胡蝶

Ⅵ-2

分厚い雲が空を覆い、今にも崩れそうな天候。遠くから聞こえてくる雷鳴の轟き。
月が完全に隠れた闇の中ようやくラキオスへと帰って来た私は、重い体を引き摺りながら第二詰所の扉を開けた。
廊下はひっそりと静まり返っている。人気の無い、湿った冷たい空気が迎えていた。

「…………ふぅ」
後をウルカに任せた所までは確か。ただ、一体どうやって帰ってきたのか、覚えていない。
酷く、疲れていた。油のように重く粘つく身体。がらんどうになった心が何も考えようとしない。
ぎぃ、と軋んだ音を立てた廊下を注意深く歩く。寝静まったみんなを起こすつもりはない。
まっすぐに、自分の部屋へ向かうつもりだった。一人で、混乱した頭を冷やしたかった。
「あれ……? 確か、トキミ様の部屋……?」
ところが、こんな深夜にもかかわらず、エーテルランプの灯が零れる部屋がある。
扉が薄く開かれているのか、ぼそぼそと人の話す声まで聞こえてきた。片方は、男性のようだった。
「…………ユート、様?」
ゆっくりと、近づく。盗み聞きをしようとしている、という意識は無かった。
ただ、その中に混じる、とても今聴きたかった声に引き寄せられたのだ。
疲れていた。でも彼になら、ううん、彼の顔を、一目でも見たかった。

トキミ様の静かな口調がよりはっきりと聞こえてくる。
≪生まれ育った世界。人、思い出、過去、すべてを捨てる事≫
≪想い出を、捨てる?≫
扉の前まで来て、足が勝手に止まった。一体、何の話をしているのだろう。
≪つまり、『居なかったこと』になるのです……エターナルになる事は、人であった頃の事を全て捨てる事なのです≫
≪俺が……忘れるってことか?≫

「――――っ!」
ノックをしようとした手が、動かなくなった。
驚き、息を飲む。生々しい体温が煩わしかった。
耳の奥で流れる血流まで大きく聴こえる。呼吸が乱れるのを抑えるのが辛い。
ざわざわと騒ぎ出す心。突き上げてくるどす黒い塊のような不安。燻ぶっていた何かがガラスのように私の中で爆ぜる。
エターナル。『俺が』、そう言っていた。つまり、ユート様は、記憶が戻っていて、そして。
目まぐるしく回る頭。理解した途端、立っていた床がぐにゃり、と歪む。
よろけ、半歩後ろに下がった。忘れる、とは一体。駄目だと判っていても、疲れきった心が思考を許さない。

≪いいえ。アセリア達、レスティーナ殿達、そして佳織ちゃんや小鳥ちゃん、皆の全ての記憶から――≫
背中が窓枠に触れたとき、トキミ様がはっきりとその意味を告げていた。

  ――――悠人さんの記憶が、消えます

ぽつ、と背中で窓を叩く雨の音が聞こえた。微かな、小さな雨の気配。
それはすぐに大きくなり、押し殺した叫びを掻き消すほどの本降りになる。
二人の声ももう上手く聴こえない。遥か遠くで交わされているような会話。
窓越しに散り散りなリズムが伝わってくる。まるで今の私の心境の様だった。

「…………私が、忘れる? ユート様の事を? ……馬鹿馬鹿しい」
じわり、と滲んでくる背中を細かく震わせる雨の冷たい雫。
違う。震えているのは自分だ。怯えが心をひび割れさせていく。

「……そんなの、選ぶわけ、ないわ」
胸に当てた手をぎゅっと握り締めながら、言い聞かせる。
なのにこんな土砂降りの騒音の中で、一番聞きたくない一言だけが、嫌というほど鮮明に耳に響いた。

  ……少し、考えさせてくれ

判ってしまった。それは彼が、エターナルになる事を選んだという意味なのだ、と。


足早に駆け込んだ自分の部屋で、どさり、と重い体をベッドに投げ出す。
拍子に長い後ろ髪がちらばり、顔に覆いかぶさった。素早く手を回し、結い紐を外す。
そのまま力いっぱい壁に叩きつけ、枕に顔を押しつけた。
……“どうして”、それしか考えられない。どうして、どうして、どうして――――

「どうして、私が貴方を忘れなければならないのよ――――」
ぶつけたい本人も誰も居ない、ひっそりと静まり返った部屋で。
押し潰されそうな孤独の中、淡く輝く腰の『熱病』が一層“独り”を実感させていた。


雨は、いつまでも降り続ける。
私はその日、一歩も外に出なかった。
時折アセリアやエスペリアが心配そうに扉をノックしていたが、返事も返さず。
窓の外の暗い景色を、ベッドの上で膝を抱えたまま、ただぼんやりと見つめる。
細い線のような雨の軌跡。窓を流れる無数の雫。歪む光景。そんなものを、いつまでもいつまでも眺める。
訪れる筈の、あの人を待って。ただずっと、膝に乗せた『熱病』を握り締めて。

  独りに、しないで―――――――


再び夜が更ける。
暗闇の中、私は窓の下を通り過ぎる人影を確かめ、そうしてゆら、と立ち上がった。

降りしきる雨は雷鳴を伴って地面に跳ね、泥の飛沫を飛び散らせている。
ブーツの先でくしゃりと潰される草。踏み込むたびに汚れる爪先。
ずぶ濡れになった髪から滝のように伝わってくる雨水が目に入る。
傘など、さしてはいない。そんなもの、もう意味が無い。
いくら濡らしても、乾いてしまった心にまでは届かない。

「――――どこへ、行かれるのですか」
いつもとは違う、ラキオスの北に広がるリクディウスの森。
すこし開けた場所で立ち止まった背中に、私は最後の望みを賭けて、静かに声をかけた。
「…………セリア。戻ってたのか」
振り向いた彼の表情は、雨に燻ぶる灰色の光景の中で、影になってよく見えない。
「もう一度訊きます。どこへ、行かれるのですか?」

歩み寄りながら、ゆっくりと問いかける。
ばしゃ、とやや深い水溜りに踏み入り泥が跳ねた。
「どこへって……セリアこそ、どうしてこんな所へ? 酷い雨だぞ、ずぶ濡れじゃないか」
「答えて下さい」
「え? あ、ああ……ちょっとそこまで、その、散歩に」
「……散歩? ふふ、散歩にしては、天候を選んでいないようですが」
「ん? はは、そうだな、ちょっと無茶だったか。こんな雨だもんな、セリアも早く帰らないと風邪引いちまうぞ」
それは、もう慣れてしまった、誤魔化すような、作り笑い。ぎり、と奥歯が嫌な音を立てる。

  ――――嘘を、ついている。

この人も、他の“人”と同じ。耳に優しい言葉を投げかけ、信じさせ、そのくせ肝心の所で欺くのか。
手の中からすり抜けていくような喪失。期待なんて、するんじゃなかった。また、失ってしまう。失うくらいなら――


  何かが、壊れた――――――

「なっ?! セリ……っ」
「ッッッ!!!」
考えるよりも先に、身体が動いていた。
油断した背中に一歩踏み出し、『熱病』を構える。
ひゅん、と軽い風切り音が雨粒を切り裂くと同時に、弾かれた神剣がくるくると虚空を飛び、直後遠くでがさりと草叢が揺れた。
『求め』を取り落とし、慌てて振り返る濡れた顔。黒く大きく見開かれた瞳が何かを告げる前に足を払う。
神剣の加護を失い、ただの“人”になってしまった彼に、スピリットの攻撃は受ける事も流す事も出来ない。
ぐう、とくぐもった声を漏らし、仰向けに倒れ込むだけ。すかさず組み伏せ、その喉元に素早く『熱病』を突きつける。
肉厚の白刃に、彼の瞳が泳いだ。押さえつけているがっしりとした肩が僅かに震える。
前にもこんなことがあったな、と一瞬だけ懐かしい光景が頭の中をよぎった。
ざぁざぁと激しく降り注ぐ雨音。耳に五月蝿すぎる鼓動は、一体どちらのものだったのだろうか。
掻き消されないように、振り払うように。低く、はっきりと伝えた。

「――――殺すわ」

「な……っ」
短く切った一言に、ごくりと息を飲む気配。黒い双眸が大きく見開かれ、揺れている。
戸惑いか、恐怖か。今感じているのはどちらの感情なのだろう。
軽く開かれた口が僅かに動き、命乞いでもするのかと思ったが、意外にも彼はすとん、と体中の力を抜いていた。
ただじっと、見つめてくる。
冗談だと思っているのか。それともまだ、信用されているのだろうか。カラカラに乾いていく口の中。

  ――――俺を、か?

「そう、貴方を」
彼は、一言も漏らしてはいない。だだ、瞳がそう訴えてくる。
だから、短く答えた。最後にそれ位はいいだろうと思ったから。
なのに答えてしまってから、急に悪寒が押し寄せる。気持ちが悪い。“人”に剣を向けているせいか。
戸惑いながら、睨み続ける。彼の唇は、何も発していない。なのに、聴こえてくる声。
ざあざあと耳障りな雨の中で。
黒い瞳の奥に反射して揺れる光彩がさざ波のように私の心を揺らす。

  ――――本気、なのか?

「本気です」
判らないのだろうか。何故、剣を向けられているのか。何故、私がそうするのか。
……いらいらする。一々説明しないといけないのか。
細かく砕けたガラスの破片の様なものが、無数の突起を保ったまま、薄い皮膜となって心を覆っていく。
ねっとりと湿ったピンク色の粘膜が汚れた油のように広がり、押し広げるようにして心の隙間に潜り込んでくる。
綯交ぜの感情に呼応したのか、熱の篭ったマナが立ち込める『熱病』。その刀身に落ちては蒸発していく雨粒。

  ――――どうしてだ?

「判りません」
彼は、酷く落ち着いている。生死を握られているこの状況で。
無防備に力を抜き、ただ、黙って見つめて。瞳だけで、想いを伝えてくる。
針のように突き刺さる、焦がれるような感情。上手く回らなくなってくる舌。
……呼吸が、苦しい。
身体中のマナが全て重油にでもすり替えられたみたいに重い。麻袋になったかのような感覚が全身を襲う。

  ――――俺が……憎いからか?

「……判りません」
砕けてしまった透明な欠片の一つ一つが、まるで万華鏡のように様々な色彩を帯びながらぐるぐると明滅を繰り返す。
私は何も出来ない。ただ黙って、どろどろと欠片達が油と混ざり、全身の縫い目から零れ落ちていくのを感じるだけ。
傀儡のように、虚しく空っぽになっていく私自身を無機質に眺めるだけ。
……残るのは、彼の、吸い込まれるような瞳の色。
判ってる。だけど、頷くわけにはいかない。認めちゃいけない……絶対に、いけない。

  ――――でも、殺したいんだな?

「……ええ」
殺したい。すごく、殺したい。喉から手が出るほど、今すぐ貴方の命が欲しい。
そうしないと、失ってしまうから。そうしないと、堪えられないから。
……時々キーンと響く耳鳴りが、神剣の強制そっくりだ。
だけど勿論、これは『熱病』の意志なんかじゃない。
語りかけてくる瞳に、懸命に抵抗する。指先が、痺れてきた。
あと少し、あと少しだけ力を籠めれば、この苦しみは。

  ――――どうして?

「……知らない」
どうして? どうしてだろう。本当は、判ってる。突然、声が聞きたくなった。
苦しくなる呼吸。昏くなる視界。自分の声が、深く皺枯れた老人のそれのように聴こえる。
なのに妙に、研ぎ澄まされていく五感。内側から好き勝手に暴れまくる神経が喉の奥をひりひりと焦がす。
…………駄目だ。これ以上は、駄目。なのに何故、答える事を止められないのか。考える事を熄められないのか。
呼びかけないで。それ以上、勝手に私の感情で遊ばないで。心を――裸にしないで。

  ――――どうして……

「知らない……判らない! 判らないのよ!!」
制御出来ない程の激情が弾けそうに膨らむ。昂ぶる口調をどうしても止められない。
どうしてそんな穏かな瞳で語りかけることが出来るの? もう、訊かないで。これ以上訊かれたら、私は。

 「……泣いてるんだ」


  ―――――――――――― え

足元を、掬われた気がした。

急速に喪失していく殺意。
呆然としたままの私に、大きな手がゆっくりと伸びてきて頬に触れる。
雨に濡れ、少しひんやりとした感覚。
優しく撫でてくれるその手を、もう払いのける事が出来ない。
腕の感覚も、もう無い。かしゃ、と軽い音を立てて、彼の首筋から離れていく『熱病』。
刀身に帯びていたマナが細かく消えていくのを、どこか遠くの世界の光景みたいに見送る。
ぐちゃぐちゃに爛れて潰れた心が凍りついたまま、声が全く出せなくなった。

「……そうか、知ってたんだな――――ごめん」
思わず耳を塞ぎたくなる。その先は、絶対に聞いてはいけない事。早鐘のように波打つ鼓動。
ばらばらになったガラスの欠片が紡ぎ合い、新たな形を成して一つの“私”を浮かび上がらせてしまう。
信じたくなかった事に、気づいてしまった。信じたかった事に、気づいてしまった。
“人”を許そうとしている自分に。“人”に期待している自分に。
――――そう、期待している。「その先」に、期待している。
だから。こんなにもあっけなく心に入り込んできてしまった“人”に、私はぼろぼろと、剥がされていく。

「……でもさ、そんな哀しそうな顔、しないでくれよ」

  違う――――

その一言一言が柔らかい剥き身の部分に突き刺さって、強引に言葉を奪う。
「ごめんな。でも……約束だろ? 俺はもう、家族を絶対失いたくないんだ。それに」

  やめて――――

決して抜けない楔が深く、深く、私の中に入り込んで。
「このままじゃ、何も守れない。みんなも……セリアも」

  やめて、お願い――――

無防備な心の奥底を侵していくのを、抑え切れない。本当にやめて欲しいのかも、もう判らない。
「俺は、約束を守りたい。家族を守りたい。家族を守ろうと頑張る、そんなセリアを守りたい」

  お願いだから、もう、踏み込んで来ないで――――

それ以上言われたら、私はもう、貴方を。
「だから、行くんだ。守るために。……俺」

 ――――殺せなく、なってしまう……――――――――


  「セリアが、好きだから――――」 「好き、だから――――」


突然耳を叩く、激しい雨音。
掻き消されていた風景が鮮やかに蘇ってくる。
地面に弾かれる飛沫がやけに現実を感じさせて。

「……好き、だから!」
殺しても、引き止めたかった。殺しても、失いたくなかった。
許されない感情。スピリットとして決して持ってはいけない想い。だが口にしてしまうと、止まらなかった。
経験した事のない感情の津波が体中を駆け抜け、翻弄され、揺さぶられた心が悲鳴を上げる。もう、限界だった。

「好きだから、許せないんじゃない! 絶対に許せない! 許せない許せない許せない――ッッ!!」

ただ、叫んでいた。
自分じゃないような声が噴き出す。まるで我が侭な子供のような訴え。それでも歯止めが利かない。
突きつけたままの『熱病』が、濡らした刃を雨水で白く煌かせる。不意にそれが酷く邪魔に思えた。
私は無造作にそれを放り投げ、縋りつくように両手で彼のシャツを掴み、そして拳を叩き付けていた。
「勝手よっ! 勝手すぎるじゃないっ! どうして勝手に決めるのよっ! どうしていつも、勝手に一人で抱えるのよッ!」

憎い。ずるい。すぐに誤魔化す引き攣った笑みが。煮え切らない優柔不断な態度が。頼りない背中が。……だけど。

「それがどんなに私を苦しめて――――わあぁぁぁっっっ!!」
全身で触れる体温が心地良い。欲しかった温もりが、ここにだけある。それなのに、それなのに。
甘えだと判っていても、上手く回らない舌から迸る想いが溢れては、勝手に零れていく。

「行って欲しくない……忘れたくなんて、ないよぉ…………」
「……ごめんな」
「う、うう……ばかぁ…………」
そっと髪を撫でられる感覚。穏かな仕草に、少しづつ鎮まっていく心。……気づかなかった。
私はいつの間にかこんなにも、この“人”を必要としていた。求めていた。
彼が居なければ、自分を保てなくなるくらいに。
殺してしまいたいくらい、失うことを恐れるほどに。
保てない自分なんかもう必要ないのに。
本当に欲しいものだから、失いたくないのに。

……自分には、関係の無い話だと思っていた。
スピリットとして生まれ、戦いの中で日々を過ごし、剣と共に再生に帰る。それが自分達だから。
でも、変わってしまった。そして私は、変えてしまった“人”を――――愛してしまっていた。

しゃくり上げながら、絞り出すように紡ぐ想い。
「ヒッ、ウッ……ナイハムート、セィン、ヨテト……ユート、さまぁ…………」
生まれて初めての告白は、自分でも驚くくらいに舌足らずで。そしてアセリアみたいに素直なものになっていた。


  ――――意地っ張り

ふと、忘れていたはずのリアの声が耳に届く。
思い出された懐かしいその声には、どこかからかうような、それでいて慈しむような不思議な響きが含まれていた。

  ――――相談して、欲しかったんでしょ?

悔しさと嬉しさでくしゃくしゃなままの心が舌を出す。それでも彼女は、可笑しそうに“微笑んで”くれて。
『熱病』が、小さく鳴っている。蒼く、そして赤く。まるで相反する、揺れる振り子のように。

……雨は、いつの間にか熄んでいた。
木々が振り落とす霧のような雨粒が、風邪に流れて蒸れるような草の匂いを運んでくる。
雲間から、一筋の月光が差し込んだ。それはまるで、ひとしきり泣いて吹っ切れた私の心に似ていた。

 ――――そう……どうしても、行くのね

 ――――ああ、もう決めたんだ

 ――――止めても……無駄、よね

 ――――……ごめん

 ――――……許さない

 ――――え?

 ――――絶対に、許さない。忘れてなんかやらない。だから……

握り締めていたシャツを、そっと離す。両肩に添えられていた手に、自分の手を重ね、見上げた。
決心は、もうついていた。

「――――私も、行くわ」

きっぱりと、言い切る。そうして驚いた彼の表情に、不思議に安心して収まっていく胸の鼓動。
「いや……でも、セリアはまだ戦えるじゃないか。無理して新しい剣を探すこと、ないだろ?」
「…………ユート様、怒るわよ」
上目遣いのまま、睨みつける。
本気で願った。出来るなら、もう洗いざらい吐き出した剥き出しの心を突きつけてやりたいと。
「行って、欲しくない。でも、行くのでしょう? なら私も行く……それだけ」
「……エスペリアやアセリア達に、忘れられるんだ。家族にも、もうなれない」
「ん……わかってる」
「元には戻れないんだぞ。それどころか、もし神剣に認められなかったら」
「わかってる。でも、一緒にいたいから。忘れるなんて、絶対に嫌」
「…………セリア、口調がアセリアみたいだぞ」
「……そうよ。ずっと、一緒だったんだから…………」
雨上がりの湿った空気が、静寂を運んでいく。
緩く流れていく時間。私達はそれから暫く、黙ってお互いの瞳の色を覗きあった。
月の加護が、一面に散らばった水の欠片を反射して辺りを浮かび上がらせるまで。

「だから……ずっと一緒に居させて。お願い――――」
そっと大きな胸に、顔を埋める。すると躊躇うように、抱き締められる感触。くしゃりと濡れた髪を撫でられる。
「判ったよ……ありがとな、セリア……一緒に、行こう……」
くぐもった、泣いている声。それだけで、満足だった。自分の選択が、決して間違ってはいなかったと。