いつか、二人の孤独を重ねて

ゆめじゃないゆめと、にんげんとにんげんと…。

それは危うさを感じさせる幻想的な美しさであり、決して選んではいけない残酷だった。

「ありがとう」

自分の全身が、マナの霧と散っていく様を自分で感じるのは不思議な感覚だった。
とても寒くて怖いのに、とても暖かな安らぎを覚える。
どんどん消えていって悲しいのに、血に錆びた鎖から解き放たれるのが嬉しい。

鎖。

いつからだったんだろう、多分ずっと昔から。
なんでそうしたのかは、もう覚えてないけど…確かに自分で自分に縛り付けた。
でも、それも今日でもう全て終わりなんだとわかる。

「ありがとう」

お礼の言葉を、そうして二人分だけ告げる。

「今まで本当にお世話になりました、あなたに出会えて幸せでした」

また、お礼の言葉を三人目に告げる。
幾本もの手が、自分の身体が散っていくのを必死で止めようともがいている。
そんな、優しく差し伸べられている幾本もの手を自分のマナの霧がすり抜けている。
それが、申し訳なかったけれど何も言えない。
いよいよ本格的に、自分の全身が黄金色に散る速度が早くなってきた。
散っていく自分の身体ごしに、見慣れた幾人もの顔が見える。

誰もがみんな、泣いている。

特に、三人は必死に引き止めてくれている。
いつも一緒にバカやってた誰よりも近かった誰かなんて、泣きながら怒ってる。

「ごめんなさい…本当に、ごめんなさい」

謝るしか、出来なかった…それしか、出来なかった…。
みんなが、更に口々にそれぞれ何かを叫ぶけど…もう、聞こえない。
目も霞んできたし、空気の感じとかもわからなくなってきた。

 -自分は、どうしてこんなに冷静なんだろう?

なんだろう、こんな時なのに妙に冷めてる自分が不思議でならなかった。
ふと、ひとりと目が合う。
一番、ほっとけなかったひと…でも、置いていってしまうひと。

 -叶うなら、この子の人生を最後まで見届けてあげたかった。

今まで見た中で一番泣き叫んでいるシアーに、せめて精一杯に微笑む。
消えかかっている上半身と両腕をぎこちなく動かして、シアーを抱きしめる。
シアーも精一杯に、抱きしめ返してくる。

 -こんなに、優しくてあったかかったんだ。

互いに、抱きしめあう両手に力がこもる。

 -こんなに、誠実な温もりだったんだ。

そして、たったひとりの誰かの全てが終わった。

静寂…【静寂】、そして孤独…【孤独】。

献身…【献身】、そして峻雷…【峻雷】。

【求め】…そして【因果】と【空虚】と【誓い】。

誰が、最後に何を携えていってしまったのだろう。
全てが終わってしまったあとには、誰にも何も残らなかった。
だけど、いってしまった誰かは最後に…残していってくれた。

声が響く。

「…こうなると、思っておった。
 思っておったが、今までの状態では何をすることも出来なかった。
 そこで一計を案じ、ギリギリまで我が意思を眠らせておいて正解だった。
 契約者よ待っておれ、今こそ汝の…真の求めに応えようぞ…!」

かつて剣は言った、無償の奇跡は存在しないと。
そして確かに、無償の奇跡は何処にも存在しなかった。
だけど、それは決して…そう、決して…。

その奇跡は無償では無かったけれど、誰もが願った奇跡だった。
ただ願うのみならず、それぞれが自分の出来る事を最後まで努力する事を諦めなかった。

だからこそ【求め】は最後に高嶺悠人とシアーと仲間たちに応えてくれた。

そして、ここでいつものように…そんな夢じゃない夢から覚めた。

リレルラエルを占拠してから幾数日…ラキオス隊は、気の休まる暇が全く無かった。
昼夜問わずに、サレ・スニルとゼィギオスの両サイドから襲い来るサーギオス軍。
サレ・スニルからは、シーオスを経由して…ゼィギオスからは、セレスセリスを経由して。
それぞれ、敵…サーギオス帝国軍は経由地点で戦力の回復と増強を同時に図りながら。
じわじわと、ある時は全く同じタイミングで…ある時は意地悪く時間差を置いて。
それは本当にしつこく…まるで無尽蔵じゃないかとさえ疑う戦力差で繰り返し攻めてきた。

決定的だったのは、あからさまなまでのレッドスピリットの数の差。

対して、レッドスピリットの攻撃魔法を無効化できるラキオスのブルースピリットは四人。

地面をなめるように焼き焦がしながら迫り来る炎。
空の彼方から火山弾のごとく降り注がれる炎。
一筋の細く鋭い針となって一直線に貫こうとする炎。
術者のコントロールにより巧みに障害物をすり抜けて牙を突きたてようとする炎。

炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎…!

この龍の大地中からかき集めたとしか思えない圧倒的な炎を、四人の青はしのいでみせる。
ナナルゥがイグニッションとアポカリプスを、ヒミカがファイアボールを放つ。
オルファリルがアークフレアとスターダストを、今日子がサンダーボルトを放つ。
対してラキオスの攻撃魔法要員も、それぞれに負けじと迫り来る敵を焼き尽くす。
普段は回復かディフェンスに回るグリーンスピリットたちも槍をふるう。
悠人と光陰はエトランジェ故の万能な能力とパワーで確実に止めを刺していく。
だがそれでも数の差はいかんともしがたく、日毎に全員の疲労は濃くなるばかりだった。

奮戦したのはエトランジェとスピリットたちだけではなかった。
ヨーティアとイオを初めとする技術陣が急ピッチで防衛施設を建造していく。
生身の人間、それも中には老齢の身もいるであろうに不眠不休で…彼らも戦った。

戦った「人間」は、技術陣だけではない。

ガンダリオンが指揮をとり、訓練士たちが悠人たちの休んでいる間の警備を買って出たのだ。
いくら人間として腕が立つと言ってもスピリットには歯が立たないのを承知の上で。

レスティーナ女王もまた、ラキオス本国にありながら不眠不休で戦った。
遠く離れた戦地への物資を確保するために、下げたくもない頭を喜んで下げてまわった。
卑劣で狡猾な己の保身しか頭にない貴族や重臣とそして、反レスティーナ派に頭を下げた。
王族のプライドを捨てる事で、人間としての誇りを彼女自身知らずのうちに体現していった。
そして、そんな彼女の高潔な魂に心から本気で忠義を尽くす人間が一人ずつ増えていった。
悠人たちがいかに戦っているかを少しでも知るために現場との連絡を決して怠らなかった。
女王として人間として、実際に戦っている者たちの怒りと悲しみと苦しみを聞いた。
また、自国の民や与する敗戦国の民のみならず敵国のサーギオスの民の声をも聞いた。
そして聞いた全てを、彼女は文と声とあらゆる言葉を用いて人間たちに伝えた。

誰も気づいていなかったが、ゆるやかに…しかし激しく時代が動いていた。

やがて、一つの報がレスティーナを介して悠人たちの耳に入る。

剣聖ミュラー・セフィスに関する情報だった。

ようやく、リレルラエルへの攻めが止まった頃。
深夜に、悠人はこっそり宿を抜け出して街の外れへ向かっていた。

「…ひさしぶりに、星が綺麗だな」

シアーとの奇妙な関係が始まったのも、こんな星空の夜だったと思い出す。
悠人は自分が誰かを悟られぬようにローブをまといフードを深くかぶっていた。
やがて、町外れの一角へと着くと…同じ様にローブで姿を隠した7人が待っていた。

「…遅かったじゃないか」

そのうちの一人が、光陰の声で話しかけてくる。

「すまん、ネリーたちオテンバ軍団に襲撃されて追い払うのに手間取ってたんだ」

悠人は、いつにも増して疲れきった声で肩をすくめながら謝罪する。

「あの子たち、まだ起きてたの!?…面倒な事にならないうちに早く済ませましょう」

あきれながら、仕事を早く片付けようと急かすセリアの声。
悠人は改めて、自分と同じくフードを目深にかぶったローブをまとった7人を見回す。
光陰、セリア、ファーレーン、ウルカ、イオ、ヨーティア…そしてエスペリア。
エスペリアは、いつもの彼女とうって変わって油汗を流して青ざめた顔で肩を震わせていた。
自分の胸の前で両手を組んで震えるエスペリアの手に、イオがそっと手を重ねる。

「…お話し、します…かつてのラキオスに何があったのかを。
 ラスク様の事を…そして、あの男…ソーマ・ル・ソーマの事を…」

カタカタと歯を鳴らしながら、時折ふらつきながらエスペリアは全てを話した。

「…確かに、年少組にはとても聞かせられない話ね」

セリアが、ふうっと深いため息をつきながらそう言う。
エスペリアは、イオとファーレーンに支えられてぐったりしてしまっていた。

「では、手前からソーマが帝国に来てから何をして来たかを…知る限り話しましょう」

ウルカの話にじっと耳を傾ける一同。
そして、数刻後。

「…で、このエスペリア宛ての手紙によればソーマが近くにいるという事か」

ややしわくちゃになってしまった封筒と便箋を手でひらひらさせる光陰。

「こういう手紙を出すという事自体が罠だとも考えられますが…。
 聞いた限り、そのソーマという男の事は常識や良識の範疇で考えてはいけないようですね」

ファーレーンが腕組みして、考え込む仕草でソーマの危険性を改めて示す。

「気に入らないねえ…どうにも、ねちっこくて後ろ暗い。
 こうしてわざわざ自分の存在をアピールする事で、他の何かから目をそらさせようってか」

ヨーティアが、嫌悪感と不快感むき出しにしながら彼女自身の見解を示してくる。

「とにかく、もう随分と時間がかかってしまった…後はまた明日の深夜にしよう」

悠人の言葉に頷き、それぞれ宿へ向かって歩き出していく。
そして、悠人たちが去った後に木陰から一人の影…「人間」がヌゥッと出てくる。

「クッ…クックック、クックックックック…ククク、クク…!」

スピリットやエトランジェの身体能力は聴覚や気配感知も含めて人間を凌駕している。
だが、その「人間」は…スピリットでも感覚が鋭敏なファーレーンやウルカにも…。
全く、完全に気づかれる事なく…今の今までずっとそこにいた。

ソーマ・ル・ソーマ。

この物語において、もっとも危険な「人間」。
ソーマはひとしきり、彼特有の不気味な笑いを愉しむように繰り返すと。
ふらりと、ひどく緩慢な動作なのに溶け込むようにいつの間にか夜の闇に消えていった。

宿の自室の窓から、悠人はまた星空を眺めていた。
すでにローブは片付けており、あとは着替えて眠りにつくだけだった。
現代世界にいた頃は、オリオン座が何故か好きでたまに眺めていた。
だがやはり、この世界だと星の並びが全く違うのか知っている星座は決して見つからない。
だから、悠人はかつてシアーに教えてもらった…あの星を探す。

おとぎ話の勇者様の、赤い星を…孤独の心臓を。

悠人の胸の奥の鼓動と、孤独の心臓の瞬きのリズムが一致していたのは何を示すのだろうか。
自室の窓を閉めて、悠人が眠りについた後。
もう見る者のいない、孤独の心臓のすぐそばで…小さな青い星が控えめに優しく瞬いていた。