胡蝶

Ⅵ-1

隊長が復帰して間もなく、部隊は本格的に動き出した。
まず、少しづつ続けられていた各占領地域の統合化。急速に版図を広げた国家にありがちな反乱の鎮圧。
経済支援。人材派遣。技術提供。物資による救済措置。私達スピリット隊に、するべき事はいくらでもあった。
「セリア、緊急の要請です。至急エーテルジャンプ施設に行ってください」
「ふぅ、また? 今度は何? どこなの?」

ソーン・リームへの対応は、レスティーナ女王から賓師の待遇を受けているトキミ様とヨーティア様が当っている。
とは言っても現状、未だ台地の入り口を固めたまま動かない敵との睨み合い、膠着状態が続いているが。
そんな訳で、ラキオススピリット隊は定期的にニーハスに飛んで警戒しつつ、
ラキオスに残って指揮するエスペリアとユート様の指示の元、各地に分散して各々の対応に追われている。
「ごめんなさい。疲れているのは判るけど、もう少し頑張って」
大仰に溜息を付いてしまった私に、エスペリアは申し訳無さそうに両手を胸の前で握りながら話す。
なんだか責めるような発言をしてしまった気がしたので素直に謝った。
「ううん、私の方こそごめんなさい。疲れているわけじゃないの」
「そうなのですか? でも何だか溜息をついていたようですが」
「え? 私、溜息なんてついていた?」

先日は、旧ダーツィ領イソヤソキマに救援物資を送り届ける護衛に就いた。
その手の任務は、戦い、それも同種族で血を流し合う戦争よりは遥かに大切な仕事なので、気合も入るのだが。
「ええ、それはもう盛大に。…………ああなるほど。ふふ」
「な、なに? 変な含み笑いなんかして」
妙な納得顔のエスペリア。
そんな態度をされては、なんとなくラキオスを離れるのが落ち着かない――寂しい、とはとても言えなかった。
それに、忙しいのは皆同じなのだから。自分だけ、こんな下らない我が侭などとの思いもある。

「いえ、別に。……それより、セリア・ブルースピリットに命じます。至急、ロンドへ向かって下さい」
姿勢を正したエスペリアが、表情をきっと引き締める。訓令の合図だ。私も起立して応じようとして、
「了解。え……ロンド?」
……意外な派遣先に驚いた。瞬時に、手紙の少女を思い出す。
任務のついでとはいえ、あの娘に再会出来る。正直に胸が躍った。

――――だからもし、そんな予兆をどこかでふと感じていたとしても。

目まぐるしく変わる環境の中では、そんな気まぐれな感覚はすぐに忘れ去られていってしまう。
警戒下とはいえ、実際に戦闘もなく、心穏かな日々。そんな中で、危険を察知する嗅覚まで衰えさせてしまっていたのか。
凶報というのは、常に予測不可能な曲がり角で私達を驚かそうと待ち構えているのに。
そんな事は、これまで嫌というほど経験済みなのに。
……次のエスペリアの台詞に、実際私の心は再び凍りついた――――

「ええ。エターナルミニオンによる襲撃を受けているようです。ニーハスのトキミ様にも確認しましたが――あ、セリア?!」
真っ白になった頭で、返事もせずに駆け出していた。


「こ、こんな……」
ロンドは、地獄だった。
石造りのスタンダードな街並みは殆どが崩れ落ちた廃墟と化している。
捲れ上がった道路一杯に散らかされた瓦礫。大穴の開いた建物の一部。不自然に凍りついたまま割れている窓。
道の両脇に植えられていたのであろう、黒く燻ぶったままの街路樹が、
倒されたまま家屋にめり込み未だ燃え盛って激しく火の粉を舞い上がらせ、逃げ惑う人々の頭上に降り注ぐ。
「ウッ…………酷い……」
車を曳いていたエクゥは荷物ごと消炭になり、原型を保ったまま横たわっていた。
そこから空を掴むように突き出している、ひしゃげた「腕だったらしきもの」。
あちらこちらから聞こえてくる悲鳴がだんだん掠れ、小さくなってきている。
生きている者が、確実に減ってきている証拠だった。周囲を見渡し、敵の気配を求める。

「……あそこね。『熱病』っ!」
意外に近い場所で、赤に近いマナの波動を感知した。
『熱病』をぶん、と振り下ろすように構え、ウイングハイロゥを展開する。
そして目の前の、まだ何とか崩壊せずに済んでいる、何かの大きな施設を飛び越えた。
焦げ付いた赤い屋根の向こうに視界が開けてくる。
すぐに、道の真ん中に立つレッドスピリットを視認した。彼女もこちらを見上げてくる。
目が合い、ぞっとした。黒く、何も映さない瞳。りぃ、と短く『熱病』が警告を発してくる。
「あれがトキミ様の言っていた――――ッッ?!」
エターナルミニオン。私達の姿を模し、戦闘能力を高めた意志の無い生命体。
しかしそんな事よりも、私は更に開けた光景の方に、目を奪われていた。


「無茶です! 後ろに下がっていて下さい!!」
壁際に蹲り、怪我をしているらしい小柄なグリーンスピリットが叫んでいる。
纏めた後ろ髪が見違えるほど長くなっていたが、間違いない。あのイースペリア以来の再会だった。
「この娘は絶対に……殺させないわっ!!」
そしてその前に、一人の女性が両手を広げ、エターナルミニオンの前に立ち塞がっていた。
ラキオスの紋章を胸に綴った軍服が、ところどころ切り裂かれている。
だが、彼女は神剣らしきものを持ってはいない。そして殆ど感じ取れない微弱な気配。

「――――“人”、なの?」
まさか、と思った。スピリットを、“人”が庇う。そんな事は「通常」あり得る筈が無い。
エスペリアから聞いて知っている、たった一人の優しい例外を除いては。
しかしそれは、紛れも無く目の前で起きている事実だった。

ゆらり、と動いたエターナルミニオンが、細身の槍を構え直す。
頭上から飛来した私を迎撃する為か、やや腰を下ろし、何かを呟き始めた。
「……クッ、一時の静穏、マナよ眠りの淵へと――――」
外見がレッドスピリットだったので、咄嗟にエーテルシンクを唱えた。右手に収束していく青白いマナ。
どちらにせよ、倒さなければならない相手。強敵なのは間違い無いが、負けるわけにはいかない。
「――――沈めっ! エーテルシンクッ!
少女の黒いハイロゥリングがぼう、と滲んだ瞬間、手元に創り上げた光球を思い切り解き放つ。
手を離れた神剣魔法は確実にエターナルミニオンを捕らえ――――

バシュウゥゥゥ――――!!

「……なっ?!」
異様な音と共に、視界が掻き消された。
真っ白な水蒸気が辺りを埋め尽くし、着地する地点を見失う。
ハイロゥを真横に目一杯広げ、空気抵抗を活かして落下速度を緩めた。殆ど勘だけで地面に降り立つ。
『熱病』は、遂に振るえなかった。気配を察知していても、漠然とした対象ではリスクの方が大きい。
凌がれた後の隙を狙われたら、今度はこちらが避わしようがないからだ。
膝を折り、跳躍しようとしたタイミングでぶわっと弾かれる霧。赤いマナが迫ってくる。
「――――ハッ!」
発信源を中心に、円を描く軌跡で飛び跳ねた。更に追ってくる気配。
駆けながら、考える。この敵の神剣魔法は、完全に相殺する事が出来ない。ならば。
「敵の動きを見極めて…… ここねっ!」
急制動をかけ、思い切りサイドステップを切りつつ見えない空間に向かって横殴りに『熱病』を振るう。

ガッガガガッッ!!

「――チィッ!」
その先で、痺れるような手ごたえ。突き出された穂先で刃を受け止めている。
思ったとおり、敵はすぐ側にまで来ていた。神剣魔法をおとりに、直接剣で止めを刺すつもりだったのだろう。
しかし予測して尚且つ受け止められてしまった以上、先を読むのはお互い様かと唇を舐める。

――――だけどね。
捻った軸足をそのまま踏み込み、大振りにならないよう鋭く斬り返した。
ようやく晴れる水蒸気の霧。体勢を崩した敵の姿がはっきりと認識出来る。

――――私達と同じ“形状”で。
小柄な体型に不釣合いな神剣の重心。振り回された格好の腕が、脇を大きく広げてしまっている。
明らかに経験の少ない者が見せる隙。
横目で見つつ、蹴りを放った流れをそのまま、一度背を向け、フェイントで足を払う仕草をみせる。
それにも過敏に反応し、大きく仰け反る赤い髪。隙は大きな“的”に変わった。
腰が引け、不恰好な姿勢の敵に大きく踏み込み、至近距離で遠心力をたっぷりと乗せた『熱病』を突き出す。

――――肉弾戦で、勝てると思わないで。
「ッッ!!」
「反応が鈍いっ! ハァァァァッ!!」
先が四角く突きに向いていないとはいえ、手入れを怠ったことなどはない。
『熱病』の切先は敵の脇腹を深く貫き、同時に爆発させたマナの衝撃でくの字に折れた身体を真横に吹き飛ばしていた。

「はぁっ、はぁっ……」
腹部に大穴を空けたまま大の字に倒れている敵を確認して、長い息を吐いた。
戦いの間、殆ど呼吸を忘れていた事に気がつき、膝を支えて背中を屈む。
顔を上げるとたった今助けたばかりの二人がぼんやりと見えた。
呼吸を整え、声をかけようと――――

 ――――どすん

何か、鈍い音がした。

「きゃああああっっ! 姉様っっ!!」
聞き覚えのある少女の悲鳴に、反射的に動く。
金色に輝き出しながら、もう神剣を手にしてはいない敵に向かって。
「このぉぉっっ!!!」
「クックッ……グハァッ!」
残った力と体重を全て乗せ、横殴りに『熱病』を振り切った。
びしゃあ、と放射状に広がる赤い血。頭部を潰されたエターナルミニオンは、
一度びくっと跳ねた後、こんどこそ本当に動かなくなり金色の霧の中に消えていった。

「姉様、姉様しっかりっ!!! 神剣の主が命じる! マナよ、倒れし者に再び戦う力を与えよ……うわぁあああっ!」
泣き叫ぶ声を聞きながら、よろよろと近づく。
そこでは、見覚えのあるグリーンスピリットがあの日のように泣きじゃくっていた。
手紙で書いてきていたように、長く流れる美しい緑の後ろ髪を乱して。
“人”を抱き締めながら――――胸を消えゆく神剣に貫かれたまま横たわっている“人”を、抱き締めながら。

「庇った、というの……嘘……そんな訳が……」
「あ……セリア姉様! 姉様が、ユミナ姉様が……っっ!!」
「………………」
完全に、致命傷だ。
あの瞬間最後の力を振り絞り、苦し紛れに放ったのだろう、敵の槍は鋭く確実に身体の中心を打ち抜いている。
大きく開いた胸には心臓が無い。つまりそれが確認出来るほど、損傷が激しい。
“人”はそれに耐えられない。そして“人”には、神剣魔法が利かない――――
「ぅ……セリ……」
立ち尽くしていると、まだ意識があったのか、うわ言のような掠れた声が聴こえてきた。

「セリ、ア、さん…………?」
「ッ!!?」
それが自分の名前だと気づき、慌てて膝を折って覗き込む。薄っすらと開いた瞳がこちらを窺っていた。
よくみると、まだ幼い顔立ち。その面影に、どこか引っかかるものを感じて戸惑う。
「良かった……やっと、また会え、た…………」
「……え? 会え……た? ま、た……っ!?」

――――ぱしっと何か、景色が明滅した。

古い記憶が薄茶色の光景を映し出している。
淡く、ぼやかされた場面。果てしなく懐かしい、楔のような風景。
背中に戦慄が走った。何かを、忘れている。何か、とても大事な事を。決して忘れてはいけない事を。
「どういう、こと……? 貴女は一体……」
「わたし、ずっと言いたくて……助けて貰ったお礼、言いたくて……あの時のこと、謝りたくて…………」
「―――――ッッッ!!!」
泡のような血が溢れ出す唇から、懸命に絞り出されているか細い声。
震える腕が宙を彷徨い、私の服の裾を弱々しく掴む。
力の無い手の平からべっとりと引き伸ばされる鮮血。――――思い出していた。
古い、エルスサーオの記憶。母親に連れて行かれた幼い“人”の少女――――

「まさか……あの時の……?!」
思わず、その腕を震える両手で掴んでいた。
氷のように冷たくなってしまっていた小さな手の平が、弱々しく握り返してくる。
消え逝く鼓動と体温。彼女はにっこりと微笑み、そして最後にこう言った。

  ――――ごめんなさい……ありがとう。私を、生かしてくれて……――――

「ユミナ姉様ーーーっっ! ああっ、わあぁぁぁぁぁっ!!!」
「………………」
少女が、既に亡骸になってしまった身体に縋りついている。それを呆然と眺めながら、そっと目を閉じた。
ゆっくりと、今更のように噴き出してきた額の汗を拭う。前髪が酷く鬱陶しい。
一連の動作が自分の身体じゃないくらい重く、緩慢だった。粘りつくような空気が邪魔をする。
不思議なほど、冷静になって“しまっていた”。余りに混乱が大きすぎて、上手く悲しめない。

……ユミナ・アイス。
情報としては、聞いていた。ただし、ラキオスに新しく配属された訓練士として。
元々グリーンスピリットの育成に長けている、新参の“人”として。
それに、技術的に教わる事など自分にはもう無かったので、興味は殆ど無かった。
それがあの、エルスサーオの少女だったなんて。
最後のごめんなさいが、母親の代わりに言った言葉だと、今更気づいた。
あれからもう何年経つのだろう。判らない筈だ――――髪が、私とそっくりに伸びていたのだから。


まだ燃え盛る街から少し離れた小高い丘の上に、私達は二人で彼女の遺体を埋めた。
局地的に散らばっていた敵の気配が段々と小さくなっていく。どうやら戦闘は終了したようだ。
味方は、どの程度の被害を受けたのだろう。少なくともここで、一人の貴重な訓練士を失ったのは確かだが。

「……ユミナ様は、セリア姉様にお会いするのを、とても楽しみにしておられました」
ぼんやり街の様子を窺っていると、背後からぽつり、と声が聞こえた。
黙って振り返る。少女は即席の墓の前で、未だ背中を丸めたままだった。
「昔助けられたんだ、って言ってました。だから自分はこの仕事を選んだって……」
「………………」
「人とスピリットの架け橋になりたいって。そういう時、とても哀しそうで、でもとても嬉しそうで……」
「………………ッ」
「本当は、もっと早くセリア姉様に会いに行かれるおつもりだったんです。なのに私が来たから……」
「………………」
「それで、ここへ……私がもっと強くなってれば……う、うう……」
そして震えだす、小さな肩。こんな時、どう慰めてあげればいいのだろう。判らない。
きっと非力な自分を責めているのだろう。だから、辛いのだ。

「……あ、あれ……?」
突然ぐにゃり、と滲み出す世界。おかしい、と思っても、止まらない。
そっと頬に手を当てると、涙の熱さがすぐに伝わる。小刻みに震えている指にも気づいた。
「そんな……こんな、事って……――――酷いじゃない、返事もさせてくれない、なんて――――」
力が入らなくなり、勝手に崩れ折れる膝。硬い地面に打ちつけ、鈍い痛みが走る。
がしゃり、と『熱病』が乾いた音を立てる。それでも、動けなかった。後から後から込み上げて来る想い。
零れ出す嗚咽を隠すように、いつの間にか両手で口を覆っていた。

ぽん、と突然肩を叩かれる。
「……セリア殿」
そこに、半ば呆然としたまま先を見詰めるウルカの姿があった。恐らく増援に来て、見つけてくれたのだろう。
「~~っっ」
涙を誤魔化すように、俯いてしまう。しかしウルカはそんな私の様子に、感心を示してはいなかった。
じっと、少女の背中を凝視している。肩に乗せられたままの手の平が、軽く震えているのが伝わってきた。
「……ウルカ?」
不審に思い、顔を上げる。褐色の横顔が、何かを堪えるような表情を見せていた。

「……ごめんなさい。わたし、姉様に一つだけ、嘘をついていました」
ウルカの気配に気づかないのか、少女が呟き続けている。姉、というのはどちらに対しての物だったのだろう。
「わたし、イースペリアのスピリットじゃありません。潜入してたんです。本当は、サーギオスの妖精部隊――――」
「━━━━━」
ウルカの震える唇が、少女の名を呼ぶ。
くぐもった口調の途中で振り向き、そこで少女は驚いた表情のまま、暫く動かなかった。


遠くで、悲鳴のような雷の音が響いた。