胡蝶

Yearning Ⅱ-2

「全く、こんな事になるなら演劇をやろうなんて言わなきゃ良かった……」
「またそんな事言って素直じゃないないんだから。もう少し嬉しそうな顔したら?」
「貴女ね。……はぁ。わたしはただ、想い出ってもっと大切なものなんじゃないかと思っただけで」
「はいはい、判ってるって。それで自主的に創ろうとしたんでしょ? 偉い偉い。あ、それ美味しそうね」
「軽く流さないでよ……はい」
少し暗くなった帰り道。コンビニで買ったワッフルを差し出しながら、軽く溜息をついてしまう。
学生の身でありながら作家デビューもしてしまっている我が親友には、理屈や口論ではとても敵わない。
黙っていれば生真面目なインテリの雰囲気があるので他のクラスの男子とかが時々サインを貰いに来たりする。
まぁ、その度にわたしが憎まれ役になって露払いするはめになる訳だけど。本人、そういうの嫌ってるし。
「それはそうと、高嶺くん、大丈夫かな? 結構時間とかとられると思うし」
「あ、うん。彼、忙しいから。勝手に決めて、悪い事したな……」

高嶺くんの家は、二人暮し。妹さんだけで、ご両親がいない。
以前職員室で偶然聞いたのだが、彼は生計の為に、学校に認可を貰った上で、バイトをしている。
遺産もあるし、そうしなくても暮らせるのだが、彼なりの何か考えがあるらしい。
授業中に、よく眠っている姿を見ることがある。わたしの席は彼のすぐ斜め後ろなので大きな背中しか見えないが、
一度勇気を出して起こそうとしたら、何をしても反応して貰えなかった。先生の目を盗んでの悪戦苦闘が思い出される。

「うーんどうだろう。忙しいからって、他の何かを犠牲にするのは、私は違うと思うな」
「うん。だから参加してくれればとは思っていたけど。でもいざ決まってみると、考えちゃうよね」
そんな大物感(?)のせいか、彼は同年代の男の子とはちょっと違った大人っぽい雰囲気がある。
しかし先生と対等に渡り合うような場面を見かけると、周囲を拒絶しているような、そんな危うさも同時に感じるのだ。
「それに、演劇とか、あまり興味なさそうだったし……」
クラスでも、孤立とまでは言わないけど、何となく敬遠されてしまっているような節もある。
幼馴染の今日子や碧くん、それに妹さんやその友達がたまに遊びに来た時は明るい表情になるけど。

「まぁ、その辺は大丈夫でしょ。一度受けた事を翻すような性格にも見えないし」
学年が改まって、初めて新しいクラスに来た時、最初に目に止まった。
初日から、窓際の席でつまらなそうに窓の外をぼーっと眺めている横顔。針金のようにぼさぼさなままの髪。
華やかな自己紹介が繰り広げられている教室で、周囲に人を寄せ付けない雰囲気に、怖そうな男の子だな、と最初は思った。
時折軽くあくびを噛み殺して、目に浮かんだ涙を擦っている。何となく目が離せないまま、自分の席に座った。
途端、そのすぐ横を、活発そうな女の子(今日子だ)が駆け抜けていく。
そして彼女は、あっという間も無く彼の背中を鞄で思いっきり叩いていた。
≪おっはよぅ悠! 相変わらず眠そうねぇ。新学期なんだから、ちょっとはシャッキリしなさいよ!≫
≪痛っ! 新学期は関係ないだろ。まったく、朝っぱらからなんでそんなにテンション高いんだお前は!≫
≪気をつけろよ悠人、今日子は常に虎視眈々とお前の背中を狙い続けてるんだからな≫
≪そうそう……ってアタシは暗殺者かっつーの!≫
≪のわっ! ごめ、ほんと、勘弁、しっ!≫
その時の彼の横顔を、わたしは今でも思い出せる。ふと見せた、一瞬の和やかな顔。何か、惹きつけるものがあった。