゃり、とドアが開き、料理を載せたお盆を持ったヘリオンが入ってくる。
その料理は、パンに、サラダに、野菜がたくさん入ったスープのようなもの。
病人食、という感じがしないでもなかった。
「これ・・・ヘリオンが作ったのか」
「は、はい!ですから、たくさん食べてくださいね!」
口ぶりから見て、下の食卓にはまだまだ、かなりの量があるのだろう。
だが、体調は快方に向かい、食欲も出てきたころなので、たくさんあるというのは少しありがたかった。
「じゃあ、もらおうかな」
悠人はヘリオンからお盆を受け取ると、足の上に載せて、いただきます、と手を合わせる。
ふと横を見ると、ヘリオンは目を皿のようにして、料理を食べようとする悠人をじっと見ていた。
おそらく、食べた後に感想を聞くつもりなのだろう。しかも褒めてもらえると思っているに違いない。
少し喉も渇いていたので、まずはスープを口に運ぶ。
その瞬間、なんともいえぬ旨みの世界が、悠人の口の中に広がった。
「・・・う、うまい」
「ほ、本当ですか!?」
続いて、サラダを頬張る。
これも、野菜とドレッシングの相性がよく、バランスの取れた味。
どれをとっても、食が進んだ。
「いや、本当にうまいって!・・・でも意外だな、ヘリオンが料理できるなんてさ」
「あ~!ひどいですっ!前にも、作ってあげたじゃないですかっ!」
前にも作ってもらった・・・悠人は体のだるさでおぼろげになった記憶を掘り起こす。
「ああ、そういえば、向こうに行ったときも作ってもらったっけな」
「そうですよ!もう、忘れるなんて・・・」
「確か、あの時は、ハンバーグと、サラダと、米だっけな・・・」
「・・・え?」
悠人のその言葉に、ヘリオンは驚きを浮かべる。
「・・・? どうした、ヘリオン」
「あれ・・・?私、サラダと、その・・・コメってのしか作ってませんよ?ハンバーグなんて・・・」
「何言ってるんだよ。あのとき、三人で一緒に食べたじゃないか!・・・って、あれ?」
「そ、そうですよね?私も、そのハンバーグの味を覚えて・・・三人で・・・?」
三人?
いつの間にか、一人増えていた。
生じるはずのない、矛盾という名の違和感、三人目の存在を示すハンバーグの味。
悠人とヘリオンは、無意識のうちに、それを思い出していた・・・もとい、記憶の中においていた。
「・・・なぁ、ヘリオン。俺たちってさ、三人で向こうに行ったんだっけ?」
「い、いいえ!確か、私と、ユート様と・・・」
と。
今、ヘリオンは確かにそう言った。無意識のうちに。
悠人とヘリオンの記憶に、存在するはずのない三人目がおぼろげに浮かぶ。
だが、それがなんなのかを確かめようとすると、思い出せなくなる。
ハイペリアでの記憶。それを思い出そうとする毎に、三人目の影が浮かんでくる。
・・・・・・ハイペリアでは、確かに三人でいたはず。
だが、悠人とヘリオンの記憶には、その三人目はおらず、二人だけでいたことになっていた。
「な、なんなんだよ・・・これ、どうなってるんだ!?」
「ゆ、ユート様っ!きっと疲れてるんですよ!私も、きっと疲れてるだけなんです・・・」
「そう・・・なのか?」
無理矢理そう結論付けようとするヘリオンだったが・・・
本当にそうなのだろうか、一人ならともかく、二人同時に同じことが起こるのは、偶然ではすまない。
ハイペリアに行った者独特の症状なのだろうか?本当に疲れているだけなら、寝てしまえば醒めるだろう。
「で、ですから・・・ゆっくりとお休みになってください。私も・・・休みますから」
「あ、ああ・・・」
悠人はそのヘリオンの言葉に従って、上半身を倒し、頭を枕に沈める。
この妙な違和感が取り除けるように、祈りながら、眠りにつくことにしたのだった。
「あ、そうです・・・ユート様、お願いがあるんですけど・・・」
「ん・・・?」
なにをお願いするつもりなのか、ヘリオンは、その表情に哀しみのようなものを浮かべて、悠人に耳打ちする。
「あの・・・お話があるんです。あさっての夜に、第二詰所まで来てください・・・」
「ああ、そのころにはもう起きられるだろうし。いいよ」
「や、約束ですよ?絶対に、来てくださいね・・・?」
「ああ、約束だ」
ヘリオンがこういう話を切り出すときは、実際にそこにいくまでその内容は内緒。
ここで追求しても何をしたいのかがわからないことは、重々承知の上だった。
「じゃあ・・・私は、これで・・・し、失礼しました・・・」
ヘリオンはそう言うと、空になった食器の乗ったお盆を持って、悠人の部屋を出て行くのだった。
二人の脳裏に浮かぶ、正体不明の違和感。
それは、どんなに休んでも、眠っても、あの時まで、拭い取れることはないのだった・・・
──────二日後の夜。ヘリオンとの約束の日。
悠人は、自分の部屋で、アセリアの訪問を受けていた。
「ユート、これ・・・できたぞ」
そう言って、アセリアが取り出したのは、蒼く光る金属が先っちょについたペンダント。
そう、昨日アセリアに頼んでおいた、【求め】のペンダントだった。
「すごいな・・・あのバカ剣が、ここまできれいになるもんなんだな」
「そうでも、ない。・・・ユート、それ、どうするんだ?」
「佳織にでもあげようと思ってさ。佳織のやつ、意外とこういうのに興味持ってたんだぜ」
「そうか・・・よろこんでくれるかな?」
「こういうのを貰って喜ばないやつじゃないよ、佳織は」
本当だった。あの時、アセリアが佳織にこれをあげて喜んでくれたことを、悠人は鮮明に覚えている。
もっとも昨日、突然ペンダントを貸してくれと言われて佳織は驚いていたが、これなら、納得してくれるだろう。
悠人は、その【求め】のペンダントを、制服のポケットにしまうのだった。
「じゃあ、ユート。私はもどるから・・・がんばれ」
「ああ、がんばるよ・・・って、何を?」
「ユート、ヘリオンに呼ばれてるって・・・みんな知ってる。みんな、応援してた」
「な゙っ!!」
迂闊だった。おそらくあの時、食卓のメンバー(の一部)は神剣の力を使って聞き耳を立てていたのだ。
耳打ちしてまでバレないようにしていたのに、まさかバレていたとは、ヘリオンは夢にも思っていないだろう。
「よくわからないけど、じゃあな、ユート」
にかにかと薄ら笑いを浮かべて、アセリアは悠人の部屋から出て行った。
「ったく・・・」
悠人はため息をつきながら、身だしなみを整える。
何をするつもりなのかわからないが、なんか告白とかするつもりだったら、それこそ洒落にならない。
その野次馬根性故、十中八九、覗きに来るやつがいるからだ。
「よし・・・こんなもんかな」
身だしなみを整え終えた悠人は、尾行に警戒しながら、第二詰所へと向かうのだった・・・
──────さっきから、視線を感じる。やはり、尾行されているらしいが・・・
居場所がはっきりとわからない以上、尾行犯を探すわけにも行かない。
【求め】を失って、神剣の気配がわからないのが、こんなところでハンデになるとは思わなかった。
第二詰所の入り口まで来ると、扉の横の壁に寄りかかっている小さな影が見えた。
「あ・・・ユート様。来てくれたんですね・・・」
「ヘリオンが来てくれって言ったんだろ?それに、約束したじゃないか」
「そ、そうですよね・・・でも、よかった・・・」
月夜に照らされた夜に浮かび上がったヘリオンの顔は、約束したときと同じ、少し哀しそうな顔。
そんな顔を無理矢理覆い隠すかのように、ヘリオンははにかんだ笑顔を悠人に向ける。
「それで・・・話って?」
悠人はさっそく本題に乗り出そうとするが、ヘリオンは何かを気にするかのようにきょろきょろと辺りを見回す。
「ヘリオン、どうした?」
「ユート様・・・ちょっと、ここは人が多いです・・・」
「え?ああ・・・そう、だな」
悠人も辺りを見回すと、木の陰からちらちらと見えるオレンジのコートや、赤い髪、
第二詰所の窓からも、ちらちらと青いものが見える。
思ったよりも、野次馬が多い。こんなところでは、話も何もできないだろう。
「ヘリオン・・・どうする?」
「しかたありません・・・ユート様、逃げましょうっ!」
「え?」
きいいいぃぃん・・・
ヘリオンがハイロゥを展開したかと思うと、いつの間にか後ろに回りこまれ、胴に抱きつかれていた。
「ヘ、ヘリオン!?な、何を・・・」
「ユート様っ!少しの辛抱ですっ!」
「うっ、うわあああああぁぁぁぁあああ!!」
ふっ、と体が浮いたかと思うと、ものすごいスピードで上昇していく。未だかつてない重力が、悠人にのしかかる。
あっというまに、ラキオス中が豆粒に見えるくらいの高さまで上昇していた。
「あぁぁ・・・び、びっくりした」
「高いところ、大丈夫ですよね?」
「ああ、でも、さすがにここまで高いと、ちょっとやばい。っていうか、俺、宙吊り?」
「大丈夫ですよっ!私がしっかり持ってますから!じゃあ、ユート様、行きましょう!」
「行くって・・・どこへ?」
「ユート様、目を瞑っていてくださいっ!」
「あ、ああ・・・」
悠人は言われたとおりに目を瞑ると、今度は、がくん、と落ちていく。
「~~~~~~~!!」
まるでジェットコースターのような、フリーフォールのような風圧が、全身に襲い掛かる。
昇るときとは比べ物にならない恐怖に、悠人は声すら出せないでいた・・・
─────自由落下するような風圧がようやく収まると、ようやく足を地につけることができた。
悠人が目をこじ開けると、そこは、昼間とは違う、見慣れた場所だった。
「ここは・・・訓練所?」
「そうですよ?ここは、私とユート様が出会った場所・・・です」
「ああ・・・そうだったな」
いつもは、訓練所には昼間しか来ないからか、夜になるとまったく違う場所に見えるから不思議なものだ。
ふと空を見上げると、無数の星々が、所狭しにさまざまな色の光を放っていた。
ハイペリアでゴンドラから眺めた夜景。それと比べても、勝負にはならないかもしれない。
「きれいですよね・・・年に一度、こんな風に星が光るんですよ?私、毎年眺めてたんです」
「もしかして、今日にしたのも?」
「はい・・・この星空を、ユート様に見てもらいたかったから。この星空の下で、知ってもらいたかったから・・・」
「知ってもらいたかった?・・・何を?」
悠人が頭上に疑問符を浮かべると、ヘリオンの表情が、より一層哀しさを増す。
あの時とは比べ物にならない位大事なこと。そんな予感が、悠人の中をよぎった。
「レスティーナ様から聞きました・・・ユート様、もうすぐ帰っちゃうんですよね・・・」
「あ、ああ・・・知ってたのか。いずれ、話すつもりだったけどな・・・」
「ですから・・・知ってもらいたいんです。ユート様に、私の、気持ちを・・・」
「ヘリオンの・・・気持ちを・・・」
ヘリオンの目は真剣だった。その想いの強さが、語る前から伝わってくる。
その気持ちを、受け止められるのだろうか。受け止めたところで、納得がいくのだろうか。
ヘリオンだってわかっているはず。だからこそ、話そうとしているのだから。
「ユート様・・・・・・ユート様は、元の世界に帰りたいですか?」
「ああ、帰りたいさ。佳織のためにも・・・」
「そうですか・・・でも」
ヘリオンは何かを言いかけて、一瞬、言葉を止める。
だが、真っ直ぐなヘリオンの気持ちが、言葉が、すぐに悠人の心に響く。
「正直に言います・・・私、ユート様に、帰ってもらいたくありません・・・」
「え、でも・・・」
「わかってます。そんなの、我儘だって。でも、私、この世界で、ユート様と一緒にいたいんです!
別れちゃうなんて、もう二度と会えないなんて、嫌なんです!帰っちゃ、だめです・・・」
「ヘリオン・・・」
何も反論できなかった。
ヘリオンは、ただ、悠人と一緒にいたいだけ。
でも、その想いは、世界という境界線によって分かたれようとしている。・・・それこそ、永遠に。
悠人さえ、悠人さえよければ、その想いでずっと一緒にいられる。同じ世界で。
「私・・・お姉ちゃんが死んでから、ずっと一人ぼっちだったんです。初めてユート様に会ったとき、思ったんです。
この人は、ユート様は、私と同じなんだって。やっと見つけた、同じカタチの心を持つ人・・・」
「それで・・・他人とは思えない、か?」
「はい・・・だから、失いたくないんです。せっかく、世界が平和になって、一緒にいられると思ったのに・・・」
ヘリオンの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
人間とスピリットという種族の枠を超えて、同じ心の存在を見つけたのに・・・
ひとたび世界を超えれば、もう二度と交わることはない。
「ヘリオン・・・お前、意地悪だな」
「え・・・?」
「こんなこと言われたら、もう帰れないじゃないか・・・ヘリオンのこと、心配になっちゃうじゃないか・・・」
「・・・だったら、ずっとこの世界にいてください!・・・みんなも、そう思っているはずですから・・・」
必死に懇願するヘリオン。
その真っ直ぐな目に、零れ落ちる涙に、ただ、一途な心に、悠人の心が揺れる。
「なんで・・・なんでだよ」
「ユート様・・・?」
「なんで、ヘリオンはスピリットなんだよ!スピリットじゃなけりゃ、一緒に向こうにだって行けるのに・・・!」
「ゆ、ユート様・・・私、わたし・・・」
「人間なら・・・ヘリオンが人間だったら、俺は、どこまでも、いつまでも、一緒にいてやれるのに!
俺だって、別れたくないんだ!ヘリオンと一緒にいたいんだ・・・それなのに・・・なんでだよ・・・」
元の世界に帰り、元の生活に戻るか、ここに残り、ヘリオンやみんなと一緒にいるか。
そんなの、本当は聞くまでもなかった。でも、佳織や、元の世界でのことを考えると、心がぐらぐらと揺れる。
迷いが、葛藤が、悠人に襲い掛かる。捨てる勇気を、いつまでも持てずに。
「ユート様っ!」
がばっ!
ひたすらに迷う悠人に、ヘリオンが抱きついてくる。
その小さな体から、温もりが徐々に伝わってくるにつれ、揺れる心は落ち着きを取り戻していった。
「ヘリオン・・・?」
「ごめんなさい・・・私、こんな我儘言って・・・」
「いや、いいんだ。それが、ヘリオンの正直な気持ちなんだからさ」
「ユート様が帰っちゃうなら・・・私、また一人ぼっちですから・・・ですから、今は、こうさせてください」
ヘリオンの、悠人を抱く腕に力が篭る。
それに応じるように、悠人はヘリオンの頭をそっと撫でてやる。
「うっ・・・ひくっ、う、うぅ・・・うああぁぁぁ・・・ユート様ぁ・・・」
悠人の胸に顔をうずめ、ひたすらに涙を流し続けるヘリオンに、悠人はこうすることしかできなかった。
「ヘリオン・・・」
「はい・・・」
ヘリオンはその涙で濡れた顔を上げる。
悠人はその手でヘリオンの涙を拭ってやると、ポケットに手を突っ込んだ。
「これを・・・」
「え?これって・・・なんですか?・・・きれい」
取り出したのは、【求め】のペンダントだった。佳織にあげようと思ってた、アセリア手製のアクセサリ。
「これ・・・あのバカ剣の欠片で作ったペンダントなんだ。佳織にやろうと思ったんだけど・・・あげるよ」
「そ、そんなの、受け取れません・・・」
「いや、受け取ってほしいんだ。もし、俺が帰ったら・・・このペンダントを、俺だと思ってくれ」
悠人がそう言った瞬間、さっきまで哀しみの色に染まっていたヘリオンの顔が、怒りに染まる。
その真っ直ぐな目を、きっ、と悠人に向けて、ヘリオンは反論してきた。
「だったら、なおさら受け取れません!」
「どうして・・・」
「ユート様の代わりなんていないんです!私の知ってるユート様は、たった一人だけなんです・・・
それに、ユート様が残ってくれれば、そんなの、必要ありませんから・・・」
「そうか・・・ごめん。俺、ヘリオンの気持ちも考えずに・・・」
悠人が謝ると、ヘリオンの表情が柔らかくなる。気がつくと、
二人の間にある、満天の星空に不思議な光を放つ【求め】のペンダントを、二人は、見つめていた。
「でも・・・それ、本当にきれいですよね・・・ちょっとつけてみて、いいですか?」
「ああ、きっと似合うよ」
ヘリオンは【求め】のペンダントを受け取ると、慣れない手つきで、ペンダントをつける。
ペンダントは、ヘリオンの胸元で、きらきらしてるような、ぼんやりしてるような、そんな光を放っていた。
「お、やっぱりよく似合うな。きれいだぞ、ヘリオン」
「あ、ありがとうございます・・・えへへっ・・・」
ヘリオンは、その手で、ペンダントの先端、【求め】の部分をつまんで持ち上げる。
本当にこれが悠人の腰にぶら下がってたあの剣なのか、そう思えるくらい、きれいだった。
星の光に当ててみようと、ヘリオンは先端を掲げる・・・
キイイイイイィイィィィイン・・・!
ペンダントが光を放ったかと思うと、突然、二人に響き渡る。悠人がいつも感じていた、あの鬱陶しい音が。
「え・・・?」
「な、何?か、干渉音!?」
『汝らの求めはまだ果たされていない・・・あるべきところに、あるべきすがたに・・・』
「ば、バカ剣!?な、何を言って・・・」
「ゆ、ユート様っ!【失望】が、【失望】が・・・!!」
それの呼応してか、【失望】の柄の紫の石から、強烈な光が放たれる。
目覚めたときから、うんともすんとも、なにも喋らなかった【失望】の声が、二人に・・・悠人にも、響く。
『もう・・・隠し切れませんね。あなたたちの覆い隠された記憶を、開放します!!』
「~~~ッ!!ヘリオン!?」
「ユート様ぁ!!たすけてっ!なにかが、入ってきますっ!!」
「う、うわああああぁぁぁああああぁ!!」
その光が一層激しさを増し、【求め】のペンダントから放たれる光とともに、二人を包み込む。
一瞬にしてその光は消え去り、その場には、あるべき姿にもどった、二人がいた。
ドクン、ドクン、ドクン・・・
心臓の鼓動が早くなる。
今まで頭の中にかかっていたもやのようなものが、消えるように、晴れていく。
二人の脳裏に同時に浮かんだ、映像<ビジョン>。それは・・・大事な人の、死の瞬間。
戦いが終わっていないことを告げる、変貌した者の姿。・・・声。
すべてが暗闇に沈んだ、あのときのことを、すべて、鮮明に、記憶の中に蘇らせる。
「あ、あ、ああ、ああぁあ・・・!!」
「お、俺たち・・・忘れてたのか?こんな、大事なこと・・・なんで、なんでだよ!!」
忘れちゃいけないこと。本当なら、絶対に忘れられないこと。
それを、今の今まで忘れていた。隠されていた。誤魔化されていた。
おそらく、知らなかった・・・いや、記憶を失っていたのは・・・自分たち、悠人と、ヘリオンだけ。
みんなは知っていた。でも、教えてくれなかった。
それを思い出すことが、二人にとって、いいことなのか、悪いことなのか、誰にもわからないから。
悠人もヘリオンも、あの時、本気で悲しんで、泣いて、叫んでいたから。
「ハリオンさん・・・ハリオンさん・・・!!」
ヘリオンはへたり、と座り込んで、がたがたと震えながら、目を見開いて、両手で頭を抑えていた。
ただひたすら、ハリオンの名前を呼び続けていた。
もう既にいない、再生の剣へと還っていった、もう一人の『お姉ちゃん』。
小さいころから、ずっと一緒にいた。何をするにも、一緒にいた。笑顔を、見せてくれた。
つらいとき、くるしいとき、なぐさめてくれた。一緒に生き延びようって・・・言ってくれた。
でも、もういない。誓いを、やぶられた。
「ヘリオン!落ち着けっ!落ち着くんだ・・・!」
「う、う、うぅ・・・」
悠人は叫びながら、ヘリオンの体をぐらぐらと揺すぶる。
だが、ヘリオンの震えは、涙は止まるところを知らず、ますます酷くなっていく。
「くそ・・・っ!あのときより酷いっ!ヘリオン・・・!」
どうすればいい。どうすれば、ヘリオンの目を覚まさせられる?
あのときのように、神剣があるわけでも、大声で呼びかけても目を覚ますわけでもない。
「あぁ・・・ああ・・・ユート様ぁ・・・」
「ヘリオン!しっかりするんだ!!」
がばっ!
悠人は膝をつき、ヘリオンの小刻みに震えるその小さな体を抱きしめる。
全身が震えていることが、悠人の体全体を通して伝わってくる。
なんとか、温もりを通じさせて、落ち着いてほしい。さっき、悠人がそうなったように。
「ヘリオン・・・!」
「ゆ・・・ユー、ト、さま・・・」
震えが、おさまってくる。・・・どうやら、うまくいってくれたらしい。
落ち着きを取り戻し、ヘリオンは、徐々に、今自分がどういう状況にあるかを理解してきた。
「ゆ、ユート様ぁ・・・私たち、忘れてたんですか?ハリオンさんのこと・・・」
「そう、みたいだ。それに、まだ、戦いは終わっちゃいない。瞬が・・・この世界を滅ぼそうとしてる」
「ユート様・・・私・・・」
「わかってるよ。悔しいんだろ?今までハリオンのこと忘れてて、仮初の平和を味わってたんだから」
「はい・・・でも、私たち、どうして、こんな大事なこと忘れてたんでしょう・・・」
忘れた理由。ヘリオンの言うとおり、こんなこと、本来は忘れるわけなかった。
だとしたら、誰かが故意に忘れさせた。というのが一番しっくり来る気がする。
「・・・心当たりがある。俺たちにこんなことができて、こんなことをするような奴、一人しかいない」
「それって、もしかして・・・」
「そうだ。多分、そいつが何もかも知ってる。城に・・・聞きにいこう!」
「は、はいっ!ユート様、じっとしててくださいっ!」
「え゙っ。また飛ぶの!?」
「そのほうが早いですっ!!」
ヘリオンはハイロゥを展開し、悠人をがっちりと抱くと、城に向かって、飛びだっていった。
・・・真実を、その手に掴むために。
城に着くと、ひたすら廊下を走り、階段を上り、客間へと急ぐ。
だが、神剣を持っているヘリオンに比べ、神剣のない悠人は、色々と苦戦を強いられていた。
「はぁ・・・はぁ・・・!まだか、客間は!」
「ユート様っ!大丈夫ですか!?」
「くそっ!今までどんなにあのバカ剣に頼ってたか、だな・・・皺寄せが一気に来てる」
「か、肩、貸しましょうか?それとも、また飛びます?」
「どっちも結構!ヘリオン、急ぐぞっ!!」
「は、はいっ!」
長い長い廊下を走っていると、その真ん中に、見覚えのある人影が優雅な姿勢で立ち構えていた。
・・・それは、おそらくすべての始まりにして、きっかけ。倉橋 時深。
「時深ッ!!」
「トキミさんっ!!」
「悠人さんに・・・ヘリオン。どうしたんですか?そんなに慌てて・・・」
時深はあっけらかんとした顔で、息を切らす悠人と、僅かに涙の痕を残すヘリオンを見ていた。
「俺・・・いや、俺たち、思い出したんだ!何も、まだ何も終わってないって!」
「・・・そうですか・・・思い出したんですね・・・」
「トキミさん・・・どうして、こんなことしたんですか?戦いが終わってないことや、ハリオンさんのこと・・・」
ヘリオンがそう聞くと、時深は仕方なさそうな、それでいて哀れみを込めた顔で話し始める。
「それは、悠人さんに佳織ちゃんと一緒に帰る、という選択肢を与えるためです。
もし記憶があったままだったら、居ても立ってもいられなかったでしょうね」
確かにそうだった。
【求め】を吸収し、けばけばしい神剣とともに変貌した瞬。
おぼろげな記憶の中で、瞬は世界を滅ぼすと、高笑いしていた。
この世界を守るという意味でも、ハリオンの仇をとるという意味でも、悠人は戦いの道を選んでいただろう。
「・・・一つ、聞いていいか?」
「何でしょう?」
「それなら、俺だけでよかったんじゃないか?どうして、ヘリオンまで・・・」
そういって、悠人はちらり、と横を見る。ヘリオンも、それを知りたい、といった顔をしていた。
「悠人さん、ハリオンが死んで・・・一番辛いのは誰だと思っているのですか?」
「え、そりゃ・・・」
ヘリオンだろ、と、そう言い終える前に、ヘリオンは口を開く。
「そうだったんですね・・・私、きっと隠し通せませんでした・・・きっと、ハリオンさんのこと、ユート様に話しちゃいます」
「ええ・・・もっとも、それすらも無駄になったようですが」
もし・・・ヘリオンが、あのときの記憶を持っていたら、悲しみに耐えられなかった。
きっと、誰かにその悲しみを打ち明けていたに違いない。・・・それが、悠人の可能性が高かったのだろう。
例えそれが残酷な道でも、悠人に選択肢を与えたかった。それが、時深の判断だった。
「ごめんなさい・・・私がもう少し早く到着していれば、彼女の死も避けられたはずなのですが・・・」
「なにかあったのか?」
「向こうの世界で戦った二人を覚えていますか?・・・彼らの妨害があって、遅れてしまいました。
そのせいで私の力が思うように働かずに、彼女の死が、避けられない運命の流れに乗ってしまったのです・・・」
「ハリオン・・・運命だったのか?・・・そういえば、あいつらは一体・・・それに、時深も・・・」
とてつもない力を持っていた、法衣に身を包んだ少女に、黒衣の大男。・・・そして、目の前の時深。
「・・・私たちは、エターナルという存在。第三位以上の神剣の持ち主」
「え、えたーなる?」
「今はこれ以上のことを話すつもりはありません。・・・悠人さん」
「なんだ?」
「もし、ここに残って戦う道を選ぶなら、明日、一人でここに来てください。色々と、お話しなくてはいけません」
「あ、ああ・・・そんなこと、聞くまでもない気がするけどな・・・」
「よく考えてくださいね・・・それから、ヘリオン?」
「あ、はい!」
自分が呼ばれるとは思わなかったのか、ヘリオンは思わずびっくりしてしまう。
「記憶を取り戻したのなら・・・返したいものがあります。少し、ここで待っていてください」
「・・・返したいもの?」
時深はヘリオンにそれが何であるかを話す前に、部屋に入っていく。
まもなく出てくると、それが何なのかが、明らかになった。・・・それは、大事な人の形見。
「・・・これを」
「こ、これって・・・、もしかして、【大樹】!!?ど、どうして・・・?」
「ええ、本来、ハリオンの死とともに消えるはずだったのですが・・・どういうわけか、完全な形で残っています」
時深は【大樹】をヘリオンに渡す。僅かに、その槍の柄からは、温もりのようなものを感じる。
「・・・ハリオンさん・・・私・・・」
「それをどうするのかは、あなたの自由です。では、私はこれで・・・悠人さん、またお会いしましょう」
そう言うと、時深は部屋へと戻っていった。
「ヘリオン・・・大丈夫か?」
「大丈夫です・・・って言うと、嘘になっちゃいますね。それより、どうするんですか?」
「・・・色々と考えたい。明日は、一人にしてくれ・・・今日は、もう戻ろう」
「は、はいぃ・・・」
悠人とヘリオン、二人もまた、詰所へと帰っていく。
・・・もう、これしか道は残されてはいない。二人の決心は、唯一つに固まっていたのだった・・・
──────次の日の夕方。ヘリオンは、朝からずっと【大樹】を眺めていた。
・・・当然、声が聞こえたり、【大樹】の力を使えたりするというわけではなかったが。
それでも、僅かに漏れる、あたたかい緑マナを、じわじわとその手で感じ取っていた。
「生き延びてください・・・ですか。ハリオンさん・・・」
幾度も幾度も脳裏によぎる、あの瞬間。
思い出すこと自体嫌だった。でも、焼きついている以上、拭い去ることはできない。
あの夜から、思い出すたびに泣いていたのに、もう、涙が涸れて、泣くこともできない。
【大樹】を握り締める手にぎりぎりと力が篭る。
ハリオンが遺したあの言葉を、忘れないように。今頃、時深の所にいる悠人と一緒に生き残るために。
こんこん。
部屋のドアが、消え入るような力でたたかれる。
「・・・?誰ですか?」
と、ヘリオンの言葉とともに、がちゃ、とドアを開けて入ってきたのは、ニムントールだった。
「・・・ニム?ど、どうしたんですか?」
「ニムって言うな。それより、訓練に付き合って」
「へ?い、いいですけど・・・今、訓練所は閉まってますよ?」
「そこの庭でいい。だから、すぐ来て」
「??」
突然の訓練の誘いに、わけがわからず混乱するヘリオン。
じっとしているよりは、体を動かしたほうがいいということだろうか。
ヘリオンは【大樹】を壁に立てかけて、【失望】を握り、訓練に付き合うことにしたのだった。
館の庭の開けたところまで来た二人は、一斉にハイロゥを展開する。それが、訓練の合図であるように。
「私さ・・・いつだったか言ってたよね。ヘリオンを超えるって・・・」
「そ、そういえば・・・そんなことがあったような、なかったような・・・」
「あったの!・・・で、私、今超えるから。今の腑抜けたヘリオンなんて、敵じゃないから!」
「!!」
ニムントールは、ぎっ、とした、完全に殺気を含んだ視線をヘリオンに向ける。
びりびりと伝わってくる闘志。ニムントールは、絶対の自信を持って、ヘリオンと向き合っていた。
対して、ヘリオンはその闘志にやや押され気味。一筋の汗が、頬を伝う。
「隙ありっ!そこおおおぉぉおっ!!」
「・・・ッ!」
グリーンスピリットにあるまじきスピードで踏み込むニムントール。
一瞬にして懐に飛び込まれたヘリオン。完全に、反応できずにいた。
「ぁ・・・!!」
遅れて【失望】を抜こうとするが、【曙光】の三叉がヘリオンの右手を完璧に捕まえており、抜くことができない。
下手に動こうとすれば、致命的なダメージを負うのは自分。でも、動かなくてもダメージを負う。
・・・・・・動きを、封じられた。
どすっ。
「はぁうっ!!」
ニムントールの左拳が、ヘリオンのみぞおちに食い込む。
視界が、ぐらぐらと揺れる。目の前のニムントールが、ぼやけて見えない。
全身の力を失ったヘリオンは、どさり、と、そのまま仰向けに倒れてしまった。
「やっぱり。弱すぎるよ、ヘリオンって」
何も見えない。でも、ニムントールの声が、神剣のしまわれる音が聞こえる。
「こんなに弱くなっちゃったんだね。ほんと、あの時一瞬でもヘリオンを尊敬した私が馬鹿みたい」
「(なに・・・言ってるの?)」
「・・・私だって、お姉ちゃんを失ったら、きっと同じことになると思う。未練たらたらになると思う」
「(お姉ちゃん・・・?ハリオンさん・・・?私、未練、持っているの?)」
「でもさ、今みたいに無様に死んでさ、ハリオンの言葉をふいにするわけ?私はそんなのやだ。
だって、そんなの、情けなさすぎるじゃん。ハリオンが望んでいるのはさ、きっといつものヘリオンなんだよ?」
「(ハリオンさんが、望んでいること・・・)」
「生きなよ。もっと強くなってさ、悲しみなんて吹っ切って、ユートと一緒に。それが、望みなんでしょ?」
「(そう、でした・・・ハリオンさん・・・ユート様・・・私・・・)」
「じゃ、私は行くから。さっさと目覚まさないと、風邪引くよ」
ニムントールはそう言って、くるりと踵を返す。が、
「まって・・・ください。まだ、終わってませんよ?ニム・・・」
ヘリオンは、ぎしぎしと鳴る体を起こし、その視線をニムントールへと向ける。
その目には、さっきまではあった、迷いや、未練を断ち切る強い意志が宿っていた。
「ニムって言うなって、何度言ったらわかるのよ。このバカ」
「何度言われても・・・わかるつもりはありません!もし、私に勝てたら、やめてもいいですよ?」
ヘリオンがそう言うと、ニムントールはニヤリ、と笑みを浮かべて、ヘリオンの方に向き直る。
「それいいね。じゃ、今度は手加減はしないから!」
「望むところですっ!では、行きますっ!!」
二人の足元が、同時に砂埃を立てる。黒い影と、緑色の影が、その中点で激しく衝突を繰り返す。
何度も、何度も、神剣がぶつかり合い、その度に、剣圧で周りの草や木が切り刻まれる。そして・・・
がっきいいいぃぃいん・・・
空に、小振りの刀と、三叉の槍が回転しながら舞う。
それらが、同時に地面に突き刺さると、ヘリオンとニムントールも、仰向けにばたり、と倒れこむ。
「はぁ・・・引き分け・・・ですね」
「ちぇっ・・・現金なの。いきなり強くなっちゃって、反則・・・」
「まだまだ、呼ばせてもらいますね。ニ・ム」
「しょうがないなぁ・・・でも、今度は勝つからね。覚えて、いなさいよ・・・」
「(ニム、ありがとうございました・・・)」
疲れた。二人とも、息を大げさに切らしながらそう思っていた。
しかし、どこか気持ちのいい疲れだった。なにか、詰まっていたものが取れて、すっきりした様な感覚すらある。
こうして、しばらくこのまま寝込んでいる二人だったが、後でセリアに見つかって大目玉を食らうのだった。
当然、二人から笑顔が消えることはなかったが。
──────次の日の夜。城の中庭にマナ蛍が所狭しと舞う。
その中心に設置された不恰好な機械。それは、ヨーティアの作った、世界を越える機械。
・・・とうとう、悠人の義妹、佳織が元の世界に帰るというのだ。
悠人をはじめとするスピリット隊のメンバーは、全員そこに集まっていた。
うっすらと目に涙を浮かべて、悲しみをかみ殺す者。
佳織との別れが名残惜しく、我儘を言うオルファ。それを制止するエスペリア。
アセリアやナナルゥも、普段なら泣かないのに、今日ばかりは一筋の涙を流している。
そんな中・・・ヘリオンは、泣かなかった。
大事な人と別れる悲しみは、自分が一番よく知っているから。
悠人には、その悲しみを、寂しさを乗り越えて、この世界を救うための意志の強さにしてほしかったから。
だから、泣き顔を悠人に見せて、意志を折るような真似はしたくなかった。
「さ、もうすぐ来るよ。早く輪の中に入りな」
ヨーティアが、メンバーたちに別れの挨拶をする佳織を急かす。
「す、すいません!ちょっと待ってください!」
それにあわてる佳織は、メンバーの顔をぐるりと見渡して、ヘリオンの元にやってくる。
そして、何か、みんなには聞かれたくないようなことなのか、耳打ちをしてくる。
「ヘリオンさん・・・お兄ちゃんのこと、守ってあげてくださいね」
「え・・・?」
「お兄ちゃん、結構無茶するから・・・それに、ヘリオンさんが一緒じゃなきゃ、意味がないもの」
「そういえば・・・カオリ様もあの場にいたんですよね・・・ハリオンさんの言葉、果たせるように・・・ですね?」
「うん。おねがい・・・ね」
「はい・・・」
佳織はくるり、と踵を返すと、機械の輪の中へと入っていく。
「き、来たっ!すごい反応だ!」
キイイイィイィイイイィン・・・!!
佳織の周りの輪が光り出し、立ち上って光の柱を作り上げる。
その光は、別れの光。スピリット隊の誰もが、思わず走り寄ろうとして、一歩踏み出して、留まった。
「佳織っ!」
だが、悠人は駆け寄り、今にもその場から消えてしまいそうな佳織の手を握る。
「お・・・いちゃん・・・!」
世界を越え掛っているのだろう、その声も、途切れ途切れになる。
もう二度と会えない。それなのに、悠人も、佳織も、笑顔で、お互いを見つめあう。
まるで、お互いの心中を悟っているかのように。
「・・・に・・・・・・・・・ん!わた・・・ほ・・・・・・うに、・・・にいち・・・んの・・・・・・うとで、・・・かっ・・・!」
光の柱が一層輝きを増し、佳織を、元の世界へと飛ばそうとする。
・・・やがて、しっかりと感じていた、佳織の手の感覚が消え、悠人の手は、空を切った・・・
「ああ!じゃあな佳織っ!!」
それでも、悠人は精一杯の声をあげて、佳織を見送る。
もう二度と会えないなんて、そんなことないって、言わんばかりに。
・・・ヘリオンは、ずっと我慢してたのに、泣き顔なんて見せたくなかったのに、勝手に涙が溢れ出す。
大事な人の手を握って、別れの瞬間までその温もりを感じているその姿は・・・
そう、ハリオンを失ったときの、ヘリオンの姿にそっくりだった。
今だって、一時的に記憶を失っていたからって、決して忘れることのない、あの時の温もり。
それは、【大樹】を握る右手に、【失望】を握る左手に、いつまでも、生きていた。
でも、決定的に違うのは、悠人は、佳織との別れを覚悟し、享受していたこと。
つい昨日、ニムントールに喝を入れられるまで、ずっと信じられないでいた真実。
やっと、受け入れることができた。別れることがわかっているから、悠人はあんな顔ができる。
ハリオンが死んだときも、別れるのが嫌だったから、ヘリオンと一緒に本気で泣いてくれた。
「(でも・・・もう大丈夫。私は、ユート様と一緒に、生き延びるんですから・・・)」
その涙は、ヘリオンの決心とともに、その流れを止める。
ヘリオンは涙を腕で拭うと、天を仰ぎ、心で、ハリオンにそう呼びかけるのだった・・・
「・・・ヘリオン、どうしたの?ぼーっとしちゃって」
「・・・!?あ、セリア、さん・・・」
ふと気がつくと、機械の整備をしているヨーティアと、横のセリア以外誰もいなくなっていた。
「な、なんでもないです!そ、それより・・・ユート様はどこですか?」
「ユート様なら、さっき城の裏手の方に行ったけど・・・どうしたのかしら?」
城の裏手・・・そう聞いただけなのに、何か、嫌な予感のようなものが、ヘリオンの脳裏にこびりつく。
このまま見逃すと、もう二度と会えなくなるかもしれない。そんな、暗い予感が。
何を考えるでもなく、ヘリオンは、その悠人が向かったという、城の裏手へと走り出していた。
「ヘ、ヘリオン!?どこに行くの!!」
「セリアさん、すいません!すぐに戻りますから・・・!!」
急がなくては・・・取り返しのつかないことになる前に。
「ユート様・・・!!」
【失望】と【大樹】。二つの神剣を担いで、ヘリオンは全力で走る。この予感の正体を確かめるために・・・
「・・・本当に、いいんですね?」
「ああ、もう決めたんだ。この世界を救うために、俺はエターナルになる」
「考え直すなら今のうちですよ?誰からも忘れ去られるというのは、時として死ぬよりも辛いのですから・・・」
「確かに、辛いかもしれない。でも、俺には、みんなが死んじまう方が、よっぽど辛いよ。
あんなことがあったばかりだし・・・ヘリオンには悪いけど、もう、あんなのは嫌なんだ」
「わかりました。門を・・・開きます」
時深はそう言うと、『時の迷宮』へと繋がる門を開くため、神剣の名前を含んだ呪文を唱え始める。
様々な色の光が、あたりに漏れ出す。次第に、その光が周りを囲んでいくのがわかる。
少し名残惜しいといった、沈んだ顔をする悠人。・・・遠くから、その悠人の名前を呼ぶ声が聞こえる。
「ユート様ぁっ!!」
悠人は思わずそちらの方に視線を向ける。
森の中を、がさがさと足音を立てながら走ってくる、小さな人影。
それは、暗くてよくわからなかったが、回りの光と、月明かりによって、おぼろげに浮かび上げってきた。
刀と槍を両手に持った、ツインテールの少女。
「ヘリオン!?」
悠人は思わず踏み出しそうになる、が・・・
「悠人さん、門が開きます!これ以上離れてはいけません!」
「!! ヘリオンッ!来るなっ!来ちゃだめだぁっ!!」
「ユート様あぁぁっ!」
ヘリオンの勢いはとまらない。悠人に追いつこうと、神剣の力を使って地を蹴る。
・・・そして、ヘリオンは、光の環の中へと、飛び込んだ─────。
キイイィイイイィィィン・・・!!
周りの光が輝きを増し、ふわりと、体が浮くような感覚に襲われる。
門は、完全に開かれた。
「!? こ、これって・・・なんですか!!?」
「~ッ!!ヘリオン、俺に捕まってろっ!!」
「! は、はいっ!!」
とっさにそう言われて、ヘリオンは悠人の胴に抱きつく。
「・・・仕方ありません!『時の迷宮』へ、飛びます!!」
辺りは、目もくらむような光に包まれ、その光は、三人を導いていった。
永遠者<エターナル>の鍵となる、永遠神剣のある場所へと────。