胡蝶

Ⅳ-2

いよいよ神聖サーギオス帝国との開戦が迫り、慌しい毎日を送っていた私に、一通の手紙が届いた。

「…………手紙? 私に? 誰から?」
「さぁ~。私はただ、これをセリアさんに、と頼まれただけですから~」
「ふーん……」
にこにこと相変わらず読めないハリオンの表情を怪訝に伺い、渡された封筒に視線を落とす。
スピリットである私に、手紙の主の心当たりなど当然ある筈もない。首を捻りながら裏返してみても、宛名も無かった。
「待って、頼まれたって言ったわよね。一体誰がこれを持って来たの?」
「はい~。実は先程帰っていらしたユート様から預かりまして~」
「ユート様……? 用事だったら直接来ればいいのに、変ね」
まだ治安の不安定な占領下の国を、戦争前に視察に出かけていた筈。
そうか、今日帰って来たのか、と思いつつ、机の引き出しからペーパーナイフを取り出す。
銀色に光るそれは、当然というか、アセリア製。まさか使う機会があるとは思わなかったが。
びりびりと小気味良い音で開かれる封。中から出てきた小さな紙の、最初の一文を読んだところで――――
「―――――あ」
小さく、驚きの声を上げていた。

「……………………ハリオン、知ってたわね」
「んふふ~。さあ~どうでしょう~」
私の様子を窺っていたハリオンが、満足げに惚けた笑みを浮かべるのが悔しい。
睨みつけたつもりだったが、つられたのか、頬が少し緩んでしまう。
目を閉じ、手紙を胸元にそっと当て、一度深呼吸。きっ、と睨み直してみたものの、やっぱり拗ねたような口調になった。
「――――あっちへ行ってくれる? 人の手紙を盗み見ようなんて、趣味が悪いわよ」
「そんなつもりはありませんけどぉ~。はいはい~、それではごゆっくりぃ~」
「全く、ごゆっくりも何も、ここは私の部屋よ。…………あ、ハリオン」
それでも満足したのか、子供を宥めるような仕草をしながら部屋を出て行くハリオンを、小声で呼び止める。
「ん~?」
「その……ありが、とう」
「いいえぇ~。どういたしましてぇ~。……良かったですねぇ、セリアさん~」
「~~~~うん」
「あ~、それとぉ、ユート様もぉ、良かったですねぇ~」
「うん……え? って、ハリオン?」
ぱたん。
扉が閉まる。一瞬何を言われたのか、判らなかった。しばしの沈黙。
「……ああ、なるほど」
ユート様が立ち直った事。きっと、ハリオンも何か知っているのだろう。
「あ。今はそれより……」
手渡された紙を思い出し、急かされるように椅子に腰を下ろす。広げた手紙。そこには、こう書いてあった。

『お元気ですか、セリア姉さま。
 助けて頂いたのに、満足にお礼も言えなくてごめんなさい。
 ご存知かも知れませんが、わたしはあれから皆さんのご好意で、一時ラースの施設に預けられていました。
 そこで出会った訓練士さんがとても親切な方で、わたしはそこで色々な事を学ばせて頂きました。
 戦争の事、スピリットの事、人間の社会の事……それからもっともっと、沢山の大事な事。
 それは、今までただスピリットとして剣と共に死ねと教わっていたわたしには、全てが新鮮な響きでした。
 その人は、こうも言って下さいました。人もスピリットも一緒。剣を手に取る、その意味を考えて、と。
 口癖のように諭してくれる仲間はいましたが、人としてそんな事を言って下さった方は、初めてでした。
 だから、思ったんです。わたしは、この国が好きだから、その復興の手助けをしたい、って。
 折角助かったのだから、スピリットとして出来る事で、困っている人を支える事が出来たら、って。
 そんな訳で、今は、ロンドにいます。ここはまだマナ暴走の被害が少なく、作物もある程度は育つんです。
 ただソーン・リームに近いせいか気候がやや不安定なので、みんなでマナの祝福をお祈りしたりしています。
 神剣魔法もちょっぴり上達しました。もっと上手になれば、セリア姉さまの背中をお守りできるかな……
 それから、これは蛇足なんですが、ようやく伸ばしていた後ろ髪がセリア姉様の半分位になりました。
 ……驚きました? はい、憧れだったんです、姉様の流れるような後ろ髪。自分も纏めてみたいなぁ、って。
 セリア姉様のように綺麗に育ってくれたらいいなぁ……って。でも、ちょっとですけど、手入れが大変です。
 時々訓練士さんと、街で可愛い髪留めを探したり手入れの仕方をあれこれ悩むのは楽しいのですけれど。

 このお手紙は、先日視察にいらしたユートさまに強く勧められて書いてみました。
 初めてなので、上手く伝えたい事がちゃんとお伝え出来ているかどうか不安ですが、
 (添削してやるよ、と仰ってくれたユートさまは、今椅子でお休みになられています。ふふ。)
 これだけはどうしても伝えたかったので、思い切って筆を取りました。お忙しいのにごめんなさい。
 ……セリア姉さま、わたしを生かしてくれて、本当に有難うございました。
 わたしが生きるその意味を、頂いた命を精一杯使って頑張って探そうと思います。 
 それでは、戦場で怪我などなされないよう、遠くイースペリアの地からお祈りしております。

 追伸:ユートさまって中々起きないんですね。セリア姉さまの苦労が偲ばれます。
    でも素敵な方なので、やっぱりお二人はお似合いですよね。ちょっぴり憧れます』


ぽた。
丁寧な折り目に、染みが広がっていく。まだ救援物資もままならないイースペリアの事。相当悪い紙を使ったのだろう。
手紙の隅で薄く透けてしまった机の木目の奥に、彼女の、一度も見た事の無い筈の笑顔が次々と浮かんでくる。
「馬鹿……お似合いとか、いつまで誤解してるのよ…………」
両手で覆った口元から漏れる嗚咽。堪えきれず、慌ててベッドにうつ伏せになり、顔を枕に押し付けた。
しきりに痙攣する肩。しゃくり上げる喉。切なさと喜びが、交互に繰り返し繰り返し押し寄せる。
「まいったなぁ……あんな小さな娘に……先、越されるなんてね……」
あれから、たった一年。いや、もう一年なのか。少女はしっかりと自分の足で、“戦い以外の”生きる道へと歩み始めている。
綯交ぜになったまま、混乱した想いがやけにしん、と心の中心で腰を据えた。まるで嵐にも動じない木の葉のように。
――――それは、『勇気』という名の不思議な力。少女が私の奥深くに与えてくれていた、正真正銘、癒しのマナだった。

ところで。
不意打ちをものの見事に決めてくれた当の本人は、第一詰所で呑気にエスペリアとハーブなどを楽しんでいた。
散々探し回ってようやく辿り着いた私を二人揃って不思議そうな表情のまま見つめている。
構わずずかずかと大股で歩み寄り、ティーカップを持ったままの隊長に思いっきり睨みつけてみせた。
「やってくれましたね、ユート様」
「なんですかセリア。いきなり押しかけてきて、失礼ですよ」
尋常でない私の態度に気がついたのだろう、エスペリアが腰を浮かす。それをユート様は片手を上げて制止した。
「いいんだ。どうやらその様子だと、読んだんだろ?」
「はい、充分驚かせて頂きました。なぜ直接持ってきては頂けなかったのか、不思議です」
「ああ……いや、なんていうかさ。こういうのって、照れ臭くないか?」
「それは私も同じですよね。せめて前置きくらいはあってしかるべきだと思いますが」
「うーん、人選を誤った、かな?」
「はい、誤りました。次からは、ご自分でお持ち下さい。驚かそうとされたのなら相当な悪趣味ですから」

「…………」
「…………」
「セリア? ユート様?」
エスペリアがはらはらしながら私と彼を交互に見るが、私は視線を絶対に逸らさなかった。
ユート様も、笑顔を崩さずに見つめてくる。そこで一旦切れた会話。硬く重苦しくなっていく空気。

「……ふう。判ったよ。元気だった、凄く。今はかなり成長してるし、丁度ニム位かな」
先に折れてくれたのは、ユート様。だから私も、ふっと表情を緩める。緊張を解いた途端、矢継ぎ早に訊いていた。
「ちゃんと食事は摂っていましたか? 育成は、上手くいっているのでしょうか? 仲間とは――――」
「おいおい、いっぺんに質問するなよ。そうだな、あんまり良くはないけどちゃんと三食あるようだし、それに……」
「え、え? ユート様、それは一体何のお話なのですか?」
蚊帳の外で入ってこれないエスペリアを尻目に、私は目を輝かせながらその話に聞き入っていた。

  ――――あ、あの……誤解、何故解かれなかったのですか……?

  ――――ああ、あれか。でもさ、あんなに目を輝かせて言われたら否定できないって。……もしかして、嫌だったか?

  ――――え、あ…………て、手紙! そう、返事、書かないと……失礼します!


法皇の壁を越え、リレルラエルへ。妖精部隊率いる敵は一段と強力になっていた。
何か、とり憑かれたような虚ろな目付きで襲い掛かってくる“同胞”。
トーン・シレタの森に近づくと、マナの密度が一層濃くなり、戦いは更に熾烈になっていく。

ゼィギオスの城が迫った街道沿いで不期遭遇戦が始まった時、森の中から異様な気配を感じた。
混戦の中、敵仲間が入り混じった状態で他に気づいた者はいないらしい。
「ヒミカ! 暫く頼むわよ!」
「ちょ、ちょっとセリア! どこへ?!」
答えず、森の中に飛び込んだ。湿った地面と鬱蒼と生い茂った密林で、急に暗くなる視界。
昼間なのに、見上げても太陽が確認できない。悪い足場に気をつけながら、『熱病』に籠める力を強くする。
ひゅん! すぐ側に、風の切るような音。頬を掠めたそれは、かっ、と乾いた音を立てて後ろの大木に突き刺さった。
「……矢?! ハァッ!!」
息苦しい程のマナのせいか、却って気配が掴みづらい。鈍く感じる一点に向けて、駆け出す。
直後、後ろで爆発が起こり、辺りが火薬臭い匂いで満たされた。風圧で押されながら、唇を舌でなぞる。
「こんな武器で……そこっ!」
一瞬見えた影に向け、跳ねる。すると案の定、古い木製の弓を構えた、男の姿が現れた。
慌てて矢を番い直しているが、いかにもその動きは緩慢で、到底間に合う筈も無い。
人間の分際でスピリット同士の戦いに介入するとはと、笑止を通り越して不愉快だった。――――そしてそれが、油断だった。
「シャァッッッ!!!」
「――あぐっ!!」
どしん、と脇腹に鈍い衝撃。気配を感じた時には、もう遅かった。
伏せていた敵の蹴りで横殴りに弾かれ、一瞬息が詰まる。くの字に曲がった身体のまま、地面に叩きつけられた。
泥まみれになりながら回転し、体勢を整える。ハイロゥを捻りながら起き上がり、顔を上げた途端、
「グッ!!」
肩を貫いた矢の激痛に、私は思わず『熱病』を手放し、その場に腰を落としていた。

がさがさ、と草叢が揺れ、先程の男が現れる。その側に、数人のスピリットが寄り添っていた。
「クックック……こんな罠で引っかかる得物がいるとは思いもしませんでしたよ」
「あ、貴方は!」
「相変わらず愚かですねぇ、ラキオスのスピリットというものは」
口元を笑みで歪ませながら、ゆっくりと近づいてくる男。その姿に見覚えがあった。ぎり、と唇を噛み締める。
「――――ソーマ・ル・ソーマ!」

「おや、私の名前を憶えていましたか。……これは頂いておきましょう。流石に神剣には勝てませんからね……ほら」
ソーマが顎をしゃくり上げたのが合図だったのか、スピリットの一人が素早く地面に落ちたままの『熱病』を奪っていく。
しかし私は、かつてエスペリアに聞いていたこの“悪意ある人間の象徴”から目を離せなくなっていた。
「くっ……この、裏切り者! よくも私の前に!」
「ほう、エスペリアからでも聞いていましたか。しかし裏切り者とは穏かではありませんね。……ふむ」
かつかつと、仕込み杖のようなものをつきながら近づいてきたソーマは、そのまま余裕の表情で私の顎を取った。
「なっ……何をっっ?!」
ぱんっ!
蛇のような目付きにぞっとした。と同時に飛ぶ平手打ち。周囲のスピリット達が一斉に構える。
それらを片手で抑えながら、横を向いていたソーマは再びゆっくりとこちらを見た。瞳が怪しく光っている。
「クックッ……いいですよ、その反抗的な目。ですが、少々元気が良過ぎ……ますねぇ!」
「ガッ! ぐふっ!」
再び先程攻撃を受けた腹部へ、めり込む拳。人間の力とはいえ、神剣を手放した今、それは相応の激痛を与えてきた。
ちかちかと明滅する火花。口元に込み上げる熱い感覚に、一瞬意識が飛びそうになる。
「……かっ、は…………はっ……」
「ほらほらどうしました、かっ!」
「こっ、この……あぐっ!!」
呼吸を整えつつ睨みつけたと同時に、今度は刺さったままの矢を掴まれる。
そのまま捻じ込むように力を籠められ、抉った部分がごり、と嫌な音を立てた。
「はははははっ! 妖精の分際で、人に逆らうとこのような目に会うのですよ!」
「や、やめなさい! やめ………………あ――――」
ふっ、と意識が遠くなる。力が抜け、崩れ落ちた。見下ろす冷たい視線を感じながら。
「…………おや、ようやく大人しくなったようですね……連れて行きなさい」