相生

Delphinium chinensis Ⅰ

「ごめんね遅れて!……ふえ? やぁぁぁぁんっっ」
急にヘリオンが力を抜いたせいで、シアーはずるっと足を滑らせた。
気を失っているネリーの全体重が掛かって支えきれない上、安心したせいか目をぐるぐると回したままのヘリオンまで圧しかかってくる。
ウイングハイロゥを広げてはみたが、三人分の重量はどうしようもない。つまりそのまま落下するしかない。

 ―――― どさどさどさっ!

「……きゅう」
下敷きになったシアーの意識は、一瞬数刻前の出来事にまで遡ってしまっていた。

確かにそもそもの発端は、迂闊にも敵のレッドスピリットに固執して追いかけ続けたシアーにあった。
彼女は例えばネリーと比べても重量のある神剣『孤独』の所有者でもあり、
本来はその重みを生かした剣技で攻撃するのがその特性にも合っている筈なのだが、
しかしどうしても自分と同じ姿の「敵」を殺すというその事自体に躊躇いがある。
第一、何故自分達が戦わねばならないのか、その理由が上手く飲み込めない。
訓練士が何度か説明していたものの、どれもシアーには納得のいくものではなかった。
生来の大人しい性格と相まって、皆が殺気立つ戦いというものにいつまでも上手く馴染めない。

そんな経緯により、今回もネリーとペアを組みつつひたすら防御に徹していた。
とはいってもシールドハイロゥを生み出すなどという芸当が出来る訳でもないので、
ブルースピリットにとっては厄介なレッドスピリットの攻撃魔法に対する抗神剣魔法、
すなわちアイスバニッシャーやエーテルシンクを延々と唱えながら後方を警戒するというだけの役目なのだが。
とりあえず身を守ってさえいれば、いつかは戦いも終わっている。そんな経験則が既に彼女の中では出来上がっていた。
「マナよ、我に従え氷となりて力を無にせしめよ……アイスバニッシャー!!」
「クッ……!」
「……ふぅっ」
そうしてまた一人。神剣魔法を無効化されたレッドスピリットが動揺しつつ後退する。
自分と同じ位の小さな背中を見送りながら、シアーはこっそりと安堵の溜め息をついていた。
もしも直接攻撃に切り替え突っ込んでこられたりした場合には、こちらも剣を振るわなければならない。
「痛いのは……ヤだよね」
りぃぃん……。呟いた手元で、『孤独』が小さく鳴っている。

「えっと……ネリーは?」
それはそうと、ややネリーとの距離が離れてしまっていた。
ぼんやりと感じる複数の気配が、森中から感じられて混乱する。気づいた時にはふらっと数歩前に出ていた。
「――――ッッ!!」
一瞬の、油断だった。
周囲には、いつの間にか盾と出来る樹が全く存在しない。そんな開けた場所で、敵に囲まれてしまっている。
皮肉にも見通しの良い広場の中央で、薄く膜をひく霧の向こうに敵の表情までもがはっきりと見えた。

「わ、わ、わわ……」
敵は全員レッドスピリットだった。各々に持った神剣を盾にして、じりじりと近づいてくる。
シアーはすぐに『孤独』を両手で水平に構え、身を守るようにウイングハイロゥを広げ、詠唱を始めた。
「マナよ、我に従え彼の者の包み深き淵に沈めよ……え、ええ?」
しかし幸か不幸か敵は皆、一度はシアーに退けられた者ばかりだった。
散々打ち出した神剣魔法を全てキャンセルされ、学習したのか、集団での接近戦闘に切り換え突っ込んでくる。
確かにレッドスピリットの攻撃力など、ブルースピリットに比べると児戯にも等しい場合が多い。
だが包囲して全方向から数で押すというのならば話は変わってくる。
「ちょ、ちょっと待って……ヤだあぁぁぁ!!」
どのスピリットも、物凄い形相で睨んでいる。
シアーはその視線に耐え切れず、ウイングハイロゥを急いで羽ばたかせた。逃げるつもりだった。
「逃がすかッ!!」
「ハァアアァッ!!」
「死ねぇッ!!」

 ―――― ヒュンヒュンヒュン!

「え……? きゃああっ!!」
途端、雨のように降り注いでくるのは物凄い数の神剣。シアーは短く悲鳴を上げる。
霧の満ちた中を貫く時の衝撃で一気に蒸発した水分が、周辺で凝縮しては小爆発を繰り返す。
削られた砂礫が地面から噴出し、慌てて顔を覆った両腕に軽い傷を残して神剣の群れは飛び去った。
シアーはその場によろけてしまう。辛うじて直撃こそ防いだものの、反撃出来る余裕もまた無い。
そしてもう逃げることも叶わなかった。敵はすぐそこまで駆け寄って来ている。
「ゔ、うう……来る……戦わなくちゃ、いけないんだよね……」
そうして覚悟を決めかね、それでも『孤独』をきゅっと握り直した時、
「こんのお~~~!!!」
上空から、聞き慣れた声が降り落ちてきた。

「! ネリー!!」
ネリーは放胆にも両手を広げながら、敵の密集している草叢へと一直線に突撃し、
意外な襲撃に動揺している敵の真っ只中で、『静寂』をくるくると振り回す。それだけで、数人が倒れた。
「よっくもシアーをいぢめたな~~ッ!」
ネリーは更に次の一団へと飛び込む。肉を切り裂く生々しい音と赤と金のグラデーションが辺りを彩り始めた。
蒼く靡く髪が血飛沫の中で舞っている凄惨な光景を、シアーはあっけに取られたまま見守るしかない。
ところがそんなシアーの視界の隅で、
「――――?」
何かが光る。
先程の爆風のせいかやや晴れた霧の向こう、樹々の奥で何かを唱えている複数のレッドスピリット達。
そしてその前方水平方向では当然シアーとネリーの姿が攻撃目標として一直線上で結ばれてしまっている。
「ッッ……ごめんね……でもっ!」
無効化は間に合わない。そう判断したシアーは今度こそ『孤独』を振りかざし、その集団へと跳躍していった。

「ハァ、ハァ……」
真っ赤に染まった『孤独』から滴り落ちる金色のマナを眺めながら、シアーは暫く呆然と立ち尽くしていた。
身体中が、何か気だるい。気分が暗鬱としてきて、腕の傷が今更ずきずきと痛む。
シアーは頭をぶんぶんと勢い良く振る。そしてようやく我に帰り、はっと辺りを見回すと、またネリーの姿が無い。
「あ……ネリー?」
しかし今回は気配を見失う心配だけはなかった。
無視しようとしても出来ない程、彼女の気配は“無邪気”に膨れ上がってきている。
「ハァ、ハァ……ネリー、だめだよぅ……」
剣が、無性に重い。シアーはそれをずるずると引き摺ったまま、歩き始めた。