胡蝶

Ⅷ-2

「まったく、騙されたよなぁ」
「くすくす。あれは見ものでした。悠人さんったら、セリアの居た空間に大声で泣きつくんですから」
「しょうがないだろ、しっかし普通俺にも一言あってもいいんじゃないか? 黙ってるなんて意地が悪いぞ時深」
「まぁ、敵を騙すにはまず味方からといいますし、あの場合、悠人さんが一番表情に出ますから」
「む……なんだか馬鹿にされているような」
「そんな事ありませんとも。ただ可愛かったですよ、くすくすくす……」
「ちぇ……」

後ろで二人のそんなやり取りが聞こえてくる。
私は笑いを噛み殺しながら、目の前の石造りのお墓の前に膝を下ろした。
さわさわと、気持ちの良い風が流れてくる。マナの流れも、どうやら平常に戻りつつあるようだ。
小高い丘の向こうには復興の兆しが見えるロンドの街並み。イースペリア全体はまだ無理だが、いずれは叶うかもしれない。
「姉様ぁ~~~!」
向こうから駆けてくる、少女のような意志が沢山受け継がれていくかぎり。

手元の『熱病』がリィ、と小さく響く。“本体”とはいえ、まだ上手く馴染んではいない。
子供のような、無邪気な子。私は諌めるようにそっと握り、それから少女に応えて軽く手を振った。


――――本来はタキオスを3人で倒し、テムオリンとシュンで私とトキミが使う手段だった。
その上で残った悠人が順にロウを倒し切れば、この世界は守れる。
幸いにして、トキミはそれを使わずに、テムオリンを退けた。悠人も、タキオスに打ち勝った。
しかしまだ“生まれたて”で、更に“本体”を既にここに分けてしまっていた私には、手段を選ぶことが出来なかった。
マナが豊富な『再生の間』だからこそ、相打ちに持っていけたというべきだろう。
分身の『熱病』でも、何とか『永遠』や『時詠』の力を引き出せたのだから。
また、分身だからこそ、シュンやテムオリンが軽視してくれたというのもある。

「それにしても……こらっ!」
「きゃっ……ちょっと悠人?!」
「判ってるんだろうな、散々心配させやがって!」
「散々って……だから散々、謝ったじゃない」
急に後ろから、じゃれるような悠人の抱擁。
両肩を包まれるように後ろから抱き締められるのが気持ち良い。――――でも、言わない。

「あらあら、もう、見せつけてくれますね」
「ホント、お似合いですよね。……あれ? ところで、どなたですかあの方」
「ふふ、知らなくてもいいこともあるんですよ」
「ふ~ん……そうなんですか。でも姉様、すっごく嬉しそうな顔です♪」

後ろでからかう二人の笑い声。そろそろかなり恥ずかしくなってきた。
「ちょっと、調子に乗らない……あっ」
「おっと。まだ本調子じゃないんだから、暴れるなって」
「暴れてなんていないわ……な、何を」
反論する暇も無い。うっかりよろけてしまった私は、ひょい、と軽く悠人に抱き上げられてしまう。
両手で抱えられたまま、じたばたと足を振ってみるが、全く意味が無かった。
渋々力を抜き、今度は懇願の口調に変えてみる。
「お、下ろして……みんな見てる」
「構わないさ。しかしあれだな。こうしてるとセリアも随分大人しあたっ」
「やっぱり下ります! ……ちょ、ちょっと。急にこっち向かないでよ」
「暴れると抱え難いだろ、全く。少しは大人しくしてろよ……嫌なら避けてもいいぜ」
「何言って……ん! ん、んん~~…………ん……」
悔しい。不意打ちなんて、卑怯。そんな言葉は、遂に口から出せなかった。
くたっと全身の力が抜けてしまう。仰け反ればいいのに、どうしても避けられない。
嫌だなんて、とんでもない。それ位、気持ちが良かった。大好きな人の、大好きなキスが。――――言わない、けど。

「で、どう、調子は」
「はい! 街の復興は順調です。みんなも頑張ってますし、それに……」
息も絶え絶えになりながらようやく悠人の抱擁を離れた私は、少女と二人で丘の向こうを眺めていた。
頭にコブを3つほど拵えた悠人が頭を擦りながらトキミに何か言われているが、無視することにする。自業自得だし。
「それに? なに?」
「最近、街の“人”たちが何だか優しいんです。わたし達のせいで壊された生活なのに、笑って協力してくれて……へへ」
そうはにかむ彼女の瞳は軽く潤んでしまっている。相変わらずの泣き虫だ。
最もこの頃、自分も人の事は言えないと、しばしば思うようになってきてはいるのだが。
私はそっと彼女の目尻を掬ってやりながら、そっと『熱病』に力を篭める。
恐らく後ろでトキミが『時詠』で同じ力を使ってくれている事だろう。この、『私に関する記憶』を奪う力を。

さわさわさわさわ…………

「――――あれ?」
少女は、きょろきょろと辺りを見回している。どうしてこんな所へ、と不思議そうな顔だ。
様子を見ていると、ゆっくりと立ち上がる。そして首を傾げながら丘を下りて行った。
背中を見送る時も、もう涙は零れなかった。想いを、受け継いでくれる。それだけで、充分だったから。

隠れていた木の陰から出てみると、丘はひっそりと寂しく見えた。
「…………」
無言でそっと、お墓の石を撫でてみる。ひんやりと、冷たく硬い感触。“本体”を保管した時と、同じ感覚だった。
もうこの世界に、私を憶えてくれている人は、この中のリアとユミナ・アイスしかいない。
正確には、リアとユミナ・アイスが私に引き継いだ想いしかない。だから。私はトキミに振り向いた。

「――――残るわ」
「――――そうですね」
「……知ってた?」
「ええ。それも予定の範囲内です。本当は、戦力不足なのですけど、ね」
「……ごめんなさい」
「いいですよ。ただ、くれぐれも介入は――――」
「判ってる。ただ、見守るだけ。そうしないと、ここから動けないから」
知っていた、という割りにはやや呆れ顔のトキミから目を逸らし、悠人の方に顔を向ける。
終始無言だった彼は、力強く頷いてくれた。その手を握ると、軽く握り返してくれる。
私はそっと離れ、『熱病』を頭の後ろに持っていった。後ろ髪を束ねるように持ち上げ、その下に刃を当てる。
「憶えておいて……スピリットの私を」

  ―――― ばさっ

あっ、と小さな声をあげる悠人。今まで大事にしてきた後ろ髪は、あっけなく落ちていた。

マナに還る前に『熱病』に添え、そのままお墓の下へと埋める。
その作業の間、誰も一言も喋らなかった。無言の中、風だけが草の擦れ合う音を奏でる。
緑の匂い、木々の木漏れ日。ふと、リュケイレムの森を思い出し、涙が一粒だけ零れ落ちた。

「蓋」が閉じられる気配がラキオスの方向から近づいてくる。
恐らくエスペリア達の報告で、もう“敵”が存在しないことを知ったのだろう。
「……そろそろですね」
トキミが、小さく呟いた。私も頷き返す。覚悟を、決めなくてはならない。
一時とはいえ、かなりの長い期間、離れ離れになれなければならない悠人に、最後に何と言えばいいのか。
「さ、悠人さん。こちらも“門”を開きます。集中して下さい」
「あ、ああ……」
もう、時間が無い。少し焦っていると、トキミと目が合った。何故か、片目を瞑っている。
少し微笑んでいるような気もした。――――いや、あれは。何か、悪戯を考えている目だ。
「トキミ、一体何考え――――」

「悪いな時深、俺も残る!」
「え? きゃあっ!!」
突然私を抱え、走り出す悠人。何が起きたのか、咄嗟に反応出来ない。
後ろから、“門”に吸い込まれていくトキミの声が追いかけてくる。
「あー悠人さん、駄目ですよー」
……なんて、棒読み。駄目だとか言いながら、制止する気が全く感じられない。
ふと見上げると、にっと憎らしいくらい清々しい悠人の笑顔――――やられた。

「――――いいの?」
思いもよらない展開。
悔しいけど、そんな台詞しか出てこない。嬉しいのと申し訳無さで、すっかり萎縮してしまった口調。
声と同じ位縮こまって、私じゃない位大人しくすっぽりと彼の腕の中に納まりきっている体。
「当たり前だろ? セリアの我が侭にももう慣れたしな、ははっ」
「……もうっ。誰が我が侭よ」
「我が侭じゃないか。折角俺は気に入っていたのに、その髪。勝手に切りやがって」
「え、え?」
『お幸せにーーー!!』
「おうっ、またな、時深っ!」
「……ありがとうっ!!」
悠人はほぼ確信犯的に、私はほとんどヤケクソ気味に、二人とも心の底から本当に感謝の気持ちを篭めて叫んでいた。