胡蝶

Ⅴ-2

高々と聳え立つ城門。
朽ちた城郭の一角、そこに集結したラキオス軍の中、レスティーナ女王の姿が浮かび上がる。

≪胸を張りなさい。時代を開くのはあなた方なのですから!!≫

『オォォォォォーーー!!!』
マナ通信という画期的な発明による演説が、兵士達を高揚させる。
事前に示し合わせていた通り、前線から真っ先に飛び出していく私達スピリット隊。戦いは、始まった。


「……ハァッ!!」
黴のような匂いの空気を切り裂くように迫る穂先を紙一重で避わし、懐に飛び込む。
刹那、同じ速さで折り畳まれる槍身を肘でかち上げ、体勢を崩した相手に『熱病』を振るう。
同族を殺すのは、忍びない。だが、彼女達にはもう、救いというものが無かった。
「ゥ、アアッ」
神剣を持つ右腕から斜めに斬り割かれ、上半身と下半身を真っ二つにされた少女。
その力無い、どんよりと濁った眼差し。そこに、もう彼女の意志というものは無かった。
戦いと神剣に囚われた操り人形。霧のように消えていく存在。
「許してほしいとは言わないけど……悪くおもわないで」
これが救いというほど、傲慢じゃない。
それでも、纏わりつく金色のマナが『熱病』に吸い込まれていくのと同時に感じてしまうのは、高揚感。
襲ってくる自己嫌悪。スピリットの業とはいえ、こんなことは早く終わりにしたかった。

何度目かの待ち伏せを退け、その都度少なくなる仲間。
分散させられているだけだと判ってはいても、不安になってくる。
既に気配を把握出来ないほど離れ離れになり、遂に独りになってしまった時、通路の先に大きな扉を見つけた。
一国の首都としては不自然なほど朽ちた城内で、そこだけ殊更に豪奢な造り。深紅の絨毯まで敷かれている。
「あれね……ハイロゥ!」
悠長にノックをしたり、鍵を確かめるつもりは無い。加速する勢いに任せ、扉を『熱病』で打ち破る。
「――――あぅっ!!」
途端、物凄い風が吹き込み、反射的に顔を庇った。
爆風のようなマナが細かい砂の礫を巻き込んで暴れる。
圧力に体勢を崩しそうになり、必死で両足を踏ん張った。ようやく収まった奔流に顔を上げる。
「…………これは、何?」
壁に叩きつけられひしゃげた、恐らくは鎧だったのであろう、装飾品。
熔かされ、飴のようにぐにゃりとへし曲がった石柱。
屋内の筈なのに、大きく砕け、広がる青空が遠望出来る前方。そしてその前に立つ、――――異形の影。
“ソレ”から溢れ出る膨大なマナが、空間の密度を濃く圧縮して息苦しい。
何故今まで捕捉出来なかったのか不思議なくらいだった。

キィィィィン――――

「……う、あああっ!!!」
影の腕と一体化している赤黒い剣が、鋭く共鳴の声を上げる。と同時に激しい頭痛が襲った。
『熱病』が、警告を発している。
あれは、高位神剣。
『求め』に近いが、遥かに強い力を感じた。圧倒的な能力の差を、勝手に理解してしまう。
強張り、動かなくなる体。直接対峙している訳でもないのに震えが止まらない。

低い声が風に流れてくる。
「退くとしよう。俺にはまだ、やるべきことがある」
「賢明です。また剣を交えることになるでしょう」
不思議な衣装を纏った女性が、男性(?)と対話をしている。
こちらからも、柔らかい印象の黒髪からは一見想像出来ない秘めた力がダイレクトに伝わってきた。
緊迫した語調に、両者は敵対しているのだと判断したが……一体、何者なのだろう、この二人は。

「ふん……その時には確実に殺してやろう」
赤い燃える様なオーラフォトンが形作る禍々しい翼がまるで竜巻のように集中していく。
それを最後に、男性(?)は飛び去った。身体中から緊張が抜け、その場に座り込んでしまう。
助かった、正直それしか考えられなかった。

弛緩しきった思考でぼんやりと周囲を見渡す。
そこに、最早見慣れた埃っぽい羽織や複数の人影を今更ながらに見つけ、よろよろと立ち上がった。
「……ユートさま、御無事でしたか?」
粗っぽく砕けた床を確かめるように近づく。ふと、微妙な違和感に気づいた。――――気配が、違う。
「一体何が…………あ……」
その理由は、すぐに判った。膝を付いたままの背中。
そこから辛うじて見える、神剣の柄。その先を目で追い、言葉を失った。

「嘘……そんな……」
ユート様が持つ神剣『求め』――――その刀身が、根元から失われていた。

隣でカオリ様が顔を上げ、ふるふると首を振っている。その視線を受けても、どうすればいいのか判らない。
「秋月瞬は『世界』に精神を飲まれてしまいました。急がなければなりません」
後ろから突然、殊更平板な声がかけられ思わず身を竦める。言葉にユート様の肩がぴくり、と反応した。
振り向いた顔は、しかしこちらを見てはいない。私の後ろに話しかけている。
「時深……どうして、ここに?」
「悠人さん、説明は後です。今は、ここから脱出しないと」
トキミ、と呼ばれた女性は親しげにユート様に話しかけていた。
そしてそれに応えるように立ち上がるユート様。しかし、力を使い果たしたかのようによろけてしまう。
「ああ、そうだな……ぐぅっ!」
「――――危ないっ!」
咄嗟に、支えた。太い腕に、両手でしがみつくような格好で。
あの力強さがまるで感じられない儚げなマナ。所々深い傷を負っているようで、痛々しい。
力を失った手から取り落としそうになった『求め』の柄に手を添えてみる。やっぱりもう意志は感じられない。
「くっ……どけっ!……瞬っ! アイツは、俺が、倒――――」
「……ユート様? ユート様ッッ!!」
「お兄ちゃん?!」
「悠人さん!」
いきなりずしっと重くなる身体。ユート様は、そのまま気絶してしまった。……一度も私を、見ようともせずに。
こんな状況なのに。何故か、その事だけが頭の片隅にこびりついていた。


大陸全土を統一したラキオスに、衝撃が走った。
聖地とされ、国も無かったソーンリーム台地に突如として強力なスピリットが大量に確認されたのだ。
幸いにしてまだ目立った動きは見せてはいないが、味方ではない以上、“人”にとってそれは恐怖の対象でしかない。
事情を何も知らされていない市民達が一斉に旧サルドバルト領から逃げ始める。
更に、混乱は国民だけではなかった。行政、軍、共々が本来の機能を麻痺させてまでその収拾に当らざるを得ない。
それで国としての体制が大規模な破錠をきたさなかったのは、ひとえにレスティーナ女王の指導力があっての事だ。
しかし本来その中心にあって最も活動しなければならないここ首都のスピリット隊だけは、未だ沈黙を保っている。
現在各地の治安維持に努めているのは、殆どがクォーリン率いる元・稲妻部隊の面々だった。

古びた木目模様の扉を軽くノックする。
「失礼します」
「……ああ、セリアか」
ラキオススピリット隊隊長、ユート・タカミネ。彼がエトランジェとしての力を失った事は、外部には伝えられてはいない。

「調子はいかがですか」
「うん、悪くない。いつでも動ける位なんだけどな、エスペリアがうるさくて……あ、内緒だぞ」
「くす……ええ。ですがエスペリアも、みんなも心配しているのです。怪我を治す方が先決なのは確かですから」
「ん~ああ、それは判ってるよ。でもさ、こうしていると何だか落ち着かなくって」
「……ふぅ。しようがない人ね、満足に動けもしないくせに、子供みたい。ほら、少し身を起こして」
「お、おう……痛てて」
「それくらい我慢しなさい、ネリーじゃないんだから。すぐに済むわ」
「いやその喩えには断固として抗議するぞ……ぐっ」
「なにか言いましたか?」
眉を顰めながら、上半身だけ起き上がる彼の寝巻きを手早く脱がせ、包帯を取り替える。
神剣の加護を離れ、ただの“人”になってしまった彼に、治癒魔法はもう効かない。
私達は交代で彼の看病を行っていた。最初は恥ずかしかったが、慣れてくると簡単なものである。

「ふぅ……ところで、状況はどうだ?」
「え? ええ……特に変化は。膠着状態という所ね」
彼は、サーギオスでの記憶を一部失っていた。それも、都合の良いように。
今彼の中では、サーギオスの残存部隊が各地で反乱を起こし、私達はそれの鎮圧で忙しい事になっている。
トキミ様が何かをしたらしいが、私もその方がいいと思う。なぜならもう、彼には戦う力が無いのだから。
「はい、もういいわ。すぐ治るから、それまでは大人しくしていて」
「ああ、さんきゅ。……いつも、世話になってばかりですまないな。俺、助けられてばっかりだ」
「そんな……当然よ。ユート様は、その……家族、なのですから」
「……ああ、そうだったっけ。でもさ、こういう時は家族でもお礼をするもんなんだ。だからウレーシェな、セリア」
「~~~ッッ! し、失礼します!」
ばたん。慌てて部屋を飛び出し、後ろ手に扉を閉める。背をもたれかけ、廊下の窓から外を眺めた。
暖かい陽光が惜しげもなく降り注ぎ、目に眩しい。手を翳しながら、小さく溜息が一つ零れる。
――――素直に喜べばいいのに、何故こんな簡単な事が出来ないのだろう。折角自分に向けられた気持ちなのに。
「あ……」
歩き出そうとして、気がついた。手に持ったままの、彼の食事に。
結構栄養とかを考えて、時間をかけた料理なのに。私はもう一度深く溜息をつき、部屋の入り口にそれをそっと置いた。


サーギオスから飛び出した、強大な力。
それがエターナルと呼ばれる想像を超えた存在であると知った時、私達は皆一様に声を失った。
淡々と話すトキミ様も、同様エターナルだという。そして彼らが持つ神剣は、この世界に本来無い物だ、と。
≪永遠神剣第二位、『世界』。彼は、この世界を崩壊させようとしています。その方法とは――――≫
トキミ様の説明は途方もないものばかりで、場を重苦しい沈黙に支配させた。

≪――――『求め』が失われた今、悠人さんに戦う力は残されてはいません……≫

不思議にそれで彼に対する自分の評価は一切損なわれなかった。   . . . .
むしろ“人”として本来の能力に立ち返った彼を看病する度、今までとは別の感情を覚える事が多くなる。
これは一体、どういうことなのだろう。確かに、家族と言ってくれた。確かに、優しかった。でも、彼は“人”なのに。

≪悠人さんには、黙っておいて下さい。もうすぐ門が開きます。そこで彼を、元の世界へ還しましょう≫

そう聞いた時、胸がチクリと痛んだ。離れ離れになる、それが寂しいと感じる自分がいる。
その夜ベッドの中で、必死になってリアの顔を思い出そうとした。
だけどどんなに頑張っても、逆光の中での彼女は微笑むばかりで何も言わない。

「こんな……どうして……リア……」
顔を押し付けた枕の息苦しさ。瞼の裏に映るのは、彼女の笑顔と被る大きな背中だけだった。