いつか、二人の孤独を重ねて

つきのさばく

   …月の沙漠を はるばると 旅のラクダが ゆきました


          -ケムセラウト南下・法皇の壁突破戦-

慣れない。
いつになっても、どれだけ経験を重ねても慣れるなんて出来ない。
今も背中に寒気が走ってる、冷たい汗もさっきから流れ続けている。
凄く重たい鼓動が、ずっと胸を内側から叩き鳴らしている。
呼吸の荒いのが、止まらない。
深呼吸しようとしても、しようとすればするほど更に呼吸が荒くなるだけで。

「孤独」が、重すぎる。

剣を握る手に力を込めているつもりだけど、全然その感覚が無い。
眼を両目とも見開いて、視界にある全てを見逃さないようにしている…はず。
身体が石のように硬い、特に肩が。
頭がくらりと来て、何も見えず聞こえずわからなくなる感覚に何度も襲われる。

それでも、自分の背中に翼をイメージする。

ウィングハィロウを展開させる、深く息を吸い込む。
ねじ込むように足を、特にかかとの部分を強く踏みしめる。
膝が笑ってるのも、腰が後ろに逃げたがってるのも強引に黙らせる。
改めて、目の前にいる…街道のド真ん中に立ちふさがる「敵」を見据える。

「敵」は、同じブルースピリット。

それも、自分たちと同じ双子…年のころだって同じくらい。

突然、肩をぽんと軽く掴まれる。
「シアー、また身体がこわばってるね」
ネリーだった。
「いつまでたっても慣れないのは、ネリーも同じ。
 だけど、慣れようが慣れなかろうが…戦争は決して待ってくれないんだよ」
ネリーの声に、いつものような明るい感情は感じられない。
目の前から絶対に目を離すわけにはいかないから、ネリーの顔を見るわけにもいかない。

だけど。

それでも、ネリーが横にいるだけで充分だった。
たった今までの身体のこわばりも軽くなり、呼吸も落ち着いてくる。
ユート様がいる時も、それは同じ。
ユート様の場合は、黙ってシアーの前に半歩ずれぎみに出る。
そして「求め」を握った両手が、シアーをかばうように斜め下段にかざされる。
最初の頃は、ネリーかユート様が側にいないと落ち着く事は出来なかった。

だけど、それでも戦わないと自分が死んでしまうから。
自分が死んでしまったら、そのせいで他の誰かも死んでしまうかもしれないから。

シアーが、殺さないと…シアーが死ぬ。
あの、バーンライトのスピリットのように苦しみながらマナの霧と散って。

シアーが、殺さないと…ネリーやユート様や他の誰かが死ぬ。
あの、バーンライトのスピリットのように苦しみながらマナの霧と散って。

そのうち、未だに慣れる事は出来ないまでも誰と一緒でも戦えるようにはなれた。
振る舞いだけはいつも通り、自分へも向けてわざと緊張感のない台詞を放つ。

「お菓子あげたら見逃してくれないかなぁ…だめかなぁ」

目の前の敵の反応は、何も全くない。

 -やっぱり、かぁ…。

下唇を少し強く噛んで、「孤独」を握りなおす。

 -帝国のスピリットって、やっぱりみんなこうなんだ。

目の前の、自分たちと同じ双子のようなブルースピリットを改めて見据える。
瞳に、光も感情も…そして「こころ」も感じられなくはないけど凄く弱い。
表情はとても虚ろで…とても、「生きている」ようには思えない。
そのくせに、神剣だけは妙にマナに満ちている。

ただし、殺意のマナに。

ラキオス城が襲撃された時、「帝国のスピリット」に初めて出会った。
強かった。
でも、ウソの強さだと感じた。
身体は糸の切れた操り人形みたいで、まるで神剣に「動かされてる」みたいだった。
同じ神剣にのまれかけてると言っても、ナナルゥの方がよほど生き生きしていた。
そしてそれは、程なくしてウルカと出会って確信に変わった。
怖いと感じると同時に、負けたくないとも強く思った。
決してあんな姿になりたくない、決してあんな姿にだけは負けたくない。
今まで言われるままにするだけで自主的に訓練する事はなかったけれど。
その日から、自分で様々なトレーニングメニューを自分に課すようになった。

自分たち「年少組」では、自分が一番「腕力」に長けていたから。
そして「孤独」そのものも、パワーを旨とする戦法に適した剣だったから。
ニムいわく「顔に似合わない馬鹿力と性格に似合わないデカすぎ剣」との事だった。

だからシアーは…「一撃の重み」をひたすら追求する事にして鍛錬し続けた。
普段から努力家で有名なヘリオンに影響された部分も大きかったかもしれない。

「孤独」を両手持ちで構え、切っ先をぴたりと真っ直ぐ敵に向ける。

つくづく、華奢な名前に見合わない剛剣だと自分でも思う。
正直言って小さい自分の身体に不釣合いである長大なサイズ、幅が広く分厚い刀身。
自主トレーニングをはじめる以前は、ただ扱いづらさに持て余していたけれど。
だんだん上半身の筋肉がついてきてからは、むしろ重さも頼もしく感じるようになった。
息を深く吸い込んで、深く吐く。…心を静かな水面のように、気合は風よりも鋭く。
「孤独」にマナがこもってきて、ぼんやりと刀身が青い輝きを放ち始める。

「さってと~、気合い入れていっくよ~?」

横にいるネリーの「静寂」も、青いマナの輝きを放ち始めたのを感じる。
ネリーの殊更に明るい台詞に無言で頷き、背中のウィングハイロゥにもマナを込める。
二人同時に、ウィングハイロゥの純白の輝きが強くなっていくのがわかる。
それに呼応するかのように、敵もマナを高めるけれど…それはあくまで黒かった。
夜空を黒いと言っていいのかわからないけれど、夜空の黒さはシアーはむしろ好きだった。
けれど、目の前にいる相手の黒さは…決して受け入れてはいけない黒さだと強く感じた。

もしも、ユート様が現れる事がなかったら…自分たちもああなっていたのだろうか。

そう思うたび、敵を…特に「帝国のスピリット」を本当に憐れに思う。

憐れに思うからこそ、斬らなくてはいけないのだとも理解している。
理解しているけれども、同時に決して納得したくはなかった。

「…ねえ、名前は?…せめて、せめて…名前だけは…教えて…」

最初から答えのわかってる、虚しいだけの問いかけ。
それでも、自分の剣で斬るからこそ…そうしなければならないような気がして。
「シアーは…孤独のシアー。…永遠神剣第八位、孤独のシアー」
だから、シアーは目の前の相手に名を問う。
「ネリーはね…永遠神剣第八位、静寂のネリーだよ」
そして決して忘れないように、必ず日記に書きとめる。
問いかけられた、青い双子の「敵」は虚ろに自分たちを見つめるだけだったけれども。
けれども…やがて。

「…永遠神剣第八位…侮蔑…」
名乗ったには名乗ったけれども、剣の名前しか名乗ってくれない。

「永遠神剣…第八位…の…嘲笑…」
いつも、そうなのだ。帝国のスピリットは実に多くが自身の名前は名乗らない。

それにしても、神剣の名と言えど…いくらなんでもあんまりな名前だった。
これまでにも帝国のスピリットの神剣名は本当にあんまりなものばかりだった。
それでも今回のは…いくらなんでも、あまりにもあんまりすぎる名前だった。
マロリガン稲妻部隊などは「記憶」「面影」「歌姫」「淑女」という感じだったのに。
根拠はないけれども、シアーはこの事について作為的なものを感じていた。
確かに聞いた二人の名前を口の中で反芻してから、シアーは「孤独」を下段に構えた。

   …先のくらには王子様 あとのくらにはお姫様


 -もう、慣れてしまったのかな。

悠人は目の前にそびえる法皇の壁の見るからに重々しい大門を見上げて、そう思う。
自分の神剣を…「求め」を改めて両手で握りなおす。

「剣に力を…、ん、慣れてきたかな」

特に意識もせずに、思った事を口に出して呟く。
目の前にいる帝国のブラックスピリットを見て、ため息が漏れてしまう。
その瞳や表情に「こころ」を感じさせるものは、もはや無いに等しい姿に。
ため息を漏らしながらも、両足を地面にねじこむように腰とひざに力を入れる。
初陣の、あの頃と違って自分が剣を持って戦う行為に恐怖は…もう、無い。
恐怖はもう無いけれども、迷いとためらいと…虚しさはある。
もう何度ついたかしれないため息をまたつきながら、目の前の相手に対し身体を斜めにする。
人体の急所は、ほぼ身体の真正面にまっすぐあり…それを正中線だとかいうらしい。
相手に対しては斜め気味に横を向けて、可能な限り急所を晒さないようにする。
光陰から教わった事なのだけれども、悠人は自分でも記憶が曖昧だなと今更に思った。
とにかく、光陰やイオから教わった通りに「求め」を武術の型に構える。
それを見て、相手も構える。これまで戦場で見慣れきった、この世界の剣術の型。

 -居合いの太刀、か。

何処の国でも何処の戦場でも、スピリットたちの剣術はすべからく全く同一だった。
ただ、それぞれのスピリットの違いにより使う剣術が決まっているだけ。
この世界には、現代世界のように「流派」などというものは無かった。

例外は、光陰の率いていたマロリガン稲妻部隊だった。
彼女たちの誰もが、現代世界のカンフー映画で見るような凄絶な動きを見せ付けてきた。
中には…神剣を鞘に納めたまま、「素手で」悠人を追い詰めるに至った者もいた。

何より、彼女たちは瞳と表情に「こころ」があった。

「こころ」のあるスピリットなら、なおさら斬りたくないという気持ちもあった。
それを置いても、クォーリンをはじめとするマロリガン稲妻部隊は本当に強かった。

蒼い牙アセリア、漆黒の翼ウルカと並び「大陸三傑」と恐れられる深緑の稲妻クォーリン。

幾度となく、悠人自身も含めてラキオス隊の全員が彼女と剣を交えた。
それはついぞ、とうとう誰もクォーリンを倒すどころか追い詰めるに至らなかった。
ウルカ、アセリア、エスペリア、セリア、ファーレーン、ヒミカ、ヘリオン、悠人。
かろうじて互角に持っていくだけなら、以上の8人だけが出来た。
逆に言えば、クォーリンと実力互角のスピリットがラキオスに7人もいたと言う事だが。
そしてやはり、当然と考えるべきなのだろうか…光陰はそれ以上に強かった。
今でも、勝てたのが奇跡のように思えてならない。
その事を思い出すたび、悠人はシアーの言葉をも同時に思い出す。

 -あのね、ユート様…シアーね、ああいうのがホントの強さなんだと思うの…。

マロリガン戦が終結して以降、また戦場を駆け抜ける毎に本当にその通りだと思った。
少なくとも悠人にとっては、現在やりあっている帝国よりもマロリガンの方が強かった。

「求め」を斜め下段に構える。
光陰やイオにエスペリアの指摘で何度も再認識を繰り返している事。
「求め」の刀剣としての形状と重量、悠人自身の武術への適正から。
自然に、依然として技は荒っぽいが…純粋なパワー型として悠人の肉体は仕上がっていた。
細かい部分は違えど、不思議とシアーと似通っていた。
課される訓練メニューも似た内容が多く、一緒にやる事も自然と多かった。
もっとも、そのパワー含め全ての面に置いて悠人は光陰にどうしても勝てなかった。
似たように、シアーの方はどうしてもアセリアに技量はおろかパワーでも勝てなかった。
二人にとって、仲間たちの誰もが師でありライバルでもあった。
特に悠人は光陰に、シアーはアセリアに対してそういう感情が強かった。
もとから教え上手の光陰はともかく、教え下手と思われたアセリア。
何かの部分で相性が良かったのか、パワー戦法に関してはシアーにとって最高の師だった。
…ただし、光陰もアセリアも苛烈極まりないスパルタ特訓だったが。

「求め」の刀身にマナが満ち、やがてオーラフォトンの輝きを放ちはじめる。

腹でなく胸で呼吸、ヘソの下…丹田と呼ばれる部分に力の流れが集まるのをイメージ。
全身から湯気のように、ただパワーがたちのぼるのが自分でもわかる。
戦闘中に限っては光陰の「因果」と今日子の「空虚」による抑制も解除されてある。
「求め」から放たれるオーラフォトンの輝きも激しくなる。

「名前を…教えてくれ。お互い…どっちに転んでも最後だ、頼む」
不意に問いかけを投げかけられた相手は、居合いの構えのままで沈黙していたけれども。

「永遠神剣第六位、黄金時代」
やはり自身の名前は名乗らず、神剣の名だけをナナルゥ以上に抑揚の無い声で名乗った。

悠人はその名を口の中で反芻した直後、雄叫びを上げて全速力で突っ込んだ。

   …広い砂漠を ひとすじに 二人はどこへゆくのでしょう
   …おぼろにけぶる月の夜を ついのラクダは とぼとぼと


腕力でなく、撃った威力が何処へ行くかを計算した上で…。
「下半身をフルに使って振るう」のこそが、単なる馬鹿力戦法と違う本当のパワー戦法。
アセリアは、シアーに確かにそう教えていた。

さっきまで激しく剣をぶつけあっていた青い双子は、二人同時に動きを封じられている。
ネリーがいつも「静寂」を納めている鞘に仕込んでいる、火薬射出式の鎖分銅。
ヨーティアによる特別製のソレが「侮蔑」「嘲笑」の首にまとめて同時に巻きついている。
ネリーは持ち前の器用さで、巧みに鎖分銅に込める力を見事にコントロールしていた。
首に巻きついた鎖分銅に手をかけ、口から泡を吹き始めながらもがいている「敵」。
その「敵」めがけて、シアーはウィングハイロゥをまばゆく輝かせて突っ込む。
 -ごめんね…でも、やらなくちゃいけないの…ごめんね…!
突進の勢いと剣の重量をのせて、冷たく鋭い青いマナで輝く「孤独」を真横に振り抜く。

腕力でなく、撃った威力が何処へ行くかを計算した上で…。
「下半身をフルに使って振るう」のこそが、単なる馬鹿力戦法と違う本当のパワー戦法。
光陰は、悠人に確かにそう教えていた。
 -許してくれなんて言えないけどッ…でも必ず、こんな時代も戦争も終わらせるからなッ!
悠人は突進の威力と剣の重量をのせて、オーラフォトンで輝く「求め」を真横に振りぬく。

「侮蔑」「嘲笑」は断末魔の叫び声をあげる事も出来ないまま、真っ二つに寸断される。
「黄金時代」は神剣ごと叩き砕かれて、呆然としたまま真っ二つに寸断される。

シアーとネリー、悠人はマナの霧にかえっていく「敵」をただ最後まで見つめ続けた。

ラキオススピリット隊は、法皇の壁を突破した。

禍々しいとも感じる巨大な大門は、あまりに重い音をたてて開かれた。
悠人は、大門で全員に束の間の休憩を命じた。
誰も、言葉は無い。
悠人、シアーとネリーを含め全員が傷だらけだった。
エスペリアやハリオンたちにより血は止まっているものの、服はズタズタだった。
特別に丈夫に作られているという、スピリット専用の戦闘服。
全員のソレがあまりにズタズタなので、悠人はヨーティアに頼もうかと考える程だった。
確かに専門分野ではないかもしれないが、ヨーティア製ならば今のよりマシかもしれない。
何より、ヨーティアが作ったという事だけで士気が違うだろう。
悠人は改めて全員の顔を見回す。
誰の顔にも例外なく、疲労の色が濃い。
戦勝の喜びも、ない。
法皇の壁を突破しても、その日のうちにリレルラエルを占拠出来なくては意味が無い。
だが自分が今立っている街道の先にあるリレルラエルは、あまりにも遠かった。
法皇の壁を防衛していた帝国スピリットに輪をかけて強いスピリットが防衛しているという。
休憩に入る少し前に聞いた、エスペリアと光陰とセリアからの全員への説明を思い出す。
目と鼻の先にありながら、リレルラエルは…あまりにも遠かった。
ふと、すっかり着慣れた軍羽織のすそを軽く引っ張られたのを感じる。
オルファだった。

「パパ…まだ、終わらないの?…せんそう、まだ終わらないの?」

普段の快活さが全く無い、疲れきった顔でオルファが悲しそうに言う。

ハクゥテと名づけた愛らしいペットを飼うようになってから。
シアーとネリー、ニムントールにヘリオンたちとの交流が深まっていくごとに。
レスティーナ即位後、少しずつ時代が新しい流れへ動くようになってから。
オルファは、だんだん変わっていった。
かつて悠人はオルファに命の重さがわかるようになって欲しいと願った。

「オルファ、もうやだよ…せんそうなんて、したくない…。
 今はもう、もう…殺したくなんか、ない…殺したくない…」

両目から涙をこぼして嗚咽を漏らしながらそう言うオルファの髪をエスペリアが撫でる。
悲しそうに、またエスペリア自身も何かに耐える表情でオルファの髪を優しく撫でる。

「もう…殺すのが楽しいなんて思いたくない…殺したく…ない…」

他の仲間たちの悲しそうな視線が、自分とオルファたちに集まっている。
セリアも、口を固く結んで何も言わないままオルファをただ見守っている。
そんなオルファを、ネリーが横から強く抱きしめる。
続くように、シアーがそっとオルファの手を両手で包み込む。
ネリーとシアーも、ひどく辛そうな表情だった。
オルファはただ、嗚咽を漏らして涙をこぼし続ける。

不意に、シアーが悠人の方を向いた。
痛みに満ちた、憂える眼差しで悠人の目をじっと見つめて。
悠人はただ、今だけは何も言えずにじっとシアーと見つめあうしか出来なかった。

誰もが、ただ望んだ時代の風が自分たちに吹いてくれるのを願うしか出来なかった。

   …沙丘を越えて ゆきました 黙って越えて ゆきました