ばふっ。
お風呂から戻り、勢い良くベットにうつ伏すと、また先程の光景が思い出されて困った。自然と顔がにやけてしまう。
≪あ、ああいいけど……迷惑じゃないか?≫
≪そ、そんな事ないよ、全然! うん、わたしも最近用事があって遅くなるし、丁度いいかな、って!≫
≪うーん……≫
顎に手を当て、考え込む高嶺くん。
わたしはといえば、両手に鞄を抱え込んだまま、殆ど乗り出すような勢いで上目遣いになり、その様子を窺っていた。
大げさに言えば、まるで最後の審判を受ける人類みたいな心境で。その時間が、凄く長く感じて。そして。
≪うん、それじゃ、頼もうかな。その代わり、飯くらい奢らせてくれよ≫
≪う、うんっ!≫
そんな、いいのに。そう思ったはずなのに、すぐさま全く真逆の返事をして、ぶんぶんと頷いていた。
≪そ、それじゃ、明日から! 都合、いいかな!?≫
≪え、明日? それじゃ急すぎ……≫
≪高嶺くんおやすみ! 今日は、ありがとう!≫
それからはしゃぎ過ぎたことに気づき、慌ててもう一度ぺこり、と大きくお辞儀をして、慌てて家に駆け込んだ。
殆ど、無我夢中。扉を閉じ、背中を預けて呼吸を落ち着かせる。玄関に飾られた花を見ながら、やり取りを反芻。
まだ心臓がばくばくいって、地面がぐらぐらと揺れているようだった。
枕元にある、時計を見る。まだ、今日。時計が進むのが、とても遅い。遠足の前の日みたいだ。
仰向けになり、額に手を当てて天井を見る。散らばる髪を軽く指に絡めながら、そっと目を閉じて独り言。
「我ながら、頑張ったよね?」
扉が閉じる時、一瞬だけ彼の呟きが聞こえた。
≪まぁいっか。はは、変なやつ≫
やった。彼を、笑わせた。変なとか言われたけど、そんなの気にしない。これで“他人”よりは一歩、前進出来ただろうか。
思わず小さくガッツポーズまでしてしまう。変に興奮して、中々寝付けない。
そういえば、玄関でも飛び跳ねるようにしてたら見つかったんだっけ。
≪なに、してる?≫
うわの空で浸っているわたしの前に、いつの間にか迎えに来ていた妹が、とても冷ややかな視線を送っていた。
普段からポーカーフェイスの耐えない彼女だが、この時は特に、まるで不法侵入者か変質者を見るような。
≪……こほん≫
≪……へんなの。ご飯、出来てる≫
そして相変わらずのマイペース。言いたい事だけを伝え、すたすたと去っていってしまう我が妹。
失礼ね。どこもおかしくなってなんか、ないわよ。そう呟いても、まるで説得力がないわたしだった。
≪何か良い事でも、あったのですか?≫
食事中も、うわの空でいた為か、姉さんに不思議そうな顔をされた気がする。
いつも通りとはいえ、変に馬鹿丁寧な口調で首を傾げられ、慌てて首をぶんぶんと振った憶えも。
≪変な娘ですね。ご飯をうっとりと眺めたりして≫
段々思い出してきた。本当に失礼な家族達だ。心の中で悪態をついてみるが、途中で苦笑してしまう。
本当は、感謝している。血が繋がらないわたしを、ここまで受け入れてくれる空間は他にはないだろう。
何より大事な、かけがえの無いわたしの“家族”。――――そういえば、高嶺くんの家庭も同じような環境だ。
御両親にご不幸があって、今は妹さんとの二人暮し。高嶺くんも、妹さんを同じように考えているに違いない。
「今度、聞いてみようかな……」
カチコチと、時計の秒針が進む音。
夜の冷たい空気をさらさらに滑るそれを子守唄のように聞きながら、
わたしの意識はようやくまどろみの温かい雲の中へと包み込まれていった。