「寒いな」
特に前触れも深い意味もなく、ただ唐突にそう呟く。
呟いた途端、自分に注目する視線の多さに悠人は思わず苦笑してしまう。
「…ごめん、続けてくれ」
片手で軽く頭をかきながら席から立ち上がって、全員に頭を下げて謝罪する。
謝罪した後に、説明の途中だったエスペリアに顔を向けて視線で続きを促す。
エスペリアが、自分に対して軽く頷いたのを確認してから改めて席に座る。
-そうだな、会議だったもんな。
リレルラエル占拠の際に自軍のものとして使う事にした帝国軍基地の会議室。
そこに年少組を除いたラキオスピリット隊他、ヨーティア等の人間たちも集まっていた。
相変わらず、リレルラエルに釘付けにされたままのラキオススピリット隊。
近頃になってようやく、帝国の猛攻はおさまったものの、全員の疲労は色濃かった。
今日になってやっと戦闘行為に支障の無い程度にまで回復出来ただけである。
それもやはり、各施設の建設や部隊の支援などに尽力してくれた人間たちのおかげ。
ただ、それだけにある一つの「違い」が悠人の目に際立って見えてしまっていた。
帝国領内で生まれ育った人間たちの…メンタリティ。
日がたつごとに街の外や内で何がしかを見るにつけ、悠人はいつもこう思った。
-なんなんだ、ここは?
悠人の感覚からすると違和感どころでないモノで、帝国は包まれていた。
人間も、スピリットも、暮らしも、何もかも全てが…。
確かに自分は日本人だから、ファンタズマゴリアの人間じゃないから…かもしれない。
現代世界では紛争の絶えぬ世界各国から見れば自分の生まれ育った日本は奇跡的な平和さだ。
平和ボケした日本人、大国に飼いならされた島国、同じ日本人でさえも誰かがそう言う。
例え、昨今特に暗いイメージが広がってきていたとしても。
むしろ、日本で生まれ育った事自体は極めて幸運な事なのではと悠人は考えた事もあった。
だが、それを抜きにしても帝国領内はあまりにも異質だった。
ラキオスとも違う、マロリガンとも違う、バーンライトとも違う、ダーツィとも違う。
もともと自分は異世界に来たのだという、それは実感…を拭いきれないでいたが。
ここは…いや、ここには来たのでも呼ばれたのでもなく、こう感じざるを得なかった。
ここでの自分は、ここには…墜とされたのだ、と。
周囲の仲間たちを見ると、どうやら誰もが近い感覚を抱いているようだった。
ナナルゥまでもが、ここに長く滞在するのは得策ではないと判断します…と進言する程に。
何と言えば良いのだろう、果たしてどんな表現ならもっとも適切なのだろう。
わからなかった、どんなに考えてもわからなかった。
思い余って、光陰に聞いてみた事もある。
「何だ悠人、思ったより余裕あるんだな?
あんだけ戦ってて、そんな暇なことを考える事も出来るんだったら…まず大丈夫だ」
むしろ珍獣に出くわしたかのように目を丸くされただけだった。
たまたまそこで聞いていたセリアにまで、知恵熱を真剣に心配されたのはご愛嬌か。
ただ、やはり何かにつけてどうしても感じてしまうのは。
ここは、ただ寒いという事だった。
雪が降るわけでもない、寒い季節に入っているわけでもない。
ただ、寒いのだった。
思わず、肩をぶるりと震わせてしまう。
すると、ふわりと柔らかい感触が肩を優しく包み込んだ。
それに気がついて目をやって確かめると、それは光陰の羽織だった。
「ヤロー臭いだろうが、まあ我慢しとけっ」
いつの間にか後ろにいた光陰が、いつも通りにニヤリと笑っていた。
その台詞と悪戯っぽい笑顔につられて、つい口元が嬉しそうに笑みを作ってしまう。
「悪いな、いつも助かるよ…サンキュ」
それだけ言って、悠人は今度こそ会議に集中しようとエスペリアの方へ向き直った。
そして、その日の夕刻。
早朝から続いていた会議がようやく終わり、会議室の扉を出たところでようやく息をつく。
それまでずっとためこんでいた、重い空気をようやく吐き出せた。
「おつかれさま~」
聞きなれた声、久しくずっと聞いていなかった声。
ちょうど通路の窓からさしこむ夕焼けに照らされて、シアーがそこにいた。
悠人のそばに駆け寄って、小さな包みと水筒をにっこり笑って差し出す。
包みからは、また久しくずっとご無沙汰だった甘い香りがただよってくる。
「あのね、ハリオンのヨフアルと…シアーの淹れたお茶だよ」
嬉しかった。
そこにシアーがいてくれた、その事も含めて今ある全てが嬉しかった。
シアーの手から包みを受け取ったあと、空いた手でシアーの髪を撫でる。
懐かしくて優しい、今目の前にいるシアーの髪の感触。
髪を指ですき、手のひらでなでてやると照れくさそうに嬉しそうなシアー。
「ありがとう、シアー」
誰かが、そこにいてくれる。
誰かが、確かに生きていてくれている。
ただそれだけだったが、とても大事な…ただそれだけが純粋に嬉しかった。
「ネリーや、他の子たちはどうしたんだ?」
その問いかけに頷いたシアーが指差す方を見ると、ネリーたちもそこにいた。
シアーが悠人にしてくれたように、エスペリアや他のみんなにも差し入れを配っていた。
ニムの差し入れに感極まって、瞳をウルウルとさせて抱きしめるファーレーン。
困ったニムの抗議の声にも、首をぶんぶんと振って抱きしめたまま。
オルファの差し入れに、本当にみんなのお姉ちゃんという微笑みでお礼を言うエスペリア。
ここからでは聞こえないが、何事か二人で内緒話して時折お互いにくすくすと笑っている。
ヘリオンの差し入れを受け取るや否や、早速そこに地べた座りして包みを開くナナルゥ。
慌ててヘリオンが注意すると一瞬考えて、今度はヘリオンに空気椅子させて、その足に座る。
ネリーの差し入れにセリアは滅多に見れない、いつもの鋭さのない笑顔で頭を撫でる。
その直後にネリーが何事か余計な一言を口走ったらしく、いつもの説教モードに入ったが。
アタックするも、ことごとく年少組に逃げられた光陰は男らしく笑って泣いている。
そんな光陰に同時に自分のぶんの差し入れを分けようとしている今日子とクォーリン。
その他の仲間たちも、一緒に来ていたラキオス兵他から差し入れを受け取って談笑している。
「ここは寒いと思うときもあるけど…大切なものは変わらずそこにあるんだよな」
ついと漏れた一言に、シアーの言葉が続く。
「だって、ユート様が頑張って守ってくれてるから。
ユート様とみんなで、一緒に頑張って守ってるんだから」
その誇らしげなシアーの言葉に、再びシアーへ顔を向ける。
「ね?」
夕焼けに照らされて、そう微笑むシアーがいつもより凄く大人びてて綺麗だった。
宿に帰る途中にちょうどある形で位置していた公園のベンチで二人で飲むお茶は甘かった。
モウラフ(ミルク)で淹れた、砂糖を入れた甘いイスィーイス(お茶)。
ちょっと砂糖の分量が多い気もしたが、ただシアーが淹れてくれただけで悠人は良かった。
それから、数日後。
部隊のコンディションを整え、まだ夜明け前と言える時間帯に街の門に全軍集結。
点呼を取り、全員を確認。
作戦の概要を改めて簡潔に確認した後、部隊編成。
サレ・スニル攻略部隊の総指揮官は悠人と光陰、それぞれの参謀にエスペリアとクォーリン。
アセリアにシアー&ネリーと、セリアのみを除いた青スピリットを全員配置する事に。
リレルラエル残留部隊は帝国の地理に詳しいウルカを総指揮官に、参謀にセリアとヒミカ他。
隠密に長けた者としてファーレーン他ブラックスピリットやナナルゥを配置。
バランスのいい編成とは言えなく不安要素は尽きなかったが、このような編成に決まった。
全部隊の半分はリレルラエルに残留、残りはサレ・スニルを目指して進軍。
同時に二方向に進軍する案もあったが、それは見送りになった。
サレ・スニルを占拠した後、更にそこでまた部隊を分けるからである。
サレ・スニルに拠点を置いた上で、剣聖ミュラー・セフィスのもとに赴く必要があった。
ミュラー・セフィスが隠居しているのはダスカトロン大砂漠のちょうど真ん中。
そこに敵対する兵力があるとは思えないが、何があるかわからぬため一部隊を派遣する。
リレルラエル残留組は、そのままそこで補給ラインを防衛。
サレ・スニル攻略部隊がサレ・スニルでの足がかりを固めた後にまた部隊を分けてそこへ。
当面の作戦を大まかに表すと、そういう事であった。
悠人と光陰の率いるサレ・スニル攻略部隊がリレルラエルを出立してからしばらく。
シーオスまでそう遠くないという事を示す立て札が悠人の目に止まった時。
街道のド真ん中で、その男が待っていた。
恐らくはコース両サイドの木々の間から急襲するとの光陰の予想を裏切って、そこにいた。
周囲に一切を遮る何もかもがない、その街道のド真ん中で待っていた。
ソーマ・ル・ソーマ。
ソーマの背後に控えるは、ソーマズフェアリーと呼ばれる特殊部隊。
青ざめながら震える声でエスペリアが呟く、ねえさま…と。
この男に対する対処は全て光陰とエスペリアの計に従う手はずだった。
それが、全て裏切られた。
何も無い。
ソーマのすぐ周囲には、絡め手も何も行えそうにないだだっ広い街道しかなかった。
確かに両サイドに木々はあったが、それとて木と木の間は広く光も充分にあった。
足元に草はそれなりに生えてはいたが、トラップを仕掛けるには難がある具合だった。
ソーマは悠人を見とめると、本当に口元だけをわざとらしく微笑ませて会釈をした。
「ようこそ、勇者殿。
お待ちしておりましたよ…私はソーマ・ル・ソーマ。
そこのエスペリアから話をうかがっておりましょうが、まあ…ただの人間です」
それだけ言うと、わずかにクックックッといやらしく笑う。
「悠人、気をつけろ…絶対に何か策がある」
そう言って、光陰が前に進み出ると同時にソーマズフェアリーがソーマの前に壁となる。
ふと、悠人はソーマの持っている杖が気になった。
何故かはよくわからないし根拠もない、ただ…ひどく良くないものだと感じた。
「みんな、あの杖に気をつけ…」
そう全員に注意を促そうとした時に、ソーマは自らの口に杖をあてた。
まるで地獄の底から響いてくるような、心の全てを呪うような禍々しい曲を奏でる。
悠人以外の全員が、耳を頭ごと両手でふさいで苦しむ。
悠人自身は妙な圧迫感を感じるだけなのに、他の皆は尋常じゃない苦しみを見せている。
それは間違いなく、ソーマが杖を笛にして奏でている曲がもたらすものだった。
「光陰、エスペリア、シアー、ネリー、みんなっ!
一体どうしたんだ、しっかりしろっ!」
光陰やエスペリアたちのそばに駆け寄り、ゆさぶって声をかけるが届かない。
誰もが、身体中にあぶら汗を滝のように流しながら尋常でない苦しみにもだえるだけだ。
曲の調べにのって、ソーマの声がエスペリアとその側にいる悠人に聞こえてくる。
「エスペリア…私の手で磨かれしモノは、私の手に帰るのです…」
その声に首を激しく横にふって、エスペリアは必死に抵抗しているのが見てとれる。
その様子で、悠人は初めてソーマの「策」がどういうものか理解した。
そして、それは子供の頃に見たとある特撮番組の一場面に非常に似ている事も。
「くそっ、あの奇怪な機械(ロボット)じゃあるまいしっ!」
毒づくも、悠人には手立てが何もない。
手立てがなくとも、今すぐにこの場で何とかしなければいけない。
なぜなら、このままでは確実に全員がソーマの操り人形と化してしまうのだから。
「ちょうど、あなたたちがマロリガンを落としたあたりからずっと見ていたのですよ」
ソーマの声が聞こえる、いやさ頭に直接響いてくる。
どうやら、この曲は奏でる者の思念をも一緒に対象に運んでくるらしい。
「ヨーティア殿やクェド・ギン殿に去られたとはいえ、帝国にもそれなりに技術者はいる。
そして、あの事件で失われた物は確かに大きかったですが…残された技術もあるのです」
甘く、見ていた。
部隊の武力を向上させる事にばかり目を向けすぎていた。
レスティーナやヨーティアから幾度と無く警告を受けていたのに、帝国の技術力を甘く見すぎていた。
そして、何よりも…永遠神剣を持つ者を平然とここまで道具扱い出来る帝国の人間の「人間性」を。
一国の軍の一部隊を預かる隊長としての、こういう物事に対する自分の見通しの甘さに悠人は歯ぎしりする。
自分に対する、行き場の無い怒りで歯ぎしりしているしか出来ない悠人の耳に、二人の声が聞こえてくる。
い、や、いや…たすけ、て…助けて…ラスク様…
いたい、いたいよお…いたいよお…ネリー、た、すけて…ネ、リー…ネリー、ネリー…
エスペリアが、小さな子供のように泣きじゃくりながら、がたがた震えて体をちぢこませて。
エスペリアよりも小さなシアーが、更に怯えて震える声をかすかに上げながら逃げるように胎児のように縮む。
こないで、さわら、ないで…そんなこと、したく、ない…しな、いで…い、や、よごれ、た、く、な、い
なまじエスペリアが子供時代にどんな仕打ちを受けたのか聞いていただけに、悠人は近づけなかった。
近づいて、それからどうすればいいのかわからない…自分が「男性」である以上、更に怯えさせるだけだ。
シアーになにしてもいいけど、ネリーになにもしないで。
うめき声と地面をのたうつ音や苦悶の歯ぎしりがあふれかえるその中で、その声は怖いくらい鮮明だった。
シアーが、全く身体を動かさないで横たわって…両膝を両腕で抱えて。
シアーをころしてもいいけど、ネリーをころさないで。
かすかに呟いているはずなのに、悠人にははっきりと聞こえていた。
シアー、てきをころせばいいんだよね? そうすれば、ネリーをきずつけないでくれるんだよね?
ゆっくり、物音で怯えさせたりしないよう慎重にシアーの側に近づいてシアーの顔色を確かめる。
シアーの瞳は乾いて乾ききって乾きすぎて…枯れて、死んでいた。
いつも、スローテンポマイペースだけど仔犬みたいに一生懸命じゃれついてくれる瞳が死んでいた。
いつも、幸せそうにお菓子をほおばりながら…その日あった事を嬉しそうに話してくれる瞳が死んでいた。
いつからかわからないけど、いつの間にかいつも悠人をさりげなくこっそり癒してくれている瞳が死んでいた。
そうっと抱きかかえると、シアーは更に身体から力を抜いて四肢をだらんとぶらさげた。
「何も、しない」
悠人はシアーを抱き起こす形で、上半身を背中に腕をまわして抱きしめて優しくけれど強く言う。
「シアーに酷いこともしないし、ネリーにも…もちろんシアーの大好きなみんなにも決して酷い事をしない」
悠人の、悠人自身の胸の奥から搾り出すその声にシアーの指が一度だけピクリと反応する。
ユートさまにも、ひどいことしない?
-俺に、酷い事?どういう事だ?
ユートさまに、カオリさまをかえしてくれる? ユートさまが、もうだれもころさないでいいようにしてくれる?
-シアー…お前って、お前って子は…。
ユートさま、すごくやさしいからそれでくるしんでかなしんでるの…シアー、ユートさまがやさしいからかなしいの
-バカだ…俺もみんなも…シアーもバカだ…なんで、いつもいつも…だれかのため、だれかのため…!
小さすぎるシアーの軽すぎる体を強く抱きしめて涙があふれかけてきた時、【求め】の声が響く。
-契約者よ、我が言う事ではないかもしれんが…泣くのも自らを呪うのも後にしたらどうなのだ?
「…バカ剣が珍しい事を言うもんだな。いつもなら、ここぞとばかりに俺を乗っ取るんじゃないのかよ」
-我とて都合もあれば事情もあるのだ。それより、そのまま我の考えを聞け。
ソーマは、そのまま自らの部隊を動かすこともせずに眼前の光景を見つめていた。
自ら奏でる旋律により、苦悶するスピリットたちと…そしてエトランジェの姿。
ある意味ではどうしようもなく渇望してきた永遠神剣が、永遠神剣を持たぬ自らの手により何も出来ない。
「なんと…なんと、全てが美しいのでしょう」
相変わらずぞわりと這いよってくるようなおぞましい声で、ソーマは恍惚に満ちた呟きをもらした。
ふと、苦しみ続けるラキオス隊を一人一人嘗め回すように見ていたソーマの視線が悠人に止まる。
「それしか、ないって…そう、か…本当に今はそれしか…無いのか」
-汝にとって、我は憎んでも憎み足りないだろうが…今だけで良い、今だけ我を信じよ…。
力なく頷きながら、ゆっくりシアーを下ろして立ち上がる悠人の表情には覇気も生気もなかった。
まず、いまだにもがいているエスペリアの手に【献身】が未だに握られている事を確認して。
【献身】に【求め】の刃を軽く重ねて、悠人はそのまま【求め】の意志に全てをゆだねる。
-【献身】よ、すまぬが強制的に仮死状態になってもらうぞ。
【求め】が狂った機械のような不気味な唸りをあげて蒼白く輝き始めると、エスペリアがびくり、とのけぞる。
のけぞったまま、しばらく口から泡を吹きながらガクガクと痙攣して…やがて動かなくなった。
エスペリアが動かなくなったのを確認すると、悠人は唇を強く噛みながらエスペリアの目をそっと閉じさせる。
-【孤独】よ、許せとは言えぬ…だがこうしなければそなたも妖精も心が完全に壊れてしまうのだ…。
シアーの両手に【孤独】を握らせて、自分の【求め】の刃を【孤独】に重ねて。
残酷に蒼白く輝く【求め】の唸りを黙って聞きながら、悠人は自らの剣でシアーが苦しむのを見つめ続ける。
い た い … ! く る し い よ ぉ … た す け て ネ リ ー … ネ リ ー …!
エスペリアはソーマとの因縁と過去のトラウマのため、シアーも過去に受けた苦しみのために。
自覚できないままに、いつしか自分の心に深すぎる闇を積み重ねすぎていた。
誰かのために微笑むごとに、誰かのために手を差し伸べるたびに、誰かのために自ら傷つくたびに。
その闇が深すぎるゆえに、あまりにも優しすぎたゆえに…ソーマの旋律の影響を強く受けすぎてしまった。
普通に当身で気絶させても、効果は無い。神剣と所有者の心を同時に強制的に仮死状態にする。
感覚としては、ゆっくりと時間をかけて生かさぬよう殺さぬよう首を絞め続けるのに近いだろうか。
ソーマの旋律の影響を特に強く受けすぎた二人が壊れるのを食い止めるためには、本当にこれしかない。
二人が壊れてしまわないために、二人の心を護るために、自分の剣で二人を苦しめなければいけない。
い や … ! こ わ い 、 こ わ い よ ぉ …!
悠人はシアーの苦しむ姿から決して目をそらさず、今自分がシアーにしている事から決して逃げない。
ユ ー ト さ ま … ! た す け て ユ ー ト さ ま ユ ー ト さ ま ユ ー ト さ ま
唇をあまりにも強く噛みすぎて、血があごと首筋を伝って流れていく。
ゆ ぅ … と さ … ま …
時間としては、シアーが苦しんでいたのはエスペリアと同じくらいだったが悠人にはあまりにそれは長すぎた。
仮死状態になり完全に動かないシアーの口のまわりの泡と涎をぬぐってやり、目をそっと閉じさせる。
悠人の耳には未だ、シアーが悠人に助けを求めて必死に名を呼び続ける声が響いていた。
-契約者のせいでは、ない。何処の痴れ者が何と言おうが…決して、絶対に汝のせいではない。
「…バカ剣」
-あの下衆を斬るために、我を振るえ。遠慮はいらぬ、我で斬るのだ!
神剣の強制力ではなく、自らの意志でこんなにも誰かを殺してやりたいと感じるのは生まれてはじめてだった。
ゆっくりと、【求め】を強く握り締めながらソーマの方へ向き直る。
「ク、クックック…いい表情ですねえ勇者殿…いや実に本当にお世辞抜きでいい表情をしていらっしゃる」
悠人は忌々しげに、本当に愉快そうな薄ら笑いをその目に浮かべるソーマを睨む。
「永遠神剣の発する共鳴や思念は、音楽の波長と非常によく似ているという実験結果…。
スピリットに音楽を聞かせてから交戦させると凄まじい効果を示したそうです。
それは、人間の場合や植物の成長を促すのとは比較にならないものだった、とも。
ただし、あらかじめ神剣の波長にあわせた曲でないと効果は全くないのですがね」
そこまで聞いて悠人は、ずっと見ていたというソーマの台詞の意味に気づく。
「そうです、その通りなのですよ。
ずっと、調べていたのです…あなた方の神剣の波長を。それは曲にするとどんなのか、と。
苦労しました…苦労しましたよ、みなさんにより多く共鳴する曲を作曲するのはねェ」
洒落ではなく、その旋律は悠人にとって戦慄そのものだった。
悠人ひとりで、この場にいる全員に勝てる道理が全く無い。
いやそれ以前に、悠人に仲間たちを斬れるわけが絶対にない。
だが、ここで勝たなければ…ソーマを倒さなければ確実にラキオスは滅ぶ。
ソーマに操られたラキオススピリット隊をラキオスの誰も疑問に思わず街に入れるだろう。
そして、同じ様に全く疑う理由もなくレスティーナ女王は救おうとした者に斬られるだろう。
全員の目が、だんだんと光を失っていくのがわかる。
「何故、俺だけ操らないっ!」
ただ焦りだけで考えも無く発した一言だったが、それに対する回答が悠人を救った。
「それは、あなたの【求め】が他の神剣によって抑え込まれていたからですよ。
【因果】と【空虚】の波長が…雑音となって、混じっていたのでしてねぇ…。
しかし、これではどちらにしろ同じ事…あなたは信じた者たちに殺されるのです」
その台詞を聞き終わる前に、悠人の身体が動く。
そして、【求め】に強く語りかける。
-おいバカ剣っ!状況はわかってるな、だったら力を貸せェ!!
大上段に構えた【求め】がまるで太陽が如く眩しくオーラフォトンで輝く。
-わかっている、契約者よ…我とてあのような下衆に操られるのは我慢ならぬ!
【求め】が輝きをますごとに、魂が根元から吸われるような感触に悠人は必死で耐える。
魂の奥底から搾り出すかのような雄叫びと共に渾身の一撃が街道ごと、大地を砕く。
その轟音が、悠人の目論見どおりに悪魔の旋律を全員の耳から遮る。
それだけでは、ない。
大地が砕ける最中を、悠人は無理やり身体を動かしてソーマのもとへ走る。
しかし同時に、ソーマズフェアリーが更にソーマの前に集結するのをも感じる。
-バカ剣、やりたくなかったがアレをやるぞっ!
悠人がそう【求め】に叫ぶと同時に、悠人の眼前にオーラフォトンの魔方陣が展開される。
-わかっておる、今回ばかりは汝の意識どうこうは考えぬゆえに加減抜きで撃てィ!
相変わらず魂が吸われるような感覚はあったが、意識が塗りつぶされる感じは全くなかった。
「オォーラフォトン・ビイィィィィンムッ!」
光の奔流が、いつだかテレビで見た土水流の如く激しく魔方陣より撃たれる。
ソーマの絶叫が、大地を砕いた轟音とオーラフォトンビームの轟音に混じって聞こえる。
やがて全てがやんで静かになった時、神剣魔法の構えのまま立ち尽くす悠人ひとりだった。
-やった、のか?
そう思ったとたんに、全身を凄まじい疲労感と脱力感が襲う。
【求め】を力なく落としながら、前のめりに倒れる悠人。
その悠人へ、仲間たちが駆け寄ってくるのがわかる。
光陰に肩を支えられて起されてはじめて、悠人は自分の目論見が成功した事に安心する。
「大丈夫か、悠人。
すまねえ、俺としたことが…あとは休んでいてくれ」
横目でぼんやりと見えるだけの光陰に、無理やり力なく微笑んでみせる。
「敵、まだいる。でも大丈夫…ユート、安心する。
今のであの音に対する耐性がついた…もう二度と効かない」
珍しく凄く怒っているのがわかるアセリアの声。
一回無効化すればもう二度と効かないなんて随分と都合がいい気もした、が。
だが、そうでもないと決して勝ちようがないよなとも悠人は思った。
急ぐ光陰に担がれて、戦闘区域から離れた場所に運ばれる悠人。
ぐったりする悠人の目に、ぼんやりと次々にソーマズフェアリーと切り結ぶ仲間たちが見える。
その中で、エスペリアとシアーも同様に切り結んでいるのも目に入る。
だが、そこで違和感を感じた。
エスペリアが切り結んでいる相手は、クォーリン。
シアーが切り結んでいる相手は、ネリー。
-まさか。
激しく頭を振って、その様子を今度ははっきりと…見る。
-まさか、そんな…そんな、そんなッ!
エスペリアの目からは、完全に光が消えていた。
クォーリンや他のみんなの声に耳を貸さず、鬼神の如き勢いで仲間に襲い掛かるエスペリア。
シアーの目からも、完全に光が消えていた。
必死でネリーが呼びかけるが、やはり全く耳を貸さずに剛剣を振るい続けるシアー。
-エス、ぺリア…目を覚ませ、エスペリアッ…!
必死で喉に力を込めて、悠人は叫ぼうとする。
「シアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
悠人がその名を叫んだ小さき妖精は、ただ無反応で【孤独】を振るい続けるだけだった。