胡蝶

Ⅶ-2

 【 ……貴女は、こうも望んでいた筈です。今視てきた、“人”としての幸せな自分を。叶わぬとわかっていながらも 】

「………………はい」
元の、真っ白な空間。引き戻された私は、俯いてじっと手を眺めていた。
そこに、何があるわけでもない。それなのに、握られていた熱い感触だけが残り火みたいに燻ぶっている。

 【 私、そして『時詠』。力を貸すことは出来ます。貴女が、先程の世界で生きていけるように 】

「え…………?」

 【 それが、望みなのでしょう? 貴女は戦いたい訳じゃない。ただ、人のように暮らし、人のように笑い――― 】

「………………」
燻ぶりが、じわりと私の心を焦がす。それとは別に、内に冷えて固まる透明な意志。
『永遠』のささやきが、相反した心の葛藤を少しずつ融けあわせるかのように導いてくれる。
彼女は、なにもかも識っていて、それでいて私の答えを待っているのだ。

 【 ――――人のように生きる。それが貴女の『不変』。貴女がずっと信じてきた、人への羨望の感情…… 】

「…………違う」

 【何が、違うのですか? あの世界で見せていた、純粋な気持ち。あれは、嘘だったのでしょうか?】

「嘘じゃない……嘘じゃないけど、違う。私は、そう、確かに人に、憧れていました」

 【 ……………… 】

「でもそれは、私が接した人の一面。勿論その大多数かも知れないけど……今なら、信じる事が出来る」

 【 ? ……信じる、ですか? 何を? 】

「ええ。もう、知っているから。だからこれは、私が自分で選んだ心。あんな幸福“すぎる”世界は望まない」

示された別世界。確かにそれは、魅力的な世界の、恵まれた“わたし”だった。でも、あれは“私”じゃない。
なんとなくだが、判る。あの“わたし”だって、今の“私”に憧れる部分がきっとある。
何故なら彼女は、“人”だから。そして私は“スピリット”だから。どちらも、“自分自身の心”だから。

「今までの自分を絶対に否定したりはしない。今の自分が好きだから。ユート様と一緒に歩きたい、そんな自分が本物だから」

 【 ……………… 】


一瞬のような、永いような、曖昧な時が流れる。
沈黙が満足げな肯定に満ちていたと考えるのは、私の勝手な都合の良い思い込みだっただろうか。
はっきりと口にして、初めて気づく想い。その大切な言葉が光に飲み込まれるまで、待ち続ける。
やがて『永遠』と名乗る神剣は、りぃ、と小さく鳴り響いた。

 【 ……試練は、おわりました。残念ですがセリア、貴女は私の主としては、失格のようです 】

「え……主? そうなのですか?」
驚いた。ということは、これは上位神剣を手にするための試練だったのか。
軽い失望と、それとは別に不安が訪れる――――これから私はどうなるのだろう。
すると怯えを敏感に察したのか、『永遠』の口調が更に宥めるようなものに変わった。

 【 二律を同時に受け入れる心……慌てないで……トキミ、そこに居ますね? 】

 ≪ ……ふぅ、流石にばれていましたか。我ながら、上手く隠れていたと思うんですけどね ≫

「ト、トキミ様!?」
急に割り込んできた声に、びくっと身を竦ませた。
思わず振り返ってみるが、当然誰も見えない。真っ白なままの空間に、もう一度トキミ様の声だけが響く。

 ≪ ごめんなさい、試すような事をして。貴女に本当にエターナルとしての資質があるのか、実はまだ未知数でしたから ≫

 【あら、かの“時詠みの時深”でも判らない未来があるのですか? 】

 ≪ からかわないで下さい、『永遠』。貴女の強引な能力よりは不確定要素が多いんですから ≫

 【 強引……まぁ、いいでしょう。それより、協力して頂けますね 】

 ≪ ええ。幻想を選ぶようでしたら許さないところでしたが、これだけ心の資質があれば……セリア? ≫


「……え? あ、私、ですか?」
唐突に話を振られて慌て、上擦った答えを返してしまう。
同時に二人(一本と一人?)のくすくすという忍び笑いが聴こえた。
……だって、仕方が無いじゃない。話の半分も理解出来ないんだから。
俯きながら、ぷっと軽く頬を膨らます。その様子も見られたらしい。両者から、再び失笑が漏れた。

 【 そう。内包する二つの想い……新たな剣に、ある意味相応しい資質の主ともいえます 】

 ≪ 仕方ありませんね。人員不足ですから、今すぐにでも参加して欲しいのですが……これも誤差の内、かぁ ≫

 【 トキミ、本当に残念なのはそれだけですか? 】

 ≪ ……『永遠』、意地が悪くなりましたね ≫

 【 ふふ……では、いきます。セリア、『熱病』に集中して下さい。私の一部を“繋げ”ましょう 】

「え? 一部? え、え?」

 ≪ ……もう。永遠神剣第三位、『時詠』の主として命じる、彼の力、解放せよ! ≫

「だ、だから、何が起き――――ッッッ!!!」


再び引き戻される、空間。真っ逆さまに落ちていく。
がさっ、と草を踏む音。気づけば私は、地面に四つんばいになっていた。
耳に戻ってくる、虫の音。風の匂い。泥に汚れてしまっている手を見つめる。

「ようこそ、私達の時間へ。セリア」
トキミ様が微笑みかけながら、手を差し出してきていた。
「私――――」
手を取り、立ち上がる。見渡すと、先程と同じ森の中。月の位置から判断しても、そんなに時間も経ってはいない。
正面に立っているトキミ様が、可笑しそうに笑っている。なんとなく、憮然としてしまった。
手持ち無沙汰になり、落ち着かない。そちらを見ずに手の平だけで探る。柄に、手が触れた。

りぃぃぃぃぃん――――

「――――え?」
剣が、軽い。まるで羽根のように、何も感じない。
……いや、感じる。それも、更に膨れ上がりつつある。かつて経験した事もない、巨大な力が。

「な……ハ……クッ…………」
慌てて両手で持ち直し、懸命に制御を試みる。歯止めの利かなくなる直前で、剣はようやく大人しくなった。
「ふぅ……どうしたの、『熱病』?」
話しかけながら、理解した。これは、心だ。私の心に反応している。
形状は同じ。大きさも同じ。両刃の、銀色の鋼。転送された時からの半身。
しかし、内在している力は比べ物にならない。――ただ、勝手気儘なだけ。
『熱病』は本来、大人しい剣だった。私の命令にも忠実に、力を貸してくれた。
なのに今まで上手く付き合ってきた、その記憶だけが剣から失われている。まるで、躾の終えていないエヒグゥ。
生まれ変わったように、無垢な剥き出しの感情。それでいて、しっかりと馴染んでくる柄。
「…………そう、私と同じ、なのね」
「ええ。それが『永遠』と『時詠』の力を分けて新たに生み出された貴女の神剣。永遠神剣第三位――――」
「待って。――――『熱病』よ。この子は、『熱病』。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「……判りました。改めてようこそ、若きエターナル、『熱病』のセリア」
「こちらこそ、よろしく。……色々ありがとう」
私達は、ぎゅっと強くお互いの手の平を握った。


「ところでセリア、悠人さんの事ですが」
「…………あ」
完全に、忘れていた。我ながら酷い。元はといえば、彼について行く為にこうしているのに。
誤魔化し気味に後ろ髪を触る。上目遣いで窺うと、トキミ様――――トキミが口元に手を当て、肩を震わせていた。
「ふふ……彼は今、時の迷宮にいます。大丈夫ですよ。そうですね……半月、位でしょうか?」
「? 半月って、どういう事?」
「あちらは時の流れが多少違うのです。そこで、折角こちらでエターナルになったのですから……セリア?」
「え、うん。何?」
「先にラキオスに戻って、下地を作っておいてはくれませんか? その間に悠人さんを、迎えに行ってきますから」
「え……ちょ、ちょっと待って。私は忘れられているわ。そんな、一人で行っても誰も相手に――――」

一気に捲くし立てようとした時、頭の中に何か知らないはずの知識が浮かび上がり、言葉を失う。
それはイメージというものに近かったが、その方がかえって判り易かった。同時に先程の“二人”の会話も理解する。
「――――そうか。まだ私、“渡り”を行ってないから……」
「ええ、シュンと同じです。貴女に関する記憶は、ちゃんとまだこの世界に残されているのですよ」
「その例えはやめて欲しいな。……うん、でも、わかった。あ、でも……」
「? 他に、何か? 大体の事は『熱病』が教えてくれるはずなのですが」
「その、ユート様―――― 悠 人 に何かしたら、承知しないわよ」
「――何かって、何を? わっ! じょ、冗談ですよ! それでは行ってきますねっっ」


「…………ふぅっ」
無言で引き抜いた『熱病』を腰に戻す。睨みつけたのは、牽制だ。
嬉しくない事に、『時詠』の情報部分から、トキミの気持ちまで判ってしまった。
神剣にまで刻まれるほど、強い想い。冗談まじりに苦笑いをしていたが、胸の痛みは他人事ではない。
頭が冷えると、急に辺りが静かになった。晴れた日にしか見えないマナ蛍の群れが舞っているのに今更気づく。
「……まだ、ラキオスにいるのね、私」
青や緑に明滅する光球を眺めながら、ぼんやりと呟いていた。


それから半月は、目の回るような忙しさだった。
まず、エターナルというものを、一から皆に説明し直さなければならない。
トキミが渡りを行ったせいだが、時を遡ればこんな手間は省く事が出来る。
彼女はこれを知っていてあえて使わなかったのだ。時間遡行という、『時詠』の能力を。
生まれ変わった『熱病』は、まだそこまでの能力を使いこなせるほど、“育って”はいない。
手の込んだ事を、と腹が立つ。彼女はただ悠人を迎えに行く為だけに、こんな“悪戯”を残していった。
そんな訳で、同じ事を何度も仲間やレスティーナ女王に向かって話しているうち、
「…………後で、覚えてなさいよ」
などと、たまに舌打ちをしてしまったりして変な顔をされる私だった。

仲間達には、普通に迎え入れられた。
忘れられるという一大決心をしてまでなったエターナルに、誰も深くは訊いて来ない。
『熱病』が突然第三位になった事についても、追求がない。――せいぜい、朝帰りを咎められた程度。
前日部屋に引きこもっていた事なども、すっかり忘れられているようだった。
最初は戸惑い、感謝をしつつも不安になって、こちらから尋ねてみると。
「どうしてだ? セリアは、ん、セリアだ」
「なぜです? セリアはセリアでしょう?」
「え? だって、セリアですよね」
「……セリアじゃん」
「セリアだと、何か問題があるのでしょうか?」
「いいんじゃない? セリアだし」
……最後のヒミカの台詞にはちょっと引っかかるものがあったが。

それでも、拍子が抜ける程、判を押したように返ってくるのは同じ言葉。
嬉しかったが、その一方で、胸が痛む。彼女達の記憶に、“ユート様”はもういない。
だからこそ、エターナルへの興味が長続きしないのだ。神剣についても発掘された貴重な戦力、その程度の認識なのだろう。

エターナルミニオンは、幸いまだ活発に活動はしていない。
ソーン・リームに眠る『再生』にマナを集中させているからだろう。……“彼らロウ”は。
くすぐったいことだが、エターナルになることで、俄かに待遇が良くなった。
特別視されるのは嫌だったが、神剣の性能上、自然、軍師のような立場で皆に指示を出すようになる。

旧サルドバルト領とイースペリア領はソーン・リームに接しているので、重点的な警備を配した。
もうあんな悲しい想いは、「誰にも」させたくなかったから。
「あっ! セリア姉様っ! 来てくれたんですね!」
「うん。どう、調子は。ちゃんと食事は摂っているの?」
「も~いつまでも子供扱いなんですから~」
当然ロンドにも、何度か足を運んだ。その度に少女に会いに行き、ユミナ・アイスのお墓を訪れた。

「知らなかったとはいえ、自分が行って来た事……全部を償えるとは思わないけど。それでも、償っていきたいと思うんです」
涼しい風が吹き抜ける、小高い丘の上。手を合わせながら、少女は呟いた。
もう立派に伸びた緑柚色の後ろ髪が、きらきらとたなびく。
元・ウルカ隊のメンバーだったという彼女は、望めばウルカの側にも居られるというのに、自分でそれを断った。
「戦後の世界……それが私の生きる道、だから……」
乱れる髪をそっと抑えたまま振り返った微笑には、太陽の陽を受けて輝くとても綺麗な涙が浮かんでいた。


――――そして、半分欠けていた月が再び満ちた夜。

「ただいま……セリア」
「お帰りなさい……悠人」
私は一つの決心と共に、森で彼を迎えることになる。

「あ、ああ。……はは」
呼び捨てにされ、彼は面白いほど狼狽していた。
携えている、一本の剣。両刃の、流線に不思議な力強さを感じる永遠神剣が淡く緑色に輝いている。
ふいに『熱病』の一部が微かにさざめいた。それで、説明されなくても自然と知ることが出来た。
永遠神剣第二位、『聖賢』。彼はそれを手にし、無事エターナルとなっていたのだ。
「それが……?」
「ん? ああ、俺の新しい相棒。『聖賢』だ」
「……ふふ」
思わず笑みが零れてしまう。ちゃんと帰って来てくれたことに。
時深は大丈夫だと言っていたけれど、それが気休めなのもまた、知っていたから。

「? 何笑ってるんだ?」
「――内緒です。それより、時深は?」
「あいつなら、俺がその、……う、判ってるって」
「?」
「……せ、聖賢者になってすぐ、先に帰るとかってすぐにいなくなったぞ」
「…………」
「…………」
「……“聖賢者”? …………ぷ」
「わ、笑ったな? くそ、だから名乗りなんて俺には向いてないって……くっ! 頭の中でどなるなって」
何か、文句を言われたらしい。『聖賢』と喧嘩を始めてしまう――――悠人。
そんな彼を見ていると、この半月の苦労なんてどこかへ行ってしまう。安心出来る。
ふわっ、と優しい風が吹く。浮き上がるマナ蛍。その輝きまでが、半月前と同じもの。
変わらない。彼も、私も。これから、永遠の時間を歩くとしても。この瞬間だけは。

私はすっ、と手を差し出した。
「さ、帰りましょう、私達の場所へ。――――悠人」
「え、あ、セリア?」
まだ呼び捨てに馴れないのか、うろたえたままの彼の腕を巻き取るように両手で取る。
ちらっと『聖賢』を見てみると、刀身に刻まれた文字が戸惑ったように明滅を繰り返していた。
変なところでお似合いの“二人”だ。
『……ふん』
じっと見つめていると、『聖賢』が不満そうな声を漏らした。
それでつい思わずからかい気味に優しく声をかけてしまう。
「初めまして、『聖賢』。これから宜しく」
『……うむ』
すると“彼”は横柄でぶっきらぼうな口調の後、黙りこくってしまった。
同時に無言で歩き出す悠人。腕を取ったままなので、そのまま私も引き摺られるように歩き出した。

「…………」
「…………」
頭一つ高い上背。肩越しに見ると、月の光に照らされた彼の横顔は少し赤い。
「悠人? どうしたの?」
「…………」
本当に、そっくりな二人だ。私と『熱病』は、心の中でこっそりと微笑みあった。


「どうぞ。散らかってますけど」
とりあえず第二詰所へ戻ってきた私達は、そのまま私の部屋へと直行した。
第一詰所の元・悠人の部屋もちゃんとそのまま用意されているのだけれど、こんな夜中だ。
レスティーナ様への引き合わせも何もかも、朝になってからの方がいいだろうと判断した。
……もちろんそれは、口実と取ってもいいものだけれど。

一つしかない椅子を薦め、自分はベッドに腰掛ける。それから現状を説明し、お互いの知り得た情報を交換しあった。
そうして暫くすると、オレンジ色の光の中で、いつの間にか黙って見詰め合っている事に気づく。
「…………」
「…………」
じじ、と乾いた音を立てるエーテル灯。その灯りに照らされた彼の頬が赤く揺れている。
自分もそう見えているのだろうかと考えると、つい目線を逸らしてしまう。
気まずい沈黙の中、膝の上で揃えた両手を見つめていると、ふと、遠い声が聞こえた気がした。

 ――――今時流行らないよ、ただ黙って見守るなんて。

ただの空耳だったのだろう。でも確かに、それは私の気持ちを、しっかりと後押ししてくれた。

「……セリア?」
無言で立ち上がる。
何故か、急き立ててくるような感情。今でなければ、もう踏み出せないような。
でもきっと、彼も同じ想いを持ってくれている。帰って来た時、表情を見て、判った。
だから。ただ、待っているだけなのは、もう嫌だ。せっかく決心していたのだから。
「え、お、おい何を」
「目を、逸らさないで」
ファスナーを下ろす時には、流石に指が震えた。慌てて目を逸らそうとする彼を言葉で制する。
肩の引っかかりが無くなると、あっけなく戦闘服は地面に落ちた。
ラキオススピリット隊の証を示す、グレーと紺。その鮮やかな色彩が目に飛び込んで来る。

 ――――貴女が、ユート様の事を心配しているのは判っています。ですから、今度はもう少し正直な態度で、ね?

下着を取り払い、彼の正面に立つ。壁に、晒された全身の影が朧げに浮かんでいるのが見えた。
エスペリアには、ここまで見透かされていたのだろうか。私が、ここまで正直になれると。だとしたら、一生敵わない。

 ――――お兄さんとセリア姉さま、お似合いです

靴を脱ぎ、髪を下ろす。その間中ずっと落ち着かなさ気に漂う彼の瞳をずっと睨みながら。
みんなみんな。知っていた。判らなかったのは、“私”だけ。あの世界の“わたし”でさえ、自覚はしていた。
なのに私は、そんな“ちゃんと見てくれている”視線にすら、愚かしい程に鈍かった。

 ――――意地っ張り

大きく、黒く澄んだ瞳。惹かれたのに、理由なんか、きっと無かったのだ。
無理矢理言い訳を作り出そうとしたのが間違い。想いを確認するだけだった今までを思い出す。
そう、ただの意地っ張り。今までの私を総括すると、きっとそんな単語に収束されてしまうのだろう。

「セ、セリア……」
全てを脱ぎ去った私を目の前に、彼の喉が大きく鳴る。
せわしなく動く指先が、そっと髪へと伸びてきた。流した蒼い髪が炎で薄紫色に浮かび上がる。
情熱の赤に混じりあう、静寂の蒼。
不思議に心は静まり返っていた。黙って弄られる髪が自分の心を映し出しているように思え、ぽーっとする。
「……いいのか?」
いつの間にか耳元に近づいていた口から、呟くような確認の声。私はこくり、と素直に頷いた。
そしてそこで、ふと思い出したので、尋ねてみる。
何もこんな時にまでとは思うが、いかんせん、情熱の赤と静寂の青を併せ持つ『熱病』の主なのだ、私は。
どんな場合でも、冷静さを欠かすなんて事はない。
「……トキミとは、“した”の?」
ぴしっと空気が凍りついた。

まるで王の前で敬礼をする時のようにぴっと姿勢良く背筋を伸ばしたまま、動かない悠人。
私は含み笑いを堪えながら、もう一度ゆっくりと尋ねた。
「……“し、た”?」
「あ、い、いや、してない! してないぞ! しそうになったけど、あれは時深が勝手に」
「……そう?」
「え? あ、あれ? 何で知ってるんだ? いや、その、してないって!」
疑わしげな私の視線にあっけなく陥落した悠人は、しどろもどろになっていく。
本当の所がどうだったのか実は知っていたが、だんだんかわいそうになってきた。
「ふふ。……これからは、許さないから……嘘も、浮気も」
私はゆっくりと、焦ったままの悠人の顔に近づいていく。
「そして、憶えておいて……スピリットである私を。忘れるなんて、もう許さない……んっ」
口を塞ぐ、暖かい感覚。
その中で、絶対に忘れない、と優しい言葉を囁かれ、私の両目からは勝手に涙が零れ落ちた。

「――――ン、ンンッ!!」

 ――――初めて体内に侵入してきた異性は、予想もしなかった激痛を私に与えていた――――

「くっ……あっ……ああ……」
「はぁ、はぁ……大丈夫か?」
「え、ええ……んっ」
気遣うような彼の声にも、まともに返事を返せない。
声を出そうとすると、勝手に収縮して異物感を余計に際立たせてしまう。――――でも、そんなことよりも。
「ご、ごめん」
「んっ、ふっ……くぅっ……う、嬉、しい……」
彼は何を、謝っているのだろう。私は、こんなにも嬉しいのに。
スピリットとして生まれ、それでいて、“痛い”ほど愛されているという事。
それをこんなに近くに、感じる事が出来る。
私は反射的に歪みそうな顔に目一杯の笑顔を示し、彼の瞳と向かい合う。
そっと両手を伸ばし、硬い髪に触れてみた。ゆっくりと、撫でるように確かめる。
「大丈夫……続けて」
「あ、ああ。……セリア……好きだ」
「……知ってるわ」

繋がっている。痛みよりも、それを身体中で感じられるのが、嬉しい。
じっとしているだけで、お腹の奥から溢れてくる熱い気持ち。
じゅっ、と何かが沁み出てくるような感覚に、堪えきれずにしがみついた。
押しつけ、潰れた乳房に響く心臓の鼓動と、硬くなった先端を滑らす汗のぬめりに、痺れるような快感が頭を突き抜ける。
ぴん、と張り、もうこれ以上は伸ばせないという位引き攣る爪先。僅かに身動ぎしただけで、ぴくぴくと震えてしまう。
刺激が、心を溶かしていく。何も考えられずに唇を求めた。薄っすらと開いた口腔に滑り込んだ彼の舌がノックしてくる。
遠慮気味に差し出すとすぐにそれは絡み合い、溢れる唾液を素直にこく、と飲み込む。
喉元を通るとき、自分が変わるのがはっきりと自覚出来た。

――――ずっ!

「あっ!」

――――ず、ずっ!!

「う、ぁぁっ!」
急に、お腹の中で彼が動き始めた。擦るような、かき混ぜられるような異様な感覚に、一瞬だけ息が詰まる。
続いてちかちかと明滅する白い光。じりじりと焦げ付くような熱に浮かされる。つつー、と太腿を熱い雫が伝った。

――――ずっ……ずっ……ずずっ……

「あ、あ、あっ、あ」
律動を繰り返されるたび、少しずつ、少しずつ自分の中が奥へと抉じ開けられる。
侵入される、その事に抵抗出来ず、悦びで弾けそうな力を懸命に抜く。半開きの口から漏れる、短く区切った声。
自分で出したものだとは到底信じられない甘い喘ぎが響く中、とうとう彼がこつん、と私の一番奥に辿り着いた。

「ハッ! ~~~~~~~ッッッ!」
少し、苦しい。
ぴったりと埋め尽くしたそれはなおも膨らみ、私の中をぐいぐいと圧迫してくる。
刺激に勝手に反応し、制御出来ずうねるお腹に、私は髪を振り乱しながらふるふると首を振った。
ぶるっと震えた全身を、しっかりと両手で抱き締められ、固定される。そして再び動き出す彼。
「んぁぁっ!……あ! あぅ、あ、だめ、あっ、あぉっ、はぅっ!」
津波のように押し寄せてくる快感。このままでは狂ってしまう。許して、そう言おうとしても掠れた喘ぎしか出ない。
「ユ、ユー……はっ! ちょ、ちょっと待っ! うっ! グッ! ハアッ! ハッ! ヤ、イヤ、ハ、アァァ!」
両腕ごと上半身を抱き締められ、腰から下を勢いよく突き上げてくる塊。荒々しい動きに、ただ蹂躙される。

「――――ヒッ!」
ぐりっ、と奥の柔らかい部分を抉られ、一瞬意識が飛んだ。
硬い先端がめり込んだ瞬間、内臓を突き上げてくる衝撃にもかかわらず、熱く反応する身体。
真っ白に塗り替えられていく頭の中で刺激だけが飛び跳ねる。ぎゅっと絞り込むように包み込んでしまう。
その動きが更に快感を増幅し、もう何も判らなくなってきた。ただ、お腹の中の彼の動きだけが、感覚の全てで。

「ハッ、アッ、アアッ、アアア、また、大きっ!……ひぅっ!」
「セリア、セリアッッ!!」
「ユッ、ユートッ! ユート様ッ! ユートさまぁっ!!」
意味も無く、獣のように名前を呼び合う。いつの間にか、呼び方が元に戻っているのにも気づかずに。
「ルゥ……ルゥ……」
何かにしがみついていないと、飛んでいきそうだった。
自分から硬い筋肉に腕を回し、肩口に顔を押し付ける。それでも足りず、噛み付いた。
漏れた喘ぎの間に、鉄の味が混ざる。ぐちゃぐちゃに掻き回される内と外。渦巻く熱と汗の匂い。
「はっ、はっ……くっ!!」
「アッアッアッアッ―――――」
その螺旋が収束した瞬間。

 ――――どくんっ!

「――――ア゙ッ!?」
胎内に灼けた飛沫が弾けるのを感じ、私はびくっと大きく身を仰け反らした。
しっかりと両腕に抱え込まれた背中を無理矢理撓らせる。
一瞬だけ見え、すぐに火花に掻き消されてしまう天井。
いつしか開いていたウイングハイロゥがばさばさと激しく羽ばたいているのが最後に見えた。

 ――――どくっ! どくっ!

「ンンッ! ンッ、ンンンンッッ!!!…………ア――――――ッ!!!」
硬直したまま、これ以上無い位伸びきる爪先。胎内で、いっそう膨れ上がった快楽が爆発する。
まだ、断続的に叩きつけられる粘膜。その熱い暴力的な衝撃に、私は強引に光の渦へと飲み込まれていった。

……………………

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…………ンッ、ンン…………」
まだ断続的にぶるぶると震えている全身。
ようやく開放され、ゆっくりと弛緩していく。
お腹の中にじんわりと沁み込んで来るような。
ぴったりと当て嵌まっている、そんな不思議な充足感。こんな穏かな気持ちになったのは初めてだった。

「……大丈夫か? ごめん、俺も途中からなんだか判らなくなっちまって……その、あんまり気持ち良かったから」
余韻に浸り朦朧としていると、耳元で心配そうな声が聞こえてきた。
答える代わりに、そっと唇を塞ぐ。
「あ、ん……ルゥ……」
触れた部分からじんわりと伝わってくる、優しさの温もり。――――満たされていた。
言葉ではなく、心で。心だけではなく、身体全体で。身体だけじゃ足りなくて、存在全部で。

「ん……ふ……」
「んん、ん……」
「ん……………………ンンッ!? ぷはっ、え、なに? また硬く……あうっ!」
「……ごめん、我慢できない」
まだ収まったままだったものが固さを取り戻し、うっとりとしていた私は慌てて唇を離す。
すると情けない顔をしたまま、彼は私のお尻を鷲掴み、いきなり腰を使い始めた。急な行動に、喘ぎが上手く噛合わない。
「なっ、何を、謝って…………は、ぁんっ!」
「セリア……セリア……」
「あっ、わ、わたしまだ――――あっ、あっ! あっ、あっ…………」
余韻の解けてない波が再び荒々しく押し寄せ、声にならない。
乱暴な動きを止めさせようとしたが、途中で諦め力を抜いた。
委ねると、安心感が込み上げてくる。揺れる視界がぼやけ、やがて再び涙が零れ始めた。
「アゥッ、あ、あ、あぁぁ…………ルゥ、ウルゥゥ…………」
このまま、壊されてもいいと思った。
すぐ側に聞こえる息遣い。そっと髪を抱き寄せる。硬い、針金のような髪がどうしようもなくいとおしい。
彼に、求められている。嬉しさを噛み締めながら、私はその夜ずっと彼に揺さぶられ続けていた。