いつか、二人の孤独を重ねて

ゆうしゃさまは、ひとごろし -後編-

「全員、敵スピリットからいったん離れろ!
 シアーとエスペリアを全員で止めるんだ、急がないと取り返しのつかないことになるぞッ!」

状況を理解した悠人は、精魂尽き果てた身体で文字通り声を振り絞って叫ぶ。
残ったソーマズフェアリーと切り結んでいた仲間たちは、悠人の号令に軽く頷く。
それぞれ、当身や目くらまし等で目の前の相手を引き剥がしつつ、ネリーやクォーリンの元へ走る。
先ほどの悠人の神剣魔法で消耗しているとは言え、まだ生きている敵を倒さずにいるのは危険が大きい。
確かに危険は大きいが…それ以上に、今すぐ何とかしないともっと別の危険な事になる事のほうが怖かった。

神剣に呑まれるという事、自らの意思無く殺意を撒き散らし続けるという事。

その怖さは、スピリットである彼女たち自身もよく理解していた。
ただでさえ、ソーマの術中にはめられていた直後なので尚更の事だった。
しかも、自分の大事な家族とも言える仲間たちが未だそれに陥っているのだ。
シアーやエスペリアが、これからも敵として襲い掛かる事になるのはとても耐えられる事ではなかった。

エスペリアと切り結び続けるクォーリンの元へ、光陰は悠人をその場に置いて急いで駆け出す。

悠人は地面に落ちた【求め】を何とか握り、それを杖代わりに無理やりに立ち上がる。
【求め】は完全にマナを消耗しきったせいで、気絶しているのか眠っているのか全くの無反応。
悠人は【求め】を握る手に力を込めるが、いつものように身体に力がみなぎる事は無いままだった。

「チッ…こんな時に限って」

舌打ちしながら、初めて手に取った時よりも重く感じる【求め】を引きずりながらネリーのほうへのろのろと向かう。
【求め】が異様に重く感じられるのもあるが、それ以上に脚どころか身体に力という力が無かった。
歯ぎしりしながら、それでも状況だけは常に確認していようとネリーたちの方に目を向ける。

ちょうど、悠人から見てネリーとシアーは同時に視界におさまる距離だった。
シアーと切り結んでいたネリーのもとに、アセリアたちが駆けつけてくる。
普段の澄んだ水底のような青く深い光を完全に失った瞳でそれを見とめるとシアーは後ろへ跳躍する。
後ろへ跳躍しつつ、ウィングハイロゥを展開するシアー。
ウィングハイロゥにて推進力を得て、ネリーたちと距離をとるために飛翔する。
それを見て悠人やネリーたちは青ざめ、アセリアはわずかに表情が厳しくなる。

「シアーの翼が…黒い…」

そう力なく言葉を漏らすネリーの目に映るのは、決して見たくなかった姿だった。
ヒミカが、ナナルゥの心を何とかして繋ぎとめていたように。
昔からいつだって、ネリーは絶対にシアーの翼が黒くなる事のないようにと必死だった。
必死に軽薄な言動や間抜けな行動を演じて、シアーの心を…シアー自身の闇から逸らし続けていた。
演じているうちに、いつの間にか…それが地になってしまっている自分に苦笑いする事もあったが。

「猛々しき水流…獰猛なる突風…容赦なき氷雪…」

完全に感情の失われた声で、シアーは今の自分以外誰も知らない詠唱を唱え始める。
呆然としているしか出来ない悠人や仲間たちのうち、ネリーとアセリアの顔色が変わる。

「青きマナは病毒と苦痛を和らげると同時に命の証を灰燼に帰したりもする…」

シアーの黒い翼が一対ずつ増えてゆき、六枚になる。
アセリアとネリーが純白のウィングハイロゥを展開し、全速力でシアーの元へ飛ぶ。

「神剣の主が命ずる、【孤独】よ…眼前の敵全てを氷塊と貫き砕いて…!」

シアーの両手に握られた【孤独】が黒い氷に包まれながら、もともと大きい剣身が更に巨大化していく。アセリアは【存在】からオーラフォトンをほとばしらせ、ネリーは鞘から鎖分銅をじゃらりと伸ばす。
漆黒の六枚の翼を羽ばたかせ、巨大な【孤独】を突きの型に構えながら遥か上空へ飛翔するシアー。

アセリアは充分にオーラフォトンに満ちた【存在】を構え、ネリーは鎖分銅を回しながらそれを追って上昇する。

「スプレマシースラストッ!!」

黒いダイヤモンドダストを飛行機雲のように六枚の翼から放ちながら、シアーは自身を黒い氷の剣と化す。
もともとパワーファイターとはいえ、普段の彼女からは決して考えられない恐るべき威力が悠人たちへ迫る。

「【存在】よ…わたしに力を」

アセリアは、その身に満ちる青いマナとオーラフォトンを全て込めたヘブンズスゥォードを振るう。
シアーのスプレマシースラストとアセリアのヘブンズスゥォードが激突する。
ぶつかりあい、鍔迫り合いしながら周囲に黒と白のダイヤモンドダストを散らすシア-とアセリア。
決して威力の届かない遥か上空で止められたにも関わらず、悠人たちのほうまで衝撃が届いていた。
衝撃が届いていたといっても、少し強い突風に吹かれた程度ではあったが。
それでも、シアーの放った奥義の威力の凄まじさに悠人たちは戦慄を覚えざるを得なかった。

遥か下から悠人たちが見る限りでは、シアーとアセリアは互角に押し合っているように見えた。
しかし実際には、アセリアがわずかずつながらも確実にシアーを押し戻していた。
そこに、シアーの背後に回ったネリーが鎖分銅をシア-の足へ投げて絡めとる。
そのまま鎖分銅を鞘ごと自分の腰にぐるりと巻きつけて、ネリーはフルパワーで上昇する。
下からアセリアに押され、ネリーに上から引っ張られ、さすがにシアーの奥義も威力を完全に失った。

慣れないどころか、未成熟な身体では無理のある奥義でマナを消耗しすぎたシアーのハイロゥが消える。
浮力を失い、手放して元のサイズと形状に戻った【孤独】と共に落下しはじめるシアー。
そこをアセリアとネリーが両側から掴んで捕獲…二人の腕の中で、シアーは気を失ってしまっていた。

自分の前にそっと降ろされたシアーを、悠人はそこが戦場である事も忘れて力いっぱいに抱きしめた。

スプレマシースラスト。
それは、いつしか失われた聖ヨト古流のスピリット剣術の奥義の一つだった。

現代世界においては、今も古流剣術は様々な方法にて細々と未だ受け継がれている。
しかし、ファンタズマゴリアにては剣などの近接武具が戦争の主兵器にも関わらず剣術自体は衰退するばかり。
それは、戦いはあくまでスピリット任せで自ら肉体を鍛錬し剣の道を志す人間があまりに少なすぎたからだった。
そして人間とは群れる生き物であり、大に属さず小でしか在る事しか出来ない者は忌み嫌われる。
そうやって剣術を含めて、武術の極意は過去へおとぎ話へと埋もれていってしまった。
スプレマシースラストも、そうして埋もれた古流剣術の奥義の一つである事は先にも述べた。

本来なら決して表に出るはずのない、この古代の奥義を蘇らせたのはアセリアである。

それは、神聖サーギオス帝国との決戦に備えて準備をしていた日々の事。
何かこれから先の戦いで役立つヒントは無いかと、悠人がレスティーナに頼んで王城の書庫を借りたのだ。
毎日、シアーとネリーとアセリアにエスペリアやヒミカを連れて巨大な書庫に通い続け武術書を漁り続けた。
そしてガラクタに埋もれていた隠し扉から、聖ヨト王国創設時代の旧王族専用書庫を発見。
急いでヨーティアにイオやレスティーナまでも総動員して仲間全員で、聖ヨト王国の古書を全て調べ続けた。
そうしてついに、このファンタズマゴリアでもっとも武術が発達していた頃の武術書の数々を発掘した。

スプレマシースラストは、そうした中からアセリアがシアー向きだと判断して渡した剣術書に記された奥義。

その剣術書を記したのは驚くべき事に太古のスピリットらしく、記された全てがシアーと本当に相性が良かった。
戦いや殺しは嫌いだけれども、素晴らしい教本により実感できる程に強くなっていくシアーは嬉しそうだった。

 -誰かを殺すために強くなるのは二度とイヤだけど、護るために強くなれるなら…シアーは嬉しいの。

悠人はこの時ほど、聖ヨト語を文字も含めて完璧にマスターして良かったと思った時はなかった。
あのまま、きっかけのないままに…聖ヨト語をマスター出来ないままだったらこうはならなかっただろうから。

自分は無力だと思い知るしか無く、いつまでも自分の無力さに打ちのめされる辛さを悠人は知っている。

言葉や態度に出さないまでも、シアーが子供でしかない今の自分に無力さを感じていたのを見ていた。
同じブルースピリットでありながら、戦場での戦果が自分とあまりに違うネリーにセリア…アセリア。
特にアセリアを見る目が、それは決して負の感情では無いけれど何か思うところのある目だった。
自分と同じように大剣を振るい、パワーを旨とする戦法…なのに、速度も技量も威力も何もかも違いすぎる。

本当なら今すぐ剣を振るう事をやめて普通の女の子として生きて欲しいと悠人は皆に願っていた。

願うけれども、今それを押し付けることは彼女たちに対する侮辱だとも理解していた。
理解していたけれども、どうしてもせめてシアーとネリー含めた年少組にはいつか戦いを捨てて欲しかった。
でもだからこそ…戦わないことを選んでしまえば、スピリットたちは永久に解放される事はない。
シアーを想うからこそ、シアーの家族とも言える仲間たちの幸福を願うからこそ。
その手に剣を握って、同胞の血に身体を濡らし断末魔に心を苛まれ続けなければならない。

 -だったら、このふざけた時代に対する疫病神になってやる。

自分は疫病神だという思い込みを、悠人は少しずつ今までと違った方向に変えるようになっていった。

 -どうせ疫病神なら、シアーやみんなを悲しませ苦しませる元凶にこそ災厄をふりまいてやる。

本当は悠人自身、決して自分は疫病神などではない事を自覚するべきなのではあるが…それでも。

後に「希望を繋ぐ剣」になる事を目指す事になるまで、悠人は心の中で己をこうして鼓舞し続けた。

口にする事こそないけれど、己をあえて自分で疫病神と無理やり鼓舞する事で悠人は皆を護ろうとした。
こうして、シアーがシアー自身に感じている無力さを取り払おうとしたのも…その護り方の結果の一つだった。

「エレメンタルブラスト」

普段以上に手加減も情け容赦も無いエスペリアの威力が、クォーリンを襲う。

「く、エスペリア…精霊よ力を貸して…エレメンタルブラストッ!」

急いで無理やりマナを搾り出して放つ神剣魔法で、クォーリンはエスペリアの神剣魔法を相殺する。
轟音と共に、緑色のマナの閃光が辺りをあくまでも緑色に染める。
閃光に紛れての襲撃を警戒し、クォーリンは障壁を展開しようとするが詠唱もマナ燃焼も追いつかない。
不意にめまいと共に四肢から力が抜けて、ぐらりとクォーリンの身体がよろけてしまう。
よろけながら、かすむ目に映るのは未だ消えない緑色のマナの中をこちらへ急速に接近する影。
痛恨の一撃を覚悟した、その時。

「プロテクション!」

よく知っている、碧色の加護のオーラフォトンがクォーリンを包みながら傷を癒してくれていた。
背中が、あった。
目の前に、クォーリンこそが本当によく知っている背中があった。
いつも見つめている、広くて優しくて…それなのに何故か寂しそうな背中があった。
エスペリアの【献身】の刃を自分の【因果】で食い止めながら、振り向かずに光陰が笑う。

「よう、クォーリン。珍しくてこずってるみたいだなあ」

この緊迫した状況で、なおも余裕を崩さない光陰の軽い台詞にクォーリンは嬉しくなってしまう。
嬉しくなってしまうと同時に、涙がじわりと滲んでしまう事に少し慌ててしまう。
急いで【峻雷】を構え体勢をなおして、攻撃的な緑色のマナを高め緑雷をほとばしらせる。

「コウイン様…今のエスペリアは、普段の彼女とあまりにも違いすぎます」

クォーリンの緊張した台詞に、光陰は頷きながら改めて目の前のエスペリアを見る。

「みたいだな…戦いをあれ程嫌っていたエスペリアが、ここまでマシーンみたいになってやがる」

そう、シアーもだったがエスペリアまでも…ただ、機械のようにマシーンのようになっていた。
感情が無い、表情がない、瞳に輝きも色もない、そして戦いの最中なのに闘気どころか殺気さえも無い。
そして…あの眩しいくらいに純白だったシールドハイロゥが深すぎる闇をたたえた漆黒に染まっている。
クォーリンは、今更になって背中にぞくりとイヤな寒気が走るのを感じるのを否定できなかった。

 -もしも、コウイン様に出会わないままだったら私も部下たちもこうなっていたのだろうか。

いや、もしかしたら…すでにこうなっていて光陰が今の状態にまで自分たちを「治療」してくれたのだろうか。
クォーリンが体勢を立て直したのを見てとったエスペリアは、光陰の【因果】を軽くはじいて後ろへ下がる。
軽くバックステップを行い、自らの得意な間合いにまで距離をとったところで【献身】を構えて止まる。

「クォーリン、わかってるな?俺たちじゃエスペリアを止めるどころか殺してしまう」

光陰の言葉に強く頷き、クォーリンは今はシアーの側にいるであろう悠人の事を考える。
ラキオス隊の他の仲間たち程に色恋沙汰に詳しくないクォーリンでも、エスペリアの気持ちはわかる。
ずっと最初から悠人の事を見守ってきていて、ずっといつも悠人の大切なものを護り続けてきた彼女。
微笑みの影に、ひたすら自分を殺して最愛の人のために自ら汚れ続けるエスペリアの想いがわかる。
自分の最愛の人の、一番大切な想いと一番の願いを知っているからこそエスペリアは微笑み続ける。
だけれど、そうやって微笑み続けられるほどにエスペリアは本当は決してそこまで強くない。

 -どんなにか、どれだけ辛いでしょう…エスペリア。

彼女に比べれば、戦友として肩を並べられるだけ自分はなんと幸いなのだろうかともクォーリンは思う。
その時【峻雷】が、残りの仲間たちがこちらに駆けつけてくるのを知らせて来たことに少しだけ安堵する。
しかし、チラリと振り向いた先にアセリアとネリー、そして悠人とシアーの姿は無かった。
悠人はまだだろうか、早くこちらに来てエスペリアの心を救って欲しいと願わずにいられなかった。

「シアー…今はまだ目を覚ませないのか」

そっと横たえた、未だ深い眠りに陥っているような状態のシアーを見て悠人は悲しそうにもらす。
アセリアが拾ってきた【孤独】にもマナが全く感じられず、ネリーが【静寂】を鳴らしても反応は無い。
以前、アセリアが【存在】で眠っていた【求め】を起した時と同じようにするがそれでも反応は無い。
悠人も、シアーの手に握らせた【孤独】に未だ無反応なままの【求め】を重ねるが同じことだった。
だが、今何とかして目覚めさせなければシアーは確実に眠ったまま死んでしまう事は明らかだった。
ゆるやかだけれども、シアーと【孤独】を構成するマナが散ってしまっているのがはっきり感じ取れた。
【求め】を【孤独】に重ねたまま、必死に呼びかけるも何の反応も無い事に悠人は悔しさで歯ぎしりする。

「んっとね~、ユート様♪」

いきなり、ネリーが場違いすぎる程にいつも以上に能天気な声で悠人に呼びかけてくる。
能天気な声の理由がわからないでキョトンとしたまま、悠人はネリーに顔を向ける。
そんな悠人に、ネリーはわざとらしいくらいにニタニタ楽しそうに笑いながらとんでもない提案を出してきた。

「眠り姫を起すにはね~、王子様のキスが効果テキメンだって前にカオリ様から聞いた事あるよッ♪」

固まってしまった。
いかに悠人が超ド級ウルトラ鈍感のトーヘンボクかつキング・オブ・ヘタレでも言わんとする意味は理解できる。
不意に、あの星の夜にシアーと事故でキスしてしまった時の事を思い出し顔が真っ赤に熱くなる。
ちらりとシアーを見ると…顔色を確かめるつもりが、無防備な唇に目がいってしまう。

 -か、可愛い唇だよな…じゃなくて!…えっと、柔らかくて美味しそうな唇…でもなくて!

理性を総動員しているはずが、抑えきれない邪な感情が止まらない。

どうしてもシアーの唇から目を離すことが出来なくて思わず、ごくりと唾を飲み込む。

 -ちょっと待て戦闘中だぞ大ピンチなんだぞ寝てる間にキスするなんて犯罪つうかそんな場合じゃ

思考がぐるぐる回り、周りにまで聞こえてるんじゃないかと思うくらい激しく心臓が鼓動を打つ。
強引に首をぶんぶんと横に激しく振って、少し怒気を込めてネリーに言う。

「ネリー!今そんな事を言ってる余裕ないのわかってるだろ?
 こうしてる間もシアーのマナがどんどん失われていってしまってるんだ。
 …何とかしてシアーを目覚めさせてシアー自身で自分にマナを集めさせないとやばいんだぞ!?」

悠人の厳しい表情を見ても、あくまで能天気さを崩さずにネリーは頷きながら答える。

「だからさー、マナで人工呼吸をすればいいわけだよー?
 ただマナを吹き込むんじゃなくて、気持ちを込めてマナを吹き込むんだよ♪」

人工呼吸、という単語に悠人はやっとネリーの真意を理解する。

「ネリーがやってもいいけど、シアーが今一番会いたいのはユート様だとネリーは思うッ。
 ユート様が精一杯に気持ちを込めたマナをシアーに吹き込むのが、一番確実だと思うよ?」

何処に根拠があるのか不明な自信に満ちたネリーの笑顔に、悠人は不思議な頼もしさを感じた。
ぽん、と肩に手を置かれて振り向くとアセリアが戦闘の時よりも真剣な表情で強く頷いている。

「ユート、時間が無い…それに、他に今すぐ出来る代替案も無い」

アセリアの言葉に頷き、そっとシアーを抱きかかえる。

シアーの身体は、いつも見ていた以上に小さくて細くて華奢で…そして軽かった。

 -シアー、ネリーやみんなと一緒に帰ろう…一緒に帰って、みんな一緒にいつものようにメシを食おう。

精一杯に、一緒に帰ろうという想いをこめて。

悠人は生まれて初めて、自分の意思で自分の唇を大切なひとの唇に重ねる。

シアーの唇は、柔らかいけれどもあまりにも小さくて薄くて…何より今は乾いてしまっていた。
唇を重ねたまま、悠人は自分のマナがシアーに流れ込むイメージを思い描いて吹き込もうとする。
つい先ほど【孤独】を握らせたシアーの小さな手を包むように握りながら、ひたすらシアーにマナを吹き込む。
実際の人工呼吸のように、実際に息を吹き込み続けるわけではないから実感は感じにくい。
それでも、初めて出会った時から今までの事を思い出しながら、それも一緒に吹き込む感じで唇を重ね続ける。

思い出すうちに、以前に王城の迎賓館の一室で読んだシアーの悲しい過去も思い出されてくる。

いつか、お祭り騒ぎ大好きな年少組たちがオルファを筆頭に悠人の入浴中に乱入した事があったけれども。
突発的な乱痴気騒ぎの最中に、悠人はたまたまシアーの背中を見てしまった。
風呂で温まったせいもあって、よりはっきりと浮かび上がってしまっている…多すぎる惨たらしいアザと傷。
シアー自身は別に痛みを感じている風でもなければ、自分で気がついている感じも全くなかった。
ただ、オルファとネリーがその時は本当に悲しそうに黙って悠人に首をふって口に人差し指を当てた。
オルファと、特にネリーがそうなのだから悠人は決して自分からその事にふれないようにつとめてきた。

シアーの、消したくても決して消せないアザだらけで傷だらけの小さすぎる背中。

その背中の理由と意味を理解した時、悠人はこれまでの人生で一番「人間」という存在を呪った。

 -二度と、二度とどこのどいつにもシアーに酷い事なんかさせない!

涙があふれてくる、もしかしたら今までで一番泣いているかもしれない。

 -何があってもシアーを護る、どんな奴だろうとシアーを護る!

小さい頃から今までも何かと泣きっぱなしではあったけれど、こんな熱い涙は生まれて初めてだった。

 -シアーとシアーにとって大切なもの全て…全てを護るために俺は何処までも生きて生きて生きてやる!

シアーを抱えている腕を動かし、シアーの背中を包み込むようにして更に強く抱きかかえる。
もっと想いを気持ちを、マナを吹き込もうと重ねている唇にもう少しだけ力を込める。

どれだけ重ね続けていたのだろうか、シアーの唇がわずかに動いたのを悠人は感じた。

いつのまにか涙を流し続けながら閉じていた目を開けると、シアーが悠人を見つめていた。
確かに光の戻った瞳で、悠人と同じ様に涙を流しながら悠人を見つめていた。
重ねていた唇を離して、悠人は自分の腕の中の本当に大切なひとの名前を呼ぶ。

「シアー…?」

悠人の呼びかけに、シアーは泣きながらもにっこり嬉しそうに微笑んで。

「ただいま、ユート様…ごめんね、ありがとう…」

その途端、ネリーが悠人を無理やり押しのけてシアーに抱きついて声をはりあげて大号泣しはじめた。
互いの名前を呼び合いながら強く抱きしめあって泣き続ける双子の妖精の姿に、悠人はやっと安堵した。
安堵した途端、悠人の頭にぽんっと金属製のゴツゴツした何かが置かれる。
何事かと、その方向を見上げるとアセリアが嬉しそうに悠人の頭をぐりぐり撫でていた。
例の、ゴツイ腕鎧というか小手をつけたままで。

「ははっ…サンキュ、アセリア」

苦笑しながら礼を言う悠人に、アセリアは頭をなで続けながら…ん、とだけ答えた。

悠人とシアーとネリーとアセリアに比べ、光陰とクォーリンたちは見るからにズタボロだった。

「わたくしとした事が…申し訳有りません、みなさん…」

エスペリアは意識を取り戻したものの、シアー以上にマナを消耗しきってぐったりしていた。
悠人がシアーの心を呼び戻すのに必死な間、光陰たちはエスペリアと戦い続けていた。
恐ろしい強さの、正真正銘本気モードのエスペリアの隙を見つけて押さえ込むのは骨が折れたそうだ。
押さえ込んだ途端、神剣魔法を何度も最大出力で連発していたせいか、シアーのように意識不明に陥った。
当初は各々の神剣で【献身】を通じて共鳴による強制呼び戻しを試みたが、それも叶わなかった。
ふとクォーリンが、悠人とシアーが唇を重ねあうことでマナ人工呼吸を行っているのを見つけて。
悠人自身は体感できなかったが、周囲からは悠人とシアーの身体が青いマナで淡く光っていたらしい。

そこで、クォーリンが自らマナ人工呼吸をする役目を買って出て…めでたくエスペリアは目覚めた。

あまりの事態に混乱している、目覚めたエスペリアに事の次第を説明する光陰。
最初は胸を撫で下ろしかけたエスペリアだったが、ふと重大な聞き捨てならない事実に気づいて。
視線を向けた先では、まだ悠人とシアーはガッチリと抱き合って(るように見えた)唇を重ねてるままだった。
それから、錯乱して暴れるエスペリアを取り押さえるのに光陰やクォーリンたちはいらない苦労をしたわけで。

「気持ちは痛いほどにそれはもうよーーーくわかります…が、迷惑極まりないです」

ジト目ではっきり苦言を呈するクォーリンに、エスペリアはガックリうなだれるしかなかった。

最悪の事態は回避できたが、問題そのものは解決したわけではなかった。
残りのソーマズ・フェアリーたちも、アセリアに光陰やクォーリンたちによってマナの霧と散っていった。
ソーマはまだ生きている、ソーマズ・フェアリーたちさえ見捨てて逃げ続けている。
今ここでソーマの息の根を止めておかなければ、次に出会った時に無事でいられる保証は今度こそ無い。

「ソーマを追わなければいけない」

悠人は【求め】が未だ眠り続けている事に焦りを感じながら、決意を込めてそう言う。
神剣は全く何も反応できない状態だったが、悠人自身の体力は回復していた。
もうすでに、かなり時間をロスしてしまっている…急がなければいけない。
だが、【求め】が回復してくれないことにはソーマに追いつく事は到底不可能。

「ユート様、わたくしの【献身】をお使いください」

突然、エスペリアが奇妙な事を言い出す。

「確かに永遠神剣は、あくまでも自分と相性の良い者に対してのみ契約を結ぶ事を要求します。
 しかし、契約者以外の者であっても永遠神剣自身が承諾していれば扱う事は不可能ではないのです」

悠人や光陰に仲間の何人かは、そんな話は初めて聞いたという表情しか出来なかった。

悠人自身、永遠神剣とはただ一人の契約者にしか決して扱えない代物だと認識していた。

「…ラスク様が殺され、ソーマの非道によりラキオスのスピリット隊戦力が著しく損なわれて以降。
 あの頃、まともにスピリットとして戦いラキオスを防衛できるのは…私ただ独りでした。
 戦力をほぼ失ったたラキオスを、バーンライトなどの敵対国がほっておく事は決してありませんでした。
 そこで、私はたった独りで少なくとも2小隊までは何とか戦うために…敵の神剣を利用してきました。
 敵スピリットのうち一人から奪った、それも【献身】よりも格下の神剣を【献身】の強制力で支配して…。
 その敵の仲間の神剣の気配を利用して、夜襲に奇襲…時には兵糧に毒を盛ったり火計などもやりました」

ふらふらと、未だとても満足に動ける状態じゃない身体をエスペリアは【献身】を杖代わりにして立ち上がる。

「イースペリアやサルドバルドも表向きは同盟国としてラキオスに協力はしていました。
 …ですが、それとてあくまでも最低限のものでありラキオスを生かさず殺さずという程度でしかなかった。
 結局のところ、あまりに多くの場合において私独りで戦い抜かなければならなかったのです。
 今日を、また今日を生き抜くたびに…何度、自分はまた汚れたのだと思い知って来たことでしょう」

聞くだに、それはあまりにも壮絶なエスペリアの過去の一つだった。
少しだけ寂しそうな笑顔を向けて、エスペリアは【献身】を悠人に差し出す。

「【献身】も、ユート様と共にゆく事を承諾してくれています…。
 さあ、ユート様…どうか、わたくしの【献身】をお受け取りくださいませ。
 ラスク様と…ねえさまたちの無念を、どうか…どうか…この【献身】で晴らしてください」

強く頷いて、悠人はエスペリアから【献身】を受け取る。
手に取った【献身】から緑のマナが悠人の身体に流れ込み、身体能力を強化してくれる。
とても【求め】ほどの身体強化ではなく、またエトランジェ固有の神剣魔法も使えそうにない。
だがそれでも、今からソーマを追う事を充分に可能にさせてくれるくらいではあった。
何より【求め】のようにはっきり言葉で伝わるわけではないが…明確にソーマの気配を教えてくれている。

 -そうか…【献身】、お前も何としてもソーマを倒しておきたいんだな。

永遠神剣を持てないただの人間であるソーマの気配がわかる理由は、悠人はそうとしか考えられなかった。

「シアーちゃんとエスペリアたちは、俺とクォーリンでリレルラエルまで運んで休ませてくる。
 ああそれと、お前一人にしちまってマジで悪いんだが…部隊を借りていくからな。
 いくら俺とクォーリンが強くても、何かあったときに二人も守りきれない」

光陰の言葉に、悠人は無言で頷く。
クォーリンが、青ざめた表情でぐったりしているエスペリアに肩を貸す。
光陰がシアーを背負おうとすると、ネリーがさっと横からシアーをかっさらって無理やりおんぶした。
その様子に、光陰はやれやれと頬をぽりぽり掻くしかなかった。

「シアー、俺は必ず帰ってくるから…そしたら、みんなで一緒にメシを食おうな。
 ……それじゃ、いってくるからな」

ネリーの背中から心配そうに顔をのぞかせるシアーに、精一杯無理やり微笑んでから…悠人は走り出した。

目が、覚めた。
視界に入った風景は、よく見慣れたラキオスのスピリット隊第一詰め所の自室。
寝ているベッドも、確かにこの世界に召喚されてから自分が使ってそろそろ馴染んできたものだった。
ふと、寝ている自分のすぐ隣でもぞもぞ動く気配を感じてそちらを見やる。
これはまた一体どういうわけか、シアーがすーすーと寝息をたてて眠っていた。
一瞬びっくりして目をみはるが、あまりに無邪気で無防備な寝顔に悠人はくすりと笑みをこぼす。
シアーが、こうしてここにいてくれる。シアーが、こうして自分の側にいてくれる。
それだけで、少なくとも今は悠人は今までで一番心が安らいで…今までで一番幸せだった。

すると、控えめなノックの音とともにエスペリアのいつもどおりの声が聞こえてくる。

「ユート様、シアー…もうお昼ですからそろそろお起きになってくださいませ。
 みんなで腕によりをかけてご馳走を作って、食堂でお待ちしておりますので…」

これはまた、更に幸せにしてくれる嬉しいお知らせである。
悠人は、まだ眠っているシアーを優しく軽くゆさぶって起し始めたその時。

「ユート、早く起きる。
 料理を作るの、わたしとウルカも頑張った。…ん、今日のは自信あるから期待していい」

シアーが大きくあくびをするのと同時に聞こえた、アセリアの声に凍った悠人だった。