胡蝶

Ⅴ-1

『お返事、ありがとうございました。……ふふ、そんなに否定しなくてもいいですよ。ちゃんと判ってますから。
 ロンドの復興は思ったよりも順調で、大変だけど楽しい毎日です(ちゃんと食事もとってますよ)。
 最近、以前お世話になった訓練士の方がこちらに派遣されて来て、訓練の方も再開しました。
 といっても護身用の戦い方ばかりです。戦争は、もうすぐセリア姉様が終わらせてくれるので、他は必要ないです。
 訓練士さんいわく、≪貴女達は、これからの事を考えなくちゃだめ≫だそうですが、私もそうだと思います。
 ちょっと“人”としては変わった所もあるけど、とっても良い人ですので、今度是非紹介させて下さい。
 あ、大変な時に長くなるとご迷惑かも知れませんので、この辺にしておきますね。
 もうすぐサーギオス帝国との決戦と聞いています。どうか、お体には充分お気をつけて。それでは。

 追伸:ユート様ってそんなに鈍い方なのですか?! ハイペリアの男の人ってみんなそうなのかしら…………』


「…………ふぅっ」
手紙を読み終え、そっと空を仰ぐ。ふわふわと浮かび上がるマナ蛍の中、澄んだ空気が夜空を流れる。
明滅している星々。少し冷たい夜風が火照った頬に涼しい。様々な想いが廻った。


がさっ、と背後から、乾いた草を踏みしめる音。
「あ、ここにいたのか」
「……ユート様?」
慌てて手紙を懐に隠す。
振り向くと、不思議そうな顔をして立っている背の高い影。
事情を知っているユート様に今更隠す必要もないのだが、内容が拙い。特に、追伸部分が。
「戦闘を前に、心を落ち着けようと思ったんです」
半分は本当だが、半分は嘘。先程届いたばかりの手紙を読んで、余計に気が昂ぶっていた。
それでも仮詰所内よりは、平静になれる。どうやら森にはそういう効果があるようだ。

「それで、森の中?」
「はい。ユート様は落ち着きませんか?」
「いや、そんなことない……落ち着くよ」
一度頷き、辺りを眺める横顔。それを黙って見つめる。
緑にぼんやりと輝くマナ蛍が淡く美しく漂い、いつかは還る遥かな高み、ハイペリアへと思いを馳せる。
深く根を張り、逞しさと漲る生命力で世界を支える大地と草木。自然の安らぎがここにはある。
そんな想いを、果たしてこの“人”も等しく感じてくれているかどうか。
「……ところで、私を探してらしたようですけど、どうなされたのですか?」
「ああ、お礼を言っとこうかと思ってさ」
「お礼……?」
先程からの疑問を口にしてみたが、更に思い当らない事を言われ、首を傾げる。
先日のソーマの件なら、こちらこそお礼をしなければならないのに、つい言いそびれている。
本当にわからないのでじっと黙っていると、はは、と苦笑いを返されてしまった。

「サンキュな、セリア。マロリガン攻略戦の後、励ましてくれて」
「あ……あのこと、ですか。…………大したことではありません」
――――ああ。思い出した。でも、そんな。失礼したのは自分だろう。目上の者に対して、あのように接したのだから。
「あ、いえ、本当は大それたことでした。冷静でいられず、ついあのようなことを……」
「助かったよ。あの時は、出口が見えなかったからさ」
出口? よく判らないが、比喩なのだろうか。重ねて言われてしまうお礼。落ち着かなくなってきた。
「わ、わたしは、だから……そんな……」
きゅっと下唇を噛む。目線を合わせ辛くなってきたので、つい俯いてしまう。
「わたしは、自分にできることをしただけで、立ち直ったのはユート様自身の力よ」
こんな時、何て言えばいいのだろう。素直に、受け入れればいいのだろうか。

「だから、わたしにお礼を言う必要はないわ」
「そんなことないって。ありがとう」
「~~~~~~~っっ!!!」
困った。そんな優しい目で、優しい言葉をかけないで欲しい。胸が熱くなってくる。
泳いだ視線がユート様の表情を捉える。少し可笑しそうな顔――――あ、もしかして、からかわれている?
抗議するように眉を顰めてみると、見上げた顔が今度は苦笑するような表情に変わった。少し悔しい。
「セリアは本当は優しいんだから、もう少し普段は砕けててもいいんじゃないか?」
「………………」
「つっても、いきなりそんな事言われても困るよなぁ……」

――――いちいち彼の言葉の節々に反応してしまうのは、何故なんだろう。
優しいと言われ、嬉しくなる。そして、普段はそんな風に見られていたのかと思うと恥ずかしくなる。
そして、弁解するような言葉が次々と口から飛び出してくる。……知っていてもらいたくなる。
「たまに……自分の性格について思うことはあるわ。でも、仕方ないじゃないの!」
「そ、そうなのか?」
「私が育った施設では、スピリットに感心を持つ人なんていなかったわ……」
少し引くような、彼の態度。いきなりこんな事を言われても、困るだけだろう。
自分でも判っているが、一度零れ始めると歯止めが利かない。
「人をあてにせず、自分で学べるだけ学んだ」
“人”、という部分に出来るだけ悪意を持たせないように。それだけに気をつけて。

「会話をしたり、何かを一緒にできる相手は、同時期にやってきたもう1人のスピリットだけ……」
「…………」
そこで、ふぅ、と溜息交じりに息をつく。冷静に、そう心に言い聞かせた。
どう、反応されるだろう。吐き出した独白が風に混じって消える間、じっと足元を見て待つ。
「えっと……嫌なこと思い出させたか?」
暫くして彼が口にした言葉は、私への気遣いだった。それがもう少しの勇気を与えてくれる。
我ながら、少々単純じゃないかとは思ったが。
「いいえ、問題はまだこのあとなんです!」
「は?」

「同時期にやってきたスピリットが、アセリアよ? これでどうやって、他人との付き合い方を学べばいいの?」
彼も“人”だから。人に受けた仕打ちのせいもあるとは言わない。
ただ、対人関係が苦手なだけで悪い印象を持たれているのは嫌だ。
「あ、あはは……ちょっと、難しいよな……」
「どう話しかけてもまともな反応はないし、あの頃のわたしがどれだけ心細かったことか!」
だから、アセリアには悪いけど、本音を漏らさせてもらう。
面と向かって本人に言ったことは無かったけれど、あれはあれで本当に辛かったのだ。

「……大変だったんだな、いろいろ」
「あ……でも、アセリアが嫌な娘ってわけじゃなくて……わかりにくいけど、とても優しいわ」
しみじみと言われて、ついむきになっていたことに気づく。
そう、そんな事は百も承知している。引き合いに出した事で誤解されないよう、口調を強めた。
「とにかく、そういうわけで今でも人との付き合いにはあまり自信がないんです」
「……やっぱり、克服したいの?」
「いえ、これも含めてわたしですから」
苦手な事に、劣等感は無い。こうして今立っているのは、紛れも無く私。
スピリットとして、不思議に気持ちが落ち着いてくる。しっかりと、見上げながら答えた。

「ま、とにかくお礼は言ったからな。形に残るのがいるなら、もうちょっと待ってくれ」
サーギオス首都への決戦は明日。それで、戦いは終わる。その後という意味だろう。
私は小さく頷き、そして今求める一番大切な“形”を示した。
「はい。絶対に形に残してください。これから、もう誰一人として家族が減らないように」
「ああ、そのつもりだ」
ユート様は、はっきりとそう約束してくれた。――――そう、約束してくれた。なのに。
「さぁ、戻ろうぜ。あんまり長く出かけてると、みんなを心配させるからな」
「はい」
その時、私は思いもよらず、ただ少しだけ自分のことを打ち明けられた喜びに浸っていた。
力強い、大きな背中から目が離せず、初めて芽生え、自覚し始めた不思議な感情に戸惑いながら。