胡蝶

Yearning Ⅶ

「ほら。熱いから気をつけろよ」
「あ、ありがと……ごめんね」
人気の無い公園の、ベンチ。お礼を言いながら、謝る。渡された缶コーヒーが、痺れた手に温かい。
「いいけどさ。どうしたんだ、いきなり」
「………………」
どかっ、と少し乱暴にわたしの隣に座り、足を組む高嶺くん。片手でかしゅっと軽い音を立て、缶を傾ける。
その様子を横目で伺い、視線を落とす。もうすっかり日が暮れ、寂しくなった紫色の風景。
それでも、先程の視線をもう感じなかっただけ、充分過ぎるほど落ち着ける。
スカートの膝の上、両手で握った缶コーヒーをじっと見つめながら、言葉を探す。
「……ね。気がつかなかった?」
「…………何が?」
「うん。……なんでもない。ごめんね」
からん。高嶺くんが投げた空き缶が、ベンチの隅にあるごみばこへと吸い込まれる音。
あれは、一体何なのだろう。じっと、どこからともなく見つめてくるのに、感情も何も伝わっては来ない。
感じるのはただ、違和感。言いようの無い、恐怖、不安。ストーカーとかとも、ちょっと違う。

「言いたくないならいいさ。でも今日はもう、練習はなしだな」
「え……あ!」
言われて、気がついた。鞄を神社に置いてきたままだ。
慌てて高嶺くんを見ると、手ぶらになった両手をひらひらさせたまま、こっちを見ながら苦笑している。
そういえば、鞄を脇に抱えた高嶺くんの腕を、強引に取った気が――――かーっと全身から汗が出た。
「ご、ごめんなさいわたしったら……いけない、セーター!!」
「……セーター?」
「あ、あ、なんでもないの!…………本当に、ごめんね。いっつも迷惑かけて……」

思わず口走った単語を誤魔化しながら、嫌になってきた。彼の前なのに、挙動不審もいいところだ。
俯き、激しく落ち込んでいると、くしゃり、と髪越しに、何か大きなものが頭を覆った。
「え……ちょ、ちょっと」
「いいって。委員長の、意外な一面を見させてもらったし」
「意外って何が……ん…………」
言い返そうとしても、上手く言葉が出ない。くしゃくしゃと頭を撫でる、大きな手。その温かさにぽーっとしてしまう。
ポニーテールを巻き込んで乱れてしまうのが、全然不快じゃない。見上げると、黒い瞳がにっと微笑んでいた。

「あ、あのね、実は今、セーター編んでるんだけど……」
いいのだろうか、こんなに幸せで。ふとした疑問が胸の鼓動の中で掻き消される。
勇気も決心も必要が無い、平和な時。自然に、とても素直に紡ぐことが出来る告白。
「よかったら、その……貰って、くれますか――――」
「へ?……俺? えっと……え? それって?」
はっきりと、頷く。決して目線を逸らさずに。跳ねる心臓。伝えられた想いに、じん、と熱くなる目頭。
戸惑う高嶺くんの返事を待つ間に、ちら、と手首の腕時計が見えた。
デジタルの日付が、12/18を示している。時刻は17:30。
そっと動いた彼の指先が、瞼に触れた。浮かんだ涙を掬いながら静かに囁く優しい声が耳の奥まで届く。

「……俺、よくわかんないけど……悲しませたくない、気がする。いつも……笑っていて欲しい」
一言一言を、区切ってしっかり伝えてくれる。腕を回され、引き寄せられる肩。わたしはそっと目を閉じた。
「だから……それが好きって事なら……俺は」
「ん……」
唇が触れたのは、ほんの一瞬だった。瞼を開くと、すぐ近くに高嶺くんの顔。針金のように、硬そうな髪。
大きな肩幅、力強い瞳の色。そしていつも孤独そうな、寂しそうな背中。
きっとそこに、惹かれたのだ。自分と同じ、そして自分とは違う背中に、わたしの居場所が見えた気がして。

「好き――――」
段々と、混濁する記憶。ぐにゃりと歪み、霞んでいく景色。虚ろに浮かび上がる心。現実感が消えていく。
それでも、気持ちは変わらない。恋という熱病に侵かされたというのなら、このままの自分で構わない。

 俺は、守りたい――――――セリアを。
                            
眩く光り出す世界。意識が再構成されていく中、二本の神剣の(・・・・・・)視線をずっと感じていた――――