彼は、案外近くにいた。第二詰所の脇に繁る、林のほとり。
そこに、いつも私達が使っている休憩所のようなものが設置されている。訓練の後などに、よく使われている空き地。
古木で作られた椅子に座っている後姿を見かけ、近づく。その背中には、覇気が全く感じられない。
まるで叱られた後の子供のような。少し足を止め、暫く眺めていると、何故か無性に腹が立ってきた。
「……ふぅっ」
静かに、悟られないよう息を吐く。上手くいくかどうかは判らない。元々こういう事は得意ではないのだ。
失敗しても悪く思わないで、と心の中だけでエスペリアには一応断っておいた。
握っていた剣を、大きく振りかざすと同時に激しく音を立てて斬りかかる。
「はぁぁっっ!!」
「……なにっ!?」
計算どおり、驚いた表情で咄嗟に身を避わすユート様。
わざわざその為に音を立てたのだから、避けてくれなければ困るけど。
だが、それだけでは無い。今度は水平に分厚い刀身を振り切る。動きは予測していたので、思ったより滑らかに流れた。
彼は、反射だけで『求め』を抜く。少し軌道を修正し、それにあわせるよう『熱病』をぶつけた。鈍く響き渡る剣戟。
「…………なんで、こんなことを?」
向かい合ったすぐ側で、低く尋ねる声は戸惑いを隠しきれない。
僅かだが、その瞳に生気が漲ってきたのを感じ、私は剣を離してすっと退った。
「…………」
そしてもう一度、『熱病』を構える。気迫が伝わるよう、真剣に見つめて。
「ハッ、ヤァッ、タァァァァァッ!!」
「くっ……うわっ!」
今度は、手加減なしの攻撃。寸分も違い無く急所を狙った連撃を、ユート様はかろうじて避ける。
内心、舌を巻いた。初めて会った当初の、あの稚拙な動きは影を潜め、今や立派な“型”になっている。
――――だが、ここで甘やかすわけにはいかない。
「その程度ですか、ユート様!」
「なんの意味があって、こんな……ぐぅっ!?」
剣の軌跡に気を取られている視線が見え見えだ。隙をみて蹴り上げると、あっけなく入った。
そのまま吹き飛ばされ、大の字に倒れたまま動かない。諦めたような仕草に、苛立ちが更に募った。
「意味は、自分で考えなさいっ! ハイロゥッ!!」
光輪を開放し、ウイングハイロゥを展開する。小さく屈み、一気に加速。最後の一撃。これで『求め』を弾く!
(――――なっ!)
すると彼は、予想外の行動に出た。自ら『求め』を下げ、そして俯いてしまったのだ。
こちらを、見てもくれない。まるで死を受け入れるのを待つ、バルガー・ロアーの住人のように。
「いぃっ、やぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
ぎりっ、と唇が切れた。悔しさと憤りがないまぜになって、心の中で織り重なる。
私は叫び、そして剣を叩き付けた――――彼のすぐ脇の地面に。
ズゥゥゥン――――
「ハァ、ハァ、ハァ…………」
「どうして……?」
擦れ違う直前にまで迫った顔。その口が、呆れた疑問を呟く。それが私の逆鱗に、どれだけ触れるかとは考え無しに。
「………………ッ!」
カラン! 放り投げた『熱病』が乾いた音を立てたと同時に、私は両手で彼の胸倉を強く掴み上げていた。
「どうして、ですって?」
「……ぐっ!」
無抵抗な人間を締め上げるのは容易い。首をぎりぎりと絞ったまま、雨避け用の小屋の壁へと激しく押しつける。
くぐもった声を上げながら、それでも抵抗は無かった。両手をだらんと下げたまま、ただ頭を振っている。
「どうしてかなんて……私が聞きたいです! なぜ、剣を下ろしたんですかっ!!」
口惜しさに、言葉が乱雑になってくる。自分を制御するのが難しかった。
「あのまま……死ぬつもりだったのですか!」
「見限られても、仕方ないって思った。それに、セリアが怒るなら、よっぽどだと思ったし……」
「……そんな程度の理由で!?」
そんな事で。私がいつ、見限ったというのだろうか。怒られるようなことをしたという自覚があるのなら。
彼の瞳に映る自分の瞳が、険しく鋭くなっていくのが判る。覗き込んだ私を避けるように、彼は眼を逸らした。
「あと、もう……戦うのも……いやだ」
ぽつり、と呟いた一言に、ああ、やっぱり、と天を仰ぎたくなるほどの失望を覚える。足元がぐらついた。
揺れるような地面にぽっかりと暗い穴が開いたように感じられる。しがみつかないと、そこで終わってしまう。
視界の隅に、『求め』が薄く輝き始めるのが見えた。貪欲な意志がひたひたと迫るのを感じる。
「そんな表情はやめなさい!」
だから、必死になって叱咤した。これ以上悲しみに目を向けていては、神剣の支配に引きずり込まれてしまう。
自分は、ユート様ではないから、ユート様の悲しみはどうしたって本当には判らない。だから、出来るだけのことを。
「友達……殺してまで……戦うなんて……親友……だったんだぜ……ッ!」
彼の瞳は、既に絶望で埋まってしまっている。うろんな視線に、私は映っていない。
どこか遠くへ消えてしまいそうに、ただうわ言のように痛みを訴えてくる、儚げな気配に呼びかけ続ける。
「だからといって、あなた自身が死んでそれで償うと言われるのですか?!」
「それで……償われるなら、それでいいよ……」
「ッ!! そんなの、卑怯です! それはただの責任放棄ではないですか!」
まだ、対話は成立している。私は内心ほっとしながら、ぎゅっと唇を噛み締め、決心した。
一時、自分が悪人になってもいい。どんな酷い罵声でも、それで彼が立ち直ってくれるなら。
「ユート様の戦いも、私達の戦いも、まだ終わってなんかいないんですよ!?」
まるで言質を取った確約をつきつけるような物言い。恨むなら、恨んでくれて構わない。
引き合いに出せるものなら何だって利用して、この落ち込んだ心を引っ張り上げてみせる。
「キョウコ様もコウイン様も、そのような態度なんて望んでないと思います!!」
勝手な思い込み。一度もまともに会話を交わした事もない私が、二人を知っているわけがない。なんて、欺瞞。それでも。
「ユート様はまだ、剣を握らなければいけないんです。どんなに辛くても……戦いが終わるまでは!」
ただ、視線だけは逸らさないよう。彼の胸元を引っ張り、頭一つ高い身長を爪先で背伸びをするように覗き込む。
するとその表情がだんだんと正気を取り戻し、やがて彼は聞こえるか聞こえないかの小さな呟きを示してくれた。
「―――― そう、だよな」
「………………」
何が伝わったのか、判らない。ただ彼は、黙って微かに頷き、そして地面を見続けている。
それを確認して両手を緩め、身を離すと、いつの間にか『求め』の輝きが失われていた。
「ごめん。悪かった。戦うよ……いや、戦うしか、ない」
「……でも、死んでしまうわ。そんな状態で戦ったら」
覚悟を決めた様子でもう一度頷く。しかしまだそこに垣間見える、強さと弱さが同居した危うさ。
神剣の抵抗はなくなったが、どことなく捨て鉢な口調に脆さを感じて、自分でも意外なほど不安げな口調になった。
「いいさ。俺の命に替えても、佳織とみんなは……」
「やめてっっ!!」
悲鳴のような叫びが勝手に出た。空に反響して帰ってきたそれが、胸に鋭く突き刺さる。
「やめて……命に替えてだなんて、言わないで」
脳裏に、リアの後姿が浮かぶ。最後に笑った彼女の表情も、今のユート様のそれのようなものだったのだろうか。
抉られたような心がじんじんと鼓動を奏でる。喉から搾り出すような掠れた声は、どこから出たのか判らなかった。
「ユート様は、知っているんでしょう……? 家族を失うのが、どれくらい辛くて怖いのか……」
込み上げてくる憤慨と涙をぐっと抑え、懸命に見上げる。
「それを、カオリ様や私達に味あわせるつもりなの?」
「…………!」
見上げた顔が、驚きに満ちていた。咄嗟に声が出ないのか、口を軽く開いたままで。
少し待ち、その沈黙を肯定と受け取り、少し落ち着いてきた私は言葉を選びつつ続けた。
「仲間が助かるように。……私は、そのために全力を尽くします」
「ああ……」
そうしてようやく返ってきた返事。それはまだ物足りない、縋るには頼りないものだったけれど。
「突然こんなことをして、すみませんでした」
「いや……俺の方こそ、悪かった。ごめん」
何かを見つけたのは、お互い様だったのだろう。私達は交互に、頭をぺこり、と下げていた。
「…………」
もう一度瞳の色を確かめ、それから『熱病』を拾う。無言で背を向け、一瞬躊躇して、思いきって告げた。
「私は自分を信じます……だから、私が信じると決めたユート様も、信じます」
これが、どの程度彼を“繋ぎとめる”拠り所になれるのか。そんな事は判らないけど。
「サーギオスとの決戦までに、戦えるユート様になっていてください」
それが今、自分に出来る最大限の意思表示だったから。