胡蝶

Ⅰ-2

当初戦いは、良い意味で順調に進んだ。
こう言ってはなんだが、不安材料だったヘリオンが思わぬ活躍を見せたのだ。
吹っ切ったとでもいうのだろうか、ナナルゥの神剣魔法の間隙を縫った敵を、的確に捕捉したのは常にヘリオンだった。

「セリアさん、あそこですっ!」
「判ったわ、マナよ、我に従え、氷となりて、力を無にせしめよ……」
むしろ私は飛び出すヘリオンのサポートに回り、自分で斬り込む事はしないようになっていった。
彼女の剣技は稚拙だが、ブラックスピリット特有のその速さに、敵の方で混乱してしまう。
そこへ袋叩きのようにヒミカが殺到するので、単独で突破してきた敵にとってはたまったものではなかった。
敵が複数の場合にだけ気を配り、周囲の状況を監視する。山道が狭いのと、街正面の見通しの良さが幸いした。
問題は、時間が経つにつれ、ナナルゥの疲労が目立ってきた事。最初から予想はしていたが、このままでは潰れる。

戦いが始まって、既に3日。主力は今どの辺りにいるのだろう。
情報は、私達スピリットにまでは与えられない。後方の兵士達は知っているかもしれないが、訊ねる事も叶わなかった。
「……敵、確認しました。マナよ、炎のつぶてとなれ……」
「待って、ナナルゥ。私が行くわ……はぁぁぁぁっ!!!」
今の所戦局は一進一退のまま変化が無いが、ナナルゥが崩れてしまっては支えきれない。
狭いといっても山道の中は軽く小さい屋敷なら丸々収まる程度の幅がある。
その上両脇を繁った木々に覆われて極端に見通しが悪いので、敵の捕捉が常に一歩遅れていた。
それでも波状攻撃を行ってくる敵の集団にレッドスピリットが確認できない時にはバニッシャーをかける必要が無いので、
ナナルゥは休ませ、私が斬り込み攪乱させるようにしている。そうして少しずつ、最前線に立つ機会が増えてきた。
「……ッ…そこっ!」
斬り込みながら、ふいにリモドアが陥ちる直前、第二詰所でヒミカと訓練をしていた時の事を思い出していた。

 ―――――――――――――――――

レッドスピリットとは思えない機敏な動きで剣先を微妙に変化させ、
上段から突きに変わった『赤光』をサイドステップで避わし、『熱病』を捻りながら振り下ろす。
斜めに流れるそれを前髪に掠る程度で凌ぎ切った後、一息入れようと仕草で伝えてヒミカは剣を下ろした。
足元の岩にかけておいたタオルを手に取るのを見て、私も額の汗を拭う。
「危ない危ない。まさかあれ、誘ったんじゃないわよね?」
「まさか。ヒミカの仕掛けに焦って咄嗟に手が出ただけよ」
「本当に? ふうん」
気のせいか、にやにやと口元を緩ませるヒミカ。レッドスピリットを示す赤い瞳が何か言いたそうにきらきらと輝いている。
「……何?」
「ううん、やっぱり速さじゃセリアには敵わないな、って。読んでるつもりでも、予想外の所から剣が飛んでくるんだもん」
「そんな事ないわよ。それに、威力はヒミカの方が重いわ。神剣の位も違うしね」
ヒミカが持つ神剣は六位、『熱病』は七位。本気でやりあったら、多分負けるだろう。それは技量の問題ではない。
そういう意味を籠めたつもりだったのだが、しかしヒミカは別の事に関心が移ったようだった。
「そうそう、位といえば、ユート様。どう思う?」
「え? どうって……別に。一度見ただけだし」
先に、ラキオスに出現した所謂エトランジェ。異世界からの来訪者と言われる彼を見たのはつい先日。
そう、見ただけ。あの会見は、会ったとは言いづらい。一方的にエスペリアから紹介されただけなのだから。

我が国に保有されていた高位の永遠神剣第四位、『求め』。
永く所有者が居なかったそれに主と認められた人間が現れたと、第二詰所でももっぱら噂にはなっていた。
どんな人物なのだろうと私にも多少の興味が無かったとは言えない。実際、男性だとは思ってもいなかったので驚いた。
ただ、失望した事だけは確かだ。一見して実力の底が見えてしまう程、彼は戦士には見えなかった。
一般兵士と比べても見劣りする体格。気迫の感じられない佇まい。平凡な市民のような大人しい目つき。
愛想笑いのようなものを浮かべながらの自己紹介はろくに耳にも入れなかった。

誰にも話してはいないが、第一印象で決め付けるのは良くないと、一応その後の様子を自分なりに確かめてもいる。
守り龍討伐以降の戦闘詳報は一通り目を通していたし、エスペリアから、詳しく話も聞いていた。
彼は人としては、珍しい部類に入るらしい。スピリットを心底人と同じだと思いこんでいるようなのだ。
だが、これまでの戦いの仔細については……残念ながら、語るべき部分が殆ど無い。

「――――そうね、確かに尋常じゃない強さを感じたわ。……神剣からは」
少なくとも、世話役としてのエスペリアは好印象を持っているようだ。しかしそれは戦闘指揮能力とは全く関係が無い。

彼が一体どういった経緯をもってして戦いに身を投じるような事になったのかは知らないが、
これからエスペリアに替わり、自分達スピリット隊を預かる隊長になるのが彼だというのは決定事項。
ヒミカの手前誤魔化したが、正直それだけは勘弁して欲しい所だったのだ。
しかしお互いに口には出さないが、思うところは同じだったらしい。
答えを聞いたヒミカはじっと私の表情をタオル越しに見た後、はは、と乾いた笑いを返していた。

「お~い」
その時だった。妙に間延びのした気の抜けたような声が聞こえてきたのは。
二人同時に振り向くと、そこには今話題のエトランジェがひらひらと手を振りながら立っている。
「ユート様?」
聞かれていた訳でもないだろうに、ヒミカは慌てて手元のタオルを落とし、直立不動のまま神剣を鞘に収めていた。
こっそり溜息を付き、タオルを拾って岩にかけなおす。ヒミカが目配せしてきたので、私も『熱病』を腰に吊るした。
「どうなさいました? こんな所までいらっしゃるなんて」
「いや、こっちのみんなが配属されてから、ゆっくりする暇がなかったからさ。少し話そうと思って」
人の良さそうな笑顔で歩き寄ってくるエトランジェ。
対してあくまで目上に対する態度を崩さないヒミカは実直な彼女らしい、と思いながら、一方で妙な反発心が起こる。
笑顔が下手に好印象だったのが禍だったのかもしれない。気づいた時には殊更冷たい調子で口を挟んでしまっていた。

「……余裕など、今もありません。無駄な時間を過ごすくらいなら、その分訓練でもしておいてください」
「セリア!」
う、と詰まってしまったようなエトランジェをフォローするように、ヒミカの注意が飛ぶ。
当然の叱咤なのだが、しかし今更引っ込みもつかないので知らない振りをしていると、
「そうだな……もっと頑張らないと」
意外にも彼は妙に納得気に頷いていた。そんな簡単に折れる態度に、益々皮肉ばかりが口をついてしまう。
「ええ。前の戦いも見せてもらいましたが、よく生きてこられたものです。エスペリアの苦労がしのばれます」
「うぅ……」

不思議な苛立ちが湧き上がっていた。名ばかりとはいえ隊長、まして“人”とこれほど対等に話したことなどない。
いわば、無礼この上ない態度。なのに、目の前のエトランジェは怒りもせず、逆に落ち込んでいるとはどういう訳か。
重ねて言うならば、自慢でも無いが異性との接触など初めてである。と、そこで急にいたたまれなくなってきた。
「……努力するよ。俺も、もっと強くなる」
「自由になさればいいでしょう? 私は、あなたを信用しません……自分の好きにします」
「え……?」
「ちょっ、セリア、本気!?」
「ええ。こんな人に命を預けられないわ。それでは、失礼します」
戸惑う彼とヒミカを振り捨て、背を向ける。結局初対面は、終始冷たいものになった。
全部自分のせいだという自覚はある。しかしだからといって、どうにもならない。これが自分の性格なのだから。
「あ……ちょっと……」
「…………なにか?」
「え、えっと……いや、なんでもない……」
この苛立ちは、なんなのだろう。呼ばれて振り返ると、彼は一瞬怯んだ表情を浮かべていた。
多分今、自分は睨んでいるように見えるのだろう。ずきり、と少し胸が痛む。

――――馬鹿馬鹿しい。彼は、“人”だ。

立ち去る時、後ろで懸命に謝っているらしいヒミカの声が聞こえていた。

「隊長であるユート様に対しての口調ではありませんでしたね、セリア」
第二詰所が見えてきた所で、木陰から姿を見せたエスペリアに声をかけられた。硬い表情から怒っていると判る。
「……聞いてたの。エスペリア、でも彼はまだ隊長として自覚が足り」
「セリア、ユート様はわたくし達の隊長です。彼、ではありません」
「……ユート様は、隊長としてまだ未熟だわ。いいえ、はっきり言って失格です。あれでは生き残れない」
「失格かどうかは貴女が決める問題ではありませんよセリア。生き残れないというのならわたくし達が盾となればいいのです」

エスペリアの言葉はあくまで丁寧さを崩さない。しかしその眼光は常に鋭く私を捉えている。
そこに少しの疑問も許さないという意志の強さが伝わってきて、一言も言い返せなくなっていた。
「いいですかセリア、ユート様は人です。わたくし達はその剣となり、盾となるだけの存在。それだけを考えて」
「……判ってる。私達はスピリット、“人”じゃない。そうよね?」
「セリア……貴女が、ユート様の事を心配しているのは判っています。ですから、今度はもう少し正直な態度で、ね?」
不意に、優しくなるエスペリアの口調。そっと肩に手を添えられて、いつの間にか項垂れていた顔を上げる。
黙って微笑むエスペリアに、ぎゅっと唇を噛み締めながら、それでも素直に頷き返す事が出来た。

 ―――――――――――――――――

異変は、5日目の早朝に起こった。
「マナよ、燃えさかる炎となれ、雷の力を借りて突き進め、ライトニングファイアッ――――グゥゥッ!!」
「ナナルゥ!? くっ、どういう事……チィッ!『熱病』、力を貸してっ!!」
敵が、ナナルゥの神剣魔法で“止まらなく”なったのだ。

いくら強力な火焔に包まれても、その奥から爆煙を纏い次から次へと血相を変えて飛び出してくる敵。
激しく火花を散らしつつ受けた剣越しに偶然合った瞳には、正気の色が既になかった。
遮二無二剣を振るい、手当たり次第に襲い掛かってくる第一波をどうにか凌ぎ振り返ると、
ハリオンがナナルゥに治癒魔法を掛けている。反対側で、ヒミカがその護衛を兼ねて剣を構え直していた。
丁度戻ってきたヘリオンが肩で息をしながらこちらを見る。訳が判らない、と首を振って訴えていた。
私にだって訳が判らなかった。これではまるで捨て身ではないか。それとも総攻撃――――
「一体、何が起こってるの……?」
背中を流れる冷たい汗を感じた時、ヘリオンが正面を睨んだ。私も睨んだ。敵の第二波が押し寄せようとしていた。

爪先だけで辛うじて支えてきた戦線が崩れる予感に総身が粟立つ。
「ヘリオン、まだ神剣魔法は使える?」
「え? あ、はい、でもあの……」
「まだましな神剣魔法が使えないのは判ってるわ、この際テラーでもなんでもいいの。私が斬り込む場所に、出来るだけ早く」
「は、はいっ! でも“ましな”って……セリアさん、何気に酷いです」
「うん。ごめん、言い過ぎた」
ぷうっと可愛く頬を膨らませた後、にっこりと頷く瞳。ヘリオンにも判っているのだろう。
この軽口が、少しでも緊張を紛らわせようとした冗談を含めているという事に。
――――だけど、気づかない事もある。ぎこちなくならないように、さり気なく謝りつつ身を屈めた。
「じゃ、行くわよ……モート(3)、ラート(2)、スート(1)…………ガロッッ!!!」
「神剣よ、我が求めに応えよ 恐怖にて、彼の者の心を縛れ テラー!」
後ろから霧のように、薄い闇の波動が追い越していく。動きが鈍くなったポイントを見極めて駆け出した。
これで、ヘリオンが前線に立つタイミングを僅かでも遅らせる事が出来る。そうすれば生存の可能性も少しは高まるだろう。

ナナルゥの神剣魔法による脅威がなくなったので、敵は新鮮なまま一丸となって殺到してくる。
反対側から迎撃しているヒミカがファイアボルトを唱えたようだが、気休めに過ぎなかったようだ。
元々彼女はあまり神剣魔法が得意ではない。『赤光』が薄く赤いマナに覆われている。付加魔法も唱えたのだろう。
薄暗い山道に飛び込み、私はこっちを、そんな目配せを合図に、ヒミカは左に飛んだ。
同じように右手の林立する木々の間を抜け、背中に気を集中させてハイロゥを翼状に展開する。

「まずは一撃を与えて……ハァッ!!」
正面に立ったグリーンスピリットの槍を掻い潜り、手元に滑り込んで握り手に狙いを付け、
懐に入られた敵が反射的に上体を仰け反らせた隙に無防備な指を全て切り落とす。
両手持ちだったので、左右の指を全て切断されたグリーンスピリットは短い悲鳴と共に蹲り、動かなくなった。
地面に落ちた神剣を確認しながらウイングハイロゥを羽ばたかせ、敵の頭を飛び越す。
そこに待ち構えるブルースピリットが2人。
右手の彼女が突っ込んでくるのを身を捻って避わしながら『熱病』を水平に走らせ、その胴を薙いだ。
ギッ、という獣染みた短い悲鳴が聞こえたが、手応えは浅い。倒れそうになる身体を軸足で踏ん張りながら、敵を探す。

「はっ、はぁ――――上っ?!」
目の前に舞うウイングハイロゥの羽に気づいた。反射的に見上げる。落下してくる少女から血飛沫が舞うのが見えた。
口元からも腹部からも金色に還るマナを迸らせながら攻撃してきた彼女の神剣の先は、確実に自分の頭部を狙っている。
首だけ咄嗟に捻り、殆ど地面に水平だった『熱病』の剣先を急いで両手で持ち上げた。
首筋に皮一枚を切り裂かれた鋭い痛みが走る。しかしそのまま彼女の身体は串刺しになり、掠り傷の代償に命を失った。
ずっしりと重い死体を力任せに剣を振るって“引っこ抜く”。突然、視界が真っ白になった。

「……グ、あ゙っ?!」
まずい、と思った時には遅かった。腹部に、鈍く貫通するような痛みが走る。衝撃で吐いた息に血が混じった。
ぎっと歯軋りをして震える膝を抑え、その場に留まる。足に力が入らない。取り落としそうになった『熱病』を握り直す。
見下ろすと、肋骨にめり込み、渦を巻きながら急速に霧散していく光球。無防備な瞬間を狙われた。
「死ねェェェェェ!!!!」
そこへ未だエーテルシンクの余韻を残したままの刀身を煌かせながら、もう1人のブルースピリットが斬り込んでくる。
迎撃しようとするが、水平感覚が戻らない。縺れるように倒れた。地面の冷たい感覚が頬を伝わる。落ちそうになる意識。

「セリアさん、しっかりっ!!」
「…………ヘリオン?! く、ツァァッ!!」
飛び込んできた甲高い悲鳴のような呼びかけに、無理矢理目が覚めた。『熱病』を地面に突き刺しその反動で身を浮かせる。
今まで身を横たえていた地面に敵の渾身の攻撃が突き刺さり、衝撃で爆発したように砂礫が舞い上がった。
ふわりと爆風に押された身体をそのまま体勢を整え着地すると、丁度ヘリオンと背中合わせの形になる。
「は、あ……まったく、速すぎるわよ、ヘリオン」
「セリアさんだけに活躍されちゃう訳にはいけませんから……えへへ」
そう言って歳相応の幼いはにかみを見せるヘリオンは、先程のブルースピリットを既に斬り倒していた。
『失望』の先から滴り落ちる血がみるみる金色のマナに替わり、刀身に吸い込まれつつある。
意外に頼もしい、と思うのも束の間、周囲を囲まれた気配を感じて剣を構え直した。
口元の血を拭いながら覚悟する。せめてこの娘だけは、と。

その時だった。
山道の奥で潜んでいた敵が、一斉に攻撃気配を解いたのは。気のせいか、ざわついた様子さえ窺える。
「セリアさん、おかしいです……皆さん何だか慌てていらっしゃいます」
「敵にまで敬語を使わなくてもいいわよ。貴女らしいけど……でもそうね、確かに変だわ」
いぶかしみ、警戒を怠らないよう慎重に周囲を探る。ヘリオンの言うとおり、敵の間に妙な動揺が走っていた。
理由は判らないが、死中に活を求めるなら今しかない。『熱病』を握り直し、手ごたえを確かめる。
いける、そう思った時、唐突に山道の反対から聞きなれた声が飛んできた。

「セリアっ! ヘリオン、無事なのっ?!」
「ヒミカ!? ここは危ない……え? どうして?」
驚いた。
敵と敵の隙間から、弾むようにヒミカの姿が現れる。それを見送る敵からも、殺気というものが感じられない。
駆け寄ってくるヒミカに戸惑っていると、がしゃがしゃっと同時にあちこちから神剣の落ちる音がした。
「終わったのよ! サモドアは陥ちたわ!!」
「ど、どうやら……助かったようですよセリアさん!――――はふぅ……」
「え……本当に…………?」
興奮気味のヒミカが両手を取って喜びを表す。隣で気が抜けたのか、へたり込んでしまうヘリオン。
振り返ってみると、立ち上がり、諸手を上げて動かないスピリット達。それが降伏の合図だと、暫く理解できなかった。