相生

Bidens atrosanguineus Ⅰ

初めの動機は、単純だった。
新隊長の登場と共に初めて異性というものを身近に意識したヘリオンは、
その日から自分の中で急速に膨れ上がる憧れという感情を抑え切れなくなっていく。
戦いの中で未熟な技量を必死に磨きつつその背中を追いかけているうちに、
追いかけるための手段としての鍛錬を思いつくと、話は簡単だった。

勇気を振り絞り、訓練を一緒にしたいというささやかな想いを伝えると、すんなりO.K.を貰ってしまう。
それから、夢のような日々が続いた。戦士としての宿命が無ければ、それは幸せといっても過言ではない日常だっただろう。
しかし、ヘリオンの中にある資質がそれを許さない。
素直な性格も相まって厳しい訓練にも耐え柔軟に吸収し、遅咲きながら見る見るうちに未曾有の剣の才能を発揮し始めたヘリオンは、
確実に実る訓練の成果にいつしか"強さ"というものを本気で目指し始めるようになっていた。
「んっ……そこですっ!!」
今回の戦いでも、養った基本型通りに動き、教科書通りに敵が倒れる。
「……やったっ!」
手応えにヘリオンは一々拳を握り締め、"強さ"に近づいたという実感を噛み締める。
もう既に、位が違う敵に対しても互角に戦えているという事実が自信となり、
『失望』が“第九位”である事へのコンプレックスもさほど感じないようになってきている。
これで憧れの背中により近づけた、と。もうすぐ並んで歩けるようになれるかも知れない、と。
それは当初とは喰い違った動機ではあったが、今となっては結局どちらでも同じことであり、
同様に"強さ"の本質について深く考えるというプロセスの大切さも、素質が一足飛びで省略させていた。

そうして何人目かの敵を斬り伏せた森の中で、ヘリオンは迷子になっていた。
「ふぇぇ~ん調子に乗りすぎました~」
藍を重ね染め上げた京友禅ように綺麗な黒髪のお下げをぶんぶんと振り回し、
磨かれたAmethyst(アメジスト)のように澄んだ紫色の瞳をきょろきょろと気忙しく巡らせて。
先程までの斬撃を繰り出した時の威勢の良さなどはどこへやら、がさごそと不器用に目の前の草叢を掻き分ける。
元々小柄な分、悪環境での戦いはスタミナ的に向いてはいない。きゅるるるる。
「あうぅ~……もうダメかも……」
敵と対峙していた時には緊張が持続していて気にならなかったが、お腹まで可愛く鳴っていた。
そしてどれだけ訓練しても、生来の気の弱さだけは治しようもない。
こういう非常事態に対応出来るだけの人生経験も踏んではいないので、
例えば独りで戦場のど真ん中に取り残されているなどという状況を自覚してしまうと簡単に“テンパる”。
ヘリオンはへたり込みそうになる腰を懸命に持ち上げながら、泣きそうな顔で当てどもなくふらふらと森の中を彷徨い続けてゆく。

「――――あれ?」
そしてそうこうすること数刻。ようやく前方に希望の気配を察知する。
「これ……ネリー?!」
一体どれだけ仲間と逸れていたのだろうかと呆れながらも身体には力が蘇る。
助かったと単純にウイングハイロゥを広げながら、しかし一方でヘリオンは頭の隅に別の妙な引っかかりも感じた。
ネリーは、とんでもないスピードで森を縦横無尽に駆け巡っている。
それも、知っている彼女の速さとはかなりかけ離れているスピードで。
しかしそれでもネリーには間違いが無い。それに考えている暇も無かった。このままではまた置いてけぼりを食らってしまう。
自分でも追いつくのに相当骨が折れそうだ、そう考えながらヘリオンは草叢を蹴り出した。

「……ふえ?」
ようやくネリー背中が見えた頃。唐突に、『失望』が強く警戒を発した。
見ると、ネリーの身体はぼんやりと蒼く輝いている。つまり、周囲に敵の気配がしないのに臨戦態勢を取っている。
「これ……まさか?!」
ヘリオンは慎重に背後に回りこみ、細い肩に手早く両の手を回す。
「クッ……こ、このぉ~!!!」
「ネリーさん! 落ち着いて下さい、私ですよぅ!」
途端、狂ったように暴れ出すネリーは、ヘリオンを味方とは認識していない。
ただ、行動を邪魔する存在を振り払おうと必死に四肢を振り回し、もがき続ける。
「――――あうっ!」
拍子に回ってきた肘が勢い良く頬に突き刺さり、ヘリオンは思わず呻いた。涙が出そうになる。
止める手段が、今の彼女にはない。それでもこの状態のネリーを手放す訳にはいかない。
スピリットなら、誰でも神剣の強制力の恐ろしさは骨身に叩き込まれている。

「――――ネリー!」
待ち侘びた、一際高い制止の声が短く刈り込んだ髪と同時に飛び込んで来る。
「だめだよぅ! ヘリオンだよぅっ!」
「離せぇ~っ!……って、あ、あれれ?」
正面からシアーに抱き締められる形で抑えられたネリーは、ようやく身体の力を抜き大人しくなる。
「 シアー……はふぅ」
「シアーさん! 良かったぁ……ふあぁ……」
抱き挟むような格好のまま正面にシアーの姿を確認したヘリオンも、ほっと安堵の表情を浮かべる。
今のところネリーを止められるのは、姉妹のように育った彼女だけだった。