いつか、二人の孤独を重ねて

ゆうしゃさまは、ひとごろし -前編-

俺は人を殺す。

「なあ悠人、俺は今日子やクォーリンを幸せにするために戦争を終わらせる。
 戦争に加担する事で、戦争を終わらせるのもありがちすぎて泣けてくるがな。
 …で、お前に協力するわけだが…お前は、どうするんだ?
 お前の意思はともかく、お前の名はこの戦争であまりに大きくなりすぎてるぜ」

 -わかってるさ、光陰…もう俺はこの戦争の勇者でいなければいけないんだろ?

「ユート様、ユート様は変わりませんか? 力を持つことで、変わってゆきませんか?」

 -エスペリア、俺は何があってもあの時の言葉をウソにするつもりは決してない。

「ユート…どうか私たちに力を貸してください」

 -わかってるさレムリア、レスティーナ…俺はラキオスの勇者だから。

「あのね、ユート様?
 ユート様が来てから、少しずつだけれど人間がなんだか優しくなってきてるの。
 シアー、ユート様のおかげだってわかってる…だから、ありがとうね?」

 -シアー、決して俺一人だけのおかげじゃないけど…でも、俺こそ本当にありがとう。

俺と似たような目にあったアニメの主人公が、こう言ってたっけな。
俺は人を殺さない、その怨念を殺す…だったっけか。

俺は「ユート様」だから、「勇者」だから…だから、こうして人を殺すんだ。
俺は「ユート様」だから人を殺すんだ。
俺は「勇者」だから人を殺すんだ。

 -何より、シアーが泣いているから…シアーの背中はアザだらけだったから。

シアーが、心も身体も消せない傷だらけだったから。
シアーとの交換日記での勉強で聖ヨト語の読み書きを完璧に覚えて。
エスペリアに呼び出され案内されたのは何故か、ラキオス城内の迎賓館の宿泊部屋の一つ。
サーギオスに攻め込む数日前にと、エスペリアからやたら分厚い資料を渡された。
目を通すと、それはシアーに関する全てだった。
拾われてからの、育成施設でのあまりに惨たらしい過去に俺は呆然とするしかなかった。

 -これが、人間なのか。

過去のその瞬間に思った事と…血の赤で自分が塗りつぶされてる今、思った事が重なる。

一枚一枚、シアーに関する書類を一字もらさず黙って読んでいく。
この世界での人間と自らを名乗る生き物による、スピリットへの差別と偏見。
それに対する認識の甘さを自らに突き立てるように、それを読んでいった。

いつの間にか、俺は泣いていた。

そうして他のメンバーに関する書類をも読み上げた頃には、もう次の朝になっていた。
何故わざわざ詰め所の私室でなくラキオス城だったのかは、さしこむ朝陽で理解出来た。

目の前にいる「人間」の胸を、自分の腕の【献身】が確かに貫いている。

 -俺は、人間を殺した。

いや、ハナから人間なんてたくさん斬り殺しているじゃあないか。
たくさんたくさん、数え切れないスピリットを斬り殺してきたじゃあないか。

 -そっか、俺ってハナから人殺しだったんだ。

自分は何処にいるのだろう、これから何処へゆくのだろう。
この両腕で強く力を入れて握る【献身】を伝って、赤い血が自分を濡らしてゆく。
なんだろう、この血の生暖かさだけがリアルで他は全てがウソみたいだ。
ちらりと、悠人は自分の腕を見る。

 -ああ、赤いなぁ…やっぱり赤いんだなあ…。

ソーマ・ル・ソーマは口から血そのものと、血のまじった泡を吐きながら喘いでいる。
悠人がソーマの胸を貫いている【献身】を握っていた両手が力なく震えている。
ソーマは目を細めて、ただ喉から血の混じった息をもらしながら悠人を見ている。
その目からは、今やいかなる感情も読み取れない。
そんな事をいやに冷静に実感している間にもソーマの血は悠人を濡らしていく。

 -あの特撮のヒーローみたいに、クソどもをブッ飛ばす怒りの紅だったら良かったなあ。

自分を濡らして塗りつぶしていく赤は生暖かいのに、身体には不快な寒気がある。

 -この感覚には、確かに覚えがある。

この世界に呼び込まれて最初の頃、それも初陣からしばらくの頃。
なんだろう、今までずっと麻痺しててすっかり忘れてしまっていた。
初陣から帰ってきて、第一詰め所の自分の部屋で寝ていた時。
寝付けなかった、ベッドの中で瞬間接着剤で固定されたみたいに目を閉じられなかった。
どうして、こんなにも覚えていないんだ。
急に、その日あった事から以前の事を思い出そうと焦るが何も覚えていない。
歯がガタガタと鳴り出して身体中から嫌な汗が吹き出る、指の先までひどく寒い。
自分の心も身体も全てが恐怖で震えているのがわかる。
面白いくらいに力の入らないくせに震える両手で、自分を抱きしめる。
身体を横向きにして、うずくまって胎児のように縮みこむ。
そのとたん、腹から急に異物感がこみ上げてくる。

吐いた。

エスペリアが作ってくれた食事を、胃液臭い嘔吐物にしてベッドに撒き散らしてしまう。
何度も何度も、本当に内臓までも吐き出したんじゃないかと思うくらい吐き続けた。
胃液も空になるくらいに吐き続けて、息を切らした頃に小便も漏らしていた事に気づく。
自分の中から出し尽くしたモノの臭いが、自分の鼻をつくと妙に落ち着いてきた。
落ち着くと、今度は排泄物が凄い勢いで出始めた。
嘔吐物と小便の臭いの中で排泄物を垂れ流していると、凄く安心出来てきた。
まともな感覚は完全に麻痺していて、ただ一刻も早く安心したかった。
そうしてどのくらい、これでもかと汚れきったベッドでぼんやりしていたのだろう。
本当にごく小さく控えめに部屋の戸を開く音が聞こえた瞬間にまぶたが重くなってきた。
だんだんと閉じられていく視界に、エスペリアが俺の顔を心配そうに覗きこむのが見えて。
臭くて汚い俺の頬を優しく包む手の心地よさだけしか、もうわからなくて。

「もう大丈夫です、ユート様…あとはわたくしに全て任せて眠ってください」

その声のあまりの優しさに、俺はようやく深い眠りにつけた。

「…それで?」

その耳からざわざわと這いずって来る不快な声に回想から我にかえる。
声の主はソーマだった。
明らかに死に至る致命傷を負っているにも関わらず、ソーマはしぶとく生きている。

「人を殺すと過去の思い出話をぶつぶつと呟くのですか、ラキオスの勇者殿?」

ソーマは、悠人が昔何かで見た地獄の鬼や妖怪を描いた日本画のようにニタリと笑う。
その笑みの凄惨さ、自分を射抜く視線のドス黒い凄みに悠人は一瞬だけ怯んでしまう。
怯んだ直後にソーマの目の奥にある、うねりのたうつソレに気づく。

「何が、憎い」

そう問うた瞬間、ソーマの表情から笑みが消える。
また何の感情も読み取れないが、ソーマの視線の凄みに悠人は未だ動けないままでいる。

「…エトランジェにスピリットや私自身の血と、そして何より永遠神剣そのもの」

エトランジェが、憎い? スピリットが、憎い? 自分自身の血が、憎い? 
そして何よりも…永遠神剣そのものが、憎い?
こいつは、歪んだ性癖と美学もどきに酔いしれるだけの狂人じゃなかったのか?

「私はね、祖父がエトランジェだったのですよ」

ぜいぜいと息を荒げて喘ぎながら、ソーマは静かに淡々と話し始めた。

「勇者殿も随分と…この世界に呼ばれてから人間なのに人間扱いされなかったでしょう?」

不覚にも無意識に、ソーマの言う事に頷いてしまう悠人。

「この世界の一体何処の何がどのような意図でそうしてるのかはわかりませんが…。
 伝説になるくらい昔から、エトランジェは数え切れないくらい呼ばれています。
 老若男女や国籍に人種の区別もありませんよ…その点だけは、無差別かもですね」

ソーマは、急に悠人を視線で射抜くのを止めて口を小さく歪めながら目を細める。

「ちなみに、エトランジェだからって神剣の力を必ず得られるとは限りません。
 私の祖父は確かにエトランジェでしたが、神剣はついぞ持たないままでした。
 …もっとも、本当に詳しい事実は私も知らないのですがね。
 それはともかく、祖父や祖父の血をひく私たちに対する差別は酷いものでした。
 祖父の妻や、その家族に親戚縁者に対しても全く酷いものでしたねぇ。
 いやあ、人間というのは面白おかしいですねぇ…勇者殿?
 それまで自分たちと全く同じ人間だった者を、きっかけ一つで人間と認めなくなる。
 そしてひとたび人間と認めなくなれば、一致団結して全力で心血を注いで差別にかかる。
 いやいや何処でもそうですが、差別するために群れる人間の結束ぶりは美しいですよねぇ」

悠人は、ソーマの言葉を何故だかむしろソーマ自身に対しての皮肉のように感じていた。

「ク、クク、クククククク…くだらないですよねぇ?
 いやあ全くもってゴボッくだらなひ、くだらないゲボああくだらなゴボボいぃ!
 ククあひゃはゴブォはひゃひゃクククッあひゃははゴボゲフッひゃはひゃひゃ!!」

突然、悠人のほうへ勢いよく顔をあげて全身で本当におかしそうに笑い出すソーマ。

目の焦点はあっていない、口からは先ほどにもましてごぼごぼと血の泡を吹いている。
激しく笑うごとに口や胸の傷から流れ出る血もどんどん流れ出てくる。

何と表現すればいいのだろう、極めて形容しがたい感情で悠人はソーマを見つめていた。

急激に口が渇くのをリアルに感じながら、悠人は血でぬめつく【献身】を引き抜く。
引き抜いた直後、壊れた噴水のようにソーマの血が噴き出して悠人を更に赤く染める。
ソーマはまるで血が噴き出るのが愉快であるかのように、なおも笑い続ける。

「そういえばエスペリア、何処ですか? …私の美しいエスペリア?」

また唐突にぴたりと笑いを止め、胸の傷を手でおさえてよろけながらソーマは周囲を見回す。

「どうして、こうもしつこくエスペリアを求める…っ!
 あんなふうにしておいて、まだ彼女を苦しめるのかよ!?
 エスペリアだけじゃない、シアーにまで…シアーにまで貴様は…!!」

悠人がそんなソーマの台詞に過剰反応して激昂するとソーマはきょとんとしている。
目の前にいる悠人の激昂した意味がわからない、まるでわけわからないというふうに。

「エスペリアは、わたしの最高の人形…大事な芸術品だからですよ?
 あのシアーとかいうのも、未成熟ながらなかなかの素質を秘めていましたので。
 私はですねぇ勇者殿、彼女らもスピリットである故に幸福な道を示してあげただけです」

何を当たり前の事を今更問うているのだろうと、ソーマは悠人を蔑視する。

「あれが、あんな姿が幸福な道だって!?
 貴様のせいで、俺は…俺はエスペリアとシアーをっ!
 俺が…よりにもよって俺が…俺が、あの二人を…っ!!」

全身をわなわなと震わせ凄まじい殺気を向ける悠人に、ソーマはつまらなそうに言う。

「永遠神剣が私を憎んで殺しに来るのですよ?」

ソーマの背後から、ソーマの血の臭いを含んだ風が悠人の全身を撫で回して去る。

「世界中の全ての永遠神剣が、私を殺そうと何処までも追いかけてくるのですよ?
 だから永遠神剣が私を殺しに来る前に、そんな事を出来なくさせるんじゃありませんか。
 幸いにも、永遠神剣を持つスピリットたちは人形として愛してあげる事が可能。
 きちんと大事に磨きあげて使いこなす事こそ、道具に対する真の愛でしょう…?」

ソーマのその台詞が終わった瞬間、悠人は【献身】を全力で横に薙いだ。
それ以上この男の台詞を聞きたくなかったし、もう存在そのものを許容出来なかった。
やがてソーマの頭部が斜め半分に斬られた首ごと、その場にずり落ちる。
頭部を失った胴体は、がくりと両膝をついて崩れると首の断面からまた血を噴き出す。
その噴き出す血の雨をまたも浴びながら、悠人は力なくその場に両膝をついた。

その手に、エスペリアの【献身】を未だ掴んだままで。

どのくらいそうして呆けていたのだろう、気がついたら隣に光陰がいた。
光陰は、悠人の肩に片手を回して強く抱いてくれていた。
ずっと抱いていたのだろう、光陰の衣服に悠人についた血がうつってシミになっていた。
ついと目の前に視線を向けると、そこにあったはずのソーマの死骸が無くなっている。

「奴の死骸なら俺と皆で片付けた。それとな…エスペリアとシアーちゃんは無事だ」

その声にハッと振り向くと、光陰が優しく微笑みながら強く頷いてくれる。
光陰の言葉で、悠人は一気にそれまでの疲労が睡魔となって意識を閉ざすのを感じはじめた。

今、自分がこうなった経緯やもろもろをぼんやりとゆっくり思い出しながら。