ガルガリン、ヒエレン・シレタを踏破した頃、ユート様が率いる本隊がマロリガンを陥した旨が伝えられた。
マナ暴走が起こる寸前だったという。もしそれが現実に起きていたらと、身震いがする。
まだ占領間もない二つの街は、入り込んだ異国の兵隊達による秩序上の不安が残っているので、
討議した結果、とりあえずヒミカと年少組を残し、私とハリオンだけでマロリガンに向かった。
途中、崩れ落ちた城壁を目標にして歩いていたが、禿げ上がった森や大きく穿たれた穴が所々にあり、その度に迂回する。
戦いの傷跡はその爪跡を未だ残し、そしてスピリットの骸だけが既に還り、どこにもない。
「酷い、ですねぇ~」
まるで考えを読んだようなハリオンの呟きに、ただ黙って頷いていた。
「あ、セリア」
城下に入ってすぐ、アセリアの白い戦闘服を見つけた。
少し煤塗れだが元気そうで、腰に収めた『存在』を揺らしながらとことこと駆け寄ってくる。
「お疲れ、アセリア。みんなは無事?」
「ん。あ、でも」
「え、何? 誰か、怪我をしたの?」
「ん……」
何気無く聞いた質問に、珍しく口を濁らすアセリア。振り返ると、ハリオンも困ったような顔で首を傾げている。
その時私は、深く考えてもいなかった。
知らない所で起こった、悲劇に。それは皮肉にも、一番その事を恐れていたであろう彼に降りかかっていたのだった。
かぽーん…………
「……ふぅっ」
肩まで浸かり、四肢を大きく伸ばす。体中に染み渡る、程よい熱さ。
木の薫りが気持ちを落ち着かせてくれた。スピリットは虐げられているが、居住空間だけは何故か充実している。
何でも建築・設計に携わった人間が凝り性だったらしいが、いづれにせよ寛げるのはありがたいことだ。
お湯を掬い、ぱしゃっと顔に当てる。湯気が流れる方向に、窓から見える夕日。空が緋色に明るい。
水面に照らし出された自分の顔が、薄っすらと赤く染まっている。纏めた後ろ髪が一房ぱらりと落ちてきたので、掻き上げた。
水蒸気で充満した空間に目をやりながら、ぼんやりと考える。
マロリガンからラキオスへと帰ってきた私は、そこでようやくユート様を見つけた。
その後姿の寂しさについ声をかけそびれ、黙ってその場を立ち去ったのが今朝の事。
「親友……よりにもよって……」
運命というものが本当にあるのなら、これほど皮肉なものもないだろう。彼は、親友と戦っていた。
そして――――殺してしまっていたのだ。
この世界に転送されてきたエトランジェがお互い知り合い同士だと聞きかじってはいたけど。
アセリアの説明を聞いた時、胸が潰されるような痛みを覚えた。最初は同情と思って我ながら頭を振った。
第一私は他のエトランジェを良く知らない。それなのに、同情などおこがましい、と。
なのに、次第に時が経つにつれ、変な違和感が頭をもたげる。気づいたのは、あの背中を見てから。
喧騒を離れ、一人ぽつんと佇むあの背中に、何故か置いていかれるような錯覚を覚えてしまった。
本当はあの時、声をかけるべきだったのだ。こうして悩むぐらいなら。
心の痛みもあるが、戦いは終わっていないのだ。このままでは、ユート様は“潰れて”しまう――――
「あ、セリアも入ってたんだ」
ぼーっと曇った天井を眺めていると、ニムントールの声が聞こえた。ててて……と駆けて来る足音が近づく。
「こらニム、走ったらあぶないですよ」
続いて、ファーレーンの声も聞こえる。相変わらず仲が良いな、と胡乱な頭の隅で考えた。
「大丈夫だよお姉ちゃん。……ふう、いいお湯」
「もう……わたしもお邪魔しますね」
そう言えばニムントールは、いつもファーレーンを「お姉ちゃん」と呼んでいる。
姉妹の感覚なのだろうか。今度、どういうものなのか聞いてみよう。
ううん、それより今は、ユート様のこと。姉といえば、エスペリアは何をしているのだろう。
四六時中身の回りを世話している筈なのだから、気づかない訳はないのだが。
「…………どうしたの、セリア。何だかぼーっとしてるよ」
「きっと考え事でしょう。悩みがあるのかもしれませんし、ほら、そっとしておいてあげて」
「うーん……悩んでいるセリアなんてらしくないと思うけど」
「なんですって?」
「わっ!」
「きゃっ!」
ずざざー、と激しく波飛沫を上げながら後退する二人。……失礼ね。
「き、聞いてたの?」
「こんな至近距離で、聞いてたもなにも無いでしょう?」
「う……」
まだ引き攣っているニムントールをじろり、と睨む。すると彼女は慌ててファーレーンの背後に回った。
珍しいらしいが、私に対してだけは何故かいつもニムントールは強気な態度を取れないらしい。
すぐに困ったような顔をしたファーレーンのフォローが入る。ロシアンブルーの瞳が優しく微笑んでいた。
「ごめんなさい。でも本当に、貴女が悩むなんて珍しいですよ。良かったら、話してもらえませんか?」
「う……」
思わず、ニムントールそっくりの唸り声を上げてしまった。
そんな事を言われても、言葉に詰まる。まさかユート様の事を考えていたなどとは、死んでも話せない。
誤魔化すように探った後ろ髪がしっとりと濡れていて重たい。腕に浮かぶ水滴が筋を作って流れ落ちた。
「? セリア、どうかしました?」
「お姉ちゃんお姉ちゃん。セリア、固まってる」
「え? あ、あら? セリア?」
「~~~~~~わ、私、先に上がるから!」
ばしゃっ。乱暴な音を立てて、私は立ち上がっていた。
逃げるように、脱衣所に向かう。足元が覚束無い。ふわふわと、まるで空中を漂っているようだ。
扉を開くとき、手の平が赤く火照っていることに気づいた。
「~~これは湯当りよ。湯当りに間違いないわ。うん、そう」
呪文のように呟きながら、下着を探す。足を通しながら、ふと思った。
そう、二人の言うとおり。これは私らしくない。悩むくらいなら、行動に移そう。
エスペリアが動かないのなら、私が動く。今こそ励ましが必要な時の筈だから。
何より、隊長があのままだと士気に関わる――――決心し、ゆっくりと纏めた髪を下ろす。
軽く振ると、洗い立ての良い香りがした。後ろ手にもう一度根元を纏め上げ、口に咥えたままの紐で縛り直す。
「――――うん!」
軽く気合を入れなおし、『熱病』を手に取った。