胡蝶

Yearning Ⅴ-2

目的の神木神社が近づくにつれ、何故か不安になってきた。
いつもの練習先にふと奇妙な落ち着かなさを感じる。
オレンジ色に染まる一見感傷的な風景の隅で、じわじわと、忍び寄ってくるような何か。鞄を両手で持ち直す。
隣をそっと盗み見ると、台本に目を落としたままの高嶺くんの表情が、前髪にかかった影でよく見えない。
神社までもう街灯は無いが、日が暮れた訳でもないのに。何となく変な気がした。

「ね、高嶺くん……」
「ん? 呼んだか、委員長」
「あ、ううん。なんでもない」
気を取り直し、前を見ると石造りの階段が見えてくる。
こつこつと響く、二人分の足音。祭事が行われる空間特有の、静寂感。風に樹木が靡いている。――――靡いて、いる。
「音が……しない?」
聞こえない。聞こえるはずの、木々のざわめきが。北風の、鋭い流れが。

ぞくり、と背筋が凍った。
鳥肌が立った瞬間訪れる、あの視線。得体の知れない何かに、“見られている”。
縛られるように、止まる足。それでも近づく神社。ぼんやりと輝き出す入り口。
高嶺くんは、気づいていない。歩幅も速さも変わらない。油断すれば置いていかれる速度で背中が遠のく。
嫌な予感が全身を駆け巡る。だめ。それ以上、そっちに行っては。わたしは咄嗟に高嶺くんの腕を両手で抱えていた。

「うわ、とと……委員長?」
「…………っ!」
どさ、と鞄が落ちる音。急にしがみつかれ、バランスを崩した彼が驚いたように振り返る。
その瞳がちゃんとわたしを映しているのを見て、ほっとした。と同時に、前方から声。
「おーい悠ー……あら? 委員長?」
「何だ悠人、デートか?」

神社の入り口に、今日子と碧くんが立っていた。
今日子はぶんぶんと大きく両手を振り、碧くんは顎に手を当て、にやにやとしている。
「そんなんじゃないって……委員長? おわっ!」
行きたく、無かった。友達が手を振っているのに。無言で今来た道を、駆け出す。
引っ張られた高嶺くんの、戸惑うような声。背後で、追いかけてくるような二人の呆れる声。
「あ、あらら……行っちゃった」
「うんうん。悠人にも遂に春が来たか」
「まだ冬だっつーの!」
「あたっ! そういう意味じゃ――――」
それでも、あの視線が消えない。光でぼやけ始めた周囲に、誰も気がついていないのか。
わたしは、ただ夢中でしがみついた腕を離さないよう、その場を離れた。