ただ、一途な心

終章─思い出に誘われて 純真なものたち─

─────世界の命運をかけた戦いに打ち勝ち、ラキオスに凱旋した悠人たち。
そこで待っていたのは・・・国中の、いや、大陸中の人々の出迎え。レスティーナのこれからの政治方針。
人間とスピリットが等しく大騒ぎするパーティ。調子に乗った時深の日本舞踊・・・
とにかく、ラキオス・・・いや、ガロ・リキュア<無からのはじまり>と名を変えた国でのお祭り騒ぎだった。

「(みんな楽しそうです・・・ハリオンさんにも、見せたかったな・・・)」
ヘリオンは、城内でどんちゃん騒ぎをする兵士やスピリットたちを見て、ずっとそう思っていた。
あの普段は氷のように冷静なセリアや、無愛想さでは右に出る物はいないであろうナナルゥも、我を忘れて騒いでいる。
悠人はというと、酔っ払った今日子と光陰に無理矢理一気飲みをやらされ、頭上でヒヨコを回しながら気絶していた。
どういうわけか、その中でヘリオンはただ落ち着いていた。

「なんか、浮かない顔してるね」
その声に反応して横を見ると、もう一人落ち着いていたニムントールがいた。
その手には二杯のグラスとネネジュースの入った瓶。一緒に飲もうかということだろうか。
「ニム・・・そうですよね。私、変です。嬉しいはずなのに・・・なんか沈んじゃってて」
「深く考えない方がいいと思う。・・・死んだ人のことを想うのはいいけどさ、いくら想ってももう帰ってこないんだから」
「・・・!」
まるでヘリオンの心を読み透かすかのように言葉を紡ぎ、テーブルに置いたグラスにネネジュースを注ぐニムントール。
そのグラスの片方を取ると、ヘリオンに視線でグラスを取るようにと促す。
ヘリオンはもう片方のグラスを取ると、ニムントールのグラスと かちん、と軽くぶつけ合い、ネネジュースを口に注ぐ。

「これさ、多分・・・聞いたこと無かったよね」
「・・・?なんですか?」
「ハリオンってさ、ヘリオンにとって何だったの?」
ハリオンがヘリオンにとって何だったのか・・・そんなこと、当たり前すぎて考えたことも無かった。
大事な人・・・それ以前に、ヘリオンの心の拠りどころで、もう一人の『お姉ちゃん』で・・・目標だった。
「あ、答えなくていいから。なんとなくわかる気がするし、私にもお姉ちゃんがいるから・・・」
「ニム・・・」
ヘリオンはふと、ニムントールと初めて会った時のことを思い出す。

あの時・・・ヘリオンは、自分たちがニムントールとファーレーンに似ていると言った。
でも、ニムントールはそれを認めようとしなかった。それが何故なのか・・・結局わからなかったけど。

「・・・ねえ、私さ、ニムって呼んでいいって言ったっけ」
「はい!言いました・・・というよりも、私が勝手に呼んでたのを許してくれたんですけどね」
「本当?・・・まあいいけどさ。あ~あ、記憶がなくなるって、面倒・・・」
面倒・・・悪い言い方をすれば、そうかもしれない。
ニムントールは、ヘリオンを尊敬したことも、目を覚ますために剣を交えてくれたことも憶えてはいない。
一方的に知っている記憶を押し付けているに過ぎないのだから、憶えてないほうにはいい迷惑だろう。
「疑ったり・・・しないんですか?」
当然の疑問だった。嘘をついていると思われてもおかしくないから。
「はぁ?なんで私がヘリオンを疑わなきゃいけないのよ。大体、そんな嘘ついたってしょうがないじゃん」
そう言って、ネネジュースを一気に口に注ぎ込む。
その一見素っ気ないような反応は、いつものニムントールの反応だった。
ファーレーンほどの深い付き合いではなかったが、同じ所で戦った仲間だからそれくらいはわかる。
ヘリオンは、懐かしさで思わず吹き出してしまう。

「ぷっ、あははっ、ごめんなさい、ニム」
「なにバカみたいに笑っちゃってんのよ・・・でも、少しは気が晴れたでしょ?」
「あ・・・」
そう言われて、いつのまにか気持ちが楽になっている自分がいることに気づく。
賑やかな場で、たった一人沈んでいるヘリオンを、ニムントールは励ましに来てくれたのだった。
誰かに諭されれば、気持ちを楽にできる。それは、ファーレーンがよくニムントールにしてくれたことだから。

「せっかくこんなに賑やかなんだからさ、楽しまなきゃ損だと思うよ」
「そうですよね・・・でも」
二人はちらりと、テーブルの向こうを見る。
そこには、飲みすぎたせいか泣き上戸で隣のセリアにすがるファーレーンと、相変わらず気絶した悠人。
顔を見合わせ、呆れた顔ではぁ、と同時に溜息をついたのはまもなくのこと。
そして、そのせいで二人に忍び寄る影に気づかないのも、至極当然のことなのだった。

「え~へ~へ~、陰気なやつらに~っ、ネリー、突撃するよ~っ!」
「シアーも~、とっつげき~!」
がばっ!
ヘリオンとニムントールの後ろから眼前に飛び込み、同時に口に突っ込まれる酒瓶。

「ね、ネリー!?ま、まさかよっぱらっ・・・もがっ、ん、ん~・・・!!」
「な、し、シアーまで!あんたら未成年じゃ・・・!ふぐぅっ!」
どくどくと流し込まれる(未成年である彼女らにとって)強烈な酒。
その酒は一気にヘリオンとニムントールの全身に回り、気分をこれ以上ないくらい高揚させる。
指先に至るまでホットになった体と赤ら顔、千鳥足状態に変身するのにそれほど時間はかからなかった。

「は、はれ・・・?な、なんだかきもちいいでふぅ~・・・」
「う、うう・・・うにぃ・・・そ、そうらね~あ、ああ・・・おねえひゃ~ん・・・うにゅぅ」
「うへへへ~・・・ネリーのさけにぃ、ふかのうはないのだぁ~」
「ないのらぁ~」
・・・ここに、世界で一番幸せそうなバカ×4が誕生した。
こうなってしまっては、誰も彼女らを止めることはできないだろう。
ぼんやりと光る月明かりの元、歓喜の声と奇声が入り混じって、より怪しさを露呈する国。
アルコールの臭いの充満する城内で、ヘリオンたちは酒の勢いで目をぐるぐると回しながら踊り狂うのだった・・・


──────次の日の夜明け。城内だけと言わず、国中に響き渡るガンガンという擬音。
決して何かを叩いたり破壊したりしているわけではない。そう、二日酔いによる頭痛の擬音なのだった。
満遍なくアルコール漬けになったスピリット隊によって、その擬音は館中にも飛び交っていた。

頭上に斜線を浮かべ、今にも吐きそうな顔で頭を抑えるエターナル×2。
食卓で、これでもかというくらいに水を飲んではトイレに行き、体内のアルコールを少しでも薄めようと努力していた。
「まったく、悠人さんもヘリオンも、酒がダメなら飲まなきゃいいのに・・・あんなに調子に乗って・・・」
「す、好きで飲んだわけじゃない・・・きょ、今日子と光陰が・・・あ、う、うぷ・・・」
「そう・・・です。ゆ、ゆだんしてまし、た・・・はぁうぅぅ・・・」
マインドが不安定になりつつある二人を尻目に、ピンピンしている時深。
あの時、時深は城内にはおらず、城下町に下りては日本舞踊のはしごをしていて、酒を飲む暇などなかったという。
もっとも、時深が酒を飲んだら本性丸出しになるので、【時詠】が抑制しているらしいが。

「こんなときに言うことじゃありませんが・・・一応教えておきますね」
「・・・?何を?」
気持ち悪さで掻き回される脳みそで、何を聞かれるのか・・・悠人は次の言葉を待った。
「ヨーティア殿が、『蓋』を完成させたそうです」
「ふ、ふたぁ・・・?」
「ええ、エターナルのこの世界への出入りを封じる『蓋』です。発動は三日後・・・悠人さん、ヘリオン、決断の時です」
「決断・・・エターナルの出入りを・・・も、もしかして?」
「はい。この世界に残るか、私とともに別の世界へ旅立つか・・・決めておいてください」
悠人とヘリオンは、あの宴会の前にヨーティアがレスティーナの前で自慢げに話していたことを思い出す。
酒のせいで記憶が思いっきりおぼろげになってしまったが・・・確か、数千年単位で稼動するとのこと。
つまり、旅立てば数千年の間ここに来ることはできず、残れば、その間中ずっとこの世界で生活するということだ。
「そ、そうか・・・そうだな。へ、ヘリオン・・・どう、する・・・?うぷっ・・・」
「うぅ・・・い、今は・・・難しいことを考えさせないでくだ・・・!う、ううぅっ・・・!」
「「お、おええええぇぇぇぇぇええぇ・・・・・・」」

神剣の力でも取り除けない、強烈なアルコール中毒に見舞われる二人。
・・・結局、その日の間にこの世界に残るかどうか、その話題が出ることは二度となかったという・・・

─────さらに次の日。
ようやく酔いが醒めた悠人とヘリオンは、ある場所に向かうため、城下町を歩いていた。
当然、この世界に残るのか、あるいは旅立つのか・・・その二択の答えを模索しながら。

雲一つない昼下がりに、今まで以上の賑わいを見せる城下町。
エーテル機関が使えなくて今までどおりの生活ができないにもかかわらず、人々は笑顔を絶やすことはない。
戦争による被害も、人々とスピリットたちの協力によって、その傷を癒しつつある。
・・・その様子が、この世界の行く末を見守りたいという想いを作り出そうとしていた・・・

「・・・なんか、平和だなー」
「そうですね!みんな笑ってて、楽しそうで・・・まるで、昔の様子が嘘みたいです」
「昔・・・か」
悠人は、自分がこの世界にやってきたばかりのころを思い出す。
あの時は、人間とスピリットの間の確執は・・・もう、目も当てられないほど酷かった。
思えば・・・ヘリオンとハリオンの育ての親、『お姉ちゃん』が死んでしまったのもその名残なのかもしれない。
スピリット自身はおろか、スピリットに与する者までもが軽蔑された時代・・・それが、本当に嘘のようだった。
「この世界は・・・これからどうなっていくんだろうな。このまま平和だといいんだけどな」
「きっと大丈夫です。きっと、レスティーナ様が導いてくれます!」
そう・・・そのはずだった。レスティーナなら、きっとこの国を導いていけるに違いない。
それは、わかっているはずだった。それなのに、妙なもやのようなものが、頭の中にかかってしまう。
心配・・・なのかもしれない。エーテル機関がなくなっても、新たな戦争の火種が出ないとは限らないから。

「なあ、ヘリオン・・・ヘリオンは、この世界に残りたいか?」
悠人のその言葉に、さっきまでのヘリオンの笑顔は少し難しい顔に変わってしまう。
「・・・ごめんなさい、ユート様・・・今は、まだ・・・」
「・・・そっか」

迷っているのは・・・ヘリオンも同じだった。
ヘリオンは・・・捨てたくなかった。取り戻した家族を・・・記憶がなくても、自分を受け入れてくれる家族を・・・
・・・旅立てば、また失ってしまう。・・・それに、もう二度と会うことはできない。
「ユート様、今は・・・今することをしましょう。決断するのは、まだ早いです」
「そうだな。じゃあ、えーと、花屋は・・・どこ?」
「う、えっと・・・どこでしたっけ?誰かに聞いてみましょう!」
悠人たちは、花屋の場所を聞くために、誰かに声をかけようとした・・・その時

「ああ~~~っ!!」
どこからともなく響く、少年のような声。
それは、ヘリオンにとっては・・・どこかで聞いたような声・・・だった。
やがて、人ごみの中から現れる、まだ10歳くらいの少年が悠人とヘリオンの元に駆け寄ってきた。
「やっぱり!なあ、兄ちゃんたち、神剣の勇者様だろ!?」
突然の出来事に茫然自失としてしまう二人。
そんなことよりも、『神剣の勇者様』って・・・わけもわからずに、悠人とヘリオンは顔を見合わせる。
「誤魔化したってだめだぞ!俺、見たんだ!なんか・・・えたーなる、だっけ?とにかくすっごく強いんだろ!?」
そう言われて、悠人とヘリオンは事態を把握する。
よくよく考えてみたら、レスティーナの演説のときに二人で神剣の勇者としてテラスに出ていたんだった。
これじゃ、有名人になってしまっていてもおかしくない。
「すげー!なぁ、兄ちゃん!姉ちゃんでもいいけどさ、俺に剣を見せてくれよ!」
「だ、だめですっ!この剣は、みだりに振っていいものじゃ・・・」
振っていいものじゃありません。と、そう言いかけて、ヘリオンの言葉が止まる。
「ヘリオン、どうした?」
「あ・・・い、いえ、なんでもないです!・・・と、とにかくだめですっ!」
「えー?なんだよ、ケチだなー・・・じゃあ、兄ちゃんは」
「俺もダメ」
悠人はきっぱりといった。こういう少年にはちゃんと言った方がいいからだ。
なんだか小鳥の少年版のような感じがするので、あしらい方はなんとなくわかってしまう。
「ふーん。じゃあさ、俺に剣を教えてくれよ!」
「剣を?」
「そうそう!俺のししょーになってくれ!俺、強くなりたいんだ!」

「・・・ヘリオン、どうする?この調子じゃ下手に断ってもついてきそうだぞ」
真っ直ぐな視線を向けてくる少年を前に、ややたじたじ気味の悠人。
しょうがないと思ったのか、ヘリオンは少年と同じ目線までしゃがむと、諭すように語り掛ける。
「ごめんなさい。私たち、もうすぐ遠くに行かなくちゃいけないんです」
「ええっ?ずっとこの国にいてくれるんじゃないのかよ。せっかくみんな歓迎してくれてるのに!」
「・・・本当に、ごめんなさい。だから・・・私たち、あなたに剣を教えることはできないんです」
遠くに行く・・・ヘリオンは、嘘は言っていない・・・つもりだった。
まだ残るのかどうかすら決断していないのに・・・そんなことを言ってもいいのだろうか。
迷いと矛盾が心の中で交錯する中で、ヘリオンは、少年を説得するしかなかった。

「でも・・・これだけは覚えておいてください」
「え?何?」
「どうしても強くなりたいのなら・・・その剣を、大事な人のためだけに振るうことです。
 それが約束できるのなら、それができるのなら・・・あなたは、きっと強くなれますから!」
「本当?本当にそれだけで強くなれるのか?」
難しそうな顔で疑問符を頭に浮かべる少年に、ヘリオンは笑顔で、頭を撫でながら語りかける。
「はい!実際に、私はそうやって強くなりましたから・・・私が、保証してあげます!」
ヘリオンがそう言うと、少年も笑顔になって、お互いに笑いあう。
その姿に、悠人は美しい師弟愛を見たような、そんな感覚に見舞われるのだった。
「そっか!姉ちゃんがそう言うなら、そうなんだな!俺、がんばってみるよ!じゃあね!」
「はい!是非ともがんばってください!」
そう言って、少年はここから走り去ろうとするが、悠人はそれを制止する。
「あ、ちょっと待ってくれ!」
「なんだよ、兄ちゃん」
「あ、いや・・・・・・花屋、どこにあるか、わかるか?」
「花屋だったら、その通りの突き当りを右に行ったところだよ!もういい?」
「ああ、じゃあな!」
「うん!バイバイ、兄ちゃん、姉ちゃん!」
悠人とヘリオンは、大きく手を振って少年を見送る。
少年も手を高々と振ると、元気いっぱいに走り去っていった・・・

「・・・いい弟子だな」
「はい・・・って、気づいてたんですか?あの子が、あの時話した私の弟子だって・・・」
「途中から、なんとなくだけどね・・・これからの成長が楽しみだな」
「そう・・・ですね。あの子、きっと強くなります」
ヘリオンはすっと立ち上がると、少年が走り去った方へと寂しそうな視線を向ける。
「・・・いいのか?この世界に残って、あの子を鍛えてやるって道もあるんだぞ?」
「変に約束したら・・・私、また裏切ることになっちゃいますから・・・ごめんなさい」
「そうか・・・あんまり、気に病むなよ?悩み始めたら、キリがないんだからな?」
あの少年の願いをかなえることはできない。それは・・・エターナルの宿命に縛られているが故。
ヘリオンは、記憶を失わせることだけを業としているわけではない。
姿形の変わらない師を見られて、あの少年に化け物として扱われることが、何よりも怖かった。
「ユート様っ!早くお花を買って、行きましょう!」
ヘリオンの精一杯の空元気。それがはっきりとわかるだけに、悠人の心も苦しめられる。
ヘリオンを巻き込んで、こんな目に遭わせている自分が恨めしくなってしまう。
「(疫病神・・・か。俺、ヘリオンに何かしてやれないのか?)」
「ユート様っ!」
無理矢理作った笑顔に、じわりと浮かぶ涙。悠人は、そんなヘリオンなど見たくはなかった。
自然と、足が動き、少年の言った方へと進む。
「・・・行こう」

時深や【聖賢】がよく言っていた。
エターナルは、一つの世界に干渉しすぎてはいけないと。・・・それは、こういった意味もあるのかもしれない。
望むとも望まずとも、悠人とヘリオンは・・・この世界から去らなくてはいけないのだろうか。
・・・『蓋』の発動まで、あと二日。時間は・・・ない。

──────城下町で花束を買った悠人とヘリオンは、覚えのある街道を歩いていた。
やがて見えてくる一軒家・・・そう、目的地は・・・ヘリオンとハリオンの物語が始まった場所。
ヘリオンが悠人に過去を明かしてくれた、悠人の世界に向かうきっかけになった・・・あの家。

「また・・・ここに来ちゃったな」
「でも、今日はお墓参りですから・・・ユート様、こっちです!」
ヘリオンは花束を持っている悠人の手を引いて家の裏手に回りこむ。
そこには、日陰にあったせいか苔むした大きな石の置いてある、粗末な墓。
その石には、幼いころに彫ったのだろうか、崩れた、消えかかった字で”ルルー<お姉ちゃん>”と彫られていた。
「お姉ちゃん・・・ハリオンさん・・・」
ヘリオンはそう呟くと、オーラフォトンを展開し、【純真】の刃先を墓石に近づける。
器用に、文字の一画一画を、オーラフォトンで丁寧に墓石に刻み込んでいく。
『お姉ちゃん』の名前の下に刻み込まれた名前は、ハリオン・・・”ハリオン・G・ラスフォルト”。

悠人は、持っていた花束をヘリオンに手渡すと、視線で供えるように促す。
ヘリオンはその視線を受け取って、墓石の袂に、生前『お姉ちゃん』やハリオンが好きだった花を供えた。
・・・悠人は、静かに目を瞑って、顔の前で両手を合わせる。

「ユート様、それは・・・」
「ん?これか・・・これは、俺の世界のお祈り。死んだ人に対するお祈りだよ」
「そうなんですか・・・え、と・・・こう、ですか?」
「そうそう」
ヘリオンは悠人にならい、同じように祈りをささげる。
本当は知らなかった、死者に対するお祈り・・・世界が、カタチが違えど、その想いは同じ。

上天気、さんさんと降り注ぐ日差しの中、聞こえる音は空を翔る鳥のさえずりと草の擦れ合う音だけ。
静寂の中で、二人の心に映るのは・・・ハリオンとの思い出、『お姉ちゃん』との思い出・・・そして、呼びかけ。

 ハリオン・・・俺たちは生き延びた。ハリオンが描いたカタチとは違うかもしれないけど・・・生き延びられた。
 世界も平和になりつつある。みんな・・・みんな、本当にうれしそうだよ。もちろん、ヘリオンや俺も・・・
 でも、俺・・・戦いが終わってから、ヘリオンを見るたびに思うんだ。
 ・・・ヘリオンはこの戦いが終わるまでに、何回泣いたのかな、どれだけの涙を流したのかなって。
 ヘリオンは・・・これから、どれくらい泣けばいいんだろうって。俺は、どれくらい慰めればいいんだろうって。
 きっと、これからヘリオンはまた泣く。ヘリオンは俺と同じだから、きっと俺と一緒に旅立つ道を選ぶ。
 みんなと別れるのが辛くて・・・また泣くんだろうな。それで、また俺は慰めなきゃいけないんだろうな。
 辛いのは・・・俺も同じなのに、俺は・・・弱さを出せないんだ。ヘリオンを、支えなきゃいけないんだ。
 いつだったか言ってた。ヘリオンは・・・もうひとりぼっちなんだ。だから、俺が・・・ずっと支えてあげなきゃいけないんだ。
 俺は・・・ヘリオンが悲しさで、苦しさで泣いてる顔なんて見たくない。だから・・・ハリオン・・・
 ヘリオンは・・・俺が守るから。月並みかもしれないけど・・・きっと、ヘリオンを幸せにしてみせるから。
 ハリオン・・・俺たちを見守っててくれ。それと・・・ありがとう。俺を・・・佳織を守ってくれて・・・

 お姉ちゃん・・・ごめんなさい。私・・・誓いを果たせませんでした。
 あの時・・・私がスピリット隊に入隊するときに・・・ハリオンさんと一緒に生き延びるって、誓ったはずなのに。
 ハリオンさんは・・・私とユート様を守るために・・・犠牲になってしまいました。
 でも、後悔はしていないと思います。だって、死ぬ間際のハリオンさんは・・・笑顔を向けてくれましたから。
 私、ハリオンさんのことを全部知ってるわけじゃありませんけど・・・これだけははっきりとわかるんです。
 自分の命を犠牲にしてでも、大事な人を守る・・・それが、ハリオンさんの愛のカタチなんだって。

 ・・・お姉ちゃん、ハリオンさん・・・私、ユート様と一緒にこの世界から旅立とうと思います。
 ユート様は優しいですから、きっとまた自分が疫病神だなんて変な考えもって、
 みんなに迷惑をかけないようにと思って、この世界から出て行くと思うんです。
 私、ユート様と一緒にいたいんです。・・・ユート様のことが、好きだから・・・ユート様を支えたいから・・・
 ・・・ユート様は、ひとりぼっちだから・・・私と同じだから・・・一緒にいてあげて、慰めてあげたいんです。
 お姉ちゃん、ハリオンさん・・・本当に、ありがとうございました。それから・・・さようなら・・・


───── 一心に、純粋な祈りをささげる悠人とヘリオン。
・・・はるか彼方の世界、ファンタズマゴリアの死者の心が集う世界で、その想いを受け取る者がいた。

『ふふっ、うふふふ~♪』
『随分とうれしそうですね。私はさっきから複雑な気分なんですよ?』
『だって~、二人とも考えてることが同じなんですよ~?おかしくないわけないですぅ~♪』
『まぁ、そうですね・・・二人とも、バカみたいですから』
『あらあら~、バカなのは、あなたもじゃないですか~?人が悪いですよ~?ずっと【失望】の中にいたなんて~』
『これでも、たまに顔を出していたんですよ?ヘリオンも【求め】も、全然気づかないんですから』
『よっぽどそっくりだったんですね~、あなたと、【失望】は・・・』
『うふふ、おかげで、人間だった私にはわからない色々なことを学ばせてもらいました・・・』
『おまけに~、一度抜けたかと思えば~・・・あんなことになっちゃって~!』
『トキミさん・・・でしたっけ?あの人は未来がわかるそうですから・・・運命付けられたのかもしれません』
『はぁ・・・あなたが羨ましいです~・・・ずっとヘリオンの傍にいられるんですから~』
『・・・それだけ、多くの悲しみ、苦しみを共有することになりますけど、ね・・・』

『それよりも・・・あなたは後悔していないのですか?まだ、やりたいことがあったのでは?』
『私は、ヘリオンが幸せなら、それでいいですから~・・・』
『それだけでしょうか?あなたは表には出さずとも、心のどこかであのユートという人を好いていたのではありませんか?』
『お見通しなんですね~・・・確かにそうですけど、あの時、私が行かなかったら・・・ユート様を庇っていたのは・・・』
『ヘリオンだった、と・・・?あなたが最後に守ったのは、ヘリオンもだったのですね・・・』
『ユート様にもヘリオンにも死んでほしくなかった・・・それが、理由として不足ですか~?』
『それが、あなたの愛のカタチなら・・・誰にも咎めることはできませんよ。
 それに、これから私はもっと辛いものを見続けなければいけないのですから・・・』

『やっぱり、行っちゃうんですか~?』
『はい、私は・・・ヘリオンと共にいきます。あのユートという方も、一緒にいると退屈しそうにありませんし』
『ユート様ですか~・・・あの人は、優しい人ですから~』
『そうですね。ヘリオンを想う心は、あなたにも負けていないくらいですし・・・それよりも・・・』
『私ですか~?私は、もう戻れませんから~、ずっとここで見守ってあげようと思うんです~
 それに~、この世界のお菓子やお茶も、なかなかに美味しいものがそろっていますから~♪』
『ふふっ、相変わらずですね。またいつか会いましょう。ハリオン』
『そうですね~、お姉ちゃん・・・いいえ、今は~・・・【純真】』

磨きのかかったマイペースと悪戯心満載な、『お姉ちゃん』の心は、主の元へと戻っていく。
いや・・・今は、彼女は『お姉ちゃん』でも【失望】でもなく・・・【純真】というヘリオンの剣。
そして、ハリオンとヘリオンを繋ぐことのできる唯一の橋。
ハリオンの・・・何よりも叶えたかった願い・・・ヘリオンの幸せ。
それが信頼できるものに変わったとき、ハリオンの心は満足なものに包まれ、上機嫌になる。

『ふ~ぅ。じゃあ、スピリットのみなさんと、お茶にでもしましょう~♪』
死者に、心の存在となってこの世界に来た以上、敵同士だったとかそういうのはなくなっていた。
主にハリオンのお茶の相手になっているのは、ラキオスのスピリット隊が今までマナの霧に変えてきたスピリット。
どうやって死んだとか、生前の思い出とか、そういった生々しい話を種にティータイムを楽しんでいる。
そんな中でも、大事な人を庇って死んだハリオンの体験談は群を抜いて人気を博していた。
死んだなら死んだなりに楽しみ方もあるのだなと知ったときは、どうしようかと思ったものだが・・・
それでも、長話とティータイムが趣味のハリオンにとっては嬉しい限りなのだった。

ただ・・・ハリオンが思うのは、ヘリオンや悠人にはこんな世界は見せられないということだった。
こんな話をしているところを見られたら、それこそ呆れられてしまうだろう。
『(はぁ~・・・【純真】、ぜぇ~ったいにヘリオンやユート様をここには連れてこないでくださいね~。
 もし連れてきたりしたら~・・・お姉ちゃんよりも激しく めっめっ・・・てしちゃうんですから~・・・)』


──────ハリオンがそんな調子であることも露知らず、悠人とヘリオンは祈りを終える。
同じ想いと、同じ決意を・・・同じカタチの心に乗せて・・・

「ヘリオン・・・そろそろ行こう。あんまり長く離れると・・・みんな大騒ぎするから」
「そうですね・・・ユート様」
お互いに力なく微笑みあって、しっかりと手を握ると町のほうへと帰っていく。
残された墓にぼんやりと集まりつつある緑マナ。
遠い未来、この場所が地平線の果てまで続く花畑になることを、二人はまだ知らない。
そして、その花畑の伝説の主役になるハリオンも、当然知る由もないのだった・・・

──────翌日。蓋の発動まで、あと一日。
ヘリオンは、第二詰所での・・・ハリオンの部屋にいた。
戦争が終わったので、第二詰所のメンバーは、ハリオンの遺品を整理することになったのだ。
何せあのハリオンだ。持っている私物の量も他のスピリットの比ではない。
ハリオンに縁のある人物・・・ヒミカやセリアを筆頭に、立候補したヘリオンが手伝って部屋を片付けているのだった。

「・・・ヘリオン、また出てきたわ」
そう言ってヒミカが取り出したのは、料理関連の本。
「えぇ~・・・ハリオンさん、溜め込みすぎですよぅ~・・・」
・・・そう、何せあのハリオンだ。部屋の中にあるのは、主に料理やお菓子、お茶に関する知識の宝庫。
いつの間に、どこで買ったのかわからないような書物が溢れていた。
それは丁度、買った雑誌をなかなか捨てられなくて、部屋の隅に溜まっていった状況に似ている。
「つまり、私たちは今までこれらの本の知識の実験台にされてたわけね・・・これじゃ毎日ティータイムするわけだわ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、机の引き出しを片っ端から調べるセリア。
そして、一番下の引き出しからやや厚めでボロボロのノートを見つけるのは・・・まもなくのことだった。

「うん?これは・・・ヘリオン、これは何かしら?」
そう言われて、ヘリオンはセリアの取り出したノートを見るが・・・それは全く見覚えのないものだった。
「なんですか?・・・見たことないです。・・・も、もしかして・・・ハリオンさんの秘密がぎっしり!?」
そのヘリオンの一言に、ぎっくりする面々。
ハリオンの、妹分のヘリオンにすら見せたことのない古びたノート。
それだけに、この場にいる者たちは何か見てはいけないものを見たような感覚に襲われる。
「へ、ヘリオン・・・見てみたら?」
「そうね、ここはあなたが見るのが妥当じゃないかしら?」
セリアはノートをぽん、とヘリオンに手渡すと、ヒミカと一緒にささっとノートから離れる。
爆弾があったりするわけでもなく、相手はただのノートなのに・・・この場の面々は恐ろしく警戒気味だ。
観念したヘリオンは目を皿のようにして、恐る恐るノートを開ける・・・


「・・・・・・」
中身を読んでいるのか、右往左往するヘリオンの瞳。
「・・・!?」
そして、間もなくヘリオンの顔が驚きに染まる。
それは、見てはいけないものを見た顔ではなく・・・信じられないようなものを見た顔。
「どうしたの?な、何が書いてあったの?」
「これ・・・ハリオンさんの創作料理やお菓子のレシピみたいです」
そう言って、すぐにノートを閉じる。
中身は本当にハリオンのレシピなのだが・・・ヘリオンは、その中に本来は無いものを見つけてしまったのだ。
「あ、あの・・・これ、貰っていってもいいですか?じっくり読んでみたいんです!」
「え?え、ええ・・・いいわよ。私たちが持っててもしょうがないと思うし・・・」
「そうね。あなたが持ってたほうが・・・ハリオンは喜ぶんじゃないかしら」
慌てるように懇願するヘリオンに、思わずあっけにとられるヒミカとセリア。
「え、えっと・・・じゃあ、あとお願いしていいですか?」
「え、あ・・・ちょっと、ヘリオン!?」
「それじゃあっ!」
二人の返事も聞かず、脱兎のように部屋を飛び出したヘリオンは・・・自室だった部屋へと向かった。

部屋に着くなり、ノートを開いて一字一句を見逃さないようにじっくり読むヘリオン。
「(やっぱり・・・!見間違いじゃないです。で、でも、どうして・・・!?)」
そのページは、ヘリオンが好きな料理・・・野菜スープの作り方が事細かに書いてあるページ。
その隅には・・・こう書いてあった。

『・・・の月、・・・・・・の日、やっとお姉ちゃんの味に近づくことができました。これで、やっとヘリオンに喜んでもらえる』

日付を見るに、どうやらこのページは『お姉ちゃん』が亡くなってから程なく書かれたものらしい。
だが、ヘリオンにとっては、このレシピがいつ、どこで書かれたかは重要ではない。
・・・どうして、このレシピにヘリオンの名前が書いてあるのか・・・それが疑問だった。
エターナルになって、消えるはずの自分に関する記憶と、いなかったことになる歴史の改竄。
そう、エターナルになったヘリオンの名前がここにあるのは・・・おかしいのだ。

「(そういえばあの時も・・・もしかして、ハリオンさんは・・・)」
この事実に関する可能性・・・いや、真実。
・・・それは、ヘリオン一人の胸の中へとしまわれ、あの時まで誰かに知られることは無い。
そして、ハリオンの創作料理は、導かれるようにヘリオンに引き継がれるのだった・・・


──────次の日の朝、蓋の発動する日。
悠人は一つの決意を胸に、時深の指定した場所へと向かう。
その傍らには、ずっと一緒にいようと誓った少女、ヘリオンもいる。
・・・悠人は、自分のために家族を捨てるヘリオンに、エターナルになる時の自分を重ねていた。
ヘリオンは・・・あの少年の時のように・・・辛いのに、痩せ我慢して、無理矢理に笑顔を、まっすぐな表情を作っている。
ヘリオンの泣き顔を見たくない。・・・ハリオンに祈ったその想いは間もなく崩れようとしていた。
悠人にはわかっていたから。ヘリオンは、辛いとき、苦しいときには正直になってしまうから・・・
「(まさかとは思ったけど・・・ヘリオンが俺と同じ決意をしていたなんてな・・・)」


──────約十五時間前。悠人とヘリオンは、第一詰所の客室でお互いの決意表明をしていた。

「・・・いいのか?」
「はい。もう・・・決めたことですから」
悠人がこの世界を出て行くと言うなり、ヘリオンはそれに従うように一緒に行くという。
「みんな・・・ヘリオンを受け入れてくれてるのに。もう、ずっと・・・二度と会えないんだぞ?」
「確かに・・・みんなと別れるのは辛いです。でも・・・私、きっと耐えられないんです・・・」
「・・・耐えられないって?」
大方想像はできたが・・・悠人は、その想いがヘリオンの口から直接飛び出すのを待った。
それはこの世界に残るかどうかという選択をする上で、悠人自身も懸念していたことだったからだ。

「たった一人・・・私だけ、年をとらないんですよ?みんな成長して、年をとっていくのに・・・私だけそのままなんて・・・」
「・・・そんなこと言ったら、俺だって同じだよ。・・・何千年も、年をとらない化物として、この世界にいるなんて、嫌だ」
だから出て行くって、そんなことは理由にならないことは二人ともわかっていた。
今この国にいるスピリットたちは・・・少なくともスピリット隊のメンバーたちはそれをも受け入れてくれるだろうから。
だが、それ以降はどうなる?悠人とヘリオンを知る者がいなくなったら、この世界に二人の居場所はない。
『蓋』が機能を停止するまでは、ずっとこの世界から出ることはできない。
それこそ、何千年も羨ましがられ、蔑まれ、イレギュラーとして存在しなくてはならない。
悠人とヘリオンという、優しさの塊のような・・・それでいて一途で脆い心を持った二人がそれに耐えられるはずもなかった。

「ユート様も、私と同じ理由で出て行こうって決めてたんですか?」
「それもあるけど・・・俺、疫病神だからさ・・・また何かこの世界に厄介事を起こすような真似をしたくないんだ」
「そう・・・ですか」
ヘリオンは思った。やっぱりそうだった、と。
どこまでも自虐的になる悠人は・・・この世界に迷惑をかけまいと出て行くだろうと。

「あ、あの・・・ユート様・・・」
「・・・どうした?」
「・・・辛いときは、いつでも言ってください。どこまでできるかわかりませんけど・・・私、ユート様を支えますから」
俯いていた顔をぐっと上げ、真っ直ぐな視線を向けて想いを放つヘリオン。
その眼には、悠人を本気で愛してくれているが故の・・・悠人を守りたいという気持ちが篭っていた。
悠人は、それに力なく笑って、ヘリオンの頭を優しく撫でながら応える。
「ヘリオン・・・ありがとう。それと・・・ごめんな」
悠人は・・・ヘリオンを支えてあげなきゃと思っていた。・・・確かにそれでよかった。
でも、支えられなきゃいけないのは自分も同じ。
思えば、悠人の心が悩みを抱えている時・・・傍にいてくれて、励ましてくれたのは・・・ヘリオンだった。
今日子や光陰と戦わなきゃいけない時も、悠人の世界に行った時もエターナルになる時も・・・いつも、一緒にいてくれた。
そして、これからも・・・悠人には、ヘリオンがたった一人の心の支えになっていた。

「それで・・・持っていくのはそれだけでいいのか?」
そう言って悠人はヘリオンの持っている一冊のノートに視線を送る。
「はい。ハリオンさんのレシピは私が受け継ぎます!」
レシピをきゅっと抱きしめ、悠人に笑顔を送るヘリオン。そのレシピにある料理でも作ってくれるのだろうが・・・
問題なのは、そのレシピに書かれているのはこの世界での料理であって、他の世界に行ったら意味がないということだ。
「(まあ・・・参考ぐらいにはなるよな)」
悠人がそんなことを考える一方で、ヘリオンは思っていた。
悠人の世界の料理をあっさりと作るハリオンの書いたレシピなのだから、どこに行っても通用する気がする、と。
「ユート様、たっくさんおいしいもの作ってあげますからっ♪」
「あ、ああ・・・期待してるよ」
ヘリオンの料理の腕は知っているはずなのに、どこか不安になってしまう悠人なのだった・・・


─────ぼんやりと回想しながら歩くうちに、一面に若草の生い茂る草原のど真ん中に立つ時深を視界に捉える。
『門』を開こうとしているのだろうか、すでに【時詠】を手に持って、静かに目を瞑り、瞑想するように立っている。
二人が近づくと、気配を察知するかのように開眼した。
「ここに来たということは・・・二人とも、この世界から旅立つのですね?」
エターナルになるときと同じ・・・意思を確かめるように時深は悠人とヘリオンに問いかける。
「ああ、そうだ・・・時深、発動まであとどれくらいだ?」
「あと15分程です。ですから・・・この世界の景色を目に焼き付けておきたいなら、どうぞ・・・」

時深がそう促すと、ヘリオンは無言のまま振り向いて・・・ラキオスの町の方を見やる。
訪れる静寂とともに、ヘリオンは・・・何を思っているのだろうか?
町のほうから優しく吹き付ける風に靡く黒髪のツインテールが・・・ヘリオンをより寂しそうに見せていた。
ここからではもう見えない町のほうをしっかりと見ているヘリオンの瞳には、底知れない想いが宿っている。
ハリオンや悠人と歩いたあの町には、もう戻れない。
ともに戦い、生きて・・・自分を家族として受け入れてくれた仲間たちとは、もう会えない。
みんな・・・そんなことは忘れてしまう。覚えているのは、たった”三人”だけ。
その者たちの心の中でしか、その思い出は生きることはできない。
だからこそ、ヘリオンは絶対に忘れまいと焼き付けていた。何千年、何万年・・・それこそ、永遠に生きることになっても。
「(ハリオンさん、ずっと私たちのことを覚えていてください。私もユート様も、ハリオンさんとの今までを忘れませんから・・・)」

改めて祈りをささげ終えると、くるりと時深の方を向いて旅立ちを促す。
「もういいのか?あと10分位残ってるけど・・・」
「あんまり見てると・・・また未練っぽくなっちゃいますから。ユート様、行きましょう?」
「う、ん・・・・・・そうだな」
悠人も時深の方を向いて促すと、時深はすぅっと【時詠】を掲げあげる。
いよいよ、旅立ち・・・別れの時。だが、そのとき・・・


キイイイイィィン・・・
「!!」
同時にその場の三人に響き渡る、強烈な干渉音。
それが意味するものは・・・町のほうから猛スピードで迫ってくる、覚えのある多数の神剣の気配。
「ヘリオン!これって・・・!!」
「ま、まさか・・・みんな!?」
慌てるように振り向くと、接近する神剣の気配とともに現れるたくさんの人影。
誰が見間違えるだろう・・・それは、紛れもなく共に戦ったスピリット隊のメンバーたちだった。

「ヘリオーンっ!!」
ヘリオンの目の前まで来ると、全力で走ってきたのだろうかぜいぜいと息を切らすメンバーたち。
そのうちの数人に見える、目尻を伝ったのであろう涙の痕がその急ぎぶりを象徴していた。
「はぁ、はぁっ・・・ひどいよっ!何も言わずに行っちゃうなんて・・・!」
「そ、そうだよぅ~・・・どうして、言ってくれなかったの~?」
ネリーとシアーのその言葉に、ヘリオンは何も言い返せなかった。
みんなと別れるのが辛いから、涙を見たくなかったなんて、誰が言えよう。
「ネリー、シアー・・・ヘリオンも辛いのよ?あんまり、わがまま言わないで・・・」
冷静さを欠いた、蚊の鳴くような声でなだめるセリア。
ヘリオンが旅立つつもりだと、どこかで気づいていたのだろうか・・・もう、何もわからない。

何も言えずに立ち尽くしていると、ヒミカが何か説教をするような顔でヘリオンに近づく。
そして、肩にぽん、と両手を置いて悟るように、語るように言葉を紡いだ。
「やっぱり・・・あなたはハリオンの妹なのね・・・」
「え・・・?」
その言葉に、ヘリオンは虚を突かれたような気がした。
「自分が本当にやりたいことは誰にも言わないの。それで・・・たった一人でやろうとするの。
 本当に・・・ハリオンにそっくりなのね・・・」
「ヒミカさん・・・!私は・・・!」
「そう、ヘリオンはヘリオンなの。でもね、あなたを見てると・・・ハリオンの面影がね、見えちゃうのよ・・・」
それは、ハリオンと深く付き合っていたからこそ出る言葉だった。
スピリット隊ならみんな知っている、共にお菓子屋を開こうと夢を語っていた仲。
そんな夢を持っている中で、ハリオンは・・・ヘリオンのためになら命を賭ける志を秘めていた。
小さな命を守ること・・・そんなハリオンと同じ想いを持っていたヒミカは、どこかで感づいてしまっていた・・・

「どうしても・・・行くのね?」
「・・・はい」
「そう・・・」
ヒミカはすっとヘリオンから離れる。真紅の瞳に潤う涙を必死にこらえながら、メンバーの元に戻る。
ヘリオンは・・・ひたすら自覚し続けなければいけなかった。
自分がしていることは・・・悲しみを生み出していることだって。生まれて初めて、誰かを泣かせているって・・・

「ねえ・・・本当に行っちゃうの?」
服の裾をぎりぎりと握り、ヘリオンの眼を睨みつけて語りかけるニムントール。
「・・・はい。私、もう・・・決めたんですっ! ・・・うっ、うぅ・・・」
思い切り瞑った眼から、つぅっとヘリオンの頬を伝う一筋の涙、小刻みに震える体が・・・本当は分かれたくないと語る。
「バカぁっ!!ヘリオンの・・・ばかぁあ・・・」
「・・・っ!!」
また・・・バカって言われた。でも・・・あの時とは意味が全然違う。
涙で濡れた顔を上げてニムントールを見ると、そこには怒りと悲しみに満ちた少女の姿があった。
「せっかく、私たち仲良くなれたのにっ!せっかく・・・トモダチになれるって思ったのに・・・!!」
「ニム!だめよ・・・!」
思っていた本心が口から飛び出し、いきり立つニムントールを後ろから抱きつくように制止するファーレーン。
「(友達・・・トモダチ?)」
今まで、自分たちは家族なんだって・・・ずっとそう思っていた。
初めてだった・・・友達だなんて言われたのは。ましてニムントールがそう思っていたことなど・・・夢にも思わなかった。
「ヘリオンのバカぁぁっ!もう、他の世界でもどこでも行っちゃえっ!!・・・ぅぐ、ひぐうっ、うわああぁあぁ・・・」
ファーレーンに抱かれたまま・・・本音と共に大粒の涙を流して泣くニムントールに・・・
ヘリオンは、ただ・・・罪悪感が積もっていくばかりだった。自分がしていることは本当に正しいことなのか・・・わからない。
「ニム・・・ごめんなさい・・・ニム・・・」

「・・・かなしい」
「ナナルゥお姉ちゃん、どうしたの?」
少し俯き気味にそう呟くナナルゥに、オルファは涙目で疑問に思う。
すぐ傍でニムントールが泣いているにも拘らず、相変わらずのポーカーフェイスのナナルゥはすぐに答えた。
「胸が・・・苦しい気がするのです。カオリ様と別れたときのような・・・あの時と同じ苦しさ。これが・・・悲しい?」
「そうだよ・・・だって、オルファも悲しいもん・・・こんなにいい人たちと、別れなきゃいけないなんて・・・」
・・・佳織と別れたときのように、微妙な表情のまま涙を流すナナルゥ。
オルファからの貰い泣きではない・・・ナナルゥの本心の涙が、ぽたぽたと顎から滴り落ちていた・・・

「ユウト殿、ヘリオン殿・・・本当に行ってしまわれるのですか?」
一層沈んだ顔のウルカが、引き止めるように悠人たちに問いかける。
自らの過去の神剣【拘束】に苦しめられていたあのころよりも、辛くて仕方が無い心を持ちながら・・・
「ああ、俺たちはこの世界から旅立つんだ・・・」
悠人がそう言うと、ウルカはその眼を殺気立たせて悠人に再び問いかける。
「本当に、旅立つのですね?その決心を変えるつもりは毛頭無いと?」
「・・・ああ!」
ぴりぴりと伝わってくる殺気にやや怖じながらも、悠人は自分の意思をそのままぶつける。
・・・すると、ウルカは瞑想するように眼を閉じ、ふっと殺気を抑えた。
「ユウト殿の意思は本物・・・決して揺らぐことのない山の如き決意・・・」
「・・・ウルカ?」
「ユウト殿・・・人は、大事な人のためにこそ本当の力を出せるということを、努々忘れないようにしてください」
大事な人のためにその剣を振るう・・・それは、ヘリオンの戦いの理由そのもの。
その言葉に、涙で顔がぐしゃぐしゃになったヘリオンははっとしたように顔を上げる。
「え?・・・どうして、ウルカさんがそれを・・・」
「以前、誰かにそう言われたような・・・そんな気がしました故。確かではないのですが・・・真理なのです。
 ですから、ユウト殿・・・その剣はヘリオン殿のために振るってください」
「・・・ああ、ありがとうウルカ・・・」

悠人はにっと笑ってそう答えると、ウルカも詰まり物が取れたように柔らかい表情のまますっと下がっていった。
「(ウルカさん・・・あのときのこと、覚えてたんでしょうか・・・?)」
ヘリオンの脳裏に浮かぶ、砂漠での一対一の戦い。
あの時・・・ヘリオンは自分や悠人が神剣という力を持って戦いに身を投じている理由を、素直にぶつけた。
大事な人を守るため・・・ウルカは、そのヘリオンの言葉にどれだけの感銘を受けたのだろう?
記憶の消えた今となっては・・・そのウルカの想いは泡沫の如く。誰にもわからないものになってしまったのだ・・・

「エスペリア・・・引き止めないのか?」
大急ぎでここに来たはいいものの、何もしようとしないエスペリアにアセリアは疑問符を浮かべる。
「どうして・・・止めなきゃいけないんですか?彼らのすることは彼らの意思。私たちが邪魔していいものではありません・・・」
「じゃあ、何で来たんだ?私は・・・まだいなくなってほしくないから止めに来た。エスペリアは何で来たんだ?」
「それは・・・」
何も答えられないエスペリアに呆れたのか、アセリアは音も立てずにすっと悠人に歩み寄る。
・・・それこそ、いつだったかのように、眼と鼻の先まで近づいて。
「う、な、なんだ?アセリア・・・?」
「本当に行っちゃうのか?・・・せめて、何かしてあげたらよかった・・・」
純粋さにかけては右に出るものはいないアセリアは、露骨に残念そうな表情を近づけてくる。
・・・だが、何かしてあげたいと言われた悠人はアセリアには感謝しなければと思っていた。
アセリアが(本当は)佳織のためにと作ってくれた【求め】のペンダント・・・
それは、悠人とヘリオンの記憶を取り戻すきっかけになったと共に、ヘリオンがエターナルになるために使った鍵。
これがなくては、今とは全然違う未来・・・最悪、悠人は現実世界に帰り、この世界は消滅していただろう。
「いや・・・俺、アセリアには感謝してるよ。・・・まあ、色々と」
「? 私、何かしたか・・・?全然、覚えてない・・・」
「あ、うん・・・気にしないでくれ。とにかく、俺たちはもう・・・行かなくちゃ」
悠人はちらりと腕時計を見る。・・・あと三分もなかった。
「そうか、じゃあもう止めない。さよならだ、ユウト、ヘリオン・・・」

アセリアはあっさりと別れの挨拶を言い終えると、くるりと踵を返してエスペリアの元へと戻っていく。
「エスペリア・・・何か言いたいなら、言ったほうがいい。ハリオンの時みたいに、後悔してからじゃ遅いから・・・」
エスペリアの耳元でぼそりとそう呟くアセリア。
サーギオスとの決戦の後・・・悠人とヘリオンが眠っている五日間の間に色々なことがあった。
誰もが、ハリオンが戦死したことによるショックを受けていた。
そのせいか、誰もが『あの時ハリオンと一緒に戦っていれば』・・・と、後悔に駆られて結果論を呟いていた。
親友だったヒミカや、王座の間の直前で悠人たちから離れたアセリアとエスペリアは特にそれが酷かったのだ。
・・・何かがあってからでは何もかも遅いのだ。できることは・・・できるうちにやっておかなくてはならない。
アセリアは、悠人とヘリオンが旅立ってから後悔するエスペリアを見たくなどなかった。
「そうですね・・・じゃあ、ちょっと行ってきます」
アセリアはにっと笑ってそんなエスペリアを送り出す。

「あの・・・ユウト様」
「なんだい、エスペリア?」
実は何も言うことを考えていなかったエスペリアは、なんだと言われて戸惑ってしまう。
「ええっと、その・・・」
エプロンの端を握り、何かを我慢するようにもじもじしながら、ぽっと思いついた言葉を紡ぐ。
「・・・いつまでも御健勝でいてください。あなたたちが死んでしまうことは、誰も望んではいませんから・・・」
「あ、ああ・・・ありがとう」
エスペリアらしいような、らしくないような・・・そんな激励を受けて、悠人はそれに微笑みで応える。
エスペリアは、ほんのりと頬を赤らめると、そそくさと逃げるようにアセリアの元に戻っていった。
「・・・?どうしたんだ?エスペリアは・・・」
悠人がそんなことを考えていると・・・

ドガッッ!

「いっでええぇっ!!」
すぐ横にいたヘリオンと、いつの間にか反対側に立っていた時深から、同時に脇腹に拳を叩き込まれた。
二人とも目を細めて、ヘリオンは真っ赤な頬をぷぅっと膨らませて実に不機嫌そうな顔で悠人を睨みつけている。
明らかに神剣の力を使って拳を撃ち込まれたせいか、何か怒りのようなものを感じていた。

「うぅ・・・俺が何をしたんだぁ~・・・」
「い~え、な~んにもしてませんよ!私がヤキモチ焼いてるなんて、そんなことぜんっぜんないんですから!」
「そうそう、それよりヘリオン・・・考えてることが口から出てます」
「はぁうっ!!」
涙を流して、悲しみに駆られて真っ赤な顔だったヘリオンは、そのままいつもの調子に戻ってしまう。
さっきまで積みあがっていた罪悪感やら何やらはどこへやら。
そこにあるのは、エターナルになる前も後も関係ない、いつもの悠人とヘリオンの姿なのだった。

「ぷっ、くくく・・・」
この状況がツボに来たのか、堪えきれなくなって思わず吹き出してしまうセリア。
それが震源地となってどんどん笑いが拡大していってしまう。
「あ・・・あはっ、あははははははっ!」
真摯な気持ちに浸っていたヒミカや、ただひたすらに涙を流していたニムントールですら笑い出す始末。
「なんか・・・前にもこんなことがあったような・・・」
そう、前にも・・・最後の決戦の前にもこんなことがあった。
悠人とヘリオンという二人を見て、幸せそうに笑う仲間たち・・・それは、彼らに対する最大の祝福なのかもしれない。
「ユート様、いいんじゃないですか?・・・泣きながら別れるよりは、笑って別れたほうがいいです」
ヘリオンは頬を濡らしていた涙をさっと拭って、悠人に向かってはにかんだ笑顔を浮かべる。
「そうだな・・・笑顔で、さよならを言おう。嫌な気持ちが、残らないように・・・」

悠人はそう言うと、時深に視線で『門』を開くように促す。
それを受けて、時深は再び【時詠】を高く掲げ上げると、周りのマナを立ち上らせて『門』を開きだした。
「おい、ちょっと待ってくれ!」
そう言ってメンバーたちの後ろから飛び出してくる今日子と光陰。
「? どうしたんだ?」
「いやね、最後に聞いておこうと思って・・・あんたの『ユウト』ってさ、日本人の名前でしょ?だから・・・教えて?本当の名前」
「そうそう。なんかさ、初めて会った気がしなかったんだよな。もしかしたら知り合いかと思って・・・な」
その言葉に、ぴくりと反応する悠人。
本来の名前を言うべきか・・・正直に言っていいものかどうか悩んでしまう。
だが、迷ってなどいられない。だから・・・悠人は、今までで一番輝いていた名前を・・・高らかに言った

「俺の名前は・・・悠人。高嶺 悠人だ!」

「・・・やっぱりね!」
「そうだろうと思ったぜ!」
光の向こうで満足そうな表情をする今日子と光陰に、悠人もすっきりしたような笑顔を送る。
どんどん開いていく『門』。もう、本当に別れるときなのだ。

「ヘリオン!ネリーのこと忘れないでね!」
「シアーのこともだよ~!」
「・・・ユウト様、ヘリオンのことを大事にしてあげなさい。でないと、許さないわよ!」
「同じ黒き妖精として・・・私のことも覚えていてください。あなたの記憶、いつまでも・・・」
「ヘリオン・・・ユウト様・・・さようなら・・・」
「ヘリオン、ハリオンの遺志を、いつまでもその心に留めておいて・・・それが、永遠<とわ>に続くように・・・」
「ぅくっ・・・バイバイ!ヘリオン・・・!!」
ネリーとシアーは呼びかけるように、ファーレーンとヒミカは祈るように、セリアは本当に世界を超えて来そうな勢いで・・・
ナナルゥは相変わらずのポーカーフェイスぶりで、・・・ニムントールは迷いを断つように、ヘリオンに叫びかける。

ますます立ち上る勢いを増す周りのマナ。まもなく消えてしまう英雄たち。
その中の黒髪のツインテールの少女、ヘリオンは・・・これ以上無い笑顔で、大きく手を振りながら・・・

「みなさんっ!ありがとう・・・ござ・・・ました・・・!さよ・・・なら・・・!さようならぁあ・・・!!」

弾けるように、ファンタズマゴリアから旅立った三人のエターナル。
フラッシュのように激しく輝く白きマナが・・・その場には暫くの間、留まっていた。まるで、何かを消すかのように・・・