胡蝶

Ⅶ-1

「悠人さん、準備は出来ましたか?」
「ああ、俺はエターナルになる。このまま瞬を放ってはおけない」
森の奥で、トキミ様が待っていた。周囲のマナが、凛、と澄み渡る。
あれほど激しかった雨なのに、赤と白の異界の装束には、雫一つ纏ってはいなかった。
エターナルとは、そんな能力もあるのだろうかとどうでもいい事を考えてしまう。
「セリアも、来たのですね。確かにスピリットにはその資質が多少なりともありますが」
「……セリア、ほら」
「……ユート様」
ぎゅっと手を握られて促され、顔を上げる。するとトキミ様は真剣な表情でじっとこちらを見つめていた。
「エターナルになる、という選択は、その未来を捨てるということ…………それでも後悔しませんか?」
「…………はい」
一瞬だけ、リアの顔を思い出せたような気がする。それは、とても優しい笑顔だった。
今の自分は、彼女と同じ位素敵に微笑む事が出来るのだろうか。
隣に立つユート様を見上げる。視線に気が付き、力強く頷いてくれた。
「もちろん。後悔なんて……しません」
「……わかりました。ふたりを時の迷宮へと誘いましょう。それでは……『門』を開きます!」

トキミ様が何も無い空間に神剣を翳した瞬間、森中の木々がざわめいた。
風が唸り、マナが濃厚に集中する。渦巻いた波は、短剣の綺麗な飾りを煌かせた。
「我は混沌の永遠者。永遠神剣第三位『時詠』の主にして、永遠神剣第三位『時果』の主、トキミ」
周囲の空気が一点に収束していく。そんな息苦しささえ帯びてくる詠唱。
私は誘われるように目を閉じ、次の瞬間起こる筈の何かに備え、心を平静に保とうとした。
「偉大なる十三本のうち、五本が眠る場所、時の迷宮へと、新たな者を誘う――――」

 ――――リィィィィン――――

「ッッッッ!!」
「なっ、なんだっ!!」
「これは……え? 『熱病』……?」
瞑想していた瞳を開く。突然鳴り出したのは、『熱病』。
ユート様もトキミ様も、驚いてこちらを見ている。刀身が、今までに無いほど光り輝いていた。

戸惑う私に、トキミ様の高い叫びが投げかけられる。
「これは……まさか! 自ら現れるなんて!」
「自、ら……?」
「セリアッ!?」
「! いけない! 悠人さん、先に行っていて下さい! すぐに追いかけますから、『門』の前でっ!」
「どういう事だ? だめだ、俺はセリアと……」
「大丈夫ですから! 秩序の永遠者達と戦う、新たな力を得るために……『門』よ、開けっ!!」
「うおっ……時深、セリア…………――――」
それを最後に、二人の叫び声が『熱病』の高すぎる共鳴の響きに掻き消された。


「どうしたの、一体何が……ッッッ!!!」
本当に一体何がどうなったのか、全然理解出来なかった。
突然、真っ白になった目の前。眩しいなどというレベルではない光芒が辺りを包む。
まず、地面が無くなった。続いて左右も上下も失われる。
自分と周囲の境界線が確かめられない。いつの間にか意識だけが、ぽっかりと浮かぶ感覚。
そんな中、空間の中央にいつの間にか、より光を放つ一本の銀色の剣があった。
何故、どうしてといぶかしむよりも先に、頭の中に直接響いてくる声。

 【 私は『永遠』……不変を司る、永遠神剣第三位。どうしても貴女が知りたくて、こうして来てみました 】

「第三位? 神剣……『永遠』?」

 【 はい、初めまして。もっともこの世界ではマナが少し足りないので……一部だけ、なのですけどね 】

漂う私に、優しい音色が呼びかけてくる。
この世界のマナが足りない、という言葉の意味を考えてみるが、不思議に恐れは湧いて来なかった。

 【 不思議な事……矛盾した想いが一つの“不変”になっています。セリア、貴女は“人”を憎んでいました 】

「?…………はい」

 【 それなのに、今は、その“人”に全てを捧げようと考えている。何故、憎むのを止めたのですか? 】

「それは……気づいたからです。種族なんて関係無い。……いえ、むしろスピリットだからこそ、“人”を守れる」

 【 それは、従うということですか? それは確かに、貴女の意志なのでしょうか? 創られたものではなく 】

「……判りません。私は……スピリットですから。“人”を護る、その為の存在でしたから。……でも」
奇妙なほど、素直になっていく心。疑問をよそに開いていく唇。
洗われるような気持ちの良さに、自分でも纏まらなかった言葉が紡ぎ出されていく。
「私は、自分を卑下していました。憎しみは、その劣等感からだったんです。それを教えてくれたのが――――」

 【 ユート、というあの青年なのですね。なるほど…… 】

「――――はい。ですから私は、守りたい。全てを捨ててでも、彼を……彼と、ずっと一緒に居たい。その為に戦いたい」

 【 そう……。それは貴女の“望み”なのですね。ですが、貴女はまだ一つだけ、大切な心を忘れています 】

「え……?」

 【 貴女に、試練を与えましょう。心の試練です…… 】

「試練……? あ…………」
ふわり、と身体が浮かび上がる。逆らわず、目を閉じ身を委ねた。
途端青白い光が心の奥底から噴き出し、私の意識は遠く、本当に“遠くへと”飛ばされていた――――